誰も知らない話 第3話


レノは珍しくため息ばかりついていた。

「あーあ、感じ悪い仕事だぞ、と。」
「社長の命令だ、文句を言うな。」
「んなこたぁ、わかってるっての。」

淡々と言ってを肩に担ぐルードにレノは投槍に答えて、
気絶した恋人―レノの言うところによればだが―の頬をそっとなぜる。
は少しピクリとしたが目を覚ます様子がない。
早めに動いたのは賢明だった。さもなくば彼女相手に本気を出さざるを得ない所である。
いくらレノでも眉間に50口径(もっとあったかもしれない)の穴を開けられて
死ぬのはまっぴら御免だ。

「行くぞ、レノ。」

相棒に声をかけられて、レノは我に返った。

「あいよ。」

渋々、といった感じでレノは足を動かす。
ふと振り向けば、ご自慢の食虫植物がひどくシャーシャーと鳴いていた。

「レノ。」
「わかってるって。って、何でお前がちゃん運ぶんだ、触んな、寄こせっ。」

レノはルードの肩からをひったくると、呆れ顔をされているのも
構わず自分で運び始めた。
その間中、食虫植物はずっと鳴き続けていた、まるで主を呼ぶかのように。





一体どれくらいの間眠っていたのかわからない。
ただ、ふと気がつけば知らない天井が目に入ってきて
更によく見てみると物に手を伸ばせばすぐに届くような
狭い部屋のベッドに寝かされていた。

「あーあ、とうとう来てもたか。」

絶対に来たくなかったのにと思うものの、起こってしまった事は仕方がない。
はやれやれ、と首を振ってベッドから起き出した。
部屋の中には彼女の他に誰もいない。ドアの外から人の気配がするから、
見張りが立っているのだろう。
銃はと思って確かめてみたらきっちり没収されていた。
わかりきった話だが、いざ現実を目にすると一遍に気分が落ち込む。
どうやら逃げ出すのは簡単ではなさそうだ。だが、希望を捨てるつもりはなかった。
とりあえず狭い部屋を歩き回ってみる。

ドアと猫くらいしか通れないであろう窓が一つ、後はベッドと
小さなテーブルがあるだけの質素な空間だ。
窓が小さいから日も射さないし、もしかしたら元は物置だったのかもしれない。
ドアは鍵がかかっていて内側からは開けられそうにない。
窓も使えないなら誰かが入ってきた時に正面突破か、でもそれだと
相当うまく隙を突くことが条件になるな、とか何とか考えていると
ドアの外から足音が聞こえてくる。
は慌ててベッドに飛び込んで、寝ているふりをした。
出来れば面倒なことは少しでも先延ばしにしたい、例え現実逃避と
いわれようが何と言われようが。
足音が止まった。

「レノ先輩、こんなトコで何やってんですか。」
「決まってんだろ、ちゃんの様子を見に来たぞ、と。」
「ダメですよ、ちゃんと持ち場に戻ってください。」
「固いこと言うなよ、俺のハニーだぞ、と。」

どうやら見張りの女と話しているらしい。
狸寝入りをしながらもは誰がお前のハニーやと思わず心の中で突っ込んでしまう。

「んじゃ、ちょっくら顔を拝むかな、と。」
「ちょ、ちょっとぉっ。」

開錠され、ドアが開く音がした。コツコツと重たい靴の音が
の寝ているベッドまで近づいてくる。
音が止まったかと思えば、今度は顔を近づけられた感覚が走った。
息がかかって正直不気味だったが、は眠っている振りを続ける。
そうかと思えば今度は急にベッドが沈んだ。

「いつまで寝た振りしてんだ、と。」

聞き慣れた口癖で言われては渋々目を開けた。
視界に男の手が飛び込んでくる。どうやらベッドの端に勝手に腰掛けて
手をついている模様だった。
は起き上がりもせずに背中を向ける。相手にどんな顔を向ければ
いいのかよくわからなかったのだ。

「ようわかったな。」
「俺のハニーのやることなんざお見通しに決まってるぞ、と。」
「誰がアンタのハニーや。」
「はいはい。」

レノはの言うことなど意に介していない。
多分今はニヤニヤ笑いながら彼女を見下ろしているのだろう。

「悪かったな。」

急にボソリとレノが呟く。珍しく真面目な雰囲気だった。

「何なん、急に。」

は思わずレノの方に体を向けた。見ればレノ自身もに背を向けている。

「嫌がってんのはわかってた。だけどこっちも仕事だ。
 それにちゃん強いからな、ああでもしないと俺が死んじまう。」

言うレノの背中がかすかに震えていることに気がついて
は胸が締め付けられる思いがした。

「怪我、してねぇよな。」

やめてほしかった。そういうことを言われるのは今のにとってある種の拷問でしかない。
そんな風に震えるくらいなら、

「さっさと私なんか忘れたらええのに。」

そう呟いた瞬間、ガッと肩を強く掴まれた。
何、と聞こうとしたがを見るレノの目が恐ろしく剣呑な光を(たた)えていたので
直視した途端体が硬直する。激怒しているのは明らかだった。
これほど怒っているレノは初めて見る為怖くはあったが、
また例の癖が出てこのまま縁が切れたら丁度ええな、などと考えてしまう。
しかし、それもまたレノには見透かされていたようだった。
の肩を掴む力が強くなっている。やがてレノはとんでもない行動に出た。

「ちょっ、レノっ。」

は思わず声をあげてジタバタと暴れる。
の体はレノに強引に起こされて、しっかりと抱きしめられていたのだ。

「何考えとんの、離してっ。」
「ヤダね。」

の要求はあっさりと却下された。そして、レノはの耳元でこう囁いた。

「誰が離すかよ、と。」

はまた泣きそうになった。





クラウドとティファは子供達と一緒に朝食を終えると、彼らに留守番を頼み、
町外れのの店までバイクを飛ばした。
丁度今時分なら店が開いているはずだ、多分のことだから
栄養剤のビーカー片手に何かブツブツ言いながら植物達の世話をしていることだろう。
そして、2人がやってきたのを見て

『おやおや、お2人さんどないしたん。こんな朝っぱらから仲ええなぁ。』

とからかってくるに違いない。だが店に到着した2人を待っていたのは、
そんないつもどおりの光景ではなかった。

「ねぇ、クラウド、何か変だよ。」
「ああ。」

後ろに乗っていたティファの言葉に頷きながら、クラウドはの店の前でバイクを止める。
の店は見た目はいつもどおり静かに立っていた。
だが、2人はどことなく違和感を禁じえない。
先にバイクを降りたのはティファだった。
余程心配なのか、真っ先に店のドアまで飛んでいく。
クラウドはゆっくりとその後を追っていたが、

「クラウドっ。」

ティファが声をあげるので急いで幼馴染の下へ駆け寄った。

「どうした。」
「お店が、開(あ)いてない。」

言われて見ればいつもこの時間には開いている店のドアが閉まっていて、
ノブには"Closed"の札がかかったままだ。
いつもののことを考えると有り得ない。

「今日は臨時休業じゃないのか。は時々外へ出かけてるだろ。」
「だったら絶対貼り紙か何かしてるはずだよ。何も書かずに店を閉めてるなんて
さんらしくない。」

言ってティファはドアをノックしての名を呼び始めた。
しかし一向に返事がある様子がない。
クラウドはその間、他に何か不審な点がないか探しにかかる。
やがて彼は地面に銃弾の空薬莢が落ちているのに気づいた。
かなり口径がでかいタイプのものだ。

「ティファ、」

クラウドは店主を呼び続ける幼馴染を呼んだ。

「無駄だ。はもうここにいない。」
「どうして。」

を呼ぶのをやめて振り向くティファに、クラウドは拾った空薬莢を見せた。
ティファも気づいたのか、思わず息を呑む。

は多分、ここで誰かと戦ってた。あいつは自分の店の中で
 銃を撃つような真似は絶対しない。一旦外に出てから一発撃って、
 その後どこかへ行ってしまった。」
「それじゃぁやっぱり…」

ティファの顔が曇る。恐れていた事態が現実になってしまった為だろう。
どうしよう、と動揺して辺りを見回すティファだがふと何かに気づいたようだ。

「クラウド、あれ見て。」

指差された方をクラウドが見ると、そこには店の番人である例の食虫植物がぐったりしている。

「あいつ、どうしたんだ。」

クラウドもあの食虫植物は良く知っている。
というのもがここで店を開いて間もない頃にティファと一緒に訪れたのだが、
その時こいつに足をかまれた挙句蔓で髪の毛をグシャグシャにされたという
あまり好ましくない思い出があるからだ。

「確かあいつは1週間くらい水なしでも生きられるんだろ。何であんなに枯れそうなんだ。」
「昨日デンゼル達と来た時は元気だった。疲れちゃうくらいの何かがあったんだよ。
 本当にさんどうしちゃったんだろ。」

しばらく2人は顔を見合わせた。既に彼らの意見は一致していた。
はどこかへ連れて行かれたのだ、と。





ヴィンセントは最近、人生に久々の変化が現れたような気がしていた。

想いを寄せる相手を守りきれず、自らは人でないものに変化してしまい、
長い時を眠り続けていた所をクラウド達に出会って以来の変化だった。
それもこれも今彼の後ろを歩いているクレイモアを背負った約1名のおかげだろう。
彼の知り合いから預かったこの約1名は大変に変わっていた。
一応女だががさつで、見た目の年齢にそぐわず非常に子供っぽかった。
その一方で剣の腕は出色であり、本来両手で扱うクレイモアを細腕、
それも片手で軽々と扱う。
大抵の戦闘においては傷一つ、返り血一つ浴びず、おかげでこのところ
仕事が大変にやりやすくなったことは認めざるを得ない。
困ったことと言えば先刻の子供っぽさで時々我侭を言い出したり
いらないことを言って人にちょっかいをかけることか。
いずれにせよ、大抵の場合1人で行動するヴィンセントにとって
彼女が連れに加わったことは彼の世界が変わったのとほぼ同義だった。

「ヴィンセントー。」
「何か用か。」
「お腹減ったんだけど。」
「さっき食べたところだろう。」

にべもなく答えると空腹を訴えてきた連れは途端に騒ぎ出した。

「何がさっきだよ、食べてからもうゆうに5時間は経ってるじゃん。
 お前は少食で足りるか知らないけどあたしはそうじゃないんだからっ。」
「我慢しろ。無駄口を叩いている暇はない。」
「何が無駄口だっ、こっちは必要なことを訴えてるのにそっちが聞く気ないんじゃないか。」

こんな物言いを聞いていると、彼の知っているとある忍者娘を思い出して
頭が痛くなってくる。

「お前はもう子供ではない。」
「このおっさん。」

おっさん呼ばわりにももう慣れた。始めの頃は違うとは言えないが
はっきり言われるといい気がしなかったものだが、
最近はめっきり老け込んでしまった気がする。

「お前に言われずともわかっている。」
「あ、開き直った。」
「先を急ぐぞ。」
「人の話を聞けーっ。」

連れは喚くが、ヴィンセントが相手にする気が全くないのを察知したのか大人しくなった。
最近はずっとこのパターンだった。
連れは移動している間は大抵言いたい放題言ってきて、しばらくすると静かになる。
そしてまたしばらく経つと何か話題を思いついては喋りだす。
他愛もない話ばかりだったが、この連れは止まるということをほとんど知らない風だった。

「ヴィンセント、ヴィンセント、ヴィンセントー。」
「聞こえている。」
「電話鳴ってるんだけど。」

言われてマントをめくってみると、最近契約したばかりの携帯電話が振動している。
開けてみると、どうやらメールが入ってきたようだ。
差出人は今回の仕事の依頼人からで、結果はどうだったか簡易報告しろという内容だった。
すぐさまヴィンセントは返信を打とうとした、が、

「ん。」

思わず手を止めてしまう。後ろから連れがどうしたのか聞いてきたが、
間違っても答える気はない。
メールの返信はどうやって打てばいいのか思い出せないなどとは。
聞けば確実に馬鹿にされるだろう。だがしかし、焦れば焦るほど訳がわからなくなってくる。

「ヴィンセントー。」

携帯電話相手に悪戦苦闘していたら連れがまた自分を呼んできた。

「さっきから何ゴソゴソやってんの。」
「特に何もない。」
「ひょっとしてさ、メールの打ち方わかんなくなったの。」

うっかり正直に硬直したのがまずかった。
恐る恐る振り返れば、笑いを堪えている連れの姿がある。

「しょうがないなぁ、」

連れが側によってきて、携帯電話を握っているヴィンセントの手をそっと取った。

「あたしがやったげる。」
「すまん。」
「いいよ、携帯持ったばっかのおっちゃんは大抵そうだから驚かないし。」
、私を愚弄する気か。」
「まさか。」

は笑ってヴィンセントから電話を取り上げると、彼に代わって返信を打ち始めた。

「ヴィンセントもちゃんと覚えてね。」
「うむ。」

それは馬鹿馬鹿しくも穏やかな時間だった。
そんな時間を過ごしたのは一体いつぶりのことだろうか。
の扱いには毎日困ってはいるもののこんな機会をくれた
プロフェッサーには少し感謝をしてもいいかもしれない。

「無事でいるといいが。」

がメールを打ってくれている間、ヴィンセントはふとそう呟いた。


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