香港巴士鐵路旅遊協會 HONG KONG PUBLIC TRANSPORT TOURISM ASSOCIATION
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お気に入りのバス路線 51
お気に入りのバス路線へ 荃湾~錦田
乗車日:1996.5.18
記 者:[001]
KMB51バス路線図
地図中の「九広東鉄」「九広西鉄」は当時の名称。2007年12月以降はそれぞれ「MTR港鉄東鉄線」「MTR港鉄九広東鉄」。
 MTRこと地下鉄西北終点の荃湾から大帽山を越えて新界の錦田へ向かう、山越えのローカルバス路線。

 今となっては、新界西北部に横たわる山地を大欖トンネルで一気に抜けてしまう3号公路が完成しているし、九広西鉄も開通したのでこのルートはまったくの裏街道になってしまった。でも、20世紀も最終コーナーまで、この山越え路線が唯一の錦田・元朗地区と九龍を直接結ぶ路線だったのだ。現在は空調バスの路線だが1996年頃までは、肌色+紅色の非冷房のオンボロバスばかりだった。でも、ここにはその方が似合う気がする。

 九広西鉄の荃湾西駅まえのバスターミナルが始発。MTRの荃湾駅の真上を越える道路上にもバス停がある。そこを過ぎるとすぐに道は登りとなる。急坂を左右に切り返しながら、エンジン音の唸りも大きくなりゆっくり走る。周囲は林の斜面。所々にバーべキュー場の看板が見える。最高点の峠は標高500mほどだ。始発はフェリー埠頭のすぐそばだから一気に500mも登ってきたことになる。ここから標高957mの大帽山へ向かうハイキング道が出ている。実は大帽山とこの峠越え道は1941年に北から香港に攻め込んだ日本軍の進攻経路上にある。大陸側の境界を越えた翌日の12月8日にはこの山上から九龍を望む位置に至っている。香港陥落はその17日後だった。

 峠を越えてしまえば、降下するばかり。エンジン音も軽やかになり、等高線に沿いながらやはり左右にカーブを繰返して降りていく。平地に出たところが石崗。地味な集落だがひとつ変わった施設がある。空軍基地だ。2000mほどの滑走路が1本ある。1997年夏までは英軍基地。今では中華人民共和国空軍が使っている。左手に滑走路を眺めているとそろそろ終点。

 錦田は何十年も何も変わらなかったのではといいたいような集落だ。終点と言っても街道の途中にバス停のポールが建っているだけ。周囲にはおとぎ話に出てきそうな、小さなレストランや郵便局が少し並んでいる。少し歩くと、客家の塀で囲まれた集落、吉慶園。
 
 私がこのバスに乗ったのは96年。今では、南に進むと西鉄線の錦上路駅があり、確実にこの辺りにも変化が押し寄せてきている。3号公路や西鉄線の方が速くて快適だけれど、峠越えのバスにはゆっくりとした旅の楽しみがあるように思う。

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