平成18年7月15日〜9月3日まで国立科学博物館(東京都台東区上野公園 7-20)にて「日本南極観測50周年記念 ふしぎ大陸 南極展2006」が行われています。
1956(昭和31)年11月に第1次南極観測隊が観測船「宗谷」で出港してからちょうど50年を迎える今年を記念して探検から観測、そして地球環境保護のための役割を担ってきたわが国の南極観測の歴史を伝える貴重な資料を展示した意義のある企画展が行われています。
そして何より興味深いのは現役観測船「しらせ」に変わる後継船の模型展示が行われたことです。
(取材日:2006年7月30日)

白瀬矗が南極へ到達したときの開南丸の模型

白瀬矗中尉が南極大陸へ到達したときの開南丸の模型(縮尺1/30)です。
資料などには「白瀬矗中尉」と記されていますが、当時は国の援助もなく大隈重信をはじめとする多くの有力者と国民からの義捐金による初の南極の探検でした。
開南丸は204トンの漁船を改良した船でしたが1912(明治45)年1月に同時期に南極点を目指したスコット(イギリス)とアムンゼン(ノルウェー)と同時期に南極に大陸に到達しています。
アムンゼンが率いる「フラム号」とわずか1マイル半の距離に停泊し、開南丸を訪れたフラム号士官は「こんな船では我々はここまではさておき、途中までもくることはできなかった」と語りました。
スコット(帰路で遭難し死去)とアムンゼンは南極点到達を実現しましたが、白瀬矗中尉の南極点到達はならず南緯80度5分に到達し「大和雪原(やまとゆきばら)」と命名しわが国は初の南極到達を果たしました。

第1次南極越冬隊で活躍したカラフト犬 タロとジロ

映画「南極物語」でもおなじみの犬ぞりで活躍したカラフト犬のタロ(画像右)とジロ(画像左)の剥製です。
ジロの剥製は国立科学博物館に保管されており、タロの剥製は北海道大学に保管されていました。
南極の地で過ごした兄弟が離れ離れではかわいそうと再会を望む声があったのですが、おそらく初の再会になるのではと思います。

第1次南極観測隊 隊長 永田武さんの装備

第1次観測隊当時の昭和基地の個室

ロッカーとベットがあるだけの居室でした。

現在の昭和基地の個室

第1次隊に比較して広くなっているのはもちろんですが収納スペースなどに工夫が見られるように感じます。
現在、昭和基地には学術調査などの名目で観測に従事する方に加えて広報や事務という形で越冬される方がいるには驚かされました。

小型雪上車 SM25S

電子制御によるハンドル操作が可能ですが耐寒性があまりなく昭和基地周辺で利用されているようです。現在昭和基地には2台が配置されています。

小型雪上車 SM25Sの車内

第1次南極観測隊が用いた通信機器

送信機や受信機など現在使われている無線機とは想像もつかないくらい大きく時代の流れを感じます。
また通信方式もCW(モールス)が主流だったようで電鍵も展示されていました。

初代南極観測船「宗谷」のスクリュー

歴代の南極観測船1

初代南極観測船「宗谷」です。
戦前には民間の貨物船として活躍し戦争中は海軍の特務艦として活躍し戦後は引揚船として活躍した後海上保安庁の灯台補給船として活躍し南極観測船として第1次〜6次の観測隊の輸送にあたったあとは第1管区海上保安本部の巡視船として任務にあたっていました。1978年7月に解役後は南極観測船時代の艤装に戻され1979年よりお台場の船の科学館で展示公開されています。
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歴代の南極観測船2

2代目南極観測船「ふじ」です。
先代の「宗谷」が海上保安庁所属だったのに対して「ふじ」からは航空輸送力を持つ海上自衛隊に移管されました。
第7次隊から第24次隊までの輸送を担当し現在は名古屋港ガーデン埠頭で係留され展示されています。

歴代の南極観測船3

現在も活躍中の南極観測船「しらせ」です。
134メートルの船体の長さは他国の砕氷船と比較しても最大であり、わが国海上自衛隊が保有する艦船の中でも最大級のものです。
2008年には退役が予定されておりその任務は後継船に引き継がれる予定です。

これが「しらせ」の後継船だ!!

2009年5月に完成が予定されている南極観測船「しらせ」の後継船です。
環境保護を意識した世界最先端の砕氷船で現在はコードネーム「17AGE」と呼ばれています。
いずれ一般公募によって船名が決定される予定で、どんな船名になるかは楽しみなところです。

大型雪上車SM100S

内陸部の調査活動にも使用されるために通信機、発電機、炊事用具などが配備され「動く基地」としての機能を果たしています。

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