病院から「ポケベル」が消えた日
asahi.comの記事「ポケベル消えた新年度 衰退の速さ予想以上」より。
【ポケットベルが新年度を境に全国のほとんどの地域で消えた。いつでもどこでもつながるケータイと違い、「返事を待つ」コミュニケーション手段だったポケベル。あの時代の恋愛のほうが味わい深かった、というのは懐古趣味だろうか。 】
以前、「さようなら、ポケベルたち」というのを書いたことがあったのですが、実際にこうしてポケベルが無くなっても、現在勤めている病院では、何の話題にもなりませんでした。そういえば、僕がこの病院に来た2年くらい前には、一応、「これ、先生のポケベルです。最近は院内は「院内PHS」で、院外にいるときは、『携帯に直接電話して』って言われる先生ばかりで、実質的には誰も使っていないんですけど」とか言われながら、病院からポケベルが「支給」されてはいたんですよね。実際にそのポケベルが鳴ることは一度も無かったのですけど。それでも、最後までポケベルを使っていた人たちの多くは、医療関係者なのではないかと思われます。
僕が研修医デビューしたときに最初に同僚たちとやったことは、「医局旅行の出し物をみんなで練習すること」と「ポケベルを契約しに行くこと」でした。当時は「院内PHS」なんてものは存在せず、携帯電話は「安全性が確立されていない」ために病院内での使用は厳禁。そもそも、「携帯電話」そのものを持っていない医者もけっこういたんですよね。僕が携帯電話を買ったのも医者になってしばらくしてからで、「院外でポケベルが鳴ったときに、いちいち電話を探すのが大変だったから」なのです。あの頃は、ポケベルを持つことは、イコール「医者デビュー!」みたいな感じだったんだよなあ。いや、なんだかそれでいい気分になったのは最初だけで、すぐに「ポケベルが鳴ったような気がして夜中に飛び起きるような生活」になってしまい、「このポケベル、また鳴ってるよ……」と壁に投げつけたくなったことも一度や二度ではありませんでしたが。同僚の先生と「ポケベルの呼び出し音に設定した曲は、どんなに好きな曲でもすぐに嫌いになるよね」なんて話もよくしていました。僕たちにとってのポケベルは「恋愛の象徴」どころか、「束縛の象徴」だったんだよなあ。「ポケベルが鳴らなくて」という歌に対して「ポケベルが鳴りすぎて」なんていう替え歌を作ったこともあったし。
まあ、ポケベルの良いところって、とりあえず鳴ってから連絡をとるまでにワンクッション置けるので、トイレの中やパチンコ屋での大当たり中に電話やPHSが鳴って取るべきかどうか迷わなくてすむことくらいだったのです。あとは、いかにも「忙しい人」っぽくてちょっと女の子にいいカッコできる、とか。僕自身にはそういう「恩恵」はなかったんだけどさ。
「電磁波のペースメーカーへの影響」などを理由に、数年前くらいまでは病院内での携帯電話の使用は禁止されていたのですが、最近はどちらかといえば「他の人の迷惑にならないように使いましょう」という流れになってきています。以前は病棟の公衆電話には行列ができるくらいだったのに、今や病院の廊下の公衆電話は閑散としています。考えてみれば、そういう「人体への影響」がなければ、安静を要する患者さんたちにとっては、携帯電話というのは非常に便利で有用な道具ではあるのです。もちろん、人体への明らかな影響がないとしても、大部屋などではマナーが要求されるのは間違いないんですけどね。
しかし、こうしてポケベルが「消滅」してしまうと、なんだか僕にとっては、自分の「研修医時代の象徴」が失われてしまったような、ちょっと寂しい気持ちになるのも事実です。先輩たちによると「俺たちの時代はポケベルなんてなかったから、飲みに行くときには店を移るたびに病棟に電話してた」らしいので、ポケベルのおかげで僕たちの研修医生活が「改善」されていた面もあるのでしょうし。まあ、asahi.comの記事中での秋元康さんの【「手紙、固定電話、ポケベル、携帯電話。ツールは変わっても、人の気持ちは変わらない」 】ように、「ツールが変わっても、研修医のキツさは変わらない」のでしょうね。
ところで、今回のポケベル廃止で困っている病院って、この日本中には全くないのでしょうか?院内PHSを採用するほどのスタッフ数も病院の規模もないところは、みんな院内での連絡にも携帯電話を使うようになったの?まだ、「医者が病院内で携帯電話を使うこと」に対しては、みんなが「公認している」という状況でもないと思うのだけれど……