我が家の日常はどうしても子供中心となります。家族の事柄も含め、この陽平日記帳に掲載することにしました。

     

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2004年4月30日(金)bP0
友達100人?

「♪1年生になったら、1年生になった−ら、友達100人作るんだ−。」と歌っていた陽平が突然「100人なんて絶対できないよね。」母親は「どうして」と聞いた。「だって友達は仲良しじゃなければいけないんだよ。」
母親が再度「もうともだちできたの?」と聞くと、「うん、○○○○君」と隣の机の子の名前を言った。「あと99人はたいへんだなぁ」と自問自答していたそうだ。がんばれ、わが息子。友達100人目指して。

2004年4月22日(木)bX
父の拳

先日、ラジオで元横綱の曙さんが語っていた。、最初に倒されたのは父親の拳であったという。(ボブサップは2度目)。10歳の時、母親に口答えしたことに対し、父親に「大人のような口をきくなら、大人として扱い殴るぞ。」といって、本気で拳で殴られたそうだ。(これはイタダキ。)
我が子も成長するだろう。そしていつ、この子を拳で殴る時期がくるのか、今は楽しみである。(変な親?)尚、写真は7歳の誕生日のものである。今はいいなぁ。

2004年4月13日(火)bW
スイミングにて

昨年暮れからスイミングを始めた陽平。幼稚園クラスはパンダ1,パンダ2、馬、くじらと上位のクラスになる。陽平はやっとパンダ2になったが、小学校に上がると等級制になり、16等級の1のクラスになった。他の児童は16の2から始まるのに(不満プンプン)。今日のスイミングでは陽平だけ、パンダ1に配属(逆戻り)されてしまった。まだ顔を水に浸けることができない陽平を「アライグマのようだ」とかみさんは言う。顔を水に浸けると何度も手で顔を拭く様子をいうのだ。亀でも水の中で泳げるのに、亀より歩みののろい陽平もいつかはウサギを追い抜くであろうか。

2004年4月11日(日)bV
入学して

 先週入学式があり、今は学校が楽しみの我が子。夜は明日学校に遅れないために8時就寝。朝になると早く学校に行きたいなぁと早く起きる。この調子がいつまで続くのかなぁと親は期待する。これからいろいろあるけれど、「学校が行きたくなる」れがすべてかなぁ。
 ランドセル姿を取り損なったので一枚。でも普段着だから今ひとつだね。

昨年まであげていた鯉のぼりも、木も器具も疲労で昨年に引退してしまった。写真は昨年のです。今年まではあげたかったなぁ。

2004年4月8日(木)bU
新聞の文字から

 机の上に置かれた新聞の広告の欄の「」申年生まれは−−」を見て、陽平は言った。「今日は申年?いつまで申年?」。その後親戚の干支を聞いてきて、祖母の話になると、突然に  「おばぁちゃんてすごいよねー。まだ生きているんだよね。−」。!!
 先日、かみさんの実家に一泊した。その際に昔の写真を見せてもらったようだ。たぶんそのときの母親の写真とともに写っていたお婆ちゃん(祖母)を見て感じていたのだろう。脈絡のない我が子の言葉に動揺しながら、私とかみさんの双方の両親の中で一番若い祖母に対しての言葉に「おばあちゃんはがっかりするだろうなぁ」悲嘆する娘(かみさん)であった。
 児童の写真が及ぼす影響はその年数よりも大きな時代をとらえているようです。

2004年4月4日(日)bT
ヤマハ発表会

今日は、年に一度のヤマハの発表会だ。
幼児科2年の陽平は今年は初めてエレクトーンを演奏する。今までの努力(?)がためされる。本人はあがらずにできたようだ。親の目からもわずかに上達している。上級の子たちの演奏を聴いていると、我が子はあそこまで上達するのかなぁと悲観したくなる。後で、「今日はうまくいって良かったね。」というと、「うん、グリンピースも食べれたしね。」こいつにとって、ヤマハの演奏と後で食べたチャーハンのグリンピースが初めて食べれたのが同一次元であった。

2004年3月30日(火)4
稚児行列

・今日は、家のお墓のあるお寺、福寿院の新築落成祝いとして、100年に一度の催しが行われるらしい。お彼岸の度に、いつできあがるのかなぁと話していたが、こんな立派なお寺が檀家他の寄付で建つのだから、辞められないよね。今日の行事は大がかりだから見に行こうと両親を連れて子供とかみさんが行ってきました。
 特に稚児行列を楽しみに行ったら、既に行列は終わり、寺に集まっていたそうな。後はおきまりの偉い坊さんの大行列と長いお経で子供は飽きてしまったようだ。「これなら、寺の建前の時の方がおもしろかった」とかみさんの弁(もち投げ等)。でも見たかったなぁ。普段の日に参加できるやつはどんなやつなんだとひがむ私です。

2004年3月27日(土)3
車の中で

陽平は、小さいときに車酔いする癖があるため、助手席に座らせている。たまに黄色信号で直進すると「あっ危ないよ。すぐに赤になるよ。だめだよー。」と私に注意する。私は、「少しくらいはいいんだよ。」と横でうるさい子をかわす。最近は、信号待ちで右折レーンに早くから寄ろうとして移動していた車に対し、母親が「急いでいるんだね」と説明すると、「まだまだ先なのにわがまま言っちゃだめ。」「それなら注意してこようか」というと、「いいんだよ。他人の人だから。」という子にとまどうこのごろです。

2004年3月27日(土)2
父との約束
おととい、いかりや長介氏が亡くなった。葬儀の際に長男が父親との約束の話をした。あぁそうなんだ。父親は約束事をした方がいいんだなぁと思い、私も我が子に4つの決めごとを約束した。一方的ではあるが---。そのうちどんどん増やしていこうかと思うがあんまり増やすと価値が薄れるからなぁと反省する。(1)あいさつをすること。(2)有り難うを言えること。(3)ごめんなさいを言えること。(4)うそをつかないこと。
呪文のように口ずさむことによって陽平の心にひとしずくずつ落ちていけばいいなぁと願う。これから期待していきたい。
2004年3月19日(土)1
風呂場にて
一緒に風呂に入っていると突然陽平が聞いてきた。「人間はどうして死ぬのかなぁ。死んだらどうなるのかなぁ。どうして生まれてきたのかなぁ。」何気ない口調で出た言葉にびっくりしながらにつき、「人間は生きている間にどれだけ一生懸命生きたかが大切だよ。お父さんたちの方が早く死ぬから後はがんばれよ」と答えた。彼には単なる疑問の一つだが、深いなぁ----。この年で人間ができているのかなぁ。ハハハ
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