どうして医者の言葉は「伝わらない」のか?


読売新聞の記事より。

【福島県大熊町の県立大野病院の産婦人科医師○○○○容疑者(38)が業務上過失致死と医師法(異状死体の届け出義務)違反容疑で逮捕された事件で、○○容疑者が数多くの出産に立ち会っていたものの、今回死亡した被害者のように、子宮と胎盤が癒着している状態での帝王切開手術の経験はなかったことがわかった。
 県病院局によると、加藤容疑者は、医師免許を取得して9年目の中堅医師で、2004年4月に同病院に赴任後、唯一の産婦人科医として年間200回の出産に立ち会っていた。
 しかし、「癒着胎盤」の状態で帝王切開が行われたのは03、04年度、産婦人科がある4つの県立病院で今回のケースが唯一で、加藤容疑者も経験がなかったという。
 県は昨年1月、専門医らで作る調査委員会を設置。同3月に、事故の要因を「癒着した胎盤の無理なはく離」「対応する医師の不足」「輸血対応の遅れ」などと結論づけ、遺族に謝罪していた。県は遺族と補償問題について交渉中という。
 会見した秋山時夫・県病院局長は、警察へ届け出なかったことについて、「当時、医療過誤という判断はなかった」と釈明した。 】

参考リンク:癒着胎盤で母体死亡となった事例(ある産婦人科医のひとりごと)


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 まず、上記参考リンクを御参照ください。
 この記事を書かれている医師の事件に対するコメントは、僕の感覚では至極真っ当であり、その通りだと頷けるものでした。たとえ教科書に載っている事例であっても、珍しい疾患で緊急性があって自分ひとりで対応せざるを得なければ、こういう事態が、十分ありえると思います。ミスというより、「力及ばず…」という状況だったのではないかな、と感じます。患者さんの御遺族が「納得できない」というのは、感情的には理解できるし、それはもう、少しずつでも説明していくしかないのだろうなあ、とは思うのですけど。まあ、「クレーマー」みたいな人がいるのも否定できない事実ではありますが。
 ただ、この記事のコメント欄を読んでいて僕が感じたのは、たぶん、これだと「伝わらない」だろうなあ、ということでした。人気ブログなので、コメント欄にはたくさんの医療者や患者さんおよびそれ以外の人々からのコメントが書かれているのですが、僕が医者じゃなかったら、「専門家のやることを知りもしないのにあれこれ言うな」とか書かれていたら、やっぱり、あんまり良い印象は持てないと思うんですよね。そして、「医者なんだからもっと勉強しろ!」と「こちらは命を削って働いているんだから、そんなことを偉そうに言うなんておかしい!」という感情のぶつけ合いになってしまうのです。ある意味、医者って本当によく言えばピュア、悪く言えば「世渡り下手」だなあ、と僕はつい考えてしまうのです。
 正直なところ、「医学的な下地がない人に、医者の説明がどの程度理解できるのか?」という点については、僕は以前から疑問に思っていましたし、現場でも、それはものすごく感じています。そもそも「肝臓ってどこにあるの?2つあるんでしょ?」というくらいの「予備知識」しかない患者さんや御家族に、30分間で「理解できるような肝硬変の説明」をするのは、かなり至難の業なのです。というか無理です。解剖学のイロハから説明するわけにもいかないですし…あれこれと1時間くらい良性疾患の説明をした末に、最後に奥様から「で、ウチの人は、どこの癌なんですか?」と問われたなんて話は、枚挙に暇がありません。本当は、「基礎的な解剖学くらい、みんな知っておいてくれれば助かるなあ」というのが本音ではあるんですよね。
 しかしながら、一部を除いては、こういう「家族説明」で、患者さんや御家族は「手術承諾書」に印鑑を押されます。もちろん、「手術を受けないとどうしようもないから」なのでしょうけれど、それと同時に、やっぱり、そうやって実際に患者さんと医療者が顔を合わせて話をするということそのもので、「信頼関係」が生まれるという面もあるのだと思うのです(もちろん逆の例もあり)。もしかしたら、よくわからない医学的な説明そのものよりも「この医者なら、まあ、できるだけのことはやってくれるだろう」という感覚を抱いてもらうことこそが、「説明」の最重要ポイントなのかもしれません。
 ただ、こうしてネット上のコメント欄とかで「言葉」「文章」にしてしまうと、そこに「正しいこと」が書かれていたとしても、あるいは、その内容が「専門家にはわかる正論」だったとしても、やっぱり、その「専門家では無い人」からすれば、「情報的特権階級である『専門家』たちが、自分たちの知識を振りかざして煙に巻こうとしている」ように感じられるのではないかな、と僕には思えます。またこれが、本当に医療者なのかどうかよく分からない「名無しさん」たちが、いい塩梅に「燃料投下」してくれてますしね。

 以前、ここでも書いたのですが、僕は最近、医療者側も、もう少し「聞く耳を持つ」とか「医療者以外の人にもわかりやすいような表現を心がける」という努力をしなければならないのではないかな、と感じています(ちなみに、この参考リンクのサイトの管理人さんは、そういう努力をされていると思います)。とくにネット上というのは、医療者が夜中も仕事をしている姿で「背中で語れる」リアルワールドとは違うのですから。例えば、自分が車のディーラーに勤めていて、売っている車の魅力を多くの人に伝えたいとき、「エンジンの構造が云々」なんていう話をするよりも、「滑らかな加速で乗り心地も最高」と書いたほうが、より「伝わりやすい」と思いませんか?もちろん、相手が自動車マニアであれば、「最新エンジンの構造」の話もアリでしょうけど。ところが、残念なことに現在の医療者の言葉の多くは、「そんなこと言う前に、車の構造の勉強して来い!」と言っているようなものなのです。たぶん、車のディーラーの人だって、そう言いたいときはあると思うんですよ。でも、彼らはそうは言いません。そして、なんとか技術的な知識に乏しい顧客にも、「伝わる」ような表現を探しているのです。「客がバカだから、車が売れない」なんて言うようなセールスマンは、有能だとは言えませんよね。僕も内心、「自分の命にかかわることなんだから、もっと勉強してくれればいいのに…」と思うことはあるのですが、他の業種の人の話を聞いていると、医者というのは、「黙っていても患者さんは来てくれる(ことが歴史的には多かった)職業」だったため、そういう「伝えるための技術」の熟練が遅れている職種なのかもしれないな、と感じることが多いのです。

 それにしても、医者って言うけど、みんな小学校とかで隣の机に座ったりしていた人なんだから、そんな悪の権化みたいな人ばっかりじゃないというのは、考えてみればわかりそうなものだと思うんですけどねえ……「人の命が助かる」のと「人の命が失われる」ことでは、どちらがいいかなんて、誰だって同じです。少なくとも「医療ミスをしたい医者」「わざわざいいかげんな治療をする医者」なんていないって。そんなことしても、何のメリットもないのだから。
 現在の産婦人科や小児科の医師たちは、「追い詰められている」のは事実なのです。でもそこで、「お前らに医者の苦労がわかるか!」って言ってしまうのではなくて、「こういう点で困っているので、多少距離は遠くなるけれども医者を1か所に集めてセンター化したい」というような提言を、わかりやすい形でしていかなくてはならないのだろうな、と思います。そして、患者さんの側にも、「多少不便でもより安全なやりかた」を考慮するだけの「柔軟性」を持っていただきたいのです。ただ、そんな悠長なことをやっている間に、どんどん産科医が倒れていくというような状況なのかもしれませんけど……

 最後に、今回の逮捕の理由なんですけど、これに関しては、僕はあまりにも酷いなあ、と考えています。別件逮捕もいいところだなあ、と。そもそも、田舎の病院では、ここに書いたように、警察側だって、「異状死体」を届け出ることに積極的ではないことが多いのにね。