こっそり月見雑文祭参加作品〜「天体観測」


 満月の夜に、僕たち天文部は、学校の裏山に集まって「天体観測」をすることになった。
 当時のうちの高校の天文部っていうのは「天文」なんてのは名ばかりで、
体力に自信の無いやつらが放課後に部室に集まって、他愛の無い話をしていたり、まだ当時は珍しかったマイコンでゲームをしたりして過ごし、
文化祭のときにだけ、先輩のコピーの展示をするというのが活動内容だったのだ。

 その年、どうしてそんなイベントをやることになったかというと、単純に「公然と夜遊びがしたかったから」。当時の高校生は、夜中に出歩くことなんてごく一部の「不良」たちや塾の補習を除けばありえなかったし、ちょっとした夜の自由を味わってみたかったのだ。

 第1回の「天文部主催・天体観測会」の夜がやってきた。
僕たちは、部室から古ぼけた天体望遠鏡を運び出し、すすきが生い茂る裏山に登った。
みんなでわいわい騒ぎながらお菓子や女の子たちが作ってきてくれた団子を食べて、隠し持ってきた缶ビールを内心「苦い!」などと思いつつ「うまいなあ」と回し飲み。

宴もやや落ち着いて、部長としての一応の義理で、みんなからちょっと離れて、小さな展望台に天体望遠鏡をセットしようとしたとき、近づいてきた、小さくて細い影。

「部長、こんな満月の夜に天体観測なんて…こんなに月が明るいと、星なんて見えないじゃないですか」

 と言って彼女は、その小さな丸い顔に、半分あきれたような、それでいて、ちょっといたずらっぽい表情を浮かべていた。

 彼女は、マニアかつ男所帯の天文部に、なぜか入っている後輩の女の子なのだ。
いつも、僕たちのあとをついてまわって、片付けろとかイヤミなことばっかり言っている。
色気には乏しいけれど、うるさいほど気が利く、マスコットのような存在。

 「うるさいなあ、柴崎。俺は月を観にきたんだよ。ほら、ウサギが見えるだろ、あそこに」と応えると、

「ウサギ、ですか…部長って、意外とロマンチストなんですね、カワイイ!」と、彼女は小さな丸い顔がさらに丸くして、にっこりと笑った。

 ちょっと酒が入っていたせいか、その言葉にカチンときた僕は、大声で怒鳴った。

「誰がロマンチストだって、バカ!だいたいなあ、月見なんかわざわざここでやらなくても、毎日お前のその月みたいな丸い顔をみせられて、飽き飽きしてんだよ!」。

 柴崎は、「わかりました…部長、わかりました…もう、飽き飽きなんですね…」とだけ応えて、無言でひとりズカズカと山を降りて帰ってしまった。

 それから、柴崎は部活に出てこなくなった。

 僕は、他の女の子たちの陰口に耐えつつ、何もかもが手につかなくなって、憑き物にでもつかれたように、部室のパソコンでゲームばかりやって時間を消化した。

 そうして何ヶ月か経ったある日の夜、眠れなかった僕は部室の天体望遠鏡を抱えて、学校の屋上から星を眺めていた。それは、柴崎がいなくなってからの、僕の日々の消化試合。
月の無い夜で、オリオン座が肉眼でもよく見えた。

 屋上のドアが、ガチャリという音をたてて開き、僕はあわてて振り返る。警備の人?

…そこには柴崎がいた。

 「どうして、ここに?」と尋ねると、彼女は黙って望遠鏡を覗き込んで「今日は、月、見えませんね…」と誰にともなく呟いて、そのまま立ち去ろうとした。

 僕は、思わず望遠鏡で彼女の姿をとらえ、すすきがざわめくくらいの大声で叫んだ。

「柴崎…さん、君が部活に来なくなってから、僕はなんだか、月の無い夜をひとりで行くあてもなく、ブラブラしているような感じなんだ。夜空の月なんか、もう一生観られなくていいから、柴崎さんをずっと見ていたい。」

 彼女は、一瞬立ち止まったけれど、振り向きもせずに走って階段を駆け下りていった。


〜〜〜〜〜〜〜

 あれから、もう15年。
 満月の夜、マンションのベランダで、僕はそんなことを思い出していた。
 若かったなあ、ほんとに。甘酸っぱい記憶。
 もう望遠鏡はどこかへ行ってしまったけれど、月は、あの夜と変わらず空に輝いている。

「パパ〜、そこで何やってるの?もうご飯の時間だよ。お母さん台所でずっと待ってるのに。
きょうは満月だから、お団子つくったんだって!」

 もう5歳になる娘の声。

ベランダにぴょこっと出てきた娘の顔は、お母さんそっくりで、やっぱり丸かった。