ある医療従事者のパソコン遍歴〜学生編


 僕がパソコン(当時はマイコン)という代物をはじめて買ったのは(正確には、買ってもらったのは、だが)小学校6年のときで、シャープのXTというパソコンだった。
 それから、フロッピー付のX1G、X68000と買いつないできた。X68000を買ったのは、ちなみに大学入学時。当時は(12年前)は、インターネットなんていうのは、想像の中、もしくは大学の研究室レベルの代物で、一部の好事家がパソコン通信を楽しんでいるという時代だったのだ。

 ちなみに、X68000というのは、当時は、グラディウス(コナミの超有名横スクロールシューティングゲーム)が完全移植!ということでものすごく話題になった、超高機能マシンだ。ちなみに、10MHz。今使っているバイオは、1GHz、実に数字上では100倍のクロック数なわけだ。すごいなあ。
 そのX68000の使い道というのは、要するに「ゲーム」だ。ワープロにも使えるからさあ、と親の説得材料に使った記憶はあるのだが、実際には光栄のシミュレーションとか、電波新聞社の移植アーケードゲーム(「スペースハリアー」や「アフターバーナー」など)をやることのみに、そのハイスペックは生かされていたのだ。

 大学後期になると、さすがにX68000は、ごく一部のマニアだけがこだわるパソコンになってしまい(いや、僕もそのごく一部の一人なのだが)、懐かしのゲームを引っ張り出して、たまに遊ぶくらいにしか使わなくなってしまった。そのころには、家庭用ゲームマシンのほうが、はるかに進化してしまっていたし。もちろん、ワープロソフトなんぞ、使ったこともなかった。
 大学5年の頃、病棟実習が始まったのだが、そのころのレポートは手書きが主流。たまにワープロ書きのレポートがあると「すげー、本みたい!」とみんなが感心するような状況だった。ちなみに「すぐに同じものがコピーできるし、誰が書いたかわからんから」という理由で、ワープロのレポート禁止の科もあったりしたのだが。今では考えられん話だ。
そのワープロというのは、もちろん「ルポ(東芝)」とか「書院(シャープ)」といった、「ワープロ専用機」であり、パソコンのワープロとしては「一太郎」などは出ていたのだが「使いにくいし、なんといっても高い!」という理由で、僕のまわりでは、ほとんど使う人はいなかった。

 6年で国家試験を受けるまでは、パソコンはなくても、別に困るようなものではなかったのだ。ところが、僕が研修医になる2年前、病院に、あるドラスティックな変化が訪れた。それは、「コンピューター・オーダリングシステム」の導入だった… 

 〜すみません、パート(2)に続きます〜

 パート2(社会人編)はこちらから。