泉崎村立病院の「無責任な院長」と「僻地医療」の未来予想図
河北新報の記事より。
【福島県泉崎村で唯一の病院である村立病院の院長に、今月1日就任したばかりの医師(49)が、退職願を出し、24日受理されていたことが分かった。村は27日、村議会全員協議会で経過を説明した。前院長が今年2月、8月末で退職する意向を表明。宮城県蔵王町の病院に勤めていた院長が後任探しが難航しているのを知って名乗りを上げ、村は大歓迎したが、1カ月足らずでぬか喜びに終わった。
小林日出夫村長は「事情を理解して引き受けてもらったと思っていたので驚いている。入院患者もいるのに、猶予期間もなく辞めたのは理解できない」と話している。
村は嘱託医の元院長(70)を院長職務代理者にして診察を続けるとともに、新たな院長を探し始めた。「入院患者と、かかりつけの外来患者の診療には当面影響はない」としている。
村によると、院長さんは22日に突然、村に電話で辞意を伝えた。驚いた幹部が事情を聴きに出向いたが、「もう限界。勘弁してくれ」と、明確な理由は述べずに退職願を提出。25日には村を後にした。
ある幹部は「診療時間の短縮を求めたり、それほど多くない夜間の呼び出しに応じないことがあったりと、当初からトラブルがあった。自分の思うようにならないのと、周囲から孤立したのが原因では」と推測する。
27日の村議会全員協などでは「あまりにも村民をばかにしている。悪い夢を見ているようだ」と憤る声が聞かれた。
村立病院は1980年に開設された。診療科目は内科と外科、小児科、整形外科で、ベッド数は70床。うち一般病床は34床で、残りは療養型。法律で定められた医師定数は5人だが、院長の辞職により常勤医は70代の嘱託2人だけとなり、非常勤医を合わせても約3.7人になった。】
毎日新聞の記事(1)
【泉崎村立病院(70床)の院長として9月1日に就任したばかりの男性医師(49)が24日、「肉体的、精神的に限界」と小林日出夫村長に辞表を提出した。小林村長は辞表を受理する考えで、80年の同病院設置以来初の院長不在の緊急事態となる。27日に緊急の村議会全員協議会を開き検討するが、後任のあてはない。
この医師は、前院長の辞意表明(2月)を報道で知り、宮城県蔵王町の私立病院の勤務医から院長就任を申し出て、8月下旬から勤務していた。辞表の理由は(1)休日も呼び出される(2)履歴書に「当直は週1回まで」と書いたが週5回をつけられた(3)勤務態勢の改善を求めたがはねられた――としている。常勤医師が院長一人の職場環境を問題視しているようだ。
一方、村幹部は「すべて納得済みで来てもらったと思っていた」と驚きを隠せない。村は院長のため、病院そばの院長用宿舎を450万円かけて改修し、引っ越しの支度金100万円を用意した。小林村長は「赴任から1カ月もたっていない。新院長をリーダーに出直そうと考えていた矢先だけに残念」と話す。
医療法によると、同規模の病院の適正医師数は5・0人とされるが、現院長の辞職で非常勤医師だけとなり約3・7人まで落ち込む。外来は1日100人程度あり、業務に支障が出るのは必至だ。】
毎日新聞の記事(2)
【◇村議会全協で報告
今月1日に院長に就任した泉崎村立病院(70床)の男性医師(49)が、就任から20日余りで小林日出夫村長に対し辞表を提出した問題で、小林村長は27日開かれた村議会全員協議会で、元院長の男性嘱託医師(70)を職務代理者に任命したことなどを報告した。協議会では「責任放棄ではないか」など男性医師に対する憤りの声が多く出たが、執行部の責任を問う声はなかったという。
協議会で小林村長は、任命権者として「申し訳ない」と冒頭に陳謝。男性医師が辞任の理由にあげた「週5回の当直」について「本当なのか」と質問があり、執行部は「宅直(院長宅での宿直)はお願いしたが、原則入院患者への対応だけで夜間外来はしておらず事実ではない」と否定した。一方、村外部の有識者らが参加する病院事業検討委が午後から開かれ、執行部の責任を問う声があがると「調査が不十分だった」と小林村長らが謝罪した。
小林村長は遅くとも今年度末までには新院長を見つけたい考えだ。ただ、職務代理者の男性医師が高齢のため「できるだけ早く見つけたい」と話しているものの、決定までには難航が予想される。男性医師が辞任した場合に備え、当面は県立医大などから非常勤医師の派遣を要請する方針だ。】
参考リンク「女医の愚痴」(9/28)
「きんきょうほうこく」(9/29)
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非難轟々のこの院長なのですが、僕は「もし自分がこの院長だったら、耐えられるかな」と同業者として考えてみるのです。「薬だけ」の患者さんもいるとしても、1日100人の外来患者と長期療養型で、急性期ではない患者さんが半分を占めているにしても、70床の病棟。70歳以上の御高齢である2人の嘱託医と、おそらく週に何日か来るだけの非常勤医。これは、仕事の量に比して、明らかに人手不足だろうなあ、と思います。だって、外来だけでも、この人数だとたぶん1日仕事になるはずだし。
「週5回の当直」については、お互いの「見解」が分かれているところのようです。
院長サイドは【「履歴書に当直は週1回まで」と書いたのに、週5回の当直をつけられた】というのを辞任の理由にされているようですが、村の執行部側は「院長宅での待機である『宅直』は週5回予定を入れたが、【「原則入院患者への対応だけ」だから、「当直」ではない】と答弁されています。まあ確かに、ずっと病院内の当直室にいなければならないよりは気分的には解放感はあるかもしれませんが、「入院患者に何かあったら自分が必ず呼ばれる」という状態は、けっこうストレスなのではないでしょうか。それ以前に、この病院には当直医はいなかったのだろうか?もしいないのだとしたら、いる場所が当直室か自宅かの違いだけで、「実質的には当直」ということになりますよね。しかも「宅直」だから、「当直料」は出ない、と。ちょっと酷い話ではありますね。
そして、村の偉い人たちは「そんなに呼び出しは多くない」という「結果」だけで判断しているようですが、実際に当直をやっていると、たとえ呼ばれなくても、「いつ呼ばれるかわからない」というだけで、けっこうストレスになるものなのです。もちろん、若い研修医などは、「家に一週間帰ってない」とか「毎晩のように病院から呼び出し」なんていう目にあっているのが現実なのですが、やっぱり「修行中」の研修医たち(しかも、いざとなれば同僚や上司のバックアップもある)と、もう50歳近くなって体力的にも若者と同じというわけにはいかず、自分の家族や生活もあっていざとなったら頼れるのは自分だけの立場のこの院長とでは、やっぱり違うと思いますし。僕も研修医時代は、「どうして自分たち若手ばっかりがキツイ当直を?」と憤った夜もありましたが、確かに「年をとるにつれ、当直そのものも、当直の翌日もどんどんキツくなってきているのです。「体がついてこなくなる」というのが正直なところなのでしょう。
院長は「当直は週1回」と履歴書に書いたそうなのですが、村側はたぶん「応募者がいた」ということで喜び勇んで、お互いの条件の確認が甘かったのだと思われます。
<就任まで>
院長「当直は週1回まででいいんですよね」
村の担当者「ええ、先生が来てくださるんだったら、どうにかやりくりしますから、お願いします!」
<就任後>
院長「えっ?自宅待機が週に5日もあるんですか?」
村の担当者「いや、医大にあたってみたんですが、新研修制度で手が足りなくて当直医を出すなんてとんでもない、と断られちゃったんですよね、まあ、しょうがないですよ。先生は院長なんだし、他の先生は御高齢ですから、『当直』じゃなくて、『宅直』を週に5回、ということで、手を打ってくださいよ。宅直って言っても、呼ばれたら行けばいいだけで、どうせずっと働きっぱなしってわけじゃないし、『地域医療のため』ですよ!」
これは100%僕の創作ですが、なんとなく、こんな光景が思い浮かぶのです。
もちろん、院長も「当直は週に1回」というのは、ちょっと吹っかけすぎなのではないかなあ、とか、病院の規模や患者数、働いている医者の数を考えれば、ある程度の「予測」はできたのではないか、という気もしなくはないのですが。
それにしても、前任の院長は、70歳近くでもこんなハードワークをやっていたのでしょうか?「地域医療の神」という感じすらしてきます。本当にそうされていたのだとしたら、それを基準にされてしまうのは不幸だとしか言いようがありません。
ところで、【執行部の責任を問う声があがると「調査が不十分だった」と小林村長らが謝罪した】そうなのですが、これって要するに「人格に問題のある院長を連れてきてごめんなさい」ってことですよね。ということは、これと同じ条件で(給料がいくらだったかは知りませんが)、「地域医療に理解のある院長を探す」というつもりなのでしょうか?
まだまだ日本国中に「僻地」とされている場所がたくさんあるなかで、「宅直」の辛さも理解してくれなさそうで、事あるごとに「医者だったら、そのくらいはガマンしてください」と言うような人たちが運営しているような病院で働きたがる人は、そんなにいないような気がします。自然環境の辛さは意欲で乗り越えられても、行政の無理解へ辛さは、情熱だけでは乗り越えがたいでしょうし。
「せめて3人くらい『動ける常勤医』がいれば」なんて思いもするのですが、現在の「都会志向・大病院志向」が強い医者の就職傾向からすると、それも難しい相談でしょう。しかし、この規模の病院を院長だけで切り盛りするとなると、物理的にムリなのではないでしょうか。そうなると、なおさらみんな二の足を踏んで就職したがらない、という悪循環。
もうひとつ問題点を挙げるとすれば、「この病院は、院長が努力すれば、それだけ院長に努力がフィードバックされる体制になっていたのだろうか?」ということです。
僕の先輩にも新しく開業される先生が増えてきたのですが、新規開業した先生たちの多くは、休日や夜間の急患にも真摯に対応されています。それこそ「開業してから、本当に『休み』だったことは何年もなかった」と言う先生もいらっしゃるくらいで。
それは「医者としての理想」と同時に「自分の病院を繁盛させるための企業努力」という面もあるのです。今は、病院も「競争」していかないと生き延びられない時代ですし。
まあ、「がんばって診療すれば、それだけの見返りがある」からこそ、そういう努力もできるんですよね。この村立病院、給料は悪くなかったんでしょうけど、「どんなに働いてもギャラはおんなじ」であれば、サボりたくなるのも人情だろうし。
しかし、今回の件でいちばん「ぬか喜び」させられたのは、この泉崎村立病院を受診されたり、入院されている方々ですよね。30代前半の僕からすれば、「近くに病院がなくても、評判の良い病院に行けばいいのに」なんて思ったりもするのだけれど、実際に高齢になって体の自由が利かなくなってくると「近くに病院がある」というのは、とても大事なことですし。前院長がまだ健在だったから良かったものの、そうでなかったら、この病院はいったいどうなっていたのでしょうか?
そもそも、「地域医療をやろうとする医者」が、みんなDr.コトーのはずもなく、動機としては「地域の役に立ちたい」だけではなく、「大病院での多くの検査や外来の『やっつけ仕事』に疲れてしまい、もっと患者さんとじっくり向き合う医療をやりたい」という人もいれば「給料がいいから、お金を稼ぎたい」「自分の病院を持ちたい」などの「現実派」や「田舎でのんびりして、自分の時間をつくりたい」という人もいるのではないでしょうか?
「そんなに働かされるのなら、都会で働くよ」という人だって、いてもおかしくありません。
時代の流れとしては、医者も医者なりの「生活の質」を求める人は増えてきている印象はありますし、そういう意味では、「地域医療への熱意」という不確実な幻想を相手に抱くよりは、「完全当直制による、夜間勤務の撤廃」「余裕のあるスペースとスタッフ数による、理想の医療」などの現実的な「僻地で診療することのメリット」を取り入れるのもひとつの手だと思うのです。ただし、こういうのは、「いつでも主治医がとんでくるのが当たり前」である日本の医療文化からすると、かなり受け入れられがたいかもしれませんが。
でも、「条件さえ合えば、田舎で暮らす」という選択をする医者だって、やりかたによっては増えるのではないかなあ、とも思うのです。
それにしても、医者というのは割に合わない職業のような気がする昨今。
あるときは「同じ人間なのに、偉そうにしてるんじゃねえ」と言われ、またあるときは「医者なんだから、ミスなんて絶対に許されない」「医者なんだから、過労死するまで働かされても仕方がない」なんて言われるのだから。
まあ、今回の件については、あらかじめ当直や休日診療などの条件を確認しておかなかたことや猶予期間をおかずに急にやめてしまったことなど、院長サイドにも「甘かった」のではないかと感じるところが多々あるんですけどね。
「医者は温室育ち」で、村の幹部たちの手練手管に乗せられてしまったところも、あるのかもしれない。
逆に言えば、同じように就職して辞められなくなった「僻地の院長」というのは、他にもいるような気もします。
「キレて辞める」ほどの勇気も行動力も非常識さもない、「常識人」の院長が。