「Dr.コトー」を探せ!
参考リンク:Dr.コトー募集ですって(by mariboo’s
blog)
以前「泉崎村立病院」の話を書いたことがあったのですが、この沖縄の県立北部病院産婦人科の医師不在問題も、かなり深刻なようです。「安心して出産もできない」という地域の人々の不安というのも、よくわかりますし。
しかしながら、小池環境相が「Dr.コトー募集」の呼びかけをすれば、ひとりくらいは希望者も出てくる可能性はありますが、その一方で、僕のような「普通の医者」にとっては、なんだかなあ、と考えさせられる話ではあるんですよね。
「Dr.コトー診療所」というドラマはとてもよくできた「美しい」ドラマで、島に赴任してきた医師と島の人々が、ときにはすれ違いながらも交流を深めていくというヒューマニズムに満ち溢れているのですが、正直、「あれを基準にされたらかなわないなあ…」とも思うんですよね。船の上での手術とか、村の診療所でいきなりおばあちゃんの心臓の手術とか…
そもそもDr.コトーは外科医としても、守備範囲広すぎ!消化管から心臓外科(!)までカバーするなんて普通ではまずありえません。そして、「名医だったら、どんな環境でもいい仕事ができる」というイメージは、世間的に大きく誤解されている点なんですよね。
ハッキリ言って、どんな名医だって、それに見合った環境がなければ、力を充分に発揮することなんて不可能です。例えば、手術を行うためには、優秀な外科医がひとりいればいいというものではなくて、助手もいれば、麻酔科医(専属の人がいない場合もありますが)、隣で手術器具を適切なタイミングで渡してくれたり、術場のさまざまな「環境整備」を行ってくれる看護師さんも必要です。そして、手術というのはやれば終わりというものではないですから、術後管理をするための集中治療の設備やスタッフも必要だし、検査をするための機械だって必要になります。だから、「医者ひとり連れてくればいい」という問題ではないんですよね。
そして、ああいう「献身的な医者」というのは、自分が好きでやっている人に関してはそれはもう趣味の問題ですから良いのですが(しかし、かなり絶滅危惧種だと思われるし、実際には都会にだって困っている患者さんはたくさんいて、そういう名医は引っ張りだこだから、わざわざ田舎には行かないと思う)、周りの人に「お前は医者なんだから、Dr.コトーみたいに奉仕しろ!」とか「献身」を強要されたら、それはそれで辛いだろうなあ、と感じるのです。田舎は世間が狭くて人間関係が濃密になりやすいですから、いろんなしがらみもできてがんじがらめになりそうだし。
ましてや、その募集の仕方だったら、あのドラマのような『理想的な医者』じゃなければ、応募できませんよね……
「先生はDr.コトーなんだから、ずっとオンコールで、いつお産で呼ばれてもいいですよね!」「先生はDr.コトーなんだから、どんなときでも、島から離れるなんて無責任なことはしませんよね!」
いやちょっと待ってくれ、と。
柴咲コウもいないし、内田有紀と結婚できるわけでもないのに、そんな、仕事の面だけ「ドラマ的献身」を求められるのは、さすがに辛いと思うのですよ。ドラマでは、心臓の手術のあとに、すぐ居酒屋で酒飲んだりしてるけど、実際の外科医は、手術後もICUに篭って術後管理をやらなければならないんだしさ。
沖縄に憧れて就職を考えても、現実には、「それじゃあ、目の前に海があっても、水着に着替えるヒマすらない!」という世界になってしまいそう。本当に必要だと考えているのなら、「条件を改善する」というのが、もっとも近道な気がします。「条件」というのは、たとえば、仕事はキツくても、ものすごく高給にするとか、あるいは、複数の医師を招いて、「休めるような体制」を作ってあげるとか。
ほんと、「Dr.コトーを探す」よりも、「Dr.コトーじゃなくても勤めたくなるような環境を作る」ほうが、遥かに現実的な解決策だと思うんですけどねえ。