義妹と俺様 ―里帰り― 後編

団地を離れた俺達は義妹が行きたいと言った公園に向かった。
坂を上がって7分ほど、着いてみればそこは途中で何度か見掛けたものよりは
ずっと広い所だった。
丘をそのままにしたとしか思えないぼこぼこ隆起した土地のあちこちに
遊具があり、隣りにはグラウンドもある。
真ん中にはデカいローラー滑り台があった。
ローラーはもともと色とりどりだったんだろう、今じゃすっかり色褪せているが。

「あんまし変わってへんな。」

滑り台の前で足を止めて義妹が呟いた。

「色が薄なったくらいか。後は周りが家だらけになっとうな。」
「住宅用地なら当たり前だろ。」
「昔はぐるっと空き地やったよ。何も建ってへんかった。」

言いながら義妹は滑り台のローラーに軽く触れた。

「初めてこの滑り台見た時はよう滑らんかったけど、
 今みたら何で怖かったんかわからへんわ。やっぱりまだ小さかったんやろね。」

今でも大して変わらねえと思うが、いくら馬鹿義妹でも感傷に浸っている所を
邪魔する程、俺は野暮じゃない。

「よく遊んでたのか、ここで。」
「うん、1人が多かったけど。」

言って義妹がまた先に歩き出す。
どこか影を引きずっているようなその後姿を見ていたら、何故だか想像がついた。
友達同士5,6人、楽しそうにはしゃぎながら追いかけっこをしているガキ共、
それを離れた所から見つめてる女のガキがいる。
しばらく追いかけっこをしている連中を見つめてから、
そいつはノソノソと滑り台の上に上ってローラーの上を1人で滑る。
何度も、何度も。

妙にリアルな想像だった。

「にーさん、どないかした。」

ぼんやりとしている俺の様子に気がついたのか、がこっちを振り向いて尋ねてくる。

「何でもねぇよ、先に行け。」

義妹は首を傾げて前に向き直る。
俺は歩きながら辺りを見回す。
さっきの団地も人を見掛けなかったがこの公園も人がいない。
通り過ぎた砂場も多分普段ならガキが遊んでいるんだろうが、
今は誰もおらず、プラスチックのスコップが置き去りにされているままだ。

義妹が次に足を止めたのは滑り台より離れた小高い所にあるブランコだった。
明らかに相当小さい子供向けだろう、横木が低すぎて小学生でも余裕で足が着く。

「ここの公園出来た時、私大概大きなっててさ。」

が言った。

「ブランコ好きやったけど、自分は乗られへんってわかった時、何か悲しかったなぁ。」
「ほぉ。」
「何か、もう自分は大きくなりすぎたって気がしてん。」

言いながらブランコを見つめる義妹の様子は、
きっとその当時と変わっちゃいないんだろう。

「ひでぇお子様思考だな。」

何となく流れた鬱陶しい空気を払うつもりで俺は呟いた。

「せやな。」

珍しく突っ込みを入れることなく、は今度は後ろに植えられた木に目を止める。

「あのヤマモモの木、まだあったんや。よう人が見てへん隙に実ぃ取って食べてたな。」
「野生の獣か、てめえは。前から動物くせぇとは思ってたが、案の定だな。」
「特殊環境の箱入りにーさんに言われてもなぁ。」
、東京帰ったら覚悟しとけよ。」

義妹はへへへ、と笑ってタタッと駆け出す。

「逃げんな、このガキ。」

俺はすぐその後を追う。
そうして更に公園の奥へ進んでいくと、開けた場所が広がる。
丘を切り開いたのがよくわかるそこを、俺とバカ義妹は
ガキみたいにしばらく追っかけっこをしていた。

東京にいる時の俺だったら
絶対に―家の中はともなく外では―やらない行為だったから
変に新鮮な気がした。

「ハァ、ハァ。」
「情けねぇな、大した運動じゃねぇだろ。」
「毎日鍛えてる人ちゃうもん、んな無茶な。」

息をつきながら義妹はぐるっと辺りを見回した。

「ホンマ、すっかり家だらけになってもたなぁ。」

遠くに見える道路の更に向こう側、一軒家が立ち並んでいる辺りのことを
言っているのだろう。

「昔はあっちの方、更地やったんよ。まだ山もあったし。今全然見えへんね。」

聞いてもねぇことを言いながら義妹は遠くに目をやる。

「長いこと()んうちにホンマに変わってもたんやなぁ。」

しみじみするに喋らせておいて、俺はその辺にある遊具や石のオブジェに
目をやっていて、多分この土地から出てきたんだろう珪化木(けいかぼく)
置かれているのがいい趣味とは思えないといったことを考えていた。
化石の考古学的価値は認めるが、ここに置かれているのは
たまたま見た目が不気味だ。
さぞかしガキ共に嫌がられてることだろう。

「何か夢みたい。」
「あん?」
「この町におった間、嫌なことがいっぱいあったけど、
それが全部、ホンマにあったような感じがなくなっとう。
そういえばそんなこともあった気がするけどって感じやねん。」
「そんだけ時間が流れたってこったな。」
「せやね。」

義妹が口を噤むと途端に静かさが気になる。
とりあえず、俺達は芝生に座って少し休むことにした。
そういやずっと歩きずくめだ。
義妹がいちいち持ってきた水筒の茶を分けて飲みながら、
俺達は静かに風の音と虫の音を楽しんだ。


「そろそろ移動するぞ。」

しばらくして俺がそう言って立ち上がったのはどれくらい経った時だったろうか。
時計を見ることも忘れていたから、何ともわからない。
義妹は素直に、うん、と言って立ち上がり、芝生を踏みしめながら
俺達はゆっくりと歩き出す。

「悪くかねぇな、この場所は。」
「せやろ。」
「調子乗ってんじゃねぇよ。」
「いや、それ意味わからんし。」

突っ込む妹に、俺はとりあえず水筒を忘れるな、とだけ言っておいた。


公園から戻る途中、俺達は小さな学校の前を通った。
が何も言わなかったせいもあって、行きの道では
そこに学校があることにも気がつかなかった。

「あんだ、ここは。学校か。」
「市立の中学校。」
「随分チンケだな。」
「公立やで、氷帝と比べてどないするんよ。」

の態度は妙にそっけない。しかも何故か急いで去りたがっている。
ひょっとして、

「ここに通ってたのか。」

俺が言うとの足が止まった。毎度毎度わかりやすい奴だ。

「せっかく里帰りしたんだろうが、通ってたトコくらいじっくり見ていけよ。時間はある。」

だが、は何かためらっているようだった。

「気ぃ進まへん。」
「懐かしくねぇのかよ。」
「あんまり。」

は呟いた。

「この町には帰りたかったけど、学校には二度と戻りとなかったから。」

どうやら何かあったようだが、そこは理解ある兄の俺だ、
深く突っ込むことはしない。

「まぁ無理強いはしねぇがな。」

俺が言ったらはあからさまにホッとしたようにまた歩き出す。

いきなり声をかけられたのはその時だった。

さんちゃう。」

俺は誰だ、いきなり、と思ったが、義妹には心当たりがあったらしい。
あ、と振り返る。つられて同じ方向を見たら、ダサい制服を着た女子が
数人固まってに手を振っているのが見える。
多分ここの中学の奴だろう。

「何だ、あいつらは。つーかお前のこと呼んでんのか。」
「ここの中学におった時おんなじクラスやってん。私が苗字変わったん知らんちゃうかな。」

そういえば俺も、今の今までがうちに来る前の苗字など忘れていた。
いちいち頓着したことなどないし、多分も普段は何も考えちゃいないだろう。

声をかけてきたのが知った顔の割に、義妹の表情は浮かないものだった。
普通なら里で見知った顔を見たら喜ぶもんだが。
そうこうしているうちに女子連中はワラワラとこっちによってきやがる。

さん久しぶりー、元気やった。」
「あ、うん、お蔭様で。」
「長いことこっち来てへんかったもんなぁ。今東京におるんやろ、どんな感じなん。」
「どんな感じ言うてもなぁ。」

口々に言いたいことを言う女共には辟易したように受け答えをする。
多分、マジで辟易してるんだろう。
ったく、どこでも知りたがりのうるせー奴はいるもんだな。
関係のない俺は一歩離れたところからその様子を眺めていたが、

「なぁ、さん。その人誰。」

この知りたがり共はきっちり俺にも興味を向けてきやがった。

「ちょっと、めっちゃイケ面やん。」
「もしかして彼氏。」

冗談じゃねぇっ。
も慌てたのか首をブンブン振って否定する。

「ちゃうちゃう、義理のにーさん。ほら、私、他所に引き取られたから。」

女共はどよめいた。

「え、うそ、めっちゃドラマやん。ええなぁ。」
「何何、玉の輿。」
「た、玉の輿て。関係ないやん、兄妹やで。」

それでも連中はわいわいと義妹を質問攻めにした。
こいつらがうちのを開放した頃には、1時間くらい経っていたと思う。

「浮かねぇ面だったな。せっかく顔なじみに会ったって割には。」

駅に向かいながら義妹にそう言ったら、義妹はかなり嫌な顔をして答えた。

「あの子らと友達やったことなんか一遍もないもん。
向こうがいっつも笑いモンにはしてきよったけど。」

さすがに聞くんじゃなかったと後悔した。


忌々しいことに、災難はまだ終わらなかった。
そろそろ駅までの距離が縮まってきた頃、今度は向こうから野郎共が数人やってくる。
さっきの女子連中と変わらないダセェ制服、着ている連中も何だありゃ、猿か。
まるっきり洗練された様子がねぇ。
しかもこいつらは開口一番、うちの義妹に向かってこう言いやがった。

「おい、見ろや。がおんで。」
「え、うそ。」
「うっわ、ホンマや。」

それを聞いた瞬間から義妹の顔はさっきよりも引きつった。
どうやらさっきの女子共と同じく関わりたくない手合いなのか、
義妹は行こうと言って先に歩き出す。
俺だって面倒に巻き込まれるのは趣味じゃねぇ、だが野郎共はしつこかった。

「おい、。お前、何でこっち来とんねん、気色い(きしょい)んじゃ、はよ死ねや。」
「しかも男連れとるし、何調子こいとん。」
「男も可哀想やな、の菌がうつるでぇー。」

浴びせられる言葉ははっきりいって低レベルでくだんねぇ。
が、義妹には応えてるらしい。体がわなわなと震えている。
だが、はぐっと唇を噛み締めて黙って歩き続ける。
野郎共はそれが気に入らないのか、更に言葉を重ねた。

「おいや、シカトすな。」
「聞こえとんねやろ、何か言うたらどないや。」

それでもは無視を決め込むものだから、奴らより先に俺の忍耐力が限界を迎えた。

「おい、てめぇら。」

思わず俺は口にした。

「人の妹に好き勝手言ってんじゃねぇよ。」

が、野郎共は俺の言葉を一笑に付した。

「うわ、あいつ東京弁や。」
「何役者気取っとんねん。」
「妹?阿呆か、テレビの見すぎじゃ。」

あいつらっ、もう我慢ならねぇ。
血管が千切れて、相手に突っ込んでいきそうになった所を止めたのは
義妹の一言だった。

「ええよ、にーさん。相手するだけ損やで。」

義妹は言って足をどんどん速めた。


あの猿共のおかげで、駅のホームで電車を待つ時間はかなり雰囲気が悪かった。

「とんだ里帰りになっちまったな。」
「ええよ、別に。にーさんが悪いんちゃうもん。」

は俯いたまま呟く。こっちからは見えないが、今どういう状態なのか想像に難くない。
あいつらマジで覚えてろ、次会った時は容赦しねぇ。
原型とどめねぇくらいまでミンチにしてやる。

。」
「何?」
「お前、本当はこうなる可能性わかってたんじゃねぇのか。
何だってわざわざ里帰りしたいって言ったんだ。
親戚連中はアレだし、お前あの様子だとこっちに友達もいなかったんだろ。
結局けったくその悪い思いをしただけじぇねぇか。」
「まぁそうやけど、」

はモゴモゴと答えた。

「でも、町自体は嫌いちゃうかったからなぁ。」

あまりにこいつらしかったから呆れた、としか言いようがなかった。

「しょうがねぇ奴だな。」
「自分が強引に付いて来たくせによう言うわ。」
「うるせぇ。」

またいらねぇことを、と思いつつ俺はふと口にした。

「町自体は嫌いじゃないつったな。」
「うん。」
「ここに残りてぇか。」

義妹はキョトンとした顔をした。

「親父はお前をうちに連れて帰った。だが、もしお前がどうしてもここに居てぇなら
親父を説得して何とかお前だけでもここに住まわせることも出来る。
まぁ、さっきの猿共はともかくとしてもお前の故郷だしな、どうだ。」

は黙って俺の話を聞いていたが、聞き終わってからはっきりと言った。

「そんなんいらん。」

意外、と思ったその時の俺はかなり間抜けな顔になっていたと思う。

「無理することはねぇぞ、うちのお袋とババァから離れられる。
いつもウゼェ思いしてるんじゃなかったか。」

それでも義妹は首を振った。

「いっぺんここには来たかったけど、私が帰るトコはもうここちゃうもん。
にーさんがいて、今のお父さん達がおるトコが、今私が帰りたいトコやから。」

まるでどっかのドラマみたいな台詞では断言した。

「せやから、ええねん。」
「そうか。」

冗談だと思わないでもらいてぇ。
この時俺は心底、本当に心底、良かったと思った。

「とりあえず野放しのにーさんがそこかしこで女の子ナンパせんようにしとかんと。」

空気を読むって頭がねぇのか、このガキ。

「痛い痛い、ほっぺつねるなー。」
「るせぇ、そのふざけた口、矯正してやる。」
「鬼軍曹ー。」
「いつの時代だっ。つーかいつも余計な言い回し持ち出すなって言ってんだろっ。」
「ふぎゃー。」

結局、いつもどおりのノリで俺達は電車に乗って、の親戚の家に戻ったのだった。


そんなこんなで2日ほど神戸に滞在して、俺とはまた新幹線で東京に戻った。
行きしなは散々うるさかった義妹は、帰りの列車の中では
ほとんど眠ってばかりで大人しかった。
何だかんだで疲れていたんだろう。
だから起こさずに放っておいて、俺は窓の景色を見つめていた。

「お2人で旅行ですか。」

たまたま通路を挟んで向こうの席に座っていた老女が話しかけてきた。

「妹と一緒にちょっと里帰りをしてきまして、今帰るところです。」
「まぁ、ご兄妹お2人だけで。」
「妹がどうしてもと言うもんですから。」
「それで付き添いで来られたの。妹さんのこと、大事してるんですね。
いいお兄さんだこと。」
「さぁ、どうでしょうか。」

俺は答えて、何となく寝ている義妹の頭をなでる。
この場でこいつが起きてなくてよかった、と思った。

こいつのことだ、起きてたら後で絶対、
『この猫被りの詐欺師。』と言ってきたに違いねぇからな。


義妹と俺様 ―里帰り― 終わり


作者の後書き(戯れ言とも言う)

この話を書いている間中、エアコンをまったく入れずに窓だけ開けた部屋に
籠もっていて、頭がボゥッとした状態だったことをここに告白いたします。

2007/08/13


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