settsu-inoue.jpドメインを取得するに当たって
2003年1月に、自分自身のホームページを公開するに至ってから、自分だけのドメインを持ちたいなとずっと思ってきました。ほんと大学時代、先生が.ac.jpとかのメールアドレスを持っているのを見ると、めちゃくちゃ憧れました。今回、自分だけのドメインを取得するに当たって、どんな名前にしようかといろいろと考えました。本当であれば、井上ということを端的に表すinoue.jp、inoue.netなどにできればいいのですが、井上という名前は、日本で多い方の苗字ですので申請しても当然だめでした。(そういう意味では、私が通ってる日本キリスト教団千里丘教会の牧師は似田(にただ)という珍しい苗字なんですが、それが少しうらやましくもあったりもしました。)巨人の原監督(虎キチが何を言ってるやと言われそう)がhara-spirit.netを立ち上げたときは、inoue-spirit.jp、inoue-spirit.netなどとしようとも思ったのですが、何かそれも二番煎じにしかすぎないなと思い、いろいろ考えた結果、settsu-inoue.jpというドメインにすることにしました。
なぜ、settsu-inoue.jpドメインにするに至ったかといいますと、プロフィールのページに書いてあるように私は摂津市に生まれ、その後、吹田市、豊中市と転居したものの、また現在は摂津市に住んでいます。つまり、摂津市に住む井上ということを表す意味で、このドメインにしたというのが表面的な真相です。しかし、事の真相はそう単純な物ではありません。実際最近自治体の合併とかが進んでおり、摂津市も隣にある茨木市や吹田市との合併話もあります。(実際淀川を挟んで、対岸にある守口市と門真市は2004年に合併しますからね。)となると、摂津市という名称は、消え去る運命にもあるということにもなりかねません。ということは、settsu-inoue.jpでは意味がないということにもなるかもしれません。歴史をひもとくと、私が生まれてこの方住んできた摂津市、吹田市、豊中市、中学高校時代通っていた灘校の所在地でもある神戸市は、すべて廃藩置県が行われる前は全て摂津の国に属していました。事実、JR東海道本線に、摂津本山、摂津富田といった駅がありますが、これらはおのおの神戸市、高槻市にあるにもかかわらず、摂津と頭に付いています。また、灘校の生徒歌に「霞たなびく野をこめて、莵原の里は花盛り」といった歌詞があります。灘校のある神戸市東灘区は、昔、摂津の国莵原郡(うばらこおり)といわれていたとのことで、この歌詞はそこからきていると思われます。(摂津の国の歴史につきましては、自然総研というサイトの中にある摂津物語紀行というページから一部引用させていただきました。ページはこちらです。)
最近、歴史を重んじるというか歴史を知ろうとすることが希薄になっているような気がします。昔は、奈良、京都と近畿に都があったわけですからね。つまり、そういったことが、摂津、河内、和泉、大和、山城などが畿内5ヶ国と呼ばれるゆえんとなったわけですからね。(畿というのは、都ですよね。)私としては、関東は大嫌いです。ジャイアンツのユニフォームを見ると、敵愾心が燃え上がります。それなのに、ジャイアンツの主力選手って、桑田投手、上原投手、清原選手、元木選手と主力選手が関西出身なのが、タイガースファンにとってはたまりません。しかし、2003年は1985年以来18年ぶりのジャイアンツ戦の勝ち越しを決め溜飲を下げました。また、歴史を重んじるという意味においては、キヤノンの御手洗富士夫社長が朝日新聞のbeという土曜版(2003.03.29版)に「戦後、日本人は廃虚の中から一生懸命に世界で売れるものをつくり、経済大国になった。先輩たちが粒々辛苦やってきた。これを空洞化したり、生産競争に負けて落ちぶれたりしたんじゃ、日本をここまでしてくれたご先祖さまや、うちの先輩たちにも申し訳ない。そういう思いがあります。」とインタビューに答えておられました。やはり、日本は戦後めざましい発展を遂げました。ただ、最近の不況もってか、リストラとか暗い話題も多くきびしい状況でもあります。古いかもしれませんが、今こそ大和魂というかスピリットを持った生き方をする必要があると思うのです。
たぶん、私自身は摂津の国の範囲内にある都市に、永久に住むことになると思います。
私井上健一は、そういった意味においてもこれからも歴史を重んじつつも、温故知新の精神を持って生きていきたいと思う次第です。