ハンス・アルプ展
〜触りたくなる彫刻 〜
川村記念美術館
2005.6.2
川村記念美術館
彼の作品をはじめて見た時から、丸いすべらかな形に惹かれた 「アルプ」の名を、私の世代は美術の教科書で知っている
この人の作品展が、神奈川県立近代美術館に来たことを知った 葉山では観られなかったが、佐倉の
川村記念美術館
にまわることを知りどうしても観たかった 杉林に囲まれた美術館なので、花粉が終わるのを待って出かけた
私の知っているアルプは、
抽象彫刻家
だった 彫刻家の展覧会にもデッサンはたいていあるが、アルプは彫刻家としてだけではなく他の顔も見せてくれた デッサンはもちろんのこと、タペストリー、レリーフ、コラージュ、そのどれもが見ていて嬉しくなる楽しい展覧会だった
今回の
アルプ展
は「日本におけるドイツ2005/2006」の一環としての開催で、これだけ揃うこと珍しいらしかった
翼のある存在
1961年
私が一番気にいった作品です
私は肩の翼が左に見える位置が好きです
私自身は、具象彫刻の制作をしているが抽象彫刻が好きで、もし私に才能があるなら抽象彫刻を制作したいと思っている
彫刻の魅力に、その彫刻があるが為に「そこ空間や自然が引き立つ」ということがある 私が抽象彫刻に惹かれることの一つに、抽象彫刻は現代の建物や空間を具象彫刻より引き立てやすいように思えることがある
ハンス・アルプの作品は抽象彫刻であるが、そういうことの前に手元に置きたいという愛着が起きる 女性の身体を思わせる滑らかな曲面に手を滑らせたい 撫で回したいのだ
同じに柔らかな形のヘンリームーアの作品も好きで触りたいが、撫で回したいという欲求は起きない
横たわる
森のテーブル
魔術師
アルプ展には
「おとぎの話の世界ー地の精の国から」
というコーナーがあった
これがとても楽しい この人は詩を書き夢想的なものを愛したようだが、生涯の作品全体にそのファンタジックなものを持ち、子供のような喜びを感じる
左の作品を「私たちには座れないけれど、森に置いたら妖精が来てお喋りしていそうね」と、友だちとほほえましく眺めた 家に置けるなら、妖精の人形を座らせるだろう・・・
私は自分が製作者で在るがゆえに、どうしても作品の製作過程や材料費や手間、費用が気になる
「こんなのが自宅にあったら楽しいわね」、などと話しながらも、「この刺繍は自分がしたのかな、デザインだけ決め誰かに刺してもらうのかな」などと、タペストリーやクッションを眺めた
この作品においては、「これは材料の木が高いわよ」、と力説してしまった
「これだけの太さの木から削りだしてあるでしょう、下の台はもっと太い木材よ、1m近くあるわね」などと・・
私のように粘土が元なら、制作においては作り直しが効くが、木では失敗したらそれまでだ 触って気持ちよい物が好きな好き私は、こういう木肌の美しい木を使った作品を作りたい思うが、それだけの財力がない
それにしても、木目の美しさ、木肌の色合い、暖かな形、なんと心地よい作品だろう
異教の果実
彫刻
と言うものは、ことに本物観て欲しいなと思う 絵もどんなによい印刷でも本物にはかなわないが、彫刻においては、
3次元の世界
だから写真は別作品なのだ ちなみに、絵の写真には著作権がないが、彫刻の写真には著作権がある 写し方により別作品になると言う考え方らしい・・
彫刻は
観る角度
によりまるで違い、また、
環境
、
光の方向や角度
によっても変わる ここの美術館は
白い壁
だったので、
作品の影
がキレイに出て、その面白さもあった 写真では、レリーフに影が少ないように写しているが、この影が面白く美しかった
配置 バラの花輪を作ろうよ 唇
この展覧会は、私の制作意欲を刺激した 今私は体調を崩しそのうえ腕を傷め、制作から離れている
しかし、アルプを見てると「彫刻にこだわらず制作を楽しめばよいではないか」という気になる 木のレリーフ、コラージュ、どれもが伸びやかで楽しかった 人は自然の一部であると言い、 人も日用品も同じ位置として見るアルプの姿勢にも惹かれた
同じこの美術館でピカソを観たが、ピカソは生きる喜びに溢れてエロスとエネルギーがいっぱいだった アルプも喜びでいっぱいなのだが、楽しく暖かな気持ちになる アルプの作品のある空間は、きっと彼の喜びで満たされいつまでもそこで過ごしたくなるだろう
* 作品写真は、パンフレット・カタログから借りています
* この展覧会は、この後
岡崎市美術博物館
・
群馬県立館林美術館
に巡回します
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展覧会
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blogにもアルプ展の話
があります
*
館林美術館に巡回した時の(9/15)レポ
もあります