続・「医者が尽くすべき説明義務」



パート1はコチラです。)


朝日新聞の記事より。

 【東京都内の女性(59)が、国立がんセンター中央病院(東京都中央区)で92年、必要がないのに右の乳房全体を切除されたとして国に約2400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が14日、東京地裁であった。土屋文昭裁判長は、がん化する恐れのある腫瘍(しゅよう)があり、乳房全体の切除に違法はなかったとしつつも、「担当医はがんになる危険性を強調して不安をあおり、手術について熟慮する機会を与えなかった説明義務違反がある」と述べて国に慰謝料など120万円の支払いを命じた。

 判決は「がん化する可能性を否定できず、残った腫瘍の広がりの範囲を特定できないから、乳房全体の切除に過失はない」と判断。そのうえで、手術の切迫性がないケースで詳しい説明が可能だったのに、「再発するとがんになる」「飛ぶ(転移する)かもしれませんよ」などと述べただけで、「説明義務を尽くしたとは言えず、原告は自己決定権を侵害され、精神的苦痛をこうむった」と結論づけた。

 原告側は、良性腫瘍であり乳房全体の切除は必要がなかったと主張。「乳房の一部とリンパ節だけをとる温存療法が望ましかった」と訴えていた。

 

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 「乳房全体の切除に違法はなかった」としながらも、「説明義務を怠った」という理由で、120万円の賠償金ですか…ちょっとびっくりです。
僕は外科医ではありませんから、実際に自分で手術をすることはありませんが、患者さんに治療についての説明をする機会はたくさんあります。
そういったときにいつも感じるのは、「説明を尽くす、ということは、どこまで可能なんだろう?」ということです。
 だって、例えばですよ、「すい臓」という臓器がどこにあって、どんなはたらきをしているか全然知らない人に、すい臓がんの手術の意義を説明することは非常に困難だと思いませんか?
 それこそ、「すい臓というのは、体のこの部分にあって、こういう働きをして…」という学生講義風の説明をやりはじめたら、もうキリがありません。そして、医学について基礎知識がないひとたちに、完全に理解可能なように病気のことを説明するというのは、とても難しいことなんです。
 正直に言うと、人体の構造についての基礎知識に乏しい患者さんに限られた時間で病気のことを100%説明するのは、無理なのではないかと僕は考えています。

 では、どうして「説明」するのか?というと、「病気のことを可能なかぎり理解してもらうこと」のほかに、「理解したような気持ちになって」安心してもらうこと。および、「この医者は患者の話をきちんと聴いてくれる人だ」と思って、信頼してもらうこと。が目的だと考えています。

 ほんとうに、そんなぞんざいな言い方をしたのかどうかは定かではありませんが「再発すると癌になる」というのも「飛ぶ(転移する)かもしれない」というのも、事実には違いないんですよね。それを「自己決定権の侵害」と言われるとしたら、いったいどうしたらよかったのか?

「再発すると、癌になるかもしれませんし、ならないかもしれませんねえ…さあ、どっちだろう?」とか、

「転移するかもしれないし、しないかもしれません。僕にもわかりません」

なんて説明したとして、もし温存術で再発したりしたら、それはそれで訴えられそう。

 いや、答えはわかっているんですよ。考えられるケースをフローチャートにしていって、

 「この大きさでこの組織型であれば、再発率は○%で、転移の確立は×%です。」

というふうに、クリアカットに数字にすればいい。しかし残念ながら、そこまで詳細なデータが出ていない場合が多いですし、その枝分かれは実際にやってみると膨大なパターンになってしまうのです。だいたいの数字は、担当医が説明したと思うのですが…

そして、この患者さんは乳腺の腫瘍ですから、良性と悪性の鑑別が非常に難しかったのでは。
 現に、広島での術中迅速の診断ミス(と、世間では言われているようです)も、乳癌でした。
 手術で切除して、その組織全体を顕微鏡で診てみるまで、「手術する必要がない、良性腫瘍」かどうか、わからなかったというのが実際のところじゃないでしょうか?
 結果論で「必要なかった」と言われても、辛いところだなあ。

 「精神的苦痛」というのも、人それぞれのもので、「癌だといわれてショックだったから訴える」なんてことになったら、告知する医者なんていなくなります。そんなこと言ってたら、今度は「知る権利の侵害」として訴えられそうだし。

今回のトラブルの最大の原因は、おそらく医師―患者の信頼関係の欠如なのでしょうけれど、医者と患者も人間同士ですから、お互いに相性もありますし…さて、ほんとうに賠償金を払わなくてはならないほどの「説明義務違反」だったのかどうか?

 最後に、この話には、ひとつ、非常に医療従事者が頭に入れておかなければならないポイントがあると思うのです。
 医者というより、人間として未熟なのを自覚しつつ書きますが、僕は、この記事を読んで最初に思ったことは「59歳で10年前は50歳近くだったんだから、もう、乳房片方なくても、そんなに影響ないんじゃない?」ということでした。
 たぶんね、担当医も「50歳の女性の乳房を取ること」に対して、あまり抵抗がなかったというか、「片方無くても、癌になるかもしれないより良いはずだ」と自分の現在の価値観で判断してしまっていたのではないでしょうか。
でも、この女性にとっては、乳房が片方ない、というのは、耐え難い苦痛で、それは、癌のリスクを考えても納得できないことだったようなのです。

 他人の気持ちを100%理解することは不可能。
 でも、「もう年だからいいよね」というような思い込みは、ときに相手を大きく傷つけることがある、というのはとても重要なこと。

自分の価値観だけが世界標準じゃない。

わかっているつもりで、僕たちは、そんな大事なことを忘れてしまいがち。