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フィクション
ナカタ日記
彼女の20世紀最後の夏
美女と野獣
スタジアムで会えるでショウ
一人が好きな娘
刺激的な辛さ
赤い車
ハイム・クインテット
クミコとトランペット
スケートリンク
まんぼう
続まんぼう
ナルシスの変貌
幸福 III
キャンドル・サービス
ボクの恋愛相談
再会
格闘野郎
ぶるふス兄弟楽団 弐千弐
WAVE
風になりたい
幸福 I - II
クリスマス

ナカタ日記
● この解説は全てフィクションであり、人名・地名等は、架空のもので、実在しません。実在の人物に顔や名前が似ていても、気のせいです。
◆ 伊太利亜の羅馬にいる筈のナカタが、横浜、それも一般大衆が利用するような、単なる居酒屋に出現する。彼は日常的には、高価な洋服を着用し、一般の人が口に出来ない贅沢な食事をする。彼は、非常に生意気に見える。しかし彼は、ペット・ボトルに入った薄い味のする飲料が、大好きなのだ。テレビで見ると、一日に何本飲んでるか分からないくらい、汗を流しながらゴクゴク飲んでいる。
◆ ナカタは、ジャズのテナー・サックスを演奏し、しかも驚くべき事に、非常に達者であることが判明した。しかし、彼の本職は、"蹴鞠"である。彼は、幼少の頃より、"蹴鞠の聖徳太子"と呼ばれていた。勝負中、相手選手をあざ笑うかの様な配球を、好んで出していたらしい。順調に上達していった彼は、仏蘭西での"世界杯"に出場する事が出来た。そして、ついに世界的に著名な蹴鞠競技大会、伊太利亜の"芹英英"から、ご指名を得るところまで来たのだ。
◆ ナカタは、お忍びで横浜に来訪していたのだが、とうとう発見されてしまって、30万人のサポーターに囲まれ、大混乱に陥った。人格の高潔なナカタは、ファン・サービスの事を、絶対に片時も忘れない。しかし彼は何故か、報道機関は大キライで、
「今日の勝負にはどの様に望みますか?」
と質問されると、
「別にー。普通にやるだけです。」
と、冷たくあしらうのであった。
◆ しかし、ナカタは悩んでいたのだ。昨年、伊太利亜の地方倶楽部の"屁留蛇"から、大都市首都倶楽部の"羅馬"に移籍したのだが、そこには世界的選手が非常に多く在籍しており、常に試合に出場する事は、難事である。中でも最大の競争相手は、伊太利亜代表の伊達男の"突亭"で、しかも彼の鼻は非常に高い。伊太利亜"芹英英"平成十二年度の第一節と二節の勝負に、ナカタは出場する事が出来ないどころか、"控の椅子"に腰掛ける事すら許されなかったのだ。周囲の喧騒をよそに、一人で苦しむナカタの姿を、他人が理解する事は不可能なのだ。そんなナカタを必要する倶楽部は沢山あるのだが、彼の商品価値が実力以上に高額になってしまった為、他の倶楽部が買い取る事が非常に難しくなってしまっている。
Special thanks to Mr.Akatsu (2000.10.7)

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彼女の20世紀最後の夏
◆ 今日が誕生日の彼女は、普通の女の子と変わらず、朝早く起きて仕事に出かける。化粧も服装も、アート系の女子大を卒業したのがウソのように、限りなく地味で目立たない。でもオフィスでは、出入りしている業者の、若くて目ざとい独身営業マンたちから、密かな注目をあびる、"陰の看板娘"である。厚化粧の先輩をさしおいて、彼女は密かな微笑みで答える。でも、あまりにも地味な為か、彼らの誘いのお声はいつまでたってもかからない。
◆ 仕事ぶりも真面目で、間違いも極めて少ない。字も上手くて書道3段、とても自慢したいのだけれど、最近ではパソコンで文書を作って、印刷して課長に渡すだけなので、凄く寂しい。欠点と言えば、いつも気を付けているにもかかわらず、めったに使わないエンピツ削りの電源コードに、足を引っ掛けて転んでしまうことである。彼女は、会社では少しも目立とうとは思わない。定時の午後5時になると、信じられないスピードで着替えて、早足で駅に向かってしまう。同期の女子社員と、交差点の角にあるカラオケ屋で浜崎あゆみの歌を歌う事はあり得ない。そもそも、マイクを持つと顔が真っ赤になり、リンゴと見間違うくらいだ。そういえばつい最近、椎名林檎のCDは、ついつい気になって買ったのだけれど。思ったよりはずっと良かった。でも歌は苦手。
◆ 学生時代の4年間、彼女はギターを弾いていた。でも、同じ学科のアッキのように、プリ・プリのコピーバンドで、ギターを演奏しながら踊って、学園祭の野外ステージの上で走っていたワケではない。ジャズのビッグ・バンドで、譜面台の前の椅子に座って、端っこの方でただひたすら右腕を上下に振っていたのだ。
◆ 大学に入るまで、ギターは持っていなかった。高校時代には、周囲でのスマップ・フィーバーをよそに、ナゼかビートルズを聞きまくっていた。特に、ポール・マッカートニーが大好きで、超特大ポスターを自分の部屋の天井に張って、ベッドにはいる度についついニコニコしていた。いつかは、ベースが弾いてみたかった。でも、友達から借りたフォーク・ギターを弾いたら、左手の指が痛くなり、これは自分には向かない楽器だと思った。でも、やっと押さえたGのコードが出た時は、あまりの良い音に感動したのだった。
◆ 大学入学式のまさにその日、東門の脇にある講堂で、新入生勧誘の為のコンサートが開かれていた。入り口前を通りかかったちょうどその時、ギターの音が耳に入ってきた。実は、書道部に入ろうと思って、書道部の部室へお邪魔する途中だったのだ。講堂では、ギターを持った二人の女の子が、フォーク・ソングを歌っていた。聞いたことのない曲であった。高校時代に友達から借りて弾いたギターの音を思い出して、ついつい嬉しくなった。しかし、フォーク・ソングは趣味にあわない。続いてステージに登場したのが、ビッグ・バンドであった。ジャズのCDは持っていなかったが、ステージの上からどんな音が出てくるのだろうと気になって、ついつい座り続けた。セッティングに時間がかかったが、次々に登場する金管楽器に圧倒されてしまった。女の子には不釣合いなバカでかいウッド・ベースに続いて登場してきたのが、ギタリストであった。あ、そういえばジャズでもギターを演奏するんだ、このバンドに入りたいと思った。何しろ、ギターを演奏はしているが、目立たないし、音も聞こえるか聞こえないか位の大きさだ。これは都合がいい。彼女は、書道部のことはきれいさっぱり忘れ去ってしまった。
◆ ジャズはアドリブだ。アンサンブルも大事だけれど。サークルのコーチである、プロのトランペット・プレーヤーにそう教えられた。えー?聞いてないよー。"コーナー・ポケット"のソリスト、テナー・サックスの次はギター、譜面にはそう書いてある。16小節もある。アドリブなんてやった事もない。そんな時に出会ったのが、ギター・インストゥルメンタル・デュオのゴンチチだった。1年生の秋のコンサートの時、共演した大学のバンドのギタリストが、打ち上げの後に車で家まで送ってくれた。彼の車の中で流れていたのが、ゴンチチだった。このフレーズのスピードなら、私にも弾ける。彼女はそう思った。フレーズをビッグ・バンドにアレンジして取り入れることで、何とか乗り切った。コーチもとても誉めてくれて、嬉しかった。でも車の彼は、ナゼかギターを一度も教えてくれなかった・・・。卒業した今でも、ゴンチチのCDにあわせてギターを弾いている。でも、人前でゴンチチの曲を演奏した事は、ない。
◆ 今は、先輩達が作った、学校の卒業生中心のビッグ・バンドに所属している。たまにコンサートもあって、充実している。この間のコンサートでは、何年かぶりに彼女にギター・ソロがまわってきて、とても緊張して夕食も満足にノドを通らないほどだった。おまけに、いつもMCを担当してるピアノのミミッペちゃんが、姉の結婚式で欠席。MCまでやるハメに。この大役を何とかこなし、嬉しさについはしゃいで、打ち上げの飲み会で飲みすぎて、ワケの分からないコトを喋り続けた。気付いた時には、家のベッドで普段と同じ様に寝ていた。しかし、朝起きたらベッドの下に、近所のソバ屋の、"営業中"のフダが落ちていた。
◆ コンサートの時の彼女は、会社に行く時とは打って変わって派手な服装になる。と言っても、ウイークデーがあまりにも地味なので、本人が思っている程には派手ではない。しかし、コンサートが終わると、いつも男の子に声を掛けられる。実は、ギターを演奏する彼女は、実にキュートなのだ。彼女は、とても嬉しいのだけど、とても恥かしくて、カラオケ屋で歌を歌わせられる時より一層、真っ赤になってしまう。目立たないパートだと思っていただけに、一層困って、どうしてよいか分からなくなる。
◆ そんな彼女の最近までの悩みは、ギターのケースが、その細い腕に対してあまりにも重過ぎたことであった。そんな悩みも解決した。お茶の水の楽器店で、リュック・サックのように背中にしょい込むことが出来る、ギター・ケースを見つけたのだ。めちゃくちゃ、らくちん。背中にギターをのせて、その姿を後ろから見ると、かめ虫に見える。彼女は、そんな自分がナゼか楽しい。
◆ ある日、渋谷のスタジオでリハーサルがあった。その帰り、メンバーと飲み屋で夕食を食べることにした。そんなに飲めないのだけれど、今日も飲みすぎ?頭の中で何かが、クルクルクルと回っている。そんな気分。バン・マスが会計をやってくれて、レジで現金を払っていた。ギターケースを背中にしょって、彼女は遅れて出口に向かったのだが、その時、店の中央の一団の中に、テレビでよく見かける女優が混じっていた。
「マツ・タカコだ!」
彼女はそう思った。人違いかな?でも間違いない。ナゼなら、一団の中に、最近売り出し中の俳優も同席していたからだ。名前は・・・"カケイ・・・"、なんだっけ?おまけに、"カケイ"は凄く難しい字で、とても思い出せない。彼はニ枚目だが、テレビで見たところでは、クダラナいギャグを連発し、イメージを落しているのではないか、彼女はそのように思っているところである。
「サ、サインしてください!」
彼女は、マツ・タカコに向かって、ついついキティーちゃん柄の手帳とペンを、ちょっと恥かしいが取り出して、サインをお願いしてしまった。
「あー、いいですよ。」と、清純派で売っている、親兄弟も俳優で、育ちの良いタカコは、イメージ通りの清々しい声色で丁寧な返事をして、スラスラとペンを走らせた。タカコは、手帳とペンを返した。
「ありがとうございます!!」
と、その時、ゴーン!という鈍い音がした。「いてー!」マツ・タカコは、地面にうずくまっていた。彼女がお礼に頭を下げた時、彼女の背負ったギターのヘッドが、何とマツ・タカコの頭に衝突してしまったのだ。
◆ 「あーーー!?!」
と、彼女は目を覚ました。夢だったのか。今日は・・・月曜だ。会社に行かなければ。今日も、MDにはゴンチチがセットしてある。人前でゴンチチの曲を演奏する日は来るのだろうか?出来ればあの車のカレと久しぶりに再会して、一緒にゴンチチの曲を演奏したい・・・。そう思いながら、彼女はマンションの階段を駆け下りるのであった。
おしまい 2001.1.20
Special thanks to Emi

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美女と野獣
◆ 誰しも記憶があるだろう。小学生の頃、クラスメート、自分の席の斜め前に座っている、ちょっと気になるあの娘。帰り道、一緒に手をつないで帰りたい心のウチとうらはらのイタズラ。左手に持っていたカバン、後ろからそっと近寄ってひったくる。「やーい、くやしかったら取って見ろ!」と叫びながら走り去る。
◆ あまりにも美しい物を見ると、感動を通り越して、空恐ろしさすら感じる。もっと近寄って見ようにも、逃げ出そうにも、足がスクんで動かない。まさに、蛇に睨まれた蛙だ。そうした時に、人間は思ってもみない、意外な行動に走ってしまうものだ。
◆ 同じバンドのサックス・セクション、隣りに絶世の美女が着座することを想像したまえ、貴方はどのような行動を取るだろう。顔を真っ赤にして俯いてしまうかもしれない。或いは、電車の吊革につかまっている時に、その事を考えて、ついついニユニヤしてしまうかもしれない。翌日の演奏で恥をかくと二度と口をきいてもらえないのが恐ろしいので、近所の河原で3時間くらい練習するのかもしれない。いや、体調を整えることが最優先であると考えて、夜9時には就寝するかも。打ち上げの時も隣に座ることを前提に入れて、ナゼか通常より時間をかけて、入念に歯を磨くかもしれない。
◆ 彼はいつもより早く起きて、男性用洗顔フォームで顔を洗って、乾燥膚なので顔にクリームを塗って、楽器を丹念に磨き、革靴も磨いて、出掛けようと思ったところで、電撃を受けたように、あるアイディアに取りつかれてしまった。「顔にも靴墨を塗るのだ!」実はこれは、その昔に存在したユニークなバンド、"シャネルズ"も実践したアイディアなのだが、彼は若すぎて"シャネルズ"は知らなかった。どうして顔に靴墨を塗るという大胆なアイディアを思いついたのか、自分ではよく理解できなかった。ただ、それが今日の自分にとって欠くことの出来ない、絶対に必用な行動であった、彼はそう自己分析した。
◆ それは多分、この様に考えることが出きる。彼は緊張症で、赤面もひどく、飲酒するとやはり顔に出る。先ず第一に、顔を黒く塗ることで、赤面は隠せる。いつもの自分とは異なる自分を演出することによって、多少は緊張はほぐれるかもしれない。いつもとは違う自分を演出することで、演奏の表現力が上昇するかもしれない。それよりも、いにしえの JAZZ の名演奏家にあやかりたかったのかも。
◆ さて、顔を黒く塗りたくった結果は・・・?演奏の後に、靴墨を落すのに、非常に時間がかかったことだった。
おしまい 2001.2.4
Special thanks to Chee and Mr.H

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スタジアムで会えるでショウ
◆ 彼女は、スタジアムであれば、どこにでも現れる。代々木の国立競技場、鹿島、浦和、横浜、札幌、大阪。ローマのスタディオ・オリンピコ、、バルセロナのカンプ・ノウ。トリノ、マドリッド、ミュンヘン、ロンドン、リバプール。リオ・デ・ジャネイロ、メキシコ・シティ、ソウル。ドーハ、ジョホールバル。日本国内、海外を問わない。そのフット・ワークの軽快さは、驚嘆に値する。スタジアムに行くと言えば、当然、アソシエイション・フットボールのゲームを観戦するのだ(注1)。彼女の愛は、全てフットボールに捧げられている(?)。それナシでは生きて行く事は出来ない。
(注1:"アソシエイション・フットボール"とは、"ラグビー・フットボール"と区別する場合に使用する用語。要するに、"サッカー"と言っておけば済む話だが・・・。)
◆ 誰の影響かと言えば、フットボールを死ぬほど愛した、親戚の叔父様からだ。彼は、日本代表が銅メダルを獲得したメキシコ・オリンピックより遥か以前からワールド・カップに関する知識が深かったという、筋金入りの人物だ。少年の頃に、東京大空襲の焼け跡で、近所のイギリス人から譲り受けたボールを、友達と蹴りあったという経験を持っていたという。
◆ 彼女がサッカーに愛着を持ち始めたのは、ゲームが面白かったからとか、そのような通常の理由からではない。ホンの子供の頃、叔父様に連れていってもらった、近所の何処かで行なわれた試合があった日だった。遊び友達のコの兄さんが出場していたゲームだったが、兄さんのチームは負けてしまった。ホイッスルが鳴った時刻の夕焼けが妙に悲しく、同時に何故か快かったのだ。その夕焼けを繰り返し見たかった。単にそれだけだった。
◆ 彼女は運動神経が抜群で、走っても快速だし、何に手を染めても全て上手く習得してしまった。小学校の頃は、男の子に混じってサッカー・ボールを蹴りマクっていた。雨や雪など関係なかった。ゴム跳びなど退屈で、やっていられなかった。ゴール・キーパーの男の子は、彼女のシュートを受けるのが怖くて、いつも涙眼になってしまっていた。あまりにも素晴らしいプレイぶりに、本場ブラジルからスカウトが来る程だった。当時の日本はまだまだサッカーに対する社会の認知度は十分とは言えず、学校に女子サッカー部など存在しなかった。ブラジルからの誘いは、彼女の立場すれば余りにも飛躍し過ぎた世界で、サスガにこれだけは断った。
◆ 彼女のプレイの基礎は、ヒザの巧みな使い方による超高速ドリブルにあった。しかし、それが裏目に出てしまった。ヒザに負担がかかり過ぎ、負傷してしまい、激しいプレイの続行が不可能になってしまったのだ。サッカー以外の過激なスポーツも、残念ながら全てご法度になった。
◆ 彼女のフェイバリットは、フランスの偉大なプレーヤー、プラティニである。何としても生で見たかったワールド・カップやヨーロッパ選手権の観戦、結局は無理であった。しかし、ユベントスの一員として、トヨタ・カップの為に来日したプラティニは見る事が出来た。あの、オフ・サイドになってしまった驚くべきシュート・シーン(注2)も、ゴール裏で目の当たりにした。プラティニを超えるプレーヤーは未だに出現していない、ジダンなどはヒヨッコだと、彼女は頑固に思っている。
(注2:この時のゴールは、現在のルールではオフ・サイドではない?)
◆ 高校時代は、ロシア文学に凝るかたわら、当然の如くに、サッカー部のマネージャーを努めた。選手を見る目が極めて洗練されていた彼女は、何と"隠れスカウト"として、夏や冬の休みに全国を跳びまわる事となった。コーチの先生に、当時としては画期的な戦術である、"オフサイド・トラップ"を導入させ、無駄な失点を大幅に減少させる事に成功した。おかげで、強いとは言えなかったサッカー部は、地区でも有数の強豪となった。
◆ 彼女の膝は、テニス・ボールを蹴る程度になら、耐えることが出来た。彼女は、ライバル校とのゲームで惨敗して落ち込んでいた、全国から集まってきた天才少年達を前にして、体育館の隅に空き缶を置き、そこから30メートル程の位置に立った。「これがプラティニのキックよ!」と叫び、テニス・ボールを空中に投げてボレーで蹴ると、驚く程スピードのついたボールは、見事な曲線を描いてドクター・ペッパーの空き缶に命中した。天才少年達は、口をあんぐりと開けてしまった。その直後の地区大会の決勝の試合で彼らは、10対0で相手チームを粉砕してしまった。
◆ 彼女は現在、某大手自動車会社で働いている。販売網は世界中に広がっている。彼女は、市場の動向をリサーチする仕事をする部署に所属しており、世界を飛び回っている。勿論、仕事の合間のサッカー観戦は欠かさない。サッカー観戦の為の出張の延長に対して、課長にはある程度の理解を貰っているが、部長はどうも納得していない模様である。何せ部長は、生粋のジャイアンツ・ファンで、サッカーの事はほとんど分からない。昨年の日本シリーズでの巨人優勝の瞬間には東京ドームで、ハンカチをクルクル振りながら涙を流していた程であった。あまりの興奮で、ついついメガネの上からハンカチを当ててしまった。
◆ そんなある日、会社へ外部からの社長を招く事となった。新社長は偉大な人物で、ブラジル人である。世界の大企業で辣腕を振るって実績を上げてきた。大変な勉強家である。就任スピーチで、いきなり原稿ナシで日本語を交えた程だ。社員とのコミュニケーションは欠かさず、人柄も申し分ない。しかし、ナゼか長髪は大嫌いで、長髪の男子社員を掴まえては、社長が自ら散髪してしまうので、"ヘアー・カッター"と呼ばれている。
◆ 先日、彼女は突如、社長室に呼びつけられた。何だろうと思って入室してみると、社長はこう言った。
「やあ、君の事はトニーニョから聞いているよ。頑張ってくれ。サッカーは文化だ。あ、もう9時半(注3)だ、これで失敬する。」
結局、トニーニョとは誰なのか、何を頑張るのか、いまだに良く分からないでいる。
(注3:この日は、2002年ワールド・カップ南米予選、ブラジル対ベネズエラ戦があったのだ。アメリカ大陸でのナイト・ゲームの開始時刻は、日本時間の朝9時頃に当たる。)
◆ 現在彼女は、J1リーグの出身地がホーム・タウンのチームの、熱烈なサポーターである。そのチームは、派手な補強はしないが、玄人受けするプレーヤーが数多く在籍し、下馬評での評価はあまり高くないにもかかわらず、どの大会でも比較的良い成績を残す。ホーム・チームは、熱烈に応援する。しかし、どこのスタジアムに行って、どのチームを見ても、必ず熱くなってしまう。最近では、バルセロナのホーム・スタジアムであるカンプ・ノウを訪れ、城くんの所属していたバジャドリとの対戦を見た。ブラジルの名選手、リバウドのバイシクル・シュートとラボーナ(注4)を見て、感激してしまった。
(注4:ブラジルの選手がよく行なう、片方の足を軸足の後ろからクロスさせ、クロスさせた足でボールを蹴るという、説明だけでは何だか分からないが、ゲームの勝敗とはあまり関係がないワザ。)
◆ 彼女はこれからも、あらゆるスタジアムに出没するであろう。南極にスタジアムが出来ても、真っ先に駆けつけるであろう。
おしまい 2001.4.4
Special thanks to Mayuko

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一人が好きな娘
◆ 彼女は、一人でいるのが好きである。といっても、徹底的に孤独を好むワケでもない。人並みに、極々人並みに、一人でいたい時間があるだけだ。カレシがいないワケじゃない。二人はお互いに仕事を持っている。お互いにメチャメチャ忙しいワケじゃないけど、毎日会っているワケでもない。そう、今は、ソコソコの関係なのである。それに対して彼女は不満を持っているワケでもない。
◆ 彼女はちょっと美人なのである。マツシマ・ナナコに似ているとよく言われる。ごくたまにソフィア・ローレンに似ているとも言われ、ある時は"ヒトミ"にそっくりだと言われる。本人にとっては、不本意である。ちょっと違うのである。どうもナゼか、著名な美女と比較されるのが、苦手である。いずれにしろ、どう見ても美人だから、カレシの一人や二人や三人いたって、不思議ではない。身長は 167cm で、髪には入念にブラシを入れ、道を歩いていても通勤電車に乗っていても、結構目立ってしまう。いくら目立っても彼女は、ハイヒールを履く。彼女は、勝気なのだ。
◆ 曲がった事は大嫌いだ。小学生の頃は、近所の神社のオミコシを率先して担ぐ活発な娘だった。背が高かったので、無理なく大人に混じって、ハチマキを巻いて、元気に声を張り上げていた。
◆ 彼女の実家は、小田ワラである。通っていた大学は横ハマにあり、何とか通学し続けた。卒業してから就職した会社は、大手マチにある。遠すぎて通いきれないので、今は高エン寺にマンションを借りて、一人暮しをしている。小奇麗に整頓された部屋のベランダには、観葉植物が飾ってある。朝寝坊もせず、6時半には起床していて、コーン・フレークとグレープ・フルーツは、必ず食べる。
◆ 料理は得意というところまでは至らないが、人並みにこなす。夕食は、自炊もする。同僚と飲み屋にだって行く。カレシとのディナーだって当たり前。だけれども、残業で夜が遅くなり、同僚は帰宅、カレシも多忙、かといって、自炊は面倒、そんな時だってある。そんな場合は当然、外食。普通、女の娘といえば大抵は、一人での外食の場合は、キャリア・ウーマンと何と呼ばれようとも、パスタなどのイタリアンや、悪くともファミリー・レストランといった、小奇麗な店に行くものである。
◆ 彼女は、面白そうな映画があれば、一人でも行く。カレシには、何で一人で行くのかと文句を言われる事もある。美術館へも一人で行く。行きたいパフォーマンスがあると、ライブ・ハウスへもついつい一人で行ってしまうのである。人が何をしようと、男であろうと女であろうと、勝手なハズなのだが、ちょっといい女が一人で行動すると、人目を引いてしまう。
◆ 彼女は、ガーリック系のテイストが超フェイバリットである。ポテト・チップも当然ガーリック系が好みで、スカ・パーのビデオ・クリップ・プログラムを見ながら、一人で一袋全部食べてしまう。いつも後で反省する。高エン寺には、ステーキ・ハウスがあり、ここは超お好みである。ステーキ1枚200グラムもなんのその。また会社の帰りによく立ち寄るシブ谷には、これまた超お好みのハンバーグ・ステーキ・ショップがある。こちらには、週に1度は行ってしまう。ハンバーグのソースとガーリック・スープが全く趣味に合っている。レディース・セットには、デザートが付いているのが嬉しい。
◆ 大体、ステーキ・ハウスやハンバーグ・ステーキ・ショップで若い女性が一人で来るのを見る事は稀である。ロックンロールが好きそうな若い兄チャン達の集団や、アベックが殆どである。男一人の客が少ないパスタ・ショップとは、逆のパターンである。しかし彼女は、そんな事は全く意に介さない。別に間違っている事はしていない。男女雇用機会均等法が施行されてから、大分経過している。"ウーマン・リブ"という言葉だって、もう死語と言えるくらいだ。女の外務大臣が、記者会見で大声でシャベくりまくる時代だ。工事現場では姉チャンが交通整理をしているし、大学野球には女子選手がいる。しかし、ステーキ・ハウスやハンバーグ・ステーキ・ショップでは、注目を集めてしまう。美人で大柄だからだろうか?彼女だってカレシと二人でハンバーグ・ステーキを挟んで生ビールをゴクゴクと一気飲みなどもやってみたいが、女が一人でいることだってある、これが現実だ。
◆ でも、一人でいるのも悪くない。逆に、孤独が好きなのである。でも、誰だってそうだろう。会社の宴会は、若い女子社員には珍しく、参加する事を非常に喜ぶ。員数合わせのコンパにも参加して、大騒ぎしてしまう。土日には、カレシと旅行もする。しかし、一人でいるシチュエーションも重要である。会社の帰りに、ナゼか東京タワーに行って、夜景を堪能する。高い所が好きなのだ。皇居の堀にいって散歩をしてしまう。そんな彼女は、一人で飲み屋だけには絶対に行かない。彼女の中では、これをヤってしまうとオシマイなのだ。何がオシマイだか分からないが、とにかくオシマイだ。でもやはり、ガーリック・テイストのステーキは何と言ってもウマいのだ。焼き方はミディアムに限る。
◆ 彼女は、ジャズのビッグ・バンドでピアノを弾く、紅一点のメンバーである。特に、後ろ姿がいい。淑やかなルックスのワリには、勝気な性格である。そう、"ちょっと美人"である事の条件の一つに、"ちょっと勝気なところ"と入れたくなる。彼女を見ていると、そう思う。
PS◆モデルの写真の娘は、本当はアルト・サックスを演奏する。非常にウマいとウワサされる。
◆ おしまい 2001.6.24
Special thanks to Miwako

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刺激的な辛さ
◆ 彼は、土曜日で休日だというのに、朝6時に起きた。大きな鍋で、鶏ガラのダシを取るのだ。カレーを作るのである。ロック・バンドのクイーンの"華麗なるレース"を、いまどきアナログのレコードで聴いている。CDに買い替えるのが面倒なだけだが。カレーには徹底的にこだわっている。何と、60種類のスパイスを組み合わせて、自分の好みの味に仕上げる。別に秘密にしているのではないが、作り方を質問されるコトもないので、人には教えていない。面倒なので、レシピにはしていない。もう何年も現在の作り方でやっているので、手馴れたものである。米にもこだわっている。価格はそれ程ではないが、普通に店頭で購入する事の出来ない、ある特定の品種だけを使用している。炊き上がりを一定に保ちたいのだ。
◆ 妻と2人暮しだが、一度に5人分以上のカレーを作る。ウイークデーは、あまりカレーは食べない。その分、元を取り返すが如く、休日に食べるのだ。会社の同僚や友人の間では、彼のカレー・ライスは有名で、彼の自宅が茨城で遠いのにもかかわらず、東京都内からも来る者もいる。彼は、喜んでそれを振舞う。安くない交通費を出してワザワザ来るのだからと、徹底的に神経を集中させて、汗ダクになりながら、エアコンもかけずに作る。どちらかと言えば、辛口である。知人が来てからは、聴かせるレコードはジャズになる。いにしえのピアノ・トリオのユニット、"スリー・サウンズ"が好みである。著名なピアニストのビル・エバンスは、どうしてだかピンと来ない。因みに、彼の書斎には、ロダン作の"カレーの市民"の彫像の縮小レプリカが、当然のように飾ってある。
◆ 仕事柄、海外へよく行く。ある日、念願のインドへ出張することになった。いつの日か本場の、しかも、一般的な家庭で、本物のカレー・ライスにありつきたい、それが夢であった。2週間の滞在であったが、現地の家庭を紹介してもらい、それが実現した。本場の家庭のカレー・ライス、それは、彼の想像を超えたものだった。基本的には、日本で慣れ親しんだカレーの味が口に合う。しかし、自分なりにエッセンスは吸収したのである。気温40度を超える暑さの中で、食欲を増進させ栄養を吸収する為には、我々の住んでいる快適な日本では根本的には必用のない、強烈な辛さが必用なのである。
◆ ちなみに、彼の外見は超エキゾチックで、語学に堪能なこともあるが、海外出張でどの国へ行っても、溶け込んでしまう。外見的に、違和感を感じさせないのだ。そのかわりに日本では、普通にしているつもりでも、妙に目立ってしまう。イカの塩辛が大好物で、盆栽が趣味の一つで、好きな画家は尾方光琳で、妻は日本舞踊にたしなみ書道5段でナギナタ3段、エアコンは嫌いで扇子が好きだと説明しても、なかなか信じてもらえない。
◆ インドで彼は、カレー・ライスは庶民的な味でなければならないと確信した。都心には、一食当たりが \3,000 もする高級インド・カレー店もある。確かに、本場のエッセンスを持ち込み、確かに価格なりの味を出している。しかし彼の経験からすると、カレー・ライスは、必用以上にかしこまって食するものではないと考えている。日本蕎麦屋で出てくる、水分の少ないカレー。カレー好きの彼は、そのようなカレーの中にも旨いモノもあったし、それはそれで良いと思う。スーパーなどで入手できる、たった3分だけ暖めてすぐに食べられるカレー、これもそれなりで、良いものもある、と彼は思う。
◆ 日本のとあるチェーン店で出すカレー・ライス。これが、何故か彼の作るカレーの味に近い。トッピングしても、一食が \1,000 程度である。カレー・ライスとは、価格的にはこんなモンではないのか?それ以上でも以下でもない、これが彼の中でのカレー・ライスの位置付けである。それは、あくまで嗜好であって、人に押し付ける概念ではないのは、当然である。旨さという点では、そのチェーン店のものより、彼の手製のカレーの方が遥かに上回るのだが。でなければ、早起きしてまで作る甲斐がないと言うものだ。
◆ 彼の尊敬する人物は、明治の文豪、夏目漱石である。彼は、"坊ちゃん"の主人公や、"我輩は猫である"の猫の飼い主に、一歩でも近づきたい。更には、漱石本人になりたい。明治の文化人には、現代人にありがちなセカセカしたところが全くない、余裕の中での大人びた知性に満ち溢れている、と信じていた。思い込みかもしれないけれども。現在の自分は、少なくとも外見上は漱石にそっくりだ、と思う。肩肘付いたポートレートまで撮影し、悦に入っている。
◆ 彼は知性的な人物ではあるが、オッチョコチョイである。ラーメンにもこだわりがある。エアコンをかけず、扇風機を廻しながら、ラーメンの時だけは何故か、レコードはかけずに無音で食べる。ラーメンにコショウをかけるのだが、いつもコショウが扇風機の風で飛ばされてしまう。
◆ 彼は、ジャズのビッグ・バンドで、限りなく貪欲にバリトン・サックスを吹奏する。ジャズに限らず、ロックも演奏する。吹けない曲は、地球上に存在しない。また、アルトやテナー・サックスも難なくこなす。バンドのリハーサルには、所有する全ての楽器を持ち込む為、仲間からは、"東洋の楽器商"と呼称される。
おしまい 2001.8.26
Special thanks to Tohru Nishida

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赤い車
◆ 彼女のベッド、枕の方向に、極めて大きな不思議な形状の物体が立て掛けてある。コントラバスである。埃を避ける為に、布のケースで覆ってある。この楽器は、1930年代に作られた。オーストラリアのウイーンにある、その筋では著名な工房で製作された逸品。厳選された木材を用い、熟練した技術を誇るマエストロが、その手腕を120%発揮し、入念に仕上げられた。彼女は、このコントラバスを手に入れて以来、生活がますます楽器中心となった。彼女は、ジャズ・ベーシストである。指にマニキュアを塗るのもそこそこに、楽器をケースから取り出し、練習に余念が無い。コントラバスの基礎を習得する為には、クラシックを学ぶのが正統である。しかしそれも、彼女にとっては、より良い4ビートを刻むための道程の一つである。
◆ 「彼女は女の子としては、なかなかウマい。しかし、音がどーもねー・・・。」
と、こんな発言をよく耳にしていた。全く失礼な話だが、如何ともし難い。それも、このコントラバスを手にした時点から、この失礼な意見も全く聞かれなくなった。彼女の指、腕、いや全身と楽器が一体化し、極上の重低音を紡ぎ出す。人間が聞くことの出来る範囲で、最も美しい低音を響かせる、それが彼女の目標だ。彼女の手のひらは、男性と比較して大きいとは言えない。しかし、指板上を縦横に動き回る指には、ムダな負荷がかかかる事はない。力強いビート感を供給する右手の指も、同様である。演奏における彼女のフォームは的確で、全身の力は抜けており、弦をヒットする瞬間にのみ、圧倒的なパワーが楽器に伝達される。
◆ ジャズのウオーキング・ベースというのは、地球上の全ての器楽演奏の中でも、極めて特異な性質を持つ奏法である。楽曲の演奏が開始され、演奏終了のシグナルを受け取るまで、常に安定した4ビートを送り続けなければならない。音程が狂ってはならない。ビート感が乱れてはならない。ある意味、演奏者にとり、非常にシビアで過酷な行為である。だが彼女にとっては、その厳しさが、逆説的な快感なのだ。楽器の抜群のコンディショニングと、彼女の抜群のテクニック、この二つが相俟って、共演者にとってはなくてはならない無二のベース・サウンドとなって迫って来る。マサに、音楽演奏における心肺機能の働きを代行しているかの如く。深く神秘的な迫って来るような低音は、大地と連携して楽器の低音を増幅しているのではと錯覚させ、共演者と鑑賞者は共々、頭を垂れて聴き入るのみなのである。
◆ 彼女は音感が良いと同時に、ピアノ、バイオリン、ギター、フルートと数多くの楽器をこなし、ジグソーパズルを驚異的な速さで完成させ、ダーツの命中率は95%である。運動神経もバツグンである。彼女の本職は、何とアスレチック・クラブのインストラクターである。彼女は新体操が得意で、最も得意なのはリボンである。リボンの練習を、青空の下、近所の代々木公園でやるのが特に好きだったが、事情を知らない他人からは怪訝そうな面持ちで見つめられていたものだ。何しろ、凄まじいスピードで駆けまわりながら、リボンを空中高く放り投げるのだ。でもまあ、代々木公園という所は、休日ともなると人でごった返し、様々なスポーツやパフォーマンスに熱中する群集も多いので、特に異常に目立っていたとも言えないかも。
◆ また、ボールの扱いにも長けており、人差し指1本でクルクル廻していた。現在でも、宴会での芸には事欠かない。座布団でも鍋でも、あらゆるモノを廻してしまう。ついでに言及しておくと、コウモリ傘の上にボールを乗せて落さずに回転させるのも得意である。これは目出度い行為だと思い、いつの日か友人の結婚式で傘での芸を披露するものと信じ切っていた。でも、その日は訪れてない。実はこれは大きな勘違いで、傘廻しの芸だけが目出度いのではなく、「おめでとうございますー!」と叫ぶ芸人の、傘廻しを含むパフォーマンス全体がお目出度いのであった。
◆ 彼女の最大の弱点は、涙もろいところだ。映画で言えば、"タイタニック"や"カサブランカ"で泣けるのは当然と言えば当然だが、"アポロ13"や"アルマゲドン"や"ET"を見て、映画館の真中の席でワンワンと泣いた時は、多少は恥かしかった。"アルプスの少女ハイジ"や"みなしごハッチ"や"北の国から"や"男女七人夏物語"でも泣ける。涙を流すと言う事は一種のストレス発散で、ベースを演奏したりリボンを廻したり、山へ行くと条件反射的に「ヤッホー!」と叫んでしまったり、楽しい事があるとイマドキの子供もやらないスキップをしてしまうのと同様に、彼女の人生の一部なのだ。
◆ 彼女の乗る車は、BMWである。塗装色は、熟したてのトマトのような深紅。当然、左ハンドル。彼女の前方を走る車の運転手、バック・ミラーを覗くと瞬きが止まり、息を呑んでしまう。車のフロントから垣間見選える運転中の彼女は、とてつもなく美人なのである。運転がウマい。片手でハンドルをクルクル廻す。一見するところ、ボーゼンと運転している様に見える。それが、非常な美人に見える要因の一つとなっている。彼女が超美人に見えるのは、彼女の前方を走る車の運転手だけが知っている事なのである。
◆ 二千年前のエジプトの女王、クレオパトラ。カエサル亡き後、ローマからアントニウスを出迎える際、クレオパトラの乗った船には、紅色の帆が張られていたという。彼女のBMWの深紅の塗装は、クレオパトラの船の紅色の帆と同様な効果を周囲にもたらす事実を、彼女自身は気付いていない。
◆ 彼女は、髪を切った。人は、見慣れた女性が髪を切ると連鎖反応的に、それは失恋であろうと勝手に想像する。彼女は別に失恋などはしてはいない。ただナゼか、今年のクリスマスは、去年のクリスマスよりもっと楽しく過ごしたい、と考えている。クリスマスをエンジョイする為には髪のコンディションを整えなければならない。街路のイルミネーションにマッチするヘアー・スタイルでなければならない、クリスマス・キャンドルの傍で灯りに映える髪でなくてはならない、と考えた。クリスマスの夜は、普段の夜よりは幸福で濃密である必要がある。
おしまい 2001.10.27
Special thanks to Minappe

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ハイム・クインテット
◆ 俺の部屋の隣には、女が住んでいる。俺は自分の私生活を詮索されたくないし、他人の私生活に興味は無い。だが独身男の隣りの部屋の隣に、独身(らしい)女が一人で生活していれば、興味がわかないと言ったらウソになるし、むしろ不自然だろう。ストレートの髪は肩まで伸び、前髪が短くオカッパ風である。似合っているかどうかは分からない。髪の量が多くて顔を覆っているため、美人なのかどうか、本当に分からないのである。特徴的な日常の服装も、似合っているのかどうか判断に迷う。何と呼ぶ知らないがウエスタン風のシャツにジャケット、スカートが長く足首のあたりまである。靴もブラウンのウエスタン的なブーツである。暑い寒いによって多少変わるが、大体はこの服装のパターンである。仕事は何なのだろう。
◆ 俺は朝7時半に仕事に出掛けるが、隣りの女は俺よりも遅く出る。8時半くらいだろうか。夜も俺より遅い。いつも11時近くに帰宅する。駅からウチまでは約10分ある。彼女は、駅から彼女の部屋まで歩いている途中、いつも携帯電話で話している。誰と話しているかは知らないが、楽しそうに話している。俺がバイクに乗って帰る途中に信号がある。帰宅中の彼女が、赤信号で待っている俺の目の前の横断歩道を歩いている事が多いのだが、大概は電話中だ。
◆ 休日もどこかへ出掛けて行く。必ず電車に乗るようで、誰かが車で送り迎えする事もない。時たま、午前中には部屋に居る事もある。天気の良い日は布団も乾すし、洗濯もしている。ウエスタン風の服装なので、カントリーでも聞いて、"オーケー牧場の決闘"や"ララミー牧場"なんかが好きそうだが、どうも違うらしい。ジャミロクワイとミスター・ビッグがお好みのようで、そればかり聞いている。飽きないのだろうか?日本のアーティストでは、EVERY LITTLE THING に造詣が深く、洗濯物を掛けながら陽気に口ずさんでいる。メシはいつもドコで食っているのだろう?勤務先はどこだろう?扉の前でバッタリ出会ったりすると、小さな声だが必ずは挨拶してくる。
◆ 今日、彼女が歯医者から出てくるのを見た。親知らずでも抜いたのだろうか?この歯医者は、俺が小僧の頃から営業しており、今で白髪の目立つご婦人が経営している。腕は確かだ。こないだ、歯痛に耐えられず、十数年ぶりに行ってみた。初診の時に受付にいた助手の娘がメチャメチャ可愛かったので次も楽しみしていた。まったく、歯医者なんて楽しみがなきゃ行けるかい!しかし、次の診療では別の娘が受付であった。ここは何人助手がいるのか、6〜7人は別の娘(というか、一人はオバサン)が座っていた。
◆ 俺は車は持っていない。あるのは、250CCのバイクである。晴れた日にバイクでハイウエーをブっ飛ばすのは爽快だ。スピードを出す事が俺の人生の最大の目的だ。誰も俺の事は止められない。日光の東照宮まで日帰りで突っ走るのが最高だ。俺は、自分の部屋の壁を緑色に塗っている。緑が好きな色だ。また、ベッドやテレビや冷蔵庫など、家具を全て、壁に対して斜めに置いている。とにかく、それが落ち着くのだ。
◆ 俺の借りているアパートメントは、"ハイム・クインテット"という。ここの全ての部屋には、完全防音の小さなスタジオが完備しており、楽器の練習に、周囲に気兼ねなく没頭できる。隣りの女のスタジオには、グランド・ピアノがある。"子犬のワルツ"や"エリーゼのために"も弾いている。クラシックはよく知らないので、他の曲は分からない。俺は、"ジャズの帝王"という大袈裟なニックネームを持つマイルス・デイビスのクインテット(これは特にシャレではなく、偶然である)、それもウエイン・ショーターがいた時代のバンドを最も敬愛する。俺の中では、消去法を使うと、ジャズ史上で最も素晴らしいコンボは、このクインテットだという解答が導き出される。しかし、知人にこの話をすると、ブラウン=ローチ・クインテットはどうしたとか、コルトレーン・カルテットの方が良いだろう、と言われるのは分かるが、
「テディ・ウイルソン入りのベニー・グッドマンのスモール・コンボが最高じゃよ、まだまだ若いのー!」とか、
「先輩、マンハッタン・ジャズ・クインテットも良いですよ!」とか、
「ヨーロピアン・ジャズ・トリオって綺麗な音ね、素敵!」とか、
「お前、俺は学生時代は浪速エキスプレスのコピーバンドをやってたんだぞ!」
とか言われると、聞かず嫌いもイケないかな、と思う。
◆ 俺は今、悩んでいる。駅からの帰り道、隣りの女に会ったなら、なにか話しかけて世間話なんかしながら一緒に帰るべきだろうか?最近の世の中は物騒だ、詮索好きなヤバくて怪しい人物だと思われたら、困るし。他人のフリをしておくべきだろうか?微妙なところだ。まあ、自然の流れにまかせる事にしておこう。
◆ 俺は、ドラマーだ。スティック捌きには自信がある。ただ、高い所には自信がない。高所恐怖症というヤツだ。
おしまい 2001.10.21
Special thanks to 4Q and S. Araki

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クミコとトランペット
◆ クミコが微笑むことは、極めて稀である。家族など親しい者以外で、彼女の笑顔を拝めることは、四ツ葉のクローバーを見つけることよりも稀である。クミコはアイドル顔なので、笑顔でなくとも目線がかち合うだけで嬉しくなってしまうのだが、その柔らかなラブリー・スマイルは、全ての人を幸福にする。エレベーターから降りるとき、すれ違いザマにクミコに微笑まれた会社の後輩の男はその日、しばらく紛失していた大切なモノを、オーディオ・ラックの影から見付け出した。高校時代に交換日記を付けていた同じクラスの娘の、当時の写真である。
◆ 学生の頃、近所のスーパーマーケットでアルバイトをしていた。はるかに年増のオバサンや、同年代の娘たちに混じって、よく働いていた。相変わらず、なかなか笑わない。だが、皆と仲良くやっていた。スタイルが素晴らしく良いとは言えないのだが、スーパーの制服は似合っていた。同じ勤務時間の娘は、いつも若い男性正社員と談笑していた。そんな時でもクミコは、たった今入荷した石鹸と歯ブラシを、そうするのが人生の最大の目標であるかの如く、入念にチェックし、商品棚にレイアウトしていた。背中を丸くして棚を整理しているクミコの後姿には、ついつい手助けしたくなる雰囲気が漂っていた。活発にお客さんと談笑することもなく、いつも伏目がちであった。シャイなのだ。
◆ 自分が微笑む回数が少ないのに対して、クミコ自身は全く気にもしていない。ただ単に、愛想笑いが苦手なだけだ。物事には正直に接するというのがモットーだ。悪ふざけも願い下げ。モチロン、他人の悪口などは言わないし、聞きたくもない。人の陰口を聞こうものなら、たしなめずにはいられない。こう来ると、超マジメ人間で、近寄りがたいカタブツだと思うだろうが、そんなことはない。物腰が柔らかなので、ふだんクミコに接している者は、男女の別なく幸せな気分に浸ることが出来る。
◆ 文芸春秋の愛読者である。毎号、必ず購読、全ての文章を読み尽くす。読んだ号は、どうしても捨てることが出来ない。クミコの部屋には、ウエッジウッドの時代モノの陶器や、熊のプーサンの縫いぐるみが飾ってあるが、本棚には最近読んだ文芸春秋がびっしり並んでいる。文芸春秋は意外と厚い雑誌なので、すぐに棚が一杯になる。天井裏の部屋にも、バックナンバーを収納してある。読書中は、どうも相当に難しい顔になっているらしい。行きつけの図書館は、原宿駅からすぐの所にある。夏は涼しくて静かだから、読書や考え事にピッタリである。最大の難点は、夏は受験生で一杯になってしまう事だ。
◆ 白に水玉の柄の入ったワンピースが大好きだ。クミコは自分のボディ・ラインに全く自信がなく、少しでも姿を良く見せたいと思っている。バイトをしている頃は、ヒールの全くないスニーカーを履かなくてはならなかったのでイヤだったが、仕方がないので我慢していた。スタイルを良く見せるには、自分にとってはワンピースが必要で、水玉の柄が最も効果的だと思っていた。ただ何となくそう思っていた。根拠はない。憧れのオードリー・ヘップバーンの着ていたワンピースが非常に似合っていた、その残像が目に焼き付いた気がする。今日も、新宿駅南口にあるビルの中のショップの前で、思わず立ち止まった。ショー・ウインドウに、直径3cmくらいの薄い水色の水玉がちりばめられている白いワンピースが飾ってあり、立ちつくしてしまったのだ。ちなみに、今日着ていたのは、無地の白いワンピースだ。当然、ウインドウの中のモノとは、他人から見れば区別のつかない、水玉のワンピースを持ってはいた。しかし、水玉の色が少し薄かったのだ。
◆ 今日はボーナスが出たし、人に迷惑をかけるワケではないし、ワンピースを買っても何の問題もない、彼女はそう思った。だが、今日は止めておこう。人間の欲求には限度がない。物欲、すなわち、所有への欲求というのは、人間が満たそうとする欲求の中でも、実現する事に於いて最も価値の薄いものだ。生物の生存に必要不可欠な要素ではない。クミコは自らを、極めて理性的に分析した。
◆ 今日も演奏である。クミコの奏でる旋律は、空高く舞いあがるヒバリのように流麗だ。トランペットという楽器は、センスが重要なのである。自己顕示欲を全面に押し出そうとすると、音量が上がり過ぎてしまう。クミコの楽器からは、うるさい程の音が出るなどという事は、絶対にあり得ない。出る時は出るし、引く時は引く。このバランスが大切なのだ。クミコの楽器の音は、彼女の生き方を完全に反映しているのである。
おしまい 2001.9.8
Special thanks to Maruko

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スケートリンク
● 下の文書は全てフィクションであり、写真とは全く関係がありませんので、ご了承ください。

◆ リョウコとタクヤは、部室に居た。ロック部の部室は、学校の敷地の北の端にあり、日当たりは悪い。東京都とは言っても都下であり、学校は鬱蒼とした林に囲まれており、夜に電気を灯していればクワガタも飛んでくる。ドラム・セットとギター・アンプとキーボードがあって、機材はひととおり揃っているので、練習はいつでも出来る。広さも20畳ほどはあって、申し分ない。水道とガスまで備えてあり、ストーブまであって、金回りが良いとは言えない大学生にとっては至れり尽せりである。モチロン、部屋は綺麗とは言えない。クダラナい落書きはあるし、空き缶が放置されているし、ギター・アンプのボリューム・ツマミが欠けたままだし、シンバルの1枚は割れている。しかし、他の大学の部室と比較すれば、その条件の良さは羨望の的であると言える。二人はいつものように、薄汚れたヤカンで湯を沸かして、インスタント・コーヒーを入れて飲んでいた。
「今日はこれからどうする?」
「今日はこれからどうするの?」
今日の授業は1時限で終わり、バンドの練習もなく、アルバイトもなく、特に予定もない二人である。文化祭も終わったある秋の日の夕方、夕日の眩しさがヤケに物悲しい。
◆ 学生時代は人生で最も幸福な時代である、と卒業した先輩は言う。先輩は、仕事でとても苦労しているそうである。学生の身分としては、"社会人は大変なんだー"と、ただただ思うだけである。リョウコとタクヤは2年生なのであって、少なくとも就職活動開始まで1年以上はある。最近は不景気だとされてはいるが、二人や彼らの同級生にとっては、切迫感は極めて薄いものがある。
◆ リョウコは高校時代からバンド活動を始めて、ギターとボーカルを担当している。タクヤもギターを演奏するが、リョウコとは違うバンドに所属している。リョウコのバンドは全員が女の娘、ギャル・バンドである。リョウコのバンドは、ハード・ロックというかなんというか、テクニックを追求すると言うよりは、ひたすらエネルギーを発散し、踊りまくり、歌を歌うというよりはどちらかと言えば叫んでいる。最近リョウコは、作曲を始めた。最初に作った記念すべき曲の歌詞は、こうである。

なんだコノ野郎、ふざけんじゃねー馬鹿野郎!
貴様、なめんじゃねーぞ、ふざけるのもいい加減にしろ!
いちいち頭に来るぜ、親の顔が見てー!ダセーぜ!
ノコギリとカンナとカナヅチとテレビのリモコン持って来い!
校則なんか破ってやる!学校の壁なんか壊してやる!
ついでに茶碗も洗ってやる!
一輪の野菊になりたい
花の絨毯の中で眠りたい
その中から抜け出して天国に行きたい
私の中の妖精は蜜を求めて飛び回る
ああ自然よ友よ
ハイウエーを突っ走るエンジンのサウンドには
諸行無常の響きあり

◆ 高校時代の友人からリョウコはよく、"変わったねえー!"と言われる。大学に入学して1年と少々、確かに口数は増えたし、着用している服の柄は明るくなったし、よく笑うようになったし、歩くスピードが速くなった、そんな気はする。楽器を手にする前から、ロックのコンサートには頻繁に通ってはいた。いつしか、メジャーなロック・バンドのパフォーマンスが大ホールで大観衆にもたらすの種類の破壊衝動が、元々は大人しく生真面目なハズのリョウコの眠れる野生を叩き起こしたのかもしれない。知らず知らずのうちに体内に蓄積された、自他共に認めていた引っ込み思案であるという既成事実に対する反抗心と欲求不満。中学3年生の時の大失恋の経験。受験勉強に対するプレッシャーから逃れることが出来たという開放感。諸々の要因が、彼女に破滅的な歌詞を書くように駆り立てた。単なる聴衆よりはパフォーマーになりたい、コピーで終わるよりは自己表現の為のオリジナル・ソングを作りたい。リョウコの作った歌詞には、そこにはひょっとしたら、ロック・ミュージックの本質に対するある種の誤解も含まれるかもしれない。だが、オリジナル・ソングを演奏するというパフォーマンスそのものがハイ・レベルであれば、誤解や矛盾や、与えてしまうかもしれない嫌悪感すら表現の一要素に変化させ、聴取者を納得させる事も可能かもしれない。既成の価値なんでブチ壊してしまえ!罵詈雑言を吐く事がロック演奏の重大な要素である、と言い切っては問題も多々ある。だが、これは処女作なのであって、歌詞の矛盾もなど、バンドのメンバーや周囲の人間は大目に見てやらなければならない。今後の作品は万人を納得させうる珠玉の名品が誕生するかもしれないのだ。
◆ 時代は変わった。女子高生がエレキ・ギターを持って通学する姿は、不思議でも何でもなくなった。ギターやベースは1万円で買えるし、ギャル・バンドは無数に存在する。セーラー服の娘が背負ったエレキ・ベースのケースはヤケにデカいので、ちょっと目立つけど。
◆ 新入生としてロック部に入部したタクヤは、ナゼか5月の間は同級生の女の娘に大人気であった。しかしどうしてだか、異常なモテモテぶりは6月の声を聞くとプッツリと止まってしまって、タクヤ無視されるようになってしまった。その後の1年の間、タクヤは、
「お前の人気は5月だけだったなー」
と言われ続けた。これは極めて不思議な現象である。タクヤはそこそこのルックスだし、性格は普通である。春先の目出度い気分が同級生の女の娘を刺激し、タクヤこそは超スーパースターだから崇拝しなければならないと錯覚させたのだろうか?でもタクヤは気にもせず、その後の学生生活をごく普通に過ごしたのであった。
◆ とある2月の昼下がり、リョウコとタクヤは何の気ナシに連れ立って原宿に行き、とある喫茶店に入った。リョウコはコーヒーをブラックで、タクヤはクリーム・ソーダを飲んでいた。学校も休みだし、試験も終わったし、バンドの練習もないし、今日もバイトはない。
「今日はこれからどうする?」
「今日はこれからどうするの?」
マセた小学生だったタクヤは、小学生の頃から原宿の竹下通りを徘徊し、気に入った靴を買っていた。その頃と比較しても、ほんの10年経過しただけだが、原宿の佇まいは様相を異にしている。でも、土日の人の多さは相変わらずだ。喫茶店の店内では、スティーリー・ダンの"ヘイ・ナインティーン"が流れていた。スティーリー・ダンは、アメリカのユニークなロック・ユニットで、非常に完成度の高いサウンドと不可思議な歌詞で知られている。"ヘイ・ナインティーン"では、ジャズ・ミュージシャンが19才の娘を口説こうとする場面が歌われている。リョウコとタクヤは、ついこの間まで19才だった。喫茶店にいる二人には、"ヘイ・ナインティーン"は、単なる心地よいバックグラウンド・ミュージックでしかない。日差しの差し込む2月の昼下がりの午後の喫茶店も、一人でいれば物悲しいが、二人でいるならそれほどでもない。
◆ リョウコは突然言い出した。
「ねえ、いい事を思いついたの。スケートリンクに行かない?」
「あー、いいねえ、行こうか・・・。」
タクヤはついつい答えた。リョウコは、寒い場所に行く事が決まっているかのように、いま流行しているやたらと長い、色の黒いマフラーを首に巻いていた。しかし、考えてみると、原宿の近くにスケートリンクなどは無い。だが、別にスケートリンクでなくとも、どこでもよかったのだ。これから、二人にとって人生で最も幸せな時間が始まろうとしているのだからして・・・。

おしまい 2001.11.9
Special thanks to Kae from "Gasolins"

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まんぼう
◆ 僕が小さかった頃・・・というのは、自分が子供である時期を説明する場合に使用する枕詞だが、僕の場合はあてはまらない。それは、僕は子供の頃から身長が高かったからだ。小学校の卒業式を迎える時点で、既にほとんどの先生よりも高かった。卒業式で生徒を代表して呼んだ答辞、体育館の中で響いた僕自身の声は、自分で驚くほど低かった。どこに宍戸錠が居るのか?と思った。しかも、それは声変わりする以前のハナシだ。
◆ 僕の初恋の人は、小学校の音楽の先生である。彼女はピアノがとてもウマく、人柄も良かった。履いている靴はいつもスニーカーにピンクの短いソックスで、妙に子供っぽかった。生徒達のイタズラにブチ切れると、いつも足をバタバタさせて地団駄を踏む。そんなトコロに親近感を抱いたのかもしれない。大抵の楽器は演奏する事が出来た。フルートの音が特に素晴らしく、子供なりに非常に感動したものだ。そして、リコーダの音の良さには驚いた。僕は負けん気が強く、あの音を出そうと必死でリコーダを練習したものだが、あの音が出る事は無かった。シンプルな構造の、単なる縦笛だと思うのだが・・・。リコーダ・・・そう言えば、僕の大学での在籍していた学部は、理工だ。
◆ 中学に入学して、吹奏楽部に入部したのだが、まるで当然であるかのように、低音楽器を担当させられた。それ以来、バス・トロンボーンはいつも手元にある。
◆ 水族館に行って魚類などを見る事が、趣味の一つだ。サイズの大きな生物にはシンパシーを感じてしまうのだ。特に好きなのは、シュモクザメである。あのハンマー型の頭部がタマらない。また、一度で良いから、生きたシロナガスクジラの実物を見たい。宇宙飛行とどちらを取るかと言われても、太平洋の真中でシロナガスクジラと泳ぐ事を取る。サイズが大きいというのは、とても神秘的なのだ。それから僕は、不思議な不思議な魚であるマンボウを見る事に、非常なる喜びを感じる。水族館にいるマンボウは、せいぜい3メートル程度の体長しかないのが、本当に残念だ。あの大きな眼、エサを摂取する時の信じられない位ゆっくりとした口の動き、微妙な灰色を帯びた輝く肌(?)。マンボウは、何を目的に生存しているのだろう?だが、人間にマンボウに生存の意義を問う資格はあるのだろうか?マンボウは僕にとっての自分の人生を映し出す合わせ鏡であり、僕が水族館でマンボウと対話する時間は、格闘家が禅によって自身の格闘生活の意義を問う時間と同じような、精神的に重要なひとときなのである。
◆ 大学の入学式を終え、初めてキャンパスを歩く。部活動やサークル活動への新入生への勧誘は、本当に凄まじい。僕はガタイが良いので、運動部からの誘いが激しい。特にバスケット・ボール部は熱心だ。何しろ僕の身長は190センチである。でも、軽音楽部でジャズを演奏する事に最初から決めていたのだ。
◆ でも僕は、柔道部にも入部した。それは、たいしてトレーニングもしていなかったのに、試合でも勝ってしまう位に強かったからだ。体調の維持にはうってつけだ。ただ問題は、寝技が苦手な事だ。何しろ、寝技に入るとメチャメチャに弱い。身長が160センチの相手でも、横四方固めに決められると、身動きが出来ない。だけど本当は、弱い事に問題があるのではなく、寝技に固められて身をよじっていると、どうしてだか「ウフフーン」と口走ってしまい、それがとても恥かしいのだ。
◆ ある日、体育館に畳を敷いて、柔道の練習をしていた。「ヤーー!」とか「トオーー!」とか声を出すと、自分の声が低いのに本当に驚く。まるで、自分の声が深い地底から響いて来るかのようだ。すると、体育館の入り口から、脱兎の如く走って来るヤツがいる。そして僕の手を取った。手を取るというか、僕のデカい右手の指の二本づつを掴んでこう言った。
「やー、君こそ我々が探していた理想のベースだ!是非、我々のグループに参加してください!」
聞いてみると、彼らは5人組のコーラス・グループで、最近、ベース担当者が脱退してしまったと言う。その男はかつて柔道をやっていて、次のベース担当者も柔道出身者にしようと、メンバーと話し合っていたというのだ。だけど、どうしてベース担当者が必ず柔道出身者にいると考えたかは、分からない。今日、偶然にも体育館の脇を通過しようとしていると、体育館から凄まじい重低音が響いてきたのを聞いたのであった。それで僕を発見したのであった。そういうワケで今でも僕は、コーラス・グループの"ミステリー・サークル"に在籍しているのだ。
◆ 僕の理想の妻たるべき条件は決まっていた。料理が上手で、和食、特におでんと肉ジャガとハンバーグ(和食じゃない?)の味が良い事。美人な事、特にキャメロン・ディアスに似ていれば申し分ない。そしてモチロン、音楽を愛する事。特にリコーダがウマければ理想的な事態だ。最近、ついに、以上の条件を兼ね備えた女性を発見する。少し残念なのは、キャメロン・ディアスにチョット似ていない事だが、それは仕方がない。日本人でキャメロン・ディアスに似ている人物は、今まで見たことがない。喜ばしいのは、彼女が僕の初恋の小学校の先生に、僕のイメージの中では、とても似ている事だ。よく考えてみれば、僕は今まで、先生に似ている女性しか探していなかったのかもしれない。彼女は、先生のようにリコーダから非常に良い音を出す。今でも、僕のリコーダからは良い音が出せないというのに。それはまるで、シュモクザメの頭部がハンマーの形をしているように、ベース担当者が必ず柔道出身者にいると考えた彼の発想と同じように、九官鳥が人間のモノマネをする事のように、とても神秘的な事なのだ。
おしまい 2002.1.27
Special thanks to Katsu and Yoko

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続まんぼう
◆ 音楽の授業はどちらかと言えば、好きではなかった。それは、小学校の教科書に出ているような童謡などは嫌いだったからだ。僕は、「春のうらーらーのー、隅田川ーー」と、歌うのはゴメンだった。東京23区を流れる川について、どうして歌にして伝えなければならないのか?隣りの家のお兄さんが聞いていたビートルズ、これが実にイカしてたのだ。僕の初恋の人は、小学校の音楽の先生であったが、これとそれとは話が別だ(?)。「ウォンチュー、プリーズ、プリーズ、ヘルプ・ミー!」とか、「君はファンキー・モンキー・ベイビー!」とか、叫びたい気分であった。
◆ だけど、当時の技術では、イヤサ、現在でも、縦笛でビートルズは吹けない。学校からの帰り道、友達と吹くのは童謡でしかなかった。でも、それは辛くもカッコ悪くもなかった。楽器から音が出せる事、これこそが楽しい事だったのだ。いつの日か、リコーダを自由自在に吹けるようになりたかった。成長するにつれ、リコーダのことは、綺麗さっぱり忘却していた。だが、楽器演奏は本当に楽しい事だけは、自分の肉体が記憶していた。だから僕は今でも、トロンボーンを演奏したり、コーラス・グループで低音部をボボンボンボ〜〜ンンと担当したりしている。
◆ リコーダは、実に簡単な構造の楽器である。息を吹き込めば、誰にでも音が出せる。だが、ここからが大変だ。なかなか、スカスカ音のレベルから脱却できない。まず、リコーダに送り込む息の質と量を、適正に保つのが非常に難しいのだ。これをキープできなければ、効果的な抑揚、即ち、良いビブラートを加える事が出来ない。また、音程を変える為には、リコーダに空けられた小さな穴を指で押さえたり離したりする。この小さな穴を完璧に塞ぐのが、大人には結構大変なのだ。特に身長190cmの僕は、指もそれなりにデカく、小さな穴を塞ぐ微妙な感覚を捉えるのに、非常に苦労をする。この面で言えば、女性の繊細な指先というのは、リコーダの穴を押さえるのに適しているらしい。
◆ 僕のトロンボーンのテクニックは抜群である。自分でホレボレする位である。でも、リコーダは苦手だ。僕の妻はリコーダの名手だ。夫婦でお互いの短所を補い合う、うーん、何と理想的な関係だ!理想の女性の出現を待った甲斐があったというモノだ。
◆ トロンボーンという楽器のサイズの大きさ、金管の輝きの美しさ、大地を振るわせるような音の雄大さ。これらは全て、大海を優雅に遊泳する、生物の神秘的な美しさを具現する魚、あのマンボウの性質と共通するのだ(?)。最大のマンボウはいったい、何メートルに達するのだろうか?一度でいいから、太平洋のド真中で、マンボウを釣り上げてみたい。そして、魚拓を取って部屋に飾ってみたい。だが、そこには問題がある。まず第一に、5メートルに達するような紙は、入手が難しい。それに、紙があっても、5メートル四方の魚拓を張る壁も天井もない。日本の住宅事情は厳しいのだ。そして第二に、マンボウを魚拓に取っても多分、それをマンボウと信じてくれる人はいない。マンボウの膚(?)には凹凸が少なく、「お前、それは魚拓じゃなく、自分で筆で描いたんだろう?」と言われるだろう。ひょっとしたら、マンボウの魚拓は、ノッペリとし過ぎて面白みに欠けるのかもしれない。
◆ 魚というのは本当に不思議だ。シュモクザメの他にも、チョウチンアンコウ、コバンザメなどがユニークだ。大洋のどこかに、体長が10メートルに達するイカが生存しているらしい。イカす話だ。いったい何人前のイカソウメンが作れるのだろう?また"生きた化石"と言われるシーラカンスにも興味がある。何億年も生存し続けていると考えるだけで、僕の血液の中のアドレナリンは急激に増加する。魚ではないが、カブトガニというのも、興味を惹きつける生物だ。カブトガニも"生きた化石"と称されているが、何億年もその姿に変化を加えないという事は、彼らは彼らなりに、進化し切っている証拠であろう。彼らは現在でも、快適に地球上で生存し続けているのだ。これも、僕の持っている楽器のトロンボーンと共通する事項だ。トロンボーンも、いつまで経ってもその形状に変化が無い。そして、僕の音楽生活も私生活も、極めて快適だ。
◆ 古いと言えば僕は、太平洋に浮かぶ孤島であるイースター島に太古から存在すると思われる、あのモアイ像に非常なるシンパシーを感じる。どうして人間が生存するのには全く適さない孤島に、どうしてあのような巨大な石造が林立しているのだろうか?それも一つの方向だけを向いて、水平線の彼方から飛来する何かを待つようにして、立ち尽くしている。デカくて古い!僕の背筋に電撃が走ったと思えるくらにドキドキする。その長い顔は、法隆寺の仏像と同じ位に思慮深い表情を湛えている。思えば、世界には、エジプトのピラミッドをはじめとして、ナゾの石造巨大建築が本当に数多く存在する。1万年前の氷河期、現在とは異なる文明社会が地球上に存在したらしい。彼らは、どのような生活をし、どのような道具を使用し、どのような楽器を使用し、どのようなギャグを飛ばしていたのでろうか?日本の渋谷に、待ち合わせの名所として、モアイ像が置かれ使用される事を、予想し得たであろうか?それが、プロレスラーのハルク・ホーガンに極めて似ている事を知り得たであろうか?
◆ している。彼女達が繰り出すそのサウンドは、小学校からの帰り道にリコーダを吹きながら見た夕焼けのように、南太平洋に浮かぶ珊瑚礁と周辺の青い海面のように、人が寝静まっている頃に麦畑に作られると言われるミステリー・サークルのように、神秘的な美を体現している。リコーダの合奏という知的なゲーム、彼女達のゲームは常に勝利である。リコーダ・・・彼女達は、利口だ。
おしまい 2002.2.10

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ナルシスの変貌
◆ アトリエの壁の四方向のうちの二方向は、ガラス張りの窓である。ガラス窓越しに、枝のクネクネ具合がユニークな木々のある、小さな公園を望む。日常生活を送るには騒々し過ぎると思われガチな都心ではあるが、人の心を和ませる、ある種の包容力のある、枝ぶりの良い古木は、丹念に探せばこんな地域でも見つかるものだ。密集するビルディングを抜けて、郊外へ向かう街道の沿道にある、わずかではあるが生育している木々。自宅の窓から紅葉を眺める事の出来る、贅沢でアンニュイな12月の日曜の午後。次の芸術作品の構想を練りながら、椅子に腰掛けて、彼女はセイロン・ティーを飲んでいる。
◆ 落ち葉がはらはらと落下して行く様子を見て、どうして木の葉は非常に複雑な曲線を描きながら落ちて行くのだろう、と考えている。世界が誕生して今日まで、今落ちた木の葉と同じ落下曲線を描いた木の葉は存在しないのである。それは、将来の幸福が完全に約束されていると占い師に見せるたびに告げられる彼女の手相が、真に彼女だけのモノで、過去には同じ手相の人間は存在しなかったのと同じである。同様に、彼女の絵筆が紡ぎ出す筆触は、それぞれたった一度キリのモノである。たった今キャンパスに現れた筆触を、彼女は非常に大切にする。絵筆の一振りの積み重ねが、これから完成される作品の重要な一部分を構成するのである。
◆ 彼女は芸術家で、特に油彩画のオーソリティーである。芸術作品を生み出すには、適度な静寂と適当な陽光が必要不可欠である。彼女の生まれ育ちは東京の都会の只中、雑踏の中で成長したと言っても過言ではない。だが、彼女の芸術的なアイディアを熟成させるには、どうしても自分自身を静寂の中に置く必要がある。そして"樹木"という触媒が必要なのである。"樹木"は、静寂の象徴なのである。絵画という芸術作品、完成された後の画面は固定され、永久に動く事はない。彼女の、小さな物音にも乱れる繊細な心理状態は、自然の象徴としての木を見つめる事によって、制作にうってつけな静的な状態に導かれる。彼女の精神がある種の静的なトランス状態にある時、彼女に絵筆は永遠に賞賛されるべき絵画作品を制作する為に動かされるのである。
◆ しかし、生粋の都会育ちである彼女は、木がイヤッというほど生い茂っている人口密度の少ない地方で生活をする事は、どうしても出来ない。寂しいし、第一に彼女は怖がりだ。怪談なんてものが聞こえてくると、急いで耳を塞いでしまう。静寂に包まれていたいのは、芸術作品に手を染めている時だけだ。それに、一日に一度は、雑踏の中に繰り出さないとヤっていられないのである。渋谷の駅前のスクランブル交差点で、前方から来る人と衝突しそうになり、当たる直前に華麗なステップでササッとよけ切る、あのスリルがたまらないのだ。その時のイメージは、彼女としては、世界的スキーヤーのアルベルト・トンバなのである。人込みをすり抜ける時のアクションが、トンバの超高速スラロームのイメージと重なるのである。実はトンバは、"トンバ・ラ・ボンバ"というニック・ネームを頂戴しているが、日本語に訳すと"爆弾トンバ"と、ちょっとオマヌケ君になる。また、モーグルの里谷多英のアクロバティックなジャンプもよく見ていたが、自分では"私のフェイスって、スーパー・ガールの多英チャンにそっくり!"と非常に大きな勘違いをしている。
◆ 大都会の中での静寂と雑踏、彼女の中で一つの矛盾とも呼べる状態で並存する欲求を満足させ得る、この理想的なアトリエを見つけるのに、5年の歳月を費やした。渋谷まで30分はかからない。広さも申し分ない。ある程度の大きさの作品なら、この部屋だけで制作出来る。春先には、こんなにも都会だが、木の枝にウグイスが飛来する。
◆ 部屋の片隅には、何とサンド・バッグが吊り下げられている。彼女は、ボクシング・マニアなのだ。実際に試合で戦うところまではいかないが、サンド・バッグを思い切りぶっ叩くのが日課となっている。自分のボクシング・スタイルは、イベンダー・ホリフィールドに近い、と勝手に思い込んでいる。オヤジ・ギャグにも造詣の深い彼女は、「僕さあ、ボクサー!」とつぶやき、自己満足の真っ只中にいる。スポーツ全般を難なくこなすアスリートである彼女は、近いうちに、ロック・クライミングやトライアスロンに挑戦したいと、本気で思っている。最も好きな映画は、あの有名なボクシング映画の"ロッキー"で、主人公の"イタリアの種馬"についつい自分をオーバーラップさせてしまう。"ロッキー"のラスト・シーンのように、後楽園ホールでタイトル・マッチを終えた自分が恋人を呼び寄せて、リング上で激闘後の抱擁を交わすシーンを夢想してしまう。しかしよく考えれば、役柄としては男女が逆なのであるが、彼女にとっては、激闘後の抱擁が交わせれば男女の役柄についてはどっちでも良いのである。女対女は、ちょっと願い下げではあるが。ちなみに、彼女はミッキー・ロークの猫ジャラシ・パンチだけは、絶対に許す事が出来ない。
◆ 元々彼女は、風景画家志望であった。19世紀の中頃に活躍した、コローが目標であった。コローは、フォンテーヌブローの森に引きこもり、幾多の傑作を描きあげた。淡い光の中でも確固たる存在感を示す、野山や木々。その絶妙なバランス感覚と独自性が、彼女を惹きつける。戸外での制作に没頭するには、コローのように都会から離れて生活しなければならない。だが、それは不可能だった。彼女は一度、軽井沢で生活した事があった。軽井沢という所は、休日は原宿並の混雑ぶりになり、決して寂しくはならないだろうと思った。だが、平日は寂しいし、夜にはフクロウは鳴くし、時にはUFOが見えたし、やはり夜は怖い。
◆ 彼女はきのう、油彩画を描きあげた。タイトルは、"倫敦橋の上の玉葱がある自画像"だ。見紛う事無き前衛絵画である。風景画から前衛絵画への飛躍は唐突に見える。だが彼女にとっては、自然な事だった。風景を在るがままに描写するように、前衛絵画を描く事は、都会で生活を送る彼女の心象の完全なる描写なのである。
◆ 現代の建築物、殺風景なビルディングのエレベーター・ホール。そこに飾られる絵画は、コローによる巧みな描写の風景画やミレーの描く素朴な農民の姿では、いくら名画でも場違いになるであろう。やはり、ある意味で無機的な、前衛芸術作品でなければならない。現代建築にマッチする現代的芸術作品の制作、これが彼女の目標である。
◆ 彼女の現在のフェイバリット・アーティストは、20世紀最大の前衛画家でシュールリアリスムの旗手、サルバトール・ダリである。ダリは、1904年にスペインのカタルーニャで生まれた。カタルーニャは現在はスペインの一地方であるが、独自の輝かしい歴史を持った地域でもある。その独特の風土と歴史的な背景が、ダリというユニークなアーティストの人間形成に、大きな影響を与えたのかもしれない。作品としては、"記憶の固執"や"茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)"、あるいは"ナルシスの変貌"などが有名である。特に"記憶の固執"は、ダリの諸作品の中でも最も有名とされ、ぐんにゃりと曲がった時計が枯れ木に垂れ下がっている構図は、"記憶の固執"という題名以上に人々の脳裏に焼き付いているモノであろう。だが彼女は、"記憶の固執"がダリの最も優秀な作品とは考えていない。ダリの画業の頂点は、1929年であると考えている。1929年に制作された作品はいずれも、他の人間には模倣が不可能な独自性に満ちている。その画面は、非常にダーティーで破壊的で衝撃的なイメージを見た者にもたらす。それ以前のダリの作品は、キュビズムの諸作品やミロやキリコなどの影響を、未消化のままに提示している。また、以降の作品は、彼女に言わせれば、1929年の作品の自分自身によるイメージの模倣である。このダリの作品に対する見解は、あるいは一面的すぎるのかもしれない。後年のダリの作品も成熟して、優れた作品が多い。だが、一人のアーティストがそのエネルギーを一度に発散する時期はある。彼女が信じた通り、ダリの1929年がその時期に当たるかどうかは、何とも言えないが。
◆ よせばいいのに彼女は、ダリの作品の優れた点を解説する時に、必ず、「ダリって、ダーリだ?画家よ!がっかり?」と、付け加えてしまう。従って、それがどんなに優れた意見でも、空気が寒すぎで誰も聞いていないのである。
◆ アルト・サックスを抱え、譜面を見つめたまま、考えに耽っている。サックスという楽器が搾り出す音、それは精神の静寂を求める彼女の、更に別の一面の表出である。彼女の饒舌ともいえるアルト・サックスのプレイは、非常に激しく熱い。彼女の内面では、沈黙の世界に起立する美術製作に対する欲求と、敷き詰めた音が永遠に持続していくかの如くサックスの旋律を奏でたいという衝動、この両者が一体化して存在する。そして一体化して出来た何かが、製作された巨大なオブジェの様に精神の重要な位置に存在し、鎮座しているのだ。
おしまい 2002.1.12
Special thanks to Miwako

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幸福 part III
◆ 彼女は、朝食を摂りながらテレビを眺めている。7時のニュースの直前の星占いのコーナーをチェックするのは、彼女の欠く事の出来ない日課である。人の運命は、天高く輝く星座の運行に委ねられていると、固く固く信じている。人間は大宇宙のホンの極々小さな構成要素の一部分、塵芥と何らかわりない。従って、大らかな天体の動きが、潮の満ち引きに影響を与え得るように、人間の些細な運命が、天体の動きに影響を受けたとしても何ら不思議な事はないのだ。彼女は、9月14日生まれの乙女座である。占いによると乙女座の今日は、金運・健康運・恋愛運、共に超スペシャルなラッキー・デーである。特に恋愛運が絶好調。何しろ、ステキな出会いが待っているのだ。ラッキー・カラーは赤なので、赤いセーターを着て出かける事にした。現在は彼女にはカレシがいない、新たな出会いがメチャメチャ楽しみである。
◆ だが待てよ、となると・・・。全人類の約12分の1は、乙女座の生まれである。今週末の土日あたりになると、今日の素敵な出会いの結果、新宿東口アルタ前の広場あたりでも、抱き合っている乙女座のカップルが大量に発生するハズではないか?まあ、そんな事はあり得ないしても、ラッキーな星座が一日一つあるとすれば、論理的には、12日に一度くらいは乙女座は必ず、最もラッキーな星座なのである。少なくとも、素敵な出会いが2ヶ月に一度くらいはあって良いものだ。
◆ 年が明けて1月1日になった。明治神宮に初詣に出掛ける。勿論、理想のカレシとの出会いを節に求めて、心を込めて願をかけるのだ。オミクジを引いたところ、今年は"大吉"である。結婚に最適なのは来年で、今年は重要な出会いがあるそうだ。だがよくよく考えてみるならば、全オミクジ中、大吉の割合は何パーセントだろう?大吉を引いた人間は、全員幸福になるのだろうか?彼女のクジ運は非常に良く、生まれてコノカタ、"凶"のオミクジは手にした事はない。だが、現在の彼女は金持ちでもないし、カレシもいない。不思議だ。まあ、目も当てられないほど不幸でもないのだけれど。
◆ 神社で買う事の出来るオミクジとういうのは、実に不思議だ。お堅い文章で、どこかの誰かが、人間の運命を完全に牛耳っているかの如く、極めて断定的に書いてある。それを読むと、オミクジを信じない事はとても不自然で、極論すれば冒涜に値するかのように思える。悪い事が書いてあると、プレッシャーにまでなってしまう。人の婚期まで、断定的な記述である。彼女の婚期は来年で、それまでに相手をゲットしなければ、オミクジで指示のある通りの幸福な人生が送れないのか?伴侶がゲット出来うる幸運が来るというのに、逆に彼女はアセッた。だがアセッたのは大体、15分程度であったろうか。
◆ 彼女は、会社の帰りに本屋に立ち寄った。占いが掲載されているお気に入りの雑誌を買うのだ。財布から、500円の図書券を取り出した。この図書券は、昨年の会社のクリスマス・パーティーでのビンゴ・ゲームでゲットしたものだ。彼女はビンゴも強い。この時も最初にビンゴを当てたのは彼女だ。1等の賞品として小さな箱と大きめの箱を提示され、大きい方が良いモノだという人間の心理を逆手に取ったつもりで、小さな箱を選択した。小さな箱は図書券で、大きめの箱は10万円相当のデジタル・ビデオ・カメラであった。
◆ 雑誌の占いによると彼女は、動物では"ラクダ"に該当するという。平素の彼女は声が大きく、ハキハキを自分の意見を表明し、ネジ曲がった見解に対しては絶対にスジを通そうとして、時には相手を選ばず怒ってしまう事も。そんな彼女も、自分が"ラクダ"であるという占いには、まるで子羊のように従順に従っている。ちなみに、今月は"ラクダ"にとっては超ラッキーな月である。
◆ 昨日、会社で部長に呼ばれた。
「君は女性であるにもかかわらず成績優秀で、いつも感心している。ボーナスも相当に良かったじゃないか。」
「有難う御座います。ところで何の御用でしょうか?」
「ところで、今年の花見幹事は君がやってくれないかね。頑張ってくれたまえ。はーっはっはっは!」
何が、「はーっはっはっは!」だ!花見幹事とはご立派な呼称だが、早い話が花見の場所取りである。わが社は、男女間の偏見も無く風通しの良い気風ではあるが、こんなトコロまで男女同権とは!
◆ 朝から、全く乗り気のしない、公園で花見の場所取りである。敷物を敷いて座り込んで、ペット・ボトルの緑茶を飲みながら、一人で桜を見ている。今日は快晴で、桜の枝からのぞく空が限りなく高い。タマには仕事もせず、青い空をいつまでも眺めていたい。こんな事なら、花見幹事に立候補して、毎年場所取りをやろうと思う・・・ワケないか。
◆ 花見の席で、同僚にこう言われた。
「ねえ、貴方って大雑把な性格ね。悪い意味じゃないのよ。貴方の血液型ってB型でしょ、絶対そうよ!どっかの名誉監督と同じ!典型的ね!」
ちなみに、彼女の血液型はA型なのだ。実際の彼女は几帳面で、部屋は全て整頓され尽くしている。チリ一つ無い。どうしていつも、人は自分の血液型をB型と、決めつけるかのように言うのか?
「えー?アユミも水瓶座のB型!?わーい、同じ同じ!」
ナゼ人は血液型の話題で宴会を盛り上げ、そのネタだけで30分間も喋り続ける事が可能なのだろうか?血液型によって人間を判断するなんて、星占いと違って、論理性に欠ける(??)。ニューヨークのビジネス・マンが、ブッシュ大統領の血液型についてウンチクを傾ける、なんて話はあるのだろうか?イギリスのブックメーカーが、今年のツール・ド・フランスのオッズを選手の血液型で決める話なんてあるのか?多分、血液型の話で盛り上がっちゃうのは日本人だけだ。だが少なくとも、血液型の話題でこんなに盛り上がるという事は、多忙でキリキリマイしているビジネス・マンのストレス発散の一助となっているのであろう、彼女はそう思った。
◆ くじ運は良いが、幸福に満ちたバラ色の人生を送っているワケではない。だが、世の中の不幸を一身に受けたような生活を送っているのかと言えば、そんな事はない。だが、占いを信じるという行為自体が、彼女のエネルギーの源である。生き馬の目を抜くかのような過当競争に満ち満ちている現代のビジネス社会、女性であっても大都会のド真ん中で逞しく強く生きて行かねばならない。昨日よりも良いであろう今日をという日を信じて、いや、それほどでもないのか、単なる一つの趣味として、今日は靴を右足から履こうか左足から履こうか考えている。
◆ バリトン・サックス、それは、とてつもなく重い楽器である。しかも、この楽器を演奏するには、十分な肺活量と弛まぬ鍛錬を必要とする。彼女は何の苦も無く、軽々とこの楽器を扱う。彼女にかかかると、バリトン・サックスのメロディーはまるで、楽器の低音からは連想されるべくもない、散り行く桜の花弁のような軽やかさである。私生活でも楽団の中でも、関係する人々の全てを、文字通り、底辺から支え続ける。
おしまい 2002.4.28
Special thanks to Akiko

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キャンドル・サービス
ハチ:「キミとボクもかなり長い付き合いだが、まだキミについてボクは十分に理解しているとは言い難いな。いつも色々と意外で面白い事をやってくれるねえ。そういえば、キミの結婚式の披露宴もかなりかわってたねえ。」
アリ:「そうかなあ、どういうところが変だったかな?」
ハチ:「キミがマニアックな音楽が好きなのは知ってるが、どうして披露宴に相応しいとは言えないマイナーのキーの曲ばかり選ぶのかね。新郎新婦の入場のテーマがキング・クリムゾンの"クリムゾン・キングの宮殿"だったり、ケーキ入刀の曲が"トッカータとフーガ、ニ短調"だったり、キャンドル・サービスの曲がサンタナの"ブラック・マジック・ウーマン"だったりするんだい?そんで、お開きの曲がジョン・コルトレーンの"アセンション"というのも、世間一般の常識的にはちょっと問題だよ。
アリ:「いやいや、メジャーな曲も1曲あったよ。」
ハチ:「あったよ、じゃないよ!どうして両親への花束贈呈という、出席者の涙をちょちょ切れさせる、お約束の大事な場面で、"スター・ウォーズのテーマ"がかかるんだ!」
アリ:「盛り上げようと思ってさ。"ロッキーのテーマ"の方が良かったかな。」
ハチ:「もー、キミは分からんねえ。ところで、あの司会者のシャベクリもヘンだったよ。あれは一体誰なんだい?」
アリ:「あれはデストラァデって言って、アメリカから来た、昔は野球選手だった人なんだよ。」
ハチ:「どこで見付けて来たんだ?確かに外国人にしては日本語がウマいけど、どうしてわざわざ外国人の司会者を採用したんだい?」
アリ:「盛り上げようと思ってね。本当は、ボブ・サァップていう人が最高なんだけど、最近忙しいみたいでさ。」
ハチ:「そいつも誰だか分からんね。ところで、どうして入場の時、新郎のキミが羽織袴の時に新婦がウエディング・ドレスだったんだい?」
アリ:「寝ないで考えたんだが、入場曲の"クリムゾン・キングの宮殿"には、あの組み合わせが最もフィットすると分かったんだよ。まさに、幸せを呼ぶ組合わせだよ。」
ハチ:「あきれてモノが言えないね。だが不思議なもんで、ボクだけだったかもしれないが、キミ達が入って来て5分位は、組合わせがおかしいのに気付かなかったよ。それはそうと、キャンドル・サービスの時に点火されたキャンドル、あれはどうしてゴジラの形をしていたんだい?」
アリ:「失敬な!あれはティラノザウルウスといって、太古の昔に地球上に生存していた巨大生物をかたどったものだよ。悠久の歴史を振り返り、過去に存在した幾多の生命に敬意を表するという、この気高い意図が分からないのかね!」
ハチ:「???・・・・・・す、すまん。ところで、フランス料理のフル・コース、あれは素晴らしかったね。余りにも美味だって、みんな誉めていたよ。」
アリ:「やー、意表を突いただけだよ。」
ハチ:「???。料理は良かったが、余興の古典落語はなんだい。落語は良いんだが、どうして披露宴で古典落語を1時間も聞かされる必要があるんだい?」
アリ:「あの落語家は友達なんだ。いつの時代になっても、良いものは良いんだよ。伝統は引き継がれていく必要があるんだ。」
ハチ:「伝統と言ったって、時と場合と長さってのがあるんじゃないかい?それに、その後に出てきた騒々しいハード・ロック・バンドは何だ。メンバー4人が化粧して、時代を間違えたんじゃないかって位にカカトの高いロンドン・ブーツを履いて、ギター・ソロの途中にギターから煙が出て来るし、曲の最後にベーシストが火を吹いたりして、キミの会社の社長のポケット・チーフが燃えちゃったじゃないか。」
アリ:「4人とも友達なんだよ。」
ハチ:「キミの友達は地獄からの使者か?ところで、披露宴の後は、出口で新郎新婦がお客様に記念品を渡すってのが通常のパターンだが、全く何もなくあっさり帰されたんだけど、あれって、あれでいいのかい?」
アリ:「最後にウイニング・ランとして披露宴会場を一周しようかと色々考えたんだけど、考えているうちに挙式当日になっちゃったんだよ。」
ハチ:「何だそりゃ?ところでボク達は、どうしてアリとハチの恰好をしてるんだろう?」
アリ:「・・・・・・(ムシ)。」
おしまい 2003.1.29
Special thanks to The Nuigurumi Bros.

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ボクの恋愛相談
◆ ボクの元には連日、様々な女性が訪れて来る。職場では、女子社員がボクの机までやって来る。寝る頃になると決まって、女の娘から電話が来る。土日になると、どこかの喫茶店で女性と喋る。だが残念ながら、モテモテ男なのではない。みんな、ボクに人生相談、それも大抵は恋愛について助言を求めに来るのだ。ボクは自分では、特に相談に対して適切な助言をしてあげているつもりはない。相談中のほとんどの時間は、ウンウンと頷いているだけだ。みんなは、ボクの事を最高の相談相手だという。本当にそうなのか、自分では分からない。だが、毎日誰かしら、ボクに打ち明け話をする。
◆ ボクは決して、自分はハンサムだとは思わない。会話は好きだが、人前で話をするのがウマいとは思わない。むしろ、苦手だと言った方が正しい。ただ、ボクは生まれてから今日までの間に、烈火の如く怒ったという記憶がない。少なくともボクは、温和な人間だ。人はボクと一緒に居ると安心すると、よく言う。それはそれで有り難い事だし、ボクの事を誉めてくれるのは、それはそれで嬉しい。でも、不思議なものだ。
◆ 飲み屋での宴会などで、スタートから小一時間も経過すると、酔った女の娘が隣に座って来る。大概の娘は、悩みに悩んでいるらしく、もう泣き出さんばかりの勢いで、自分は世界で一番不幸を背負っているのだと打ち明ける。勿論ボクは口が固いから、打ち明け話の内容を他人には言う事はない。最初は、真顔で神妙に聞いているが、時間が経過するに従って、ボクの口元には微笑みが浮かんでくる。どうして?と聞かれても、自分でも分からない。どうも、この微笑が女の娘を安心させるらしい。ボクは女の娘に、マジメな答えをした試しがない。
「私のあの人、ちっともこっちを向いてくれないんだけど、どうすればいいの?」
「そういう時は、九十九里浜へ行って、水平線に向かって、私をマダガスカルに連れてって!って大声で叫べはいいのさ。はーっはっはっは!」
「それ、どういう意味?きゃははははは!」
自分でも全く意味が分からない。だが大抵、こうして人生相談は爆笑のうちに終了する。彼女達に、マトモな解答など与えてはいない。だが、きっとこれでいいのだ。悩みというのは人それぞれ。マトモな解答を与える事も、可能なのかもしれない。だが、その解答を実行に移す決断をするのは、自分自身だ。要するに、悩みを解決するのは他人ではなく自分なのだ。ボクは多分、相談相手の手助けをチョットだけしてあげているのに過ぎない。ひょっとしたら、彼女達はボクと何か話す事によって、体内に蓄積された"悩み"という毒素を拡散させているだけなのかもしれない。きっと、これでいいのだ。
◆ しかし、これでいいのだ、と済ませる事の出来ない悩みもある。それはボク自身の悩みだ。今日まで、本当の意味で人を愛した事がない。愛された事もない。一つ確認したい事があるのだが、ボクは今まで一度も愛された事がないのだろうか?ひょっとして、ボクは鈍感で、自分が愛されている事に気付かなかっただけではないのか?何しろ、こればかりは確認のしようもない。それに、相談相手がいないし、自分で自分に対して相談を持ちかけるワケには行かない。風呂場の鏡に語りかけても、解答が出てくるワケでもない。もしかして、今まで相談を受けてきた女性の中に、本当はボクに愛を打ち明けに来たヒトもいるのではないだろうか?愛とは何だろう?
◆ ボクの部屋は、かなり居心地が悪いらしい。ボクは毎日、こんなに快適に生活しているというのに。お客は部屋に入ったとたんに、みんな一分も経たずにスグに帰ってしまうのだ。ボクが突然オオカミに変身して、女の娘が逃げ帰るというパターン、などではない。どこから入れたのだろうと自分でも信じられないくらい巨大な水槽に、ブルーのライトを当てて、神秘的な雰囲気を漂わせている。水槽の中には深海魚がクネクネと遊泳している。名前は忘れてしまった。何しろ、古代ギリシャの哲学者のようなややっこしい名前なのだ。部屋の中央にバーのカウンターのような背の高いテーブルを置き、これまた背の高い丸椅子を置いている。夏の暑い日にここに座ってクリーム・ソーダを飲むと、これがまたウマいんだ。流れている音楽は、デジタル・ビートのダンス・ミュージックに限る。ドンチキドンチキドンチキというビートの無機的な連続が、ボクのハートをいつもトリップさせてしまう。
◆ ある日、ヒカリという娘がボクと会う事となった。友達がやっているロック・バンドでキーボードをやっている娘で、ナゼかボクのジャズのバンドを見学に来たのだ。ボクはトランペットを吹き、自分でも結構いい線いってるー!とエツに入ってるのだ。ヒカリは、相談したい事があって、是非ウチに来て話したいという。初対面なのに、いいのか?まあ、いいか。だが、ウチに入ってカウンターのようなテーブルに座ったとたんにヒカリは、
「落ち着かなーーい!」
と叫んで、部屋から逃げ出してしまった。ボクは走って追いかけた。
「おーい、ゴメンゴメン、じゃあ場所を変えよう。」
で、ボク達は、近所にある小奇麗な中華料理店に入る事にした。
◆ ボク達は、水餃子と蟹炒飯と杏仁豆腐を食べる事にした。きいてみるとヒカリの年齢は、何とボクと15も違う。いつものように、彼女の打ち明け話をきいた後、他愛のない話題に移っていった。ヒカリは満足そうだ。だが、今日はボクも非常に満足した。今まで相談相手になってあげた娘達とは、何かが違った。ボクは、生まれてはじめて、この人を守ってあげたい、と思った。こんな出会いもあるものかと、とても不思議だった。ボクは、梅雨空から雲が一掃されて快晴になったような、トランペットのハイ・ノートの最高音が1音上がったような、カウンセリングを受けて全ての問題がクリアされたような、晴れやかな気分になれた。
おしまい 2002.9.10
Special thanks to Kaori and Akki

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再会
◆ 久しぶりに、学生時代に通学に使っていた電車に乗った。途中で停車した駅で、電車の窓越しに見た景色を見て、驚いた。その駅の傍には、以前は彼女の通った自動車教習所があったのだが、そこには、いつのまにかビルディングが建っていたのである。自動車教習所には、良い想い出があるワケではない。むしろ、忘れてしまいたい記憶と言った方が適切なのかもしれない。強いて良かった事と言えば、自動車の免許が取れて非常に安心したのと、クリス・ペプラーによく似た好青年と友達になれた位のものである。ドジな自分としては、免許取得までの実習がスムースに行ったとは、とても言えない。どうして、教官のオジサンはワタシと初対面であるのに、初心者であるワタシの運転技術に対して、ネチネチと難癖をつけなければならなかったのか?考えて見れば、教官のオジサンに支給される給与の元手を作っているのは、こちらの方である。人間、もう少し優しくなれないものだろうか?
◆ 自分にとって、良い想い出があり得るワケもなかった自動車教習所、だがナゼか、なくなってみると非常に寂しかった。自動車教習所というのは、自分にとっては青春の記念碑であったのに!と感じられたのが、とても不思議である。自動車免許の取得には、多大なるエネルギーを浪費した。車線変更、車庫入れ、坂道発進・・・あの苦闘の日々があったからこそ、江ノ島まで突っ走る深夜の楽しいドライブ、首都高速での爆走、一人での運転の時のストレス発散の為の車内での絶叫、イロイロと有意義なマイカー・ライフが、今では可能なのだ。それを、ワタシへの断りもなく(?)、いつのまにか"母校"を廃校にしてしまうなんて・・・。空しい風が、心の中で流れている。
◆ 教習所で知り合ったクリス・ペプラーによく似た青年は、DJを目指していた。"DJ"というパフォーマーに対する概念は、昔と今では大きく様変わりしている。以前は、DJ (ディスク・ジョッキー) といえば、ラジオなどの媒体を通じて聴衆とコミュニケーションをとる為に、レコードから聴かせたい曲を選曲し、その間にトークを挟んで、プログラムを構成するという形態をとっていたハズだ。聴取者からの投書などを読み、自分の意見や主張を述べ、若者の尊敬・崇拝の対象になっていた場合もある。"ディスク・ジョッキー"と言いながら、レコードから曲をかけている時間が、喋っている時間と比較して、極端に少ない場合まであった。現在では、"パーソナリティー"とか"ナビゲーター"なんていうオシャレな呼称が用いられ、"DJ"と呼ばれるパフォーマーの実態は、少し、と言おうか、大幅に異なっている。
◆ "クリス"くん(?)は、稼いだ収入の多くを、アナログ・レコードの購入にあてていた。今の彼女の部屋には、アナログのレコード・プレーヤーはおろか、カセット・テープレコーダーすら無いのに。"クリス"くんは、彼女の想像もつかないようなレコードの使い方をしていた。一度、彼女は"クリス"くんのパフォーマンスを見た事がある。"クリス"くんは、2台のターン・テーブルを横に並べ、とてつもない器用な手つきで、腰を振りながらノリノリで操作していた。信じられないタイミングで2ツの全く違う曲を繋いて聴かせ、彼女を驚かせた。彼女は学生時代はジャズ研究会に所属して、トロンボーンを演奏していた。一般的な若者とは少し趣味が異なって、全体的に古い時代の音楽が好きであった。それにしても、"クリス"くんの好きなアーティストというのは、彼女の全く知らない名前ばかりであった。
◆ レコードといえば、彼女の睡眠中の夢の中では不思議なことに、同じレコード屋が何度も何度も登場した。近所の坂道を下って、突き当たって左に折れて少し行くと右側に、その古びた外観のレコード屋があった。そのレコード屋には、老舗のジャズのレーベル、"ブルー・ノート"からリリースされたレコードが全て置いてあった。ハンク・モブレーやソニー・クラークなどのジャズ・ミュージシャンが大好きな彼女は、いつも嬉々としてレコードを選び、買って帰った。だが夢の中では、そこから先へは進めない。実は彼女は、アナログ・レコードを買った事がないのだ。意識的に音楽を聴くようになった頃は、もはや新譜は全てCDだったのだ。再発された昔のレコードも、今ではほとんどCDで買える。彼女はデジタル世代なのだ。テレビのチャンネルを"廻す"と言われても、何を廻すのか分からない。電話に付いていた"ダイヤル"なんて、見た事もない。
◆ 清々しく青空の広がった五月の日曜日の午後、そろそろ髪型を変えたいと、いつも行く美容院に予約の電話をかけた。ところが何と、"只今お掛けになった電話番号は現在使われておりません・・・"とキたではないか。その美容院は、我が家から歩いて約10分の距離である。ヒマワリの飾りの付いているサンダルを引っ掛けて、慌てて店を覗きに行った。とあるマンションの二階、美容院のあるハズの部屋はモヌケの空、何もないし誰もいない。彼女は多大なるショックを受けた。ボーゼンとして、商店街をフラフラ歩いた。衝動的に、チューリップの球根を3ツも買ってしまった。単なる美容院じゃないか、などと軽々しく考えてはいけない。彼女にとって美容院とは、髪を美しくセットするだけの場所ではない。美容師というモノは、仕事中によく世間話をする。そこの美容師の彼は、特に聞き上手なのであった。彼は、"ふかわりょう"にどことなく似ていた。だが、ソース顔で男前であった。"カリスマ美容師"とまでは行かないが・・・。彼は、彼女について、多くの事柄について知っているのである。生年月日。幼稚園に入園したその日に、男の子を泣かせた事。小学校3年生の時に、この近所に引っ越して来た事。ピアノが演奏出来るのにもかかわらずナゼか音痴で、カラオケが大嫌いな事。中学校時代の初恋の人は、デートと言えば必ずミスター・ドーナツへ行った事。初めてスキーに行った日、滑り始めたのはよいがターンする技術が無いのでひたすら直進、転んでしまうと真上がリフトで、リフトの上で大爆笑するカップルに向かって、ついつい手を振ってしまった事。マツタケが好きで、シイタケがキライで、エビフライが好きで、エビの天ぷらが苦手な事。姉が一人いて、美人で成績優秀だが、よく携帯電話をナクす事。キリがない。
◆ 美容院というのは不思議な空間だ。友人などとの会話の中では普段しないような、後で思い出すと恥かしいような打ち明け話を、臆面もなく披露してしまうのはどうしてだろう?いつのまにか、美容院がストレス発散の場所になっていたのだ。その美容師クンが聞き上手であるというのは確かであった。その美容院の従業員は、初めて行った時は4人であった。その後、来客の減少とともに一人減り二人減り、結局彼一人で経営するようになっていた。壁は乳白色に塗られ、有線放送からは全米の最新ヒット・ナンバーが流れていた。彼は札幌出身で、彼自身の話によると、高校時代にスキーでインターハイ出場経験があった。だが、余りにも激しい練習の連続に疲れ果て、今ではスキーは全くしていないという。口頭でだが、彼は彼女にスキーの指導をしてくれた。足、手、腰、体全体の使い方。おかげで、スキーは上達した。オマケに、スキー場でのナンパの手口と、気に入らない相手のカワしかたまで伝授してくれた。
◆ お客さんに誘われて、飲み屋には行く。独身で男前でモテモテだと思うのだが、そのヘンの話になると言葉を濁していた。理想の女性は、リサ・ステッグマイヤーであるという。リサは、ルックスが良く、聡明で、性格がバツグンに良いと断言していた。ルックスは確かに良いが、会った事も無いのに、どうして性格がバツグンによいと断定出来るのだろう?確かに、悪そうには見えないけど。いずれにしても、女性に対する理想がメチャメチャ高いのは、まず間違いない。仕事は好きで、一人でいると気が楽だという。だけど、果たして本当にそうだったのだろうか?
◆ 頼りにしていた美容院が突如なくなり、困った。幸い、同じビルにまた美容院が入った。今度は、従業員は女性ばかりであった。話を聞いて見ると、彼は、前日まで予約を取る電話を受けていたのにもかかわらず、一夜にして全てを引き払ってしまったという。行き先は知らないという。突然、身近な人物が、何かの冗談のように、一夜にして消えてしまった。いなくなってみると分かる、自分にとっての彼の存在の重要さ。こんな事態になるのなら、もっと色々と話しておきたかったし、彼についての事柄を聞いておきたかった。いなくなってみるとついつい知りたくなる、彼の過去、未来、理想、私生活。彼女は思う、彼は一人での寂しい生活に疲れ、札幌に帰って地元で美容院を開業しているのだろうと、そう信じている。いつの日か札幌に行った時に、アテは全く無いが、新しくてオシャレな美容院を探して覗いてみようと思う。中には、ソース顔だがナゼか不思議と"ふかわりょう"に似ている男が、お客の話を聞き、スキーの技術について話している事であろう。リサ・ステッグマイヤーに似ている理想の女性と結婚して、幸せな生活を送っているかもしれない。再会できる可能性は多分、限りなくゼロに近いのだろう。人生には"出会い"と"別れ"があり、でも"再会"だってある、そう信じて生きて行きたい。
おしまい 2002.5.24
Special thanks to Miki

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格闘野郎
● 下の文書は全てフィクションです。
◆ 目の前にいる人物を、外見だけで判断してはならない。判断を誤った場合、大きなしっぺ返しが必ず評価者に対して下される事を、常に忘れてはならない。その人物と実力のギャップが大きければ大きいほど、評価の誤りから生じる摩擦も、比例して大きくなる。彼の頭脳明晰、肉体は強靭、精神は崇高である。一見したところでは、彼は至極凡庸なタイプに分類される。内面と外見、コインの表と裏、青と赤、黒と白、猪木と馬場。しかし、その実力を発揮するやいなや、人はその驚異的能力を目の当たりにする事になる。その時に人々は、右の手のひらをクルクルッと回し、「意外ね、意外ね!」と、つい口に出してしまう。
◆ 小学生の頃、彼の最初の格闘ヒーローは、ブルース・リーである。ブルース・リーは、モチロン映画俳優である。彼はブルース・リーを世界最強の人間だと信じ切っていた。現在でも、当時の何パーセントかは、心の何処かで信じている。当時ロードショーされていた映画"燃えよドラゴン"、30回以上は見たであろう。この映画は、映画とは思えない異常に緊迫した格闘シーンで人気を集めていた。ブルース・リーの強烈なカリズマは、現在でも人々の心を捉えている。しかし、日本での公開時点で、ブルース・リーはこの世には存在しなかった。仕方ナシに、彼は限りなく沢山あった、二番煎ジの映画を見続けた。中には、"ブルース・リャン"という、今からすれば怒りさえ覚えるような名前の俳優が主演の映画もあった。当時は、それでも全ての映画を真剣に見たし、サウンドトラックのレコードも多数購入した。
◆ 彼は、とにかく強い男に憧れた。当然、自分も強い男になろうと考えた。自宅の近所の空手道場に通いはじめて、空手に熱中してしまった。1日に五千回の突きと蹴りを、自分に課していた。同時に、厳しい修行も必要であると感じていた。彼の中では、山中での荒行が強い男になる為の必須事項であった。そこで、家からさほど遠くない、高尾山に登って、意味もなく走り回った。確かに、体力の増強と、新鮮な空気の呼吸には、非常に役立った。修行ではあったが、日暮れには家へきちんと帰っていた。門限を破ることは、男らしくないことなのだ。
◆ ブルース・リーのモノマネも、必須事項であった。友達や家族はいつも笑っていたが、彼には心外であった。強い男、イコール、ブルース・リーであるからして、その形態や声を描写することが、最強への近道なのだ。
「オマエ、最近は空手の方はどうなんだい?」
「アチョー、アタタタタタ!ばかばかしいと、思うなよ!」
と、当時ブレイクし始めていた、ラビット関根のモノマネも交えて、表現していた。必ず笑いを取って、周囲ので非常な人気を勝ち得たが、彼本人にとっては、やはり不本意であった。形態模写は、アクマで修行なのだ。よく、コメディアンによるブルース・リーのモノマネが見られたが、これも心外であった。何しろ自分では、自分のモノマネの方がはるかに先駆で、自分のほうが圧倒的にウマいと思っていた。
◆ しかし、ブルース・リーが映画で使用していたヌンチャクという武器、これは苦手であった。2本の短い棒をクサリで結んでいるという簡単な構造である為、自分で作ることが可能であった。しかし、振り回して自分の手に当てると非常に痛いし、実際に人間を攻撃するワケにはいかないので、欲求不満に陥ってしまった。
◆ テレビで放映された、プロレスラーのアントニオ猪木と空手家のウイリー・ウイリアムスの決戦、これには圧倒された。当時の彼は、プロレスなんてクダラナイと思っていたので、ウイリー・ウイリアムスに強烈に肩入れしていた。最近のK1やアルティメット系の格闘技で見られるような、非常に秩序だったプロ格闘技の試合とは、全く違っていた。直接に試合をするワケではないハズのセコンドが異常なスピードでリング・サイドを掛けまわっていたし、それまで見たこともない、無秩序で殺伐としたカオスをテレビ画面から発散していた。翌日、学校で前日の試合の模様を、友人と限りなく熱く語り合った。そこには、単なる格闘技を見ることを超えた、熱き哲学的世界が確かに存在した。学生時代は、格闘技について語り明かし、気付いたら翌朝の8時であった事など、ザラであった。
◆ 最初はバカにしていたプロレスだが、ナゼかモハメド・アリやウイリーと戦う猪木を見て、その過激さに気付き、次第次第に惹かれて行くこととなった。モチロン、彼が真剣に取り組んでいるのは空手であり、これだけは絶対に譲れない。しかし、彼らは彼らなりに必死にやっていると思った。中でも、アンドレ・ザ・ジャイアント対スタン・ハンセンは、印象深かった。単なる肉体のぶつけ合いだったが、世界一の"肉体のぶつけ合い"だ。スタン・ハンセンの得意技は"ウエスタン・ラリアート"で、ロープに振った相手が、ハンセンの腕に対して、まるで自分から首を差し出すかの様に見える技である。
◆ 当時、非常に短期間だったが、"ギャグ・シンセサイザー"という、ぶっ飛んだ名前のお笑いコンビがテレビで活躍していた。彼らは、ツッコミ役(?)の攻撃にボケ役(?)が返す場面で、
「アポー!ウエスタン・ラリアート!」
と叫んで、ジャイアント馬場とスタン・ハンセンのプロレス技を模写し、ギャグに取り入れていた。これは、プロレス・ネタのお笑いへの導入としては非常に早く、先鋭的な"ギャグ・シンセサイザー"のネタの中でも、ピカイチであった。"ギャグ・シンセサイザー"は、"プロ宣言"を発したとたんに、テレビ画面から消滅してしまった。
◆ 彼は、これにも大きな敵愾心を持った。「ウエスタン・ラリアート!」と友人に叩き込んだのは俺が最初だ!と、信じ切っていたのだ。修行としてのモノマネと、単なるギャグとは、心構えが違うのだ。
◆ "プロレスは八百長だ、ショーだ!"と聞くと、彼は非常に憤慨した。これには、プロレスの本質を知らない人間の、いわれのない中傷であると感じる。実際、プロ・スポーツとは、間違いなく"ショー"である。それは、プロレスだろうが、他のスポーツであろうが、変わらない。"プロレスはショーだ!"と発言してしまう事は、ある意味でパラドックスである。ホームの選手の判定が有利になると言われるスポーツ(本当にそうかは分からないが)、同じ部屋の選手が対戦する事がないスポーツ(同部屋対決になることがフェアな事かは分からないが)。"フェア"である事を突き詰めれば、プロ・スポーツは興行として成立しなくなるのである。また、プロレスというのは(誰もこんな事は言ったり考えたりはしないであろうが)、プロ・スポーツの本質を極端な形で具象しているに過ぎないのではないか。スポーツを観戦する事は、本質的には、自らの願望とか理想を投影させて、それを見る者の中で完結させるものでないのだろうか。従って、"プロレスはショーだ!"と発言する事自体、それを見る者への、全く意味のない干渉なのである。彼はそう感じていた。
◆ プロレス、K1、最近ブレイクしている PRIDE、これらを見て、試合の意義について検証する事は、彼の中では、マサに"哲学"である。彼の尊敬する、古代ギリシアの古典的思想家プラトン、フランス革命前夜に活躍していた啓蒙思想家のルソー、これらの偉大な思想家に通じるものがあると、彼は勝手に思っていた。また、リング上の肉体のパフォーマー達は、コメディの巨人、イッセイ・オガタやコヤナギ・トムにも通じていると考えていた。
◆ 彼は、格闘技という肉体を酷使するスポーツに親しんでいた為(最近はご無沙汰)、体力だけの男と見られがちだが、実は非常に秀才である。勉学を怠る事はなかった。今では二児の父で、立派に仕事をしている。また音楽にも通じていて、ジャズ・サックスを演奏し、バンド活動にもいそしんでいる。その諸々の忙しい合間を縫っての格闘技観戦は、欠かす事が出来ない。大試合を見逃してしまうと、「一生の不覚、何たる事、ニンドスハッカッカ、ヒキリキホッキョッキョ」と、電線マンを思いだしながら呟いてしまうのであった(彼はキャンディーズの大ファンでもあった、何たる多方面への活躍ぶり)。
◆ 現在のお気に入りは、モチロンあの SAKURABA である。彼は格闘センスが非常に高く、技巧的である。最強を謳われるブラジル格闘一族を次々になぎ倒したかと思えば、コロっと負けたりする。しかも、常にエンターテイメントを意識し、観客を楽しませる事にかけては他を寄せ付けない。ギャルの声援も、一身に受けている。理想のお笑い格闘家として、彼はすっかり気に入ってしまった。
おしまい 2001.5.19

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幕間劇 ぶるふス兄弟楽団 弐千弐
◆ 拙者たち兄弟は、三度目の島流しからようやく戻って来た。やたらと狭いが、やはり我が家は居心地が良い。繁華街のど真ん中にある長屋の中の一部屋だが、生まれ育ったこの町、部屋のすすけた天井、何もかも昔のままだ。部屋を区切る障子、破れた後に補修した花形に切り抜いた張り紙が、妙に侘しい。強い風が吹くと、障子がやたらとガタガタ音をたてる。大名行列が頻繁に通行し、誠に騒がしい。夜になると時たま、座敷童子も顔をだす。だが拙者は、この部屋でなければ眠れない。久々に布団で大の字になって寝ようと思ったが、たった一枚の俺の敷布団で兄上が寝てしまわれた。
◆ 拙者は、小さな光円盤、"シイデフ(CD)"が大嫌いだ。拙者の部屋にある音源は全てレコホド(アナログ・レコード)だ。曲を聞く前に、チリチリという雑音が無いと、どうも落ち着かない。レコホドの片面約20分の鑑賞時間というのは、実に適当な時間だ。人間が何かを集中して行うのは、20分が限度だ。考えてみなされ、寺子屋の授業では、20分以上経過すると必ず眠くなってくる。シイデフの何が苦手かって、曲がかかっている間、盤にどういう事が起きているのか見えないではないか、心配なり心配なり。拙者は、レコホドの針が盤に乗っている間、くるくると独楽の如く回転する黒いビニイルを見つめるのが心底に気に入っている。黒いビニイルをタアンテエブルに乗せる作業というのは、結婚式での新郎新婦が三々九度の杯を受けるのと同じように、実に荘厳な儀式だ。四畳半の拙者の部屋の真中に座布団を置き、正座して、茶をたててからでないと音楽が聴けない。これは一生直らないかもしれない拙者の習慣なのだ。一辺が15寸の正方形で出来た立派な厚紙の中に入っている神秘的なビニイルの円盤、拙者の人生の一部は、この取るに足らない円盤の為に費やされて来た。
◆ シイデフという文明の利器、この様に便利だと思う者にとっては便利だが、関係ない者には関係ない。似た様な道具に、近頃はどんな若輩でも、猫も杓子も持っている、"個人電子計算機"というのがある。拙者は持っていない。皆の衆は、「便利なり便利なり」と四六時中にわたって文字と絵の浮き出る窓にかじりついているが、拙者はそんな妖術には絶対に騙されない。拙者の手道具は、遠く明王朝から伝わる、竜虎の彫刻の見事な浮き彫りが施された大きな硯と、名馬の尾から作られた筆と、黒とはこんなに美しい色であったかと思い知らされる見事さの、よく練り上げられた墨、たったこれだけである。障子越しに部屋に差し込む午後の陽光のもと、友に心から敬愛の情を込めて一筆したためる、これが拙者の流儀だ。それを持って、自分で届けるのである。え?いちいち紙に書かないで口頭で言えばいいではないか?いや、それでは風流ではないし、通人とは言えない。ほら昔から、「武士は食わねど高楊枝」とか「急がば回れ」とか言うではないか(??)。
◆ "ぶるふス"というのは、ただの詠いでは無い。阿弗利加から渡来した亜米利加人が発明した、実に激しく悲しい謡曲である。それを耳にした皆の衆は、眼に涙を浮かべて嘆賞するに至る。かく言う拙者もその一人だ。今様の軽音楽の基礎として、"ぶるふス"は脈々と流れている。今時の歌い手の中にでも、"ぶるふス"を詠わない者は存在しない、と言い切れる程である。拙者と兄上は二人兄弟で、幼少の頃から"ぶるふス"に慣れ親しんできた。寺子屋の坊さんに"ぶるふス"のめっぽう好きな者がおり、拙者たちはこの坊さんに"ぶるふス"を聴き習った。今では、拙者たち、特に兄上は、"ぶるふス"の詠いついては免許皆伝の腕前である。見事なり見事なり。かくして拙者たち兄弟は、"ぶるふス"を奏で、皆の衆を興奮の坩堝に落とす楽団、"ぶるふス兄弟楽団"を始めた。拙者たちの団員の六弦三味線や鐘太鼓の音色は、すこぶる愉快なのである。皆の衆、老若男女は手を打ち鳴らし足を踏み踏みして、満面の喜びを表して、踊り猛り狂った。歌舞伎役者も顔負けである。
◆ 拙者たちが島流しの憂き目に至らしめられたのは、今まで三度なのである。一度目は、蕎麦屋でのタダ食いだ。"ぶるふス兄弟楽団"の団員と蕎麦を食ったのだが、全員の蕎麦代が、拙者たちの持っている銭の合計金額より多かったのだ。足りないのが分かったら全員、まるで華厳の滝の水流の如く、凄まじい勢いで走って店から逃げてしまった。団員を罪から救う為に拙者たち兄弟が代表してお縄になった。そして、島流しに至ったわけだ。
◆ 二度目のお縄の前には、色々と事件があった。俺たちの生まれ育った長屋を、幕府による理不尽な取り潰しから守る為に、音楽会を開いて銭を集めようと思ったのだ。実現不可能と言われた音楽会を開くまでに、拙者たち兄弟は、脅しスカし、盗み、車両の打ちこわし、オカッピキのコキオロシ、速度超過運転、悪行を数限りなく重ねてしまった。長屋は無事だったが、楽団員全員がしょっぴかれちまった。拙者たち兄弟は主犯だとされ、島流しは18年間にもなった。だが、この時の逃避行は楽しかった。とっ捕まるまでの間、オカッピキや町奉行以外の全ての衆から声援を送られ、大名屋敷の間を駆け回った。
◆ 三度目は、大した事はなかった。飛騨の山奥で音楽会が開催され、拙者たちともう一つの楽団が出演した。先方の楽団員は、天下に名前が轟く名手ばかりが集い、凄まじいばかりの熱狂的音楽を奏でていた。中でも有名なのが、六弦三味線奏者の"えりっ句・蔵ぷとん"で、彼は国中の崇拝者から、"六弦三味線の仏"と呼ばれている。更に凄まじいのが、"えりっ句・蔵ぷとん"が「あの御方こそ我にとっての六弦三味線の仏なり」と激賞する、"美胃美胃・きん愚"である。また更に、ほら貝の名手の"助手わ・れっど漫"、詠いと琴の名手の"捨ていぶ・ういん宇っど"、太鼓と鐘の名手の"蛇っく・でじょ寝っと"といった、超名人達が一同に会していた。同じ場所に立っていると思うだけで、拙者は冷や汗を浮かべた。音楽会は、大盛況のうちに手打ちとなったのだ。だが、会場の裏の小屋に住む偏屈者が、オカッピキに騒擾の過多を告げ口され、お縄頂戴となってしまった。
◆ この度、拙者たちは久方ぶりに、島流しから晴れて放免となり、、その記念に再び音楽会を催す運びと相成った。普段は足を踏み入れる事のない、料亭のが立ち並ぶアカサカ、その路地裏にひっそりと立つ小音楽堂、"微威・ふらっ戸"。拙者たちの演目はどのようなものに相成るのであろう?それは、山奥に密かに隠されたという幕府の埋蔵金のように、ずっしりと重たい秘密なのである。
続く? 2002.4.10

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WAVE
◆ 陽射しも眼が眩むほどに強烈な、雲ひとつ無い晴れ渡った空のもと、とある5月の土曜日、僕とコユキは結婚式を挙げた。会場は、僕の実家の近所にある街中の、とてもオシャレなオープン・カフェ、"クレヨン"である。10年来の友人であるそこのマスターは、僕達の意図する挙式のスタイルを理解し、快く店を提供してくれた。彼は元はサーファーで今でも一年中日焼けしており、サザン・オールスターズの大ファンで、自分の人生とサザンの歌の歌詞を重ね合わせて語り始めると、一晩中でも喋り続けた。いまだに自分の妻のことを、"俺の愛しのエリー!"と呼んでいる。勿論、夫婦揃って国籍は日本だが、顔と性格がナンだか日本人離れしていて、アメリカンと呼びたくなる人達だ。
◆ 堅苦しい形式ばった結婚式は避けたかった僕達は、オープン・カフェでマサにオープンに、気軽に参加してもらって、誰もがささやかな幸福を分かち合える、そんな式にしたかったのだ。店内は渋いベージュ系の壁に覆われ、壁には地中海岸の何処かに現実に存在しているような街路樹をデュフィ風に描いてあり、樹木の緑と空の青色が特に鮮やかだ。挙式は人前で、極々親しい縁者50人程度を招待した。店の奥には、木目調が美しいアコースティック・ピアノが置かれていた。招待客の一人が、まるでミッシェル・カミュロの如き流暢でダイナミックな指捌きで、ラテン・ピアノを披露してくれた。彼女は何となく、コユキに似ている。彼女のピアノが奏でる極上の旋律に宿る熱い語り口が、年代物のワインのように僕達を酔わせた。僕は麻のスーツを着込み、コユキも麻のドレスを着て髪に白い花飾りを付けていた。堅苦しい型通りの来賓の挨拶もほんの少しで終わり、大半の時間は談笑とダンスに当てられた。挙式は無事に終了し、オープン・カフェの前に駐めてあった真っ白いオープン・カーで、僕達は早速新婚旅行に旅立つ予定であった。
◆ 実は、オープン・カーは自前なのである。余程に熱さ寒さでもない限り、オープン・カーのままで走行する。大きな荷物でも、構わず載せる。大きな大きなコントラバスでも載せる。だが、頼まれて載せた巨大な和太鼓は、ちょっと恥かしかった。
◆ オープン・カフェの周囲には、こんなところで結婚式をやるのかと、近所の商店の人々や通行人やらの人垣になっていた。店の出口に赤と白の入り混じった花弁を撒き散らし、チャペルの鐘の音の替わりに、店内のオーディオ装置からデューク・エリントン楽団の TAKE THE "A" TRAIN が大きな音で流されていた。僕達は花弁の絨毯の上を、腕を取って共に歩いた。招待客の盛大な拍手に送られて、僕達は気恥ずかしいまでに白いオープン・カーに向かった。招待客の打つ拍手に煽られて、周囲の見物人の中から何処からともなくバンザイの声が巻き起こった。人垣が人垣を呼び、500人は集まったと思われる見物人のバンザイが、まるでアムステルダム・アレーナに巻き起こるようなウエーブとなり、大歓声が僕達に浴びせ掛けられた。人垣をかき分けるようにして、僕達は早足で過ぎ去ろうとはしたが、握手攻めにあってなかなか進まない。やっとの事で到着したオープン・カーに颯爽と飛び乗って、僕達は走り去った。でも、オープン・カフェでの挙式の後のオープン・カーでは、ちょっとオープン過ぎたのかも。
◆ 高校三年生の頃だった。新学期が始まった最初の日、過去2年間通学に使ってきた電車の、いつもの位置のドア、いつもの座席に座った。僕の家の最寄の駅と学校のある駅の間の線路際は、ほとんどが海岸線であった。僕はいつも、窓越しに海を見ていた。だがその日の僕は、うららかな春の青い海を見ずに、自分の右前方の位置に座る彼女を見てしまった。彼女は、思っているのは僕だけかもしれないが、ナタリー・ポートマンに似ている。その当時は勿論、ナタリー・ポートマンなんて名前は知りもしなかったが。いずれにせよ、僕の眼線は彼女にくぎづけになってしまった。いや、混雑していない電車の中で、女性を凝視し続けるのは実に至難の技であって、視線は海に注いでいたが、少なくとも心の中の視線は彼女から眼を離せなかった。ナゼか、見ているのを気付かれないように振る舞う行為に対するプレッシャーからか、僕は無用の冷や汗を流した。彼女は僕が電車に乗る駅の前から乗っており、僕が降りる駅の一つ前で降りた。という事は、僕の通っている高校の隣にある女子高の娘だ。いつも何やら分厚い文庫本を読んでおり、読書量の少ない僕は更にプレッシャーを受けた。文庫本を手に電車のシートに越し掛ける姿と、立ち上がって電車の扉が開くのを待つ佇まいが、僕の脳裏から離なくなった。
◆ それからは毎日、僕は電車の所定の位置に越し掛けた。彼女は既に、分厚い文庫本を読んでいた。僕の視線は海を見ているが、心中では彼女を見続けた。夏休み前の7月の海と空はあまりにも青く眩しく、彼女の姿が海に溶け込んでしまうように感じた。実は、ゴールデン・ウイーク前には彼女に声をかけてみようと決心していたつもりだったのだが、超優柔不断で勇気のない僕は、ゴールデン・ウイークを無為にやり過してしまった。そこで気を取り直して、少なくとも夏休み前には是非話をしてみようと思った。だが、2ヶ月の間に僕の優柔不断さが消え去るべくもなかった。夏休みが終って9月、僕も彼女に対抗(?)して文庫本を読み始めた。最初のウチは、襲って来る睡魔を振り払うのに大変な苦労をしたが、まあ何とか慣れて来た。どうしてだか、学校の図書館にあったゲーテの"若きウェルテルの悩み"というヤツを読んでしまい、ストーリーが佳境に入って来ると、右前方に座る彼女を意識して、ウブだった僕はヤケに赤面してしまった。次に読んだのが夏目漱石の"三四郎"で、やはり僕はやたらとに赤面して冷や汗(?)を流した。"三四郎"は、柔道小説かと思ったのだ。
◆ 遂に、年が明けてしまった。あと僅かで僕は高校卒業、晴れて大学生となる。という事はこのままで行くと、彼女と毎朝同じ電車では通学出来なくなる。思い悩んでいるウチに最早3月、遂に僕は、翌朝は絶対にナタリー・ポートマン似の彼女に声を賭けようと決心した。その日の晩、僕は突如、右脇腹に激痛を覚えた。病院へ駆け込んだところ何と盲腸炎という事が判明し、そのまま入院となってしまった。それまでの僕は超健康体で、入院はおろか、今までカゼ一つひいた事が無いというのに。病院の窓から、何やら新芽が現れつつある桜の枝を眺めながら、彼女が分厚い文庫本を読んでいる姿を想像し、もう一生その姿を拝む事が出来ないのかと考えると、とても悲しくなった。ホンの一週間の入院であったが、退院が待ち遠しく、入院期間が1年にも感じられた。
◆ 退院の翌日が、何と卒業式の当日であり、高校最後の通学の日である。彼女は電車に乗っているのだろうか?僕は不安になり、退院の嬉しさと重なって、涙ぐんでしまった。いつものドアから電車に乗ると、彼女は座って分厚い文庫本を見つめていた。僕の眼からは、涙が滝のように流れていた。僕は駆けよって、遂に彼女に話し掛けた。
「きょ、今日は一体、何の本を読んでいるのですか?」
彼女の見上げた眼は完全に点になり、口は大きく開かれて横幅より縦が長くなって、埴輪、若しくは、ムンク作の"叫び"のような状態になった。そして、その彼女の名前がコユキなのである。
◆ 僕は買ったばかりのピンク色のボタン・ダウンのシャツを着て、初めての待ち合わせの場所に急いで歩いて行った。待ち合わせの場所は、その後の待ち合わせもいつも同じで、駅前にある本屋の左の奥の方にある文庫本のコーナーであった。コユキは、やたらと目立つ、眼に染みてしまいそうに鮮やかな、赤に近いオレンジ色のシャツを着ていた。Gパンは濃紺で、裾を7cm 折っていた。スニーカーはコンバースで、セーターと同じオレンジ色であった。「お待たせしましたーー!」と叫んでコユキは、両足を揃えて、腕を体にピッタリくっつけて掌を真下に向けて、今まで会ったどんな人物よりの笑顔よりも大らかに思いっきりニコニコして、その場に立った。「ちょっと買い物に行ってもいい?」と言ったかと思うと、本屋の外へ駆け出してしまった。そして、駈け戻って来て買ってきたモノを見せてもらうと、それは大きなメロン・パンであった。
◆ 大学を卒業し、コユキも2年後に大学を卒業、その5年後に僕達は結婚式を挙行した。白いオープン・カーで僕達が向かった先は、江ノ島である。僕達は二人で、何十回も江ノ島へいった。だからと言って、新婚旅行の第一の目的地である必然性は全く無いのだが、とにかく江ノ島へ向かった。海岸線を爽やかな風に吹かれて快調に白いオープン・カーを走らせていると、左前方に緑に覆われた小さな島が見えて着た。江ノ島は島と言っても、島と陸地の間に細長い砂浜があって、歩いて渡る事が出来る。スーツとドレスのまま、僕達は江ノ島に向かって全力で走った。理由も無く、二人して大声で笑いながら走った。砂浜で寛ぐ海水浴客達の視線を浴びたのは言うまでもない。そのまま江ノ島に到着しても速力を緩めず、島の反対側へ出る道を、途中の階段をものともせずに走った。ほんの十数分で島の反対側に出た。僕達は汗だくになった。眼前には、広い広い太平洋が雄大に広がっていた。空は相変わらずの、爽やかな晴天である。僕は、広い太平洋に向かって何か叫びたかった。明るいニュースが非常に少ない昨今、僕の胸の中に溜まった何かを吐き出す必要があった。だが、適切な言葉が見つからないまま、僕は叫んだ。
「おーーーーーーい!」
彼女は僕を怪訝そうに見つめた。だが、すぐにいつものような笑顔に戻って、僕と一緒に叫んだ。
「おーーーーーーい!」
僕はまた叫びたくなった。彼女も叫んだ。
「バンザーーーイ!バンザーーーイ!バンザーーーイ!」
スーツとドレスの二人が叫んでいるのを、ハイキング中の家族、海釣りのおじさん、デート中のカップルが、唖然として見つめた。暫くすると、デート中のカップルが僕達のバンザイに追随して叫び始めた。
「バンザーーーイ!バンザーーーイ!バンザーーーイ!」
遂に、江ノ島の太平洋側にいる全員が、バンザイの雄叫びを挙げるに至った。まるで、シェア・スタジアムに巻き起こるようなウエーブのような状態となった。
おしまい 2003.8.2

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風になりたい
◆ 彼女は旅が好きである。彼女は風になりたい。風と同化して、世界のあらゆる場所へ行きたい。季節で言えば秋。暑い夏でも寒い冬でもない。春も好きだが、彼女にとっては少し感覚が違う。タンポポよりもススキ、朝日よりも夕焼、歓喜より憂愁、喜劇より悲劇、微笑より涙、ピンクよりブルー、喧騒より静寂、大人数より一人、メジャーよりマイナー。旅行することによって、心の奥底に隠してあった真実の自分の姿を取り戻せるような気がする。
◆ 出来れば、ゆっくりと移動したい。走るよりは歩きたい。時間がある限りノンビリとしたい。必要以上に急いではいけない。通勤の満員電車、雑踏、赤信号待ち、行列、多忙、義務、追求、会合、止め処もない会話、必然性の全くない偽りの笑い、感情のこもらない挨拶、心にもない誉め言葉、そういった一切の日常的な雑音から徐々に離れてゆきたい。
◆ いつもより早起きしたが、ナゼかウイークデイの早起きのように眠くはない。駅弁と缶コーヒーと喉飴が旅の友である。列車の窓から、後ろの方向へ飛んで行ってしまう、家々や木々や畑などで構成される景観を見続ける事によって、少なくとも心象的には、あらゆる雑事から徐々に離れていくことを感じる。MDには、スライド・ギターがフィーチャーされた演奏が収められている。彼女にとって、スライド・ギターのサウンドが旅にマッチしている。スライド・ギターとは、ボトル・ネック奏法とも呼ばれている、指に筒をさし込んで弦に当てて、ビヨ〜〜ンと音を出す演奏の名称である。アメリカン・ロックの実力派であるリトル・フィートのメンバー、ローウエル・ジョージのサウンドが好みである。オールマン・ブラザース・バンドの鬼才、"スカイ・ドッグ"の異名を取るデュアン・オールマンよりも好きである。両方共に素晴らしいので、両方好きなのは間違いないが。
◆ 彼女は都会の生まれである。いわゆる田舎というものは持っていない。田園風景というのは、彼女の日常生活を送る環境とは、全くの別世界である。誰もいない野原、対岸の見えない海、建物の見えない広い空、延々と連なる峰々、都会とは比較にならないくらい親切な人々。日常と非日常との存在を強く認識する事によって、心身を、生活の義務に対する束縛感から遊離させるタイミングを会得できる。朝に目覚めた時、見慣れた節穴のある天井ではなく、宿泊している部屋のやたらと大きな枕の事を意識するだけで幸福感に浸れる日曜日があってもよいではないか。
◆ 飛行機よりも鉄道が好きである。新幹線である必要もない。蒸気機関車で通勤したいと思っているくらいである。最も好きなのは、北海道の函館本線である。かつては特急列車も運行されていたが、現在では1時間に1本、1両編成の各駅停車が通るだけである。驚くほど延々と続く林の中、ゆっくりとカーブするレールの上をひたすら走る。終点の小樽に到着するのが、実に残念なくらいである。
◆ 理想の旅人は、坂本龍馬である。明治維新前夜に大活躍、尊王攘夷の思想から飛翔して、理想の日本の姿を夢想し続け、夢の実現の為に日本中を歩き回った。大志を抱いて目的を持って各地を移動したのではあるが、現代とは違って徒歩の旅、時には満開の桜や紅葉が目に入ったこともあるであろう。龍馬はその時、活動家、夢想家、ではなく、単なる旅人に変化したハズだ。龍馬は、激動の時代を余りにも早く歩き過ぎて、33歳で寿命が尽きてしまった。彼女は人に誇れる大志などは抱いてはいない。しかし、龍馬が"日本を洗濯いたす"と語ったように、自分自身を洗濯したいとは思っている。極々小さい目標は持っているが、心持は少しでも大きくしてはいたい。
◆ 彼女は昆虫が好きである。ゴキブリなどはサスガに苦手だが、トンボ、カマキリ、バッタ、カナブンなどには、ひかれるものがある。明るい緑色をしたカマキリがススキにとまっている姿を見かけると、果てしない郷愁にとらわれてしまう。カマキリには愛がある。カマキリには全てが分かる。カマキリはポジティブに生きている。カマキリは力強い。
◆ 今日は、長万部の海岸に立っている。長万部という所には、観光客を喜ばせるような建築物や自然の景観はない。その荒涼とした海と空を見ると、人間の無力さと小ささを幾ばくかは感じ取る事ができる。日光の華厳の滝などいった自然の不思議な造形物には、人間の持つ精神を昇華させ浄化する、ある種の存在感がある。長万部の海には何もない。しかし、人が創造する価値というのは、精神的になにもない渇望した状態からこそ生じる事もあると言えるのではないか?彼女がワザワザ長万部にやってくる理由は、そこにこそある。
おしまい 2001.10.7

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幸福 ・・・ part I
◆ 冬、日の出の直後の朝7時、周囲の空気が冷たく、ここは本当はシベリアじゃないかと思える(シベリアには行った事もないが)。午前10時、日がかなり高くなっても、気温は上がらない。1月、寒い季節の真っ只中、乾いた空気の冷たさが、まるで永遠に続くかのように思える。人間という動物は、冬眠をしない。だが、精神活動の一部は、実は冬眠状態にあるのだ。それは、春という季節が来てみれば確かに分かる。
◆ 春の訪れの気配は、ある日突然に感じるものだ。気付かないうちに日差しが長くなる。関東平野の乾いた空気に、極々微妙に湿り気が加わる。冷蔵庫の中のような寒気に、誰かがほんの少し扉を開けて覗いたかの如く、暖気の流れ込みが感じられる。これは日々刻々テレビなどで報道されている天気予報の近年驚くほど増した精度よりも、更に精度の高い精緻な感度計を備え持つ、人間の皮膚感覚が告げてくれるものだ。一シーズン前の春と夏の記憶、暖かさを求める肉体と精神が、気温と湿度に対して実に敏感に反応するのであろう。だがそれよりも何よりも、単純に春が待ち遠しい、春がいつ来るのだろうと、知らず知らずのうちに身構えているのかもしれない。
◆ 春の到来というのは、本当に不思議だ。実生活の中で、特に楽しみにしている事柄は何も無いにもかかわらず、子供が誕生日のプレゼントを貰えるのが分かっているかのように、心がウキウキして来るのはナゼだろうか?新たな出会いが待っている、世界中がワタシを待っている、人類はみんな兄弟だ、と感じるのはナゼだろうか?理由もなくボタン・ダウンのピンク色のシャツを買って、必要以上にシャレ込んで、多摩川の河原を散歩したくなるのはどうしてだろう?子供が凧揚げをしているのを見て、帰りに自分でも凧を買ってしまったのはどうしてだ?河原でヒラヒラ舞い踊る蝶々を見つけて、ワタシも蝶々になりたいと思う自分を、全くトチ狂っているとは思わないのはナゼだろう?向こうから歩いてくる紳士が連れ歩いている、普段はとても恐ろしく見える巨大なセントバーナドに対して、怖がらずに"お手"をしようとしてしまうのはナゼだろう?高校時代の初めてデートを思い出してしばらくの間ボーッとして、しばらくの後にニヤニヤしている自分に気付くのはどうしてか?買い物に行く道すがらについつい楽しくなって、"恋人はサンタクロース!"と口ずさんだが、よく考えてみれば今はクリスマスでないし、ここはスキー場でもないけどまあいいか、と思うのはどうしてだろう?昨日までの自分が本当の自分ではなく、幸福と同居し始めたような気分の今日からの自分の方が本物だと感じるのはどうしてか?
◆ それは、背中を丸めなければ歩けないような寒気に支配された季節、冬の到来と共に冬眠状態に入っていた自分の精神活動の一部が、春の訪れを敏感に感じ取って目覚め始めたからなのである。そうとしか考えられないのである。寒い冬の間は、映画"フリントストーン・モダン石器時代"を見ても、安くてメチャメチャ美味いカニが大量に入っているナベを食べながら仲間と一緒に大爆笑しても、夜、寝る前に一人っきりになると、以前ヤッてしまったバカな自分の行為を思い出して、思いっきりネガティブな気分に陥ってしまう。自分の心の中には、どのような方法をもってしても埋める事の不可能な欠落部分がある。その内なる欠落を改めて見つめ直すと、自分のカラダがに永遠に溶けない氷河のように凝結してしまう。心理的な袋小路に迷い込んでしまい、抜け出す事が出来ない。これは全て、地上を支配してしまう冬将軍、凍てつく寒気のなせる技である。
◆ だが春が到来すると、何だか全てがハッピーになってしまう。出会う人、知ってる人知らない人、全員が悉く微笑んでおり、未来は期待に満ち溢れており、これからも素敵な出会いがあり、やること成すこと全て大成功になる、そんな気がする。過去にどんな事をしても、どんな事をされても、許し許される、そんな気がする。桜が満開になる頃になると、この幸福感は絶頂に達する。桜並木の下を歩くと、暖かい陽射しがピンク色に染まっている。雨の後に、出掛けようとする時に限って、どうしてだか家の玄関口に鎮座している、背中の荒い茶色い膚のデコボコが人間に冷汗をかかせる、冬眠から目覚めたウシガエル君も、親しい友達に思える。そして、ピョンピョン飛び跳ねてコッチへ向かってくる、標準より大きなウシガエル君、これはとっても可愛い・・・くない、キモチが悪い。
幸福 ・・・ part II
◆ 生まれた家の近所、住宅地の真ん中を流れる小川。その沿道の数百メートルにわたって、桜の木が植えられている。子供の頃は見向きもしなかった、満開に咲き誇っている桜の花、年を経るとともに、桜の開花が待ち遠しくなって来るのはどうしてなんだろう。弥生の三月に入って、葉が落ちきった枝に、ほのかにピンク色が見られるのが確認されると、いてもたってもいられなくなる。いま生活している町からは離れているにもかかわらず、桜の咲く思い出の小川に帰って来てしまう。誰にも告げることもなく、たった一人で来る。曲がりくねった小川の途中にある、ひときわ鮮やかな桜の花を咲かせる大きな古木が生育しているポイント、そこでしばらくの間立ち止まってしまい、毎回、気が付くと足を止めてから三十分は経過している。春の日差しは、まだまだ強烈な夏の日射とは違って柔らかく、霞のかかったような微妙にドンヨリとした太陽光である。桜の古木の下で、過ぎ去った思い出に浸っている。暖かい風が、とても気持ち良い。
◆ 高校時代の夢、デートの時、カレシと二人で、手漕ぎボートに乗りたかった。渋谷から公園通りを抜けて、原宿まで歩きたかった。新品の濃紺のブレザーを着て、少し大人になったような気がした。待ち合わせの場所に着くとカレは既に待っていた。カレも新調のブレザーを着ていて、嬉しかった。二人とも純真だったので、顔を真っ赤にしながら歩いた。腕を組んだカップルとすれ違って、更に顔が赤くなって下を向いた。映画を見たのだが、ストーリーはよく覚えていない。昨日のテレビの話、飼っていた犬の話、学校の帰り道で転んだ話、くだらない話、全てが楽しかった。公園の売店で買ったソフトクリームが、とても美味しかった。そして、小川の淵の桜並木の下を二人で歩いたのである。あの人は今、何をしているのだろう。やはり、桜を見て思い出に浸っているのだろうか?
◆ 冬、特に空気の綺麗な正月、そのポイントから小川の遥か向こうに、雪を被った富士山の頂上を望む事が出来た。今では、高速道路が障害となって富士山を眺望する事が不可能になった。かつて存在した思い出の風景を取り戻すこと、それはほとんど不可能なのだ。いや、不可能なのは景色の再現だけではない。過ぎ去って行くモノ、現象、行為、その全ては再現が不可能なのである。想い出の小川に戻って来る事はできる。あのカレシも、ひょっとしたら同じ場所に来るかもしれない。あの時のあの楽しさは二度と戻らない。だけども、それでも、あの桜の古木の下に佇む為に、また今年も戻って来た。
◆ 花見という行事は、どうも苦手だ。花を愛でるというのは、極めて個人的内面的行為なのであって、桜の下で集い騒ぐ気分にはなれない。桜の下では、黙って歩いていたいのだ。
◆ 桜が満開である期間は、極めて短い。四季の中で、一般的には春とは三月から五月の時期くらいを呼称するが、狭義で考えると、桜が満開である一週間が春と呼ぶのに相応しい期間ではないか?それ以外は、冬と春の間、春と夏の間、こう呼んでも差し支えないだろう。満開の時期が過ぎると、桜の花弁が小川の水面に落ち、川面がピンク色になってしまう。桜の散った後、木々は薄い緑色の葉に覆われ、やがて葉は濃緑色と化す。小川に沿った桜の木は、夏の熱気を含んだ風に煽られ、自分の生命力を謳歌するかのように大きく枝をゆすっている。だが、緑の木々を見ると、余りにも鮮やかだった桜色を懐かしみ、ナゼか、空しさが自分の心の内を覆い尽くしてしまう。自分は現在、不幸せなのだろうか?いや、決してそんな事はない。むしろ幸福と言えるだろう。季節の変わり目が鮮やかであればあるほど、その鮮やかさが短ければ短いほど、人は過ぎてしまった鮮やかさを惜しむものである。
おしまい 2002.3.21

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クリスマス
● 下の文書は全てフィクションです。
◆ 12月24日の夜7時、クリスマス・イブという目出度い日、俺は銀座の老舗の百貨店の前に立っている。しかも、真っ赤なコスチュームに身を包んでいる。一目見れば分かる、サンタクロースだ。俺は、ある製パン会社に勤務している。クリスマスになると、デコレーション・ケーキ販売のテコ入れの為に、若手社員にウケ狙いのサンタクロースの格好をさせて人目を引きつつ、僅かでも売上を伸ばそうというのだ。俺は新入社員でもないのに、北風が強いなか立ち尽くし、体感温度を低下させている。同僚の多くはウマいことやって上司を丸め込んで、このありがたさの全く無い仕事から逃れる事に成功している。きっと、近所の飲みやで私的な忘年会にウツツを抜かしてんだろう。
◆ また子供がタカってきた。子供とは言え、礼を失した行為に及ぶと、最近は親もウルさいし、ロクな事は起きない。従って俺は、子供のご機嫌を伺う為に、天性のサービス精神を発揮する。「命!」とか「炎!」とか叫び、腕や足を折りたたんで、眉毛を"八"の字にする。すると子供達は、「わーい、つまんなーい!はははー!」と叫んで走り去ってしまった。チクショー!綺麗どころの姉チャン達まで笑ってるじゃないか!
◆ サンタクロースは、プレゼントなんて買ってもらえない不幸な子供達の為に、トナカイが曳いたソリに乗って、幸せを配達するのが仕事だ。ケーキを売る為に真っ赤な衣裳を身に着けて、銀座のマン真中に突っ立っているのが仕事なワケじゃないのだ、サンタさんは。趣旨が違っている。今、本当に幸福を配達してもらいたいのはこの俺だ!ホカロンも忘れたし、交替要因の到着が遅れてるし、ロクなもんじゃない。
◆ 思えば、今年は様々な大事件が勃発した。あってはならない不幸な大事件が、非常に多かった。ワリを食うのは、いつも子供達だ。彼らに全く罪はない。文明的で自由で豊かで情報には事欠かない社会に住んでいれば、善悪の判断に基づいた行動を取る事は可能なハズだ。だが子供は、大人達の理不尽な行動を見て成長してしまっている。刻々と流れて来るニュース報道からは、一時も争いのネタが消える事がない。
◆ 俺の事を笑った子供は、別に俺からでなくとも、どこか別の店からでも、親がケーキを買ってくれる事だろう。最近テレビを見て思ったのは、俺がケーキを渡したり笑わせる必要があるのは、同じ国の人間から攻撃されたり、と同時に、君達の味方だと自称しながら飛んで来る爆撃機に空から爆撃されたりしている、"あの国"の子供ではないか、という事だ。そこの子供達に、現在の状況を発生させている根本原因とその是非について説明しきれる大人は、一体この世に存在するのだろうか?いや、説明の必要はないのかもしれない。どうでもよいから現在の不幸な状況が無くなり、安心できる状況でケーキを食べさせる事こそ、本当に必要な事だ。世界中のどこでも、子供がケーキを笑いながら食べる状況を作るのに、理屈なんて必要ないのかもしれない。今、大人がしなければならないのは、子供に見せたくないような、不必要で理不尽な争いを即刻ストップさせる事だ。
◆ もう、夜の9時、帰ってよい時刻だ。自分の分のケーキは確保してある。街頭セールに駆り出されたのは、俺が独身だからだろうか?という事は、来年のクリスマスまでに、彼女に結婚を申し込まなければならない、という事なのだろうか?今日はナゼか、サンタの格好のまま、着替えずに帰りたくなった。恥かしくはない。
おしまい 2001.12.29)

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● 下の文書は全てフィクションです。
◆ 寒いのが苦手だ。12月ともなると風は耐えられないくらい冷たい。雪も降る事があるし、下着も長袖で、マフラーと手袋ナシではいられない。寒さを忘れようと早足でセカセカと歩く為、目的地に普段よりもやたらと早く到着する。車に乗ろうとドアを開けようとすれば、静電気でバチバチッと音がして手が痛い。俺の自慢のロング・ヘアーが逆立ちそうだ。エアコンが車内を暖めるのにも、かなり時間がかかる。車の中でいつも聞いているのはFMの J-WAVE で、手の冷たさを、ラジオに合わせて大声で歌う事で気をまぎらわせている。俺はプリンスが好きでCDは全部持っているのだが、最近はヒットがないので、J-WAVE でなかなかかからないのが残念だ。
◆ ここのところの夜と朝は、まるで冷蔵庫の中にいるかのような寒さだ。空席の目立つ電車で座ってウトウトしていると、手と足が冷える。しかし電車を降りようと一歩ホームに足を踏み出すと、実は電車の中は、まるで天国のように暖かだったという事実に気付かされる。駅からウチまで歩くと15分近くある。別に買物をする予定もないのだが、家までの道すがらに4店あるコンビニ、その全てにイチイチ足を踏み入れてしまい、雑誌を立ち読みする。4店目で立ち読みしようと雑誌を手に取ってふと右隣を見ると、前の店で隣りにいた女子高生がまたいる。うーん、寒がりは俺だけではなかったかと、少し安心する。女子高生というのは(女子高生に限らないが)、この寒いのにいつもスカートだ。同情する。しかし、夏の酷暑の時期にいつもズボンを履いている俺達男は、女子高生に同情されているのだろうか?
◆ 大体、こんな寒いのに外に出ること自体が間違っている。ウチの中に居るのが一番よい。何しろ、俺の部屋にはコタツがある。昼間っからコタツの中で、みかんを食べながらテレビを見るのが最高のレジャーだ。最近、フラット画面でハイ・ビジョンのテレビを買ったので、より一層テレビを見る時間が長くなった。好きなプログラムは、記録的な長寿番組の"水戸黄門"である。間違っても主人公が破れる去る事がないので、非常に安心出来る。物騒な事件が多い最近の世情、期待を裏切る事がないというのは、精神的に楽だ。それから、好きな映画は、あの"マトリックス"だ。DVD で見ると、その迫力は倍増する。主人公のキアヌ・リーブスのクソ真面目な演技を見ると、ついつい笑ってしまう。拳銃から発射される弾丸をよける時の、あの反り返りのポーズを見ると、自分でもマネしたくなるのが不思議だ。リンボー・ダンスにも似ていると思う。反り返りながら両腕を、まるで背泳ぎのように回転させるのだ。コタツの中では、猫のミカエルが体をクルクルと回転させている。
◆ 12月31日の夜は紅白歌合戦を見て、正月もおせち料理と雑煮を前にしてクダラない正月番組を見ながら、平和に過ごしたいモノだ。だが、ナゼかそうはいかない。俺はサッカー選手だ。どうしてだか毎年、1月1日っから大事なゲームがある。ここ何年かは、紅白歌合戦は見ていない。まあ、紅白を見る事が出来るとすれば、楽しみと言えば"モーニング娘。"を見られるくらいなもので、他の歌手はどうでもよい。特に後半になると、好きでもない演歌歌手が出てくるので、眠くなってしまうだろう。あ、今年は"モーニング娘。"は出るんだっけ?
◆ サッカー選手は因果なものだ。この地獄のような寒さの中で、どうしてボールの蹴りなんかしなければならないのだろう。しかも生足を剥き出しにして、ズボンを履く事も出来ない。90分間走るだけでキツいのに、相手ディフェンダーにスパイクで削られると最悪に痛い。倒れると、地面が凍りのように冷たい。悔しいので、相手選手に強烈なタックルを見舞うと、イエロー・カードが提示される。さっきの俺がヤられたプレーでは、イエローは出なかったじゃないか。
◆ 俺は自尊心が強いので、他のヤツらが最近している、手袋と防寒用の首に巻く襟巻きみたいなのは絶対に着けない。観客は厚着をして、ゲームを見て一喜一憂している。寒さを我慢してピッチに立っている俺。この矛盾した関係が俺を駆り立て、相手ゴールに俺を向かわせる。90分の中でゴールを決めれば、俺は暖かいコタツが待っている自分の部屋に、早めに帰る事が出来る。だが、ゲーム終了間際に同点ゴールを決められたら最悪だ。更に30分間、冷たい空気を吸っていなければならない。延長で得点がなければ、PKで時間がとられ、オマケに俺にとってはどうでもよい表彰式まである。
◆ 俺の理想の生活は、4月から9月までは日本で過ごし、残りをブラジルのサンパウロで生活する事だ。サンパウロでなくとも、シドニーでも良いぞ。でもそうすると、俺の好きなコタツは使えないな・・・。仕方がないので、1年間日本で生活する事にしよう。
おしまい 2001.12.23

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