誰も知らない話 第2話


夜の闇に白い煙が一筋上がる。

「あーあ。」

しゃがみ込んで煙草をふかしながらレノはひとりごちた。
彼はやっとこさ恐怖の食虫植物の攻撃から逃れたところだ。
手や顔は絆創膏だらけ、足元にはさっきが残した救急箱が置かれている。

「やっぱりこうなっちゃったぞ、と。」

口から煙を吐いて、更にレノはため息を漏らす。
こうなるのは始めからわかっていた。来れば拒絶される、
だから今回の仕事は始めから乗り気ではなかったのだ。
大体、何が悲しくて自分がの所へ寄こされなければならないのか。
絶対に社長の陰謀だとレノは思う。
とは言うものの、任務は遂行せねばならない。手ぶらでノコノコと戻れるはずもなかった。

「おーい、ちゃーん。」

僅かな望みをかけて自分の後ろのドアへレノは声をかけた。
だがドア越しからは何の気配も感じられない。望みは一瞬で砕けた。

「冗談じゃねーぞ、おい。」

レノは煙草を握りつぶした。そのまま苛立ちに任せて地面に落とそうとしたが
この敷地の主が大の嫌煙家で、灰のひとかけらでも敷地内に落とすと
大口径銃の一発をお見舞いしかねないことを思い出してそれは思いとどまる。
灰を落としたら撃ち殺す、と携帯灰皿を背広の内ポケットに強引に突っ込まれたのは
そう昔のことではない。

「頼むぜ、ちゃん。」

本当に縋る様な思いでレノは呟いた。

「痛い思いさせたくねぇんだよ。」

ドアからはやはり何の気配も感じられない。
が、レノは絶対向こうに聞こえている、と確信していた。

はその時ベッドに潜り込んで顔を隠し、震えながらうずくまっていた。





クラウドが仕事を終えて、セブンスヘブンの店に帰ってきたのは
とっくに日付が変わっている夜中だった。
店に入ると嗅ぎなれない香りで満たされている。
何だろうと思っていたら無人のカウンターの上に見慣れない花の鉢植えが置かれていた。
白くて小さな花が薄明かりの差し込む空間に浮き上がって見える。
クラウドは何となく鉢植えに近づいた。

「あ、クラウド、お帰り。」

つい、旅支度を解くのも忘れて何とはなしに葉を弄っていたら
階段からティファが降りてくる。

「もう、帰ってきたんなら声くらいかけなさいよ。」

クラウドは数秒沈黙してから小さくただいま、と呟く。
ティファはしょうがないんだから、とクスクスと笑った。

「今回は随分長かったんだね、仕事。」
「遠かった。それにまだまだモンスターがいる。早く済ませて 帰りたかったんだけどな。」

クラウドは答えてまた花の方に向き直った。

「これ、どうしたんだ。」
さんの店で買ったんだよ、新作でお勧めだからって口車に乗せられちゃった。」
「そうか。」

急に黙り込むクラウドにティファが不安そうにするが、
クラウドは別にの名を聞いて不機嫌になった訳ではなかった。
(確かにはクラウドにとって得意なタイプではなかったが)
彼は考えていた。ティファが買ってきたこの花の香りは何だか不思議だ。
どぎつい香りではない、かと言ってよくかがないとわからないような
かすかなものでもなく、ちゃんと自分の存在を示している。
そして何より不思議だったのはこの香りをかいでいるとひどく穏やかな気分になる。
昔の心の傷は引きずりすぎてかなり磨り減った。
それでもまだ疼く部分をこの花は少しの間だけ包み込んでくれている気がした。

「花が、」

クラウドはポツリと漏らす。

「ん?」
「もっと増えるといいな。街を埋めるくらい。」
「そうだね。」

幼馴染の言葉にティファが微笑んだ。

「みんな笑顔になって、さんは大喜びだよ。」

クラウドは肯いて、背負っていたバスターソード用のホルスターを降ろしにかかった。

さんといえば、」

ティファがためらいがちに切り出した。

「何か変なんだ。」
「どういうことだ。」
「うん、何か悩んでるみたい。元気そうにしてるけど顔色悪いし、
時々ぼぉっとしてるし。それにここんとこさんの店の近くで
黒ずくめの人がウロウロしてるの見かけるってお客の間でもちきりなの、
ひょっとしたら…」
「あいつらしかいない。」

手袋を外しながらクラウドは答えて、眉間に皺を寄せた。
あいつらに関わるといつもろくなことがない、いい加減にしてもらいたいもんだ、
というのが彼の本音である。
どうしていつもこっちをそっとしておいてくれないのだろうか。

「ねぇ、どうしたらいいかな。」
「どうしたらって。」
「助けてあげたいと思わない。」

また始まった、とクラウドは思う。ティファのそういう所は美徳であり、
彼も嫌いじゃないのだが助けるも何も…

「俺達に何が出来る。の問題じゃないのか。」
「クラウドっ。」

ティファは咎めるように声をあげるが、クラウドは意に介さない。
だって本当に俺達に何が出来る。そもそものことなど知っているようであまり知らない。
どこからかエッジに流れ着いてきて、あまり他人を拒絶しないが
そのくせ自分のことはほとんど喋らない。これ以上面倒は御免だ。
しばらく幼馴染同士の間に沈黙が流れる。
夜の闇の中で、それは普通以上に重く感じられた。

さん、」

ポツリ、とティファが呟いた。

「いなくなっちゃうかもしれない。」

思わぬ意見にさすがのクラウドもバッと振り返る。

「どうしてそう思う。」
さん、何でも自分で抱えちゃうから、ひょっとしたら誰も巻き込みたくないって
 1人で消えちゃうかも。ちょっと前までの誰かさんみたいにね。」
「厭味なのか。」
「違うよ。ただ、本当に心配なの。さん、いい人だもの。」

クラウドは答えなかった。が、ティファはわかりきってると
言わんばかりにまたクスクスと笑う。

「クラウドもホントはさんのこと嫌いじゃないんでしょ、
文句ばっか言うくせに誘ったら絶対一緒にお店に行くもんね。」
「俺は花に興味があるだけだ。でも、がいなくなったら花を育てる奴が
いなくなって、困るかもな。」

言って外した装備を小脇に抱え、クラウドは風呂に入ろうかなと
ひとりごちながら階段を上っていく。

「朝、」
「うん。」
「店が開く頃にの所に行こう。」

頷きながらティファは素直じゃないんだから、とこっそり呟いた。





次の日の朝はにとってすこぶる寝覚めが悪かった。
無理もない、事情を知らない他人から見れば
ただのストーカー騒ぎにしか見えないゆうべの一件はにしてみれば
かなり辛いものがある。
レノが何故夜中にやってきたのかはわかっていた。
間違いなくの大嫌いな奴―レノの上司―の命令だ、
それも部下の意思を知っていての所業か。考えただけで吐き気がする。
嫌や嫌や、とは頭を抱えた。
彼女はどちらも傷つけたくないのだ、レノも、彼の上司がから得ようとしているものも。
だがまずいことに今は片方を守ろうとすればもう片方が傷ついてしまう
構造が出来上がっている。
は植物学者としては優秀だったが、こういう時に両方守るには
どうすればいいかということは全く考えつかなかった。
結局、そんな彼女が決めたのはレノをとことんまで切り捨てることだった。
いっそのこと憎まれたって構わない。その方が彼も面倒な思いにとらわれずに
すんで楽かもしれない。
とにかく自分は今更どんな思いをしたって構わないのだ。

『痛い思いさせたくねぇんだよ。』

ふいにゆうべのレノの言葉が蘇ってくる。
レノはこれだから困り者だった。が冷遇することで彼があっさり
引き下がってくれれば事は簡単だったのだが生憎相手は馬鹿みたいに諦めが悪かった。
何度が冷たくしようが構わずに突っ込んでくる。
もしかしたらの考えていることも知っていて、尚且つ自分の仕事も
何とかしようと必死なのかもしれない。
でも、それでも…

それでも、あの子だけはアカン。
あの子は自由に生きさせるんや、誰もあの子が利用出来へんように。

「頼むで、ヴィンセントさん。」

は呟いて、よろけながら服を着ると部屋を出て1階の店兼研究所に降りていった。





は火を焚いている音で目を覚ました。
起きてみたら、辺りはやっぱりここしばらくですっかりお馴染みの
灰色の荒野が広がっていたもんだからその顔は必然的に膨れっ面になる。

「さっさと起きろ。」

見れば、の連れが火を起こしているところだった。

「悠長に寝ている余裕はない。」
「ここには花がない。」

は言った。

「草もまともに生えてないし、つまんない。のトコはいっぱい花があったのに。」
「くだらないことを言っている暇があったら髪を()け。」

連れは火の番をしながら静かに言うが、はますます膨れて膝を抱える。
顔を膝にうずめて彼女は思わず呟いた。

の所に帰りたい。」
「それはプロフェッサーの意思を無視すると見なしていいのか。」

瞬間、空気が凍った。マントを纏った連れの赤みがかった瞳が
を射抜くように見つめている。
しかしも負けじと相手を睨み返す。この男に負けるつもりなどさらさらなかった。

誰がなんと言おうと、は彼女にとって全てだった。
屍同然だった自分をわざわざ助け、生きることを教え、
自身の子供のように大切にしてくれたのだ。いわば母親に近い。
そんな人から引き離されて、恋しがらずにおられるだろうか。
2人の睨み合いはしばらく続いたが、やがてそれをやめたのはの方だった。

「わかってるよ。」

俯くは泣きそうな声だった。

があたしの為を思ってるのはわかってる。でもわかってたって寂しいんだもん。
ヴィンセントはニブチンだからあたしのことなんてわかんないんだ。」

無茶苦茶なことを言われてヴィンセントはわずかながら眉間に皺を寄せた。
しかし特にとがめることもなく、焚いた火で暖めた缶スープをの前に置く。

「食べろ。それとその前に髪を梳け。」
「うるさいよ、おっさん。」

は悪態をついたが、言われた通りに髪を梳きにかかり終わると朝食に勤しむ。

「ヴィンセント、」
「何だ。」
「今度からスープ、違うのにしようよ。」
「お前もそう思うか。」

見れば、自らも缶スープをすするヴィンセントの手がかすかに震えていた。





とりあえず起きて朝の支度を終えたはいつものように店を開ける準備を始めた。
まだ完全に立ち直った訳ではないがやるべき仕事が目の前にある以上
ほったらかす訳にはいかない。

植物達に水や栄養剤をやって、
雑草があったら取り除かなくてはいけない。番犬代わりに外に植えている
食虫植物には動物性蛋白質(その実単に冷蔵庫に残ってた肉のかけら)を少し。
こいつには当分働いてもらわないといけないことになりそうだから、
もう一株か二株培養することを考えてもよいだろう。
それと結構人気のある小瓶入りの植物シリーズ、そろそろ瓶に入れる
培養ジェルのストックが少なくなってきたので補充が必要だ。
材料は今度発注をかけて配達はクラウドに頼むとしよう。
クラウドは無愛想で人間不信気味だがの店に関することは
比較的快く引き受けてくれる。
以前配達を担当していた運送屋は荷物の扱いがあまりに
粗雑だったので丁度いいだろう。
そうそう、店に飾りで置いている実験用具の埃も掃除しないことには
客にとって感じが悪い。あまり人がこない時間帯を狙って少しずつ手入れをしようか。
それにぼつぼつ外に出かけて実験の為に荒野のあちこちに植えている
植物達のデータを取る時期だ。後は…

の思考は店のドアがノックされた音で急に中断された。
まだ店を開けていないのに一体誰だろう。

「クラウドか、まだ配達してもらうもんはないで。あったらまた連絡するから待っといて。」

声をかけるが返事がない。クラウドではないのか、
ひょっとしてティファかとも思ったが彼女なら何かしら返事をするだろう。
まさか野良猫か野良犬でも迷い込んできたのかと思って、はドアを開けた。

「どちらさん。」

開けた途端、あまり見たくない色合いが目に飛び込んできたので
はドアを大急ぎで引き戻した。
赤と黒のコントラスト、嫌でもわからずにおられようか。

「迎えに来たぞ、と。」

独特の口癖で言ったのは、昨日散々食虫植物にやられた約1名だった。

「こっちは用ないぞ、と。」

は言い返して完全にドアを閉めようとした、
が、レノが抜け目なく自分の靴を挟んでいた為にうまくいかない。
ヤクザみたいな真似をしおって、と思ってからすぐに似たようなもんやなと思い直す。
いずれにせよ、ドアを閉めるのは諦めるしかなかった。

「懲りへん奴やな、昨日の今日で一体何の用なん?」
「プロフェッサー・、」

レノの後ろから見事なまでの坊主頭に髭とサングラスが嫌でも
目に付く大柄な男が顔を覗かせる。

「社長がお呼びです、すぐに来て欲しいと。」
「ルードまで。」

これまた見覚えのある顔だったからは内心舌打ちをした。
彼らが社長と呼ぶ男はとうとう本気で強硬手段に出たらしい。
用件なぞわかりきっているから考えただけで心臓が胃に落ちるような心持がした。

「言うたやろ、」

何とか平常心を保っては言った。

「こっちは用なんかあらへん、悪いけどそっちまで足を延ばす気は
ないって社長に言うといて。」
「やっぱりな。」

レノが参ったぞ、とため息をつく。

「申し訳ありませんが、」

今度はルードが静かに呟いた。

「承諾していただけない場合でもお連れしろという命令です。」
「やっぱりそう来たかっ。」

叫んでは中から飛び出し、白衣の裾をまくった。
いつもなら隠れているその腰には銃の刺さったホルスターがある。
かなり大きい銃だ、50口径はゆうにあるだろう。
とても普通の女性の護身用とは思えないし、そもそも引き金が引けるかどうかが怪しい。
にも関わらずはそれを片手で普通に抜き、撃鉄(げきてつ)も起こさずに
引き金に指をかけた。
花屋に似つかわしくない耳をつんざくような銃声が響く。
1発目は予測されていたのか、あっさり避けられてしまった。
間髪いれずには2発目を撃とうとする、が…

「えっ。」
「遅いぞ、と。」

ふと気がつけば目の前にレノがいた。
手には神羅カンパニーの社章が入った警棒、はまずい、と思ったがもう遅い。
バシュッと音がして警棒から電撃が放たれた。

「うぐっ。」

は強烈な一発で意識を手放した。手放す直前に

「御免よ。」

レノがそう呟いたのが聞こえた気がした。


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