沖縄 「普天間基地(宜野湾市)、嘉手納基地(嘉手納町)」視察報告

 

視察日程   2005年11月6、7日

参加者   藤本ひろし、山田泰之

視察目的   米軍再編「中間報告」が出された中で、焦点である沖縄の「基地の実態と住民への影響・基地に対する自治体の基本姿勢」などの調査

 

 米軍再編「中間報告」がワシントンで日米両政府の国務長官、外務大臣など2プラス2によって合意文書が発表された。

 私たちの街岩国にある米軍基地へ、厚木基地に所属する空母艦載機部隊(57機)を移駐すると両政府が合意した。由々しき重大事態である。

 こうした重大な基地問題をかかえる岩国市の日本共産党議員団として、 同じく重大焦点である普天間基地の代替問題で辺野古の沖合い案から陸上のキャンプ ・シュワブ 沿岸部へという新基地建設案が「日米合意」される中で、沖縄の基地の実態を調査し厚木基地の岩国移転に反対する闘いに役に立てればと出かけました。


 6日、午前8時20分広島空港発で出発。10時すぎ沖縄着。

 第一印象は「暑い」ということです。気温は当日曇りかげんでしたがそれでもみんな半袖、 訊けば27度とのことでした。

 インターネットで予約していたレンタカーの業者がずらりとマイクロバスで出迎え。事務所まで数分、ここで借用手続き。

 まず普天間基地方面に行く。だいたい事前に地図で調べてはいたけれど実際は、細かいところがよくわからない。山田議員が地図とカーナビと周りの景色をみて、藤本が運転で普天間基地にたどり着いた。

 途中、CH‐46中型ヘリが2機編隊で訓練しているのを目撃。

 基地の周りを車でぐるぐる回り、昨年8月13日米軍のCH‐53E大型ヘリが墜落炎上した沖縄国際大学の現場に立った。

 事故の形跡はすでに跡形もなく、黒焦げになっていた校舎壁面はまっさらに補修されていた。校舎のすぐそばには民家、アパート、保育園などがびっしりと建て込んでいる現場に立ち、改めて事故の重大さを思いました。

沖縄国際大学 補修後の「ヘリ墜落の壁」

沖縄国際大学のホームページに、『米軍ヘリコプター墜落事件に関する情報』のページがあります。墜落したヘリと炎上する大学本館の写真に他人事でない恐怖を感じます。

 

 昼食を食べて、高速自動車道で名護市辺野古へ向かう 。少しぐるぐる探したけれどテントが見えたので「あれだあれだ」と探し当てる。

 海中のやぐらは撤去されていたが 、監視テントは 3〜 4張そのまま残され監視体制は継続されていた。当日は隣の漁港の祭りと いうことで 、代表世話人の金城祐治氏ともう一人の方が監視活動を続けられていたので名刺交換を行いました。岩国から来たと自己紹介したら驚いておられました。

辺野古地区にかけられている新基地建設案反対の看板

遠方に見えるのがキャンプ ・シュワブ 。ここから一部を 大浦湾へ突き出し沿岸に新基地建設案を日米政府が合意した。

キャンプ・シュワブについては、

キャンプ・シュワブは、国道329号を挟んで、名護市の久志岳を中心とする山岳・森林地帯のシュワブ訓練地区と辺野古の海岸地域にあるキャンプ地区からなっています。同施設では、実弾射撃訓練や水陸両用訓練が実施されており、訓練に伴う原野火災等の事故も発生しています。←沖縄県ホームページ内の「米軍施設の施設別状況」:キャンプ・シュワブページから引用
 

辺野古の砂浜、鉄条網から向こうがキャンプ ・シュワブ

辺野古の監視小屋で山田議員

 

 宿は 、那覇市の中心の国際通りに面した比較的新しい西南観光ホテルである。山田議員と17時ごろに国際通りを散策、公設市場に入ってみる。魚介類を調理して2階で飲食できると書いてある。ジャンボな伊勢海老とかカラフルな魚など新鮮な海の幸が並んでいる。基地の島とは違った沖縄の顔がここにあった。

 ホテルの近くの居酒屋で夕食。テナント風になっており6〜7軒ばかりのオーナーが独特の一品をだす仕掛けになっているようだ。 訊いてみると朝5時まで営業しているとの事、お客さんは地元の人が多いのかまだ出勤していないオーナーも!

 

 7日は 、9時過ぎに前日借りていたレンタカーでホテルを出発。約束の時間の15分前に宜野湾市役所に到着。市議会事務局長の長嶺健氏が出迎えてくださいました。

 基地の説明は基地政策部次長(基地渉外課長兼務)の山内繁雄氏から 、普天間基地の概要と宜野湾市としての基本姿勢について説明。(別紙)

 山内氏は新市長になって組合執行委員長からの転身だそうです。

 興味がもてたのは1、基地被害 110番の設置

 これは、基地に関して騒音苦情とか何でも市役所で 24時間体制で受け付けるというもの(退庁後時間後は録音受付しておいて 翌朝職員が出勤してきて対応する。騒音苦情などは基地にFAXで抗議を送付するなど)

2、基地監視ボランテアの委託

 基地に関して、市街地飛行、騒音など市民に 広くボランテ ィアをつのり記録をとっておいてもらい 1ヶ月に1回定期的に市に意見を出してもらう。現在、 120人のボランテ ィアが登録されているそうです。

3、基地政策部として部体制をとり基地対策課と基地渉外課を配置

4、基地返還アクションプログラム(変換への道筋)を作成 

5、市長自らが訪米して米国内の各種機関や議会へ働きかけを行っている

ホームページが大変充実しているのでぜひ多くのみなさんが訪問してみたらよいと思います。トップページに基地の「基」の字もない岩国市のHPとは一味違いがあります。

などなどを新鮮に研修できました。

 説明終了後 、市庁舎屋上から普天間基地を眺望、眼下からはるかかなたまで、広さは岩国基地の84%程度で少し狭いですが基地の周囲はびっしり民家が立ち並んでいます。改めて普天間基地問題の深刻さを実感しました。

 しかも基地の成り立ちが「沖縄戦のさなかに米軍が、日本本土への出撃基地として基地を作り始め、終戦後、銃剣とブルドーザーで住民から強制的に取り上げられたもの」だそうです。

市庁舎屋上から普天間基地を臨む

屋上から見た普天間基地(道路隔てた向こう側が基地)

 

宜野湾市に続いて例のレンタカーで嘉手納町に移動、途中国道58号線の北谷町で昼食。

国道58号線走っても走っても基地、また基地。北谷町(チャタン)のキャンプ桑江付近。

 

 嘉手納町役場に10分前に到着。挨拶もそこそこに公用車で「道の駅」へ。

 1階休憩室で嘉手納町基地渉外課の渡嘉敷通晃さんから、嘉手納基地の地図の前で基地の概略の説明を受ける。

 嘉手納基地の規模は岩国基地の約 3.5倍と途方もない大きさである。しかも嘉手納町の83%が基地によって占められるという状況にある。

 3階の展示室に案内され、そこで「道の駅」の意味がはじめてわかりました。つまり「道の駅」が基地についての説明、ビデオ上映室をふくむ嘉手納町の紹介展示室、そして4階屋上が展望台となっており基地が一望できるようになっているのです。

 基地監視ステーションとも言う施設になっていて、基地で何かあったらしいというと、私たちもすぐここへ駆けつけて基地の中を見るのだそうです。マスコミもすぐ駆けつけるそうです。

 道の駅かでなのHPhttp://www.town.kadena.okinawa.jp/jigyou2/miti/index.html

 道の駅かでなの前で

 説明を受ける藤本議員

 道の駅かでな3階の展示室

 展望台から見る嘉手納基地は、右端から左端まで180度以上見渡す限り基地です 。

 目の前から右方向へ4000メートルの滑走路は端が見えません。左は小高い森一面弾薬庫地帯です。その広さは口では言い表せないほどで、視界に入る部分は全部基地と言っていいほどです。

 この状況を見れば、米軍基地が日本を守るなどという言い訳はぜんぜん通用しないし、アメリカが中東・アジア、世界をにらむ前線基地そのものであることが、非常によくわかる生きた教材であることを改めて実感させられました。

 嘉手納基地(道の駅かでなから)

 

 嘉手納基地視察を終え、またレンタカーを走らせ約1時間国道58号線を一路那覇へ、国際通りでそそくさとお土産を買いレンタカーを返却。空港ビルで少し早い夕食をとる。18時20分機上の人となりました。

 沖縄上空は米軍管理下にあり米軍機優先のため、飛行機は那覇空港から離陸する場合低空のまましばらく滑空して上昇します。着陸する場合もそうします。

 広島空港着陸約30分前、窓際に座っていた山田議員が下を指差すのでみると岩国上空らしい、眼下に基地滑走路や基地沖合移設で拡張する水深13メートルの空母も接岸できると言う埠頭部分もライトアップされていてよく見えた。

 

 2日間のあわただしい視察を終えて「百聞は一見にしかず」というか、現地を見ることの重要性を痛感しました。

 昨今インターネットが普及しかなりのものは現地に行かなくてもわかることも多いが、辺野古の現地、普天間基地の現地、嘉手納基地の現地、沖縄の本当の実態はわからない。

 それだけに行った者が行けない人に「その実態を」伝える責任を改めて感じているところです。(藤本 ひろし)

 

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