「小児科医自殺で労災認定」〜逃げられない「労働者」としての医者
読売新聞の記事より。
【東京都中野区の「立正佼成会付属佼成病院」の小児科医・中原利郎さん(当時44歳)が自殺したのは、過密勤務などでうつ病になったためで、労災にあたるとして、妻、のり子さん(50)が新宿労働基準監督署を相手取り、遺族補償給付の不支給処分の取り消しを求めた訴訟の判決が14日、東京地裁であった。
佐村浩之裁判長は「欠員となる医師の補充に悩んだことや過密な勤務などが原因でうつ病にかかり、自殺に及んだ」と労災を認定し、処分の取り消しを命じた。
判決は、自殺の背景に、全国的に小児科医が不足している現状があったと指摘しており、医療行政にも影響を与えそうだ。原告代理人によると、医師の過労自殺が訴訟で認められたのは2件目で、小児科医では初めてという。
判決によると、中原さんは1999年1月に同病院小児科部長代行に就任したが、同科医師2人の退職などに伴い、同年3月以降、後任の確保や宿直当番の調整などの業務に追われてうつ病となり、8月に病院から飛び降り自殺した。
判決はこれら業務が「強度の心理的負荷となった」と指摘した上で、「こうした問題は、当時、小児科医が全国的に不足していたため、解決が極めて困難だった」と述べた。
さらに、判決は「同病院の小児科の宿直勤務は、診療の多くが深夜時間帯で、十分な睡眠は確保できず、月8回の当直勤務は精神疾患を発症させる危険の高いものだった」と判断した。
原告代理人の川人博弁護士は「判決は深刻な小児科医の労働条件に警告を発するもの」と話した。
新宿労働基準監督署の話「上級庁と協議して今後の対応を決めたい」】
参考リンク:忍び寄る崩壊の足音/2 過労死基準超える残業(毎日新聞)
参考リンク:小児科医中原利郎先生の労災死認定を支援する会
〜〜〜〜〜〜〜
「中原先生の労災死認定を支援する会」によると、 新宿労働基準監督署に労災申請が行われたのは平成13年9月17日だそうです。中原先生の勤務状況や亡くなられるまでの経過を追ってみると、僕は「これが労災死(あるいは「殉職」)でなければ、どんなケースが労災死なんだ?」と思うのですが、申請から今回の判決まで、約5年半もかかっているのです。しかも、今回の判決を受けての労働基準監督署の話は「上級庁と相談して…」という素っ気無いもの。そんなことにはなってほしくないのですが、この裁判がまだ続く可能性もあるのです。
僕はこの判決を『ニュースJAPAN』で観たのですが、そのなかで、コメンテーターがこんなことを言っていました。
「過労死をしないためには、『義理を欠く』ことが大事だと言われています」
中原先生の生前のさまざまなエピソードや働きぶりを知れば知るほど、中原先生が「責任感の強い、義理を欠くことができない人」であったことが伝わってきます。押し寄せる患者さん、1ヵ月間に8回もの当直(医者の当直というのは、夜だけ働けばいいのではなくて、朝から翌日の夜まで、というのが当然の世界です)、売り上げのアップを求める上層部からのプレッシャー、そんな厳しい状況で「小児科部長代理」としては、部下の小児科医たちの不満も受け止めなければなりません。
このニュースを聞いて、「そんなに追い詰められていたのなら、医者を辞めるか休む、せめて、病院を変わればよかったのに」と思われる方も少なくないはずです。でも、「この状況で、もし自分がこの病院を離れてしまったら、この病院で自分が診ている患者さんはどうなるのか、この地域の小児科医療は『崩壊』してしまうのではないか……」と考えると、もう身動きが取れなくなってしまっていたはず。もしかしたら、同じような状況に置かれて、やむなく辞めるという決断をした医者もたくさんいたのではないでしょうか。でもね、彼らに世間が浴びせる言葉は「なんて無責任な医者なんだ!」だったりするのが実情です。「殉職」しないとわかってくれないのか、と考えるのは、本当に悲しい。
医者というのが「キツイ仕事」であり、「お前たちはそれを承知の上でやっているんだろ」という人がいるのもわかります。確かに、僕たちは誰かに強制されて、この仕事をやっているわけではありません。同じ年齢の平均よりは少し高い給料ももらっています。でも、「好きでやっているんだから、どんなハードな仕事にでも耐えろ」とか「医者なんだから、労災なんて適用しない」なんていうのは、あまりに酷い仕打ちです。
現在、小児科医、産科医の不足が大きな社会問題になっていますが、多くの研修医はこのようなニュースを聞いて、「小児科医、産科医になって現状と闘う」よりも「もっと訴訟が少なくて、QOL(いわゆる生活の質)が高い科を選ぶ」ほうにシフトしてきているようです。まあ、このようなニュースを聞けば、よっぽどその選択に「理由」がなければ、小児科や産科は敬遠したほうが無難だと考えるでしょう。そして、今までは「小学生くらいだったら」と子供の発熱くらいは診ていた内科医たちも、「もし内科で診て何かトラブルがあったら……」ということで、子供を診ることを敬遠することが多くなりました。よく、夜中に電話で「医者なのに、なんで子供は診られないんだ!」って怒鳴る患者さんがいらっしゃるのですが、僕たちにとっては、そうやって怒鳴る人というのは、もし内科医が診て何かトラブルがあれば、「なんで内科のくせに子供を診たんだ!」と怒鳴る人なのではないかと不安でしょうがないのです。その結果、小児科の先生たちにかかる負担は増す一方です。状況は、中原先生が遺書を書かれたときに比べて、けっして「改善」されてはいません。たぶん今でも、日本中に「過労死予備軍」の医者たちが溢れています。
それにしても、「医師の過労自殺が訴訟で認められたのは2件目で、小児科医では初めて」って、医者というのは本当に「冷遇」されているのですね……診療を求められたら断れないという「応召義務」がある「労働者」なんて、ある意味、労働者としては最底辺なのではないか、とすら思うのですが。
今日のニュースの中で、中原先生の娘さんが「小児科の研修医」(3年目)としてインタビューに答えておられました。中原先生は、娘さんに「医者にだけはなるな」とびっくりするくらい激しく仰ったことがあったそうです。前にも書いたのですが、僕はこういうふうにテレビなどで取り上げて、この娘さんの人生に余計なプレッシャーをかけてもらいたくないなあ、とずっと思っているんです。とにかく、幸せになってほしいなあ、と。
でもね、じゃあ、ラクな仕事をしてそれなりに平和に暮らしたら幸せってものでもないんだよね、人間ってさ。ほんと、難しいというか、いたたまれない生き物だと、独白してみたりもするのです。