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香港の海岸線ドライブ 東區走廊を行く  [001]
 夕方五時半、香港ビジネス地区セントラル(中環)の高層ビル群を背に海を見ている。買った缶ビールが海を見ながら一本終わる。さあどうしようか。夕飯を一人でするにはまだ明る過ぎる。ウインドウショッピングをする気にもならない。対岸九龍の下町に出かけての街歩きにはちと時間が不十分。まあ、特別な目的があってここまで来た訳でもないのだから、気楽に考えよう。そんな中途半端な夕方に、ふと思い出したのはある道路だった。
 だいぶ前、香港の地図をパラパラと眺めていたときだった。香港島の北東部の大きく海に迫り出している地域に、さらに海に迫り出して海岸の縁どりのような道があるのに気がついた。「東區走廊・Island Eastern Corridor」、名前もカッコイイ。地図で見ると海中に建っている高速道路としか思えない。そのときから、いつかあの道を走ってみようという微かな想いがいつも頭のすみにあった。海に沿って走ったら気持ちいいだろうな、と。左側に(そう、なぜかいつも海は左側にあった!)海を見ながらビュンビュン走っていく。自分で運転したら、映画みたい。チャイナシャドウのジョン・ローンみたい、などとガラでもないミーハーな空想も現われた。右手に林立する高層ビルを次々と後方へ流し、その向こう側に路面電車と路上マーケットが同居している春秧街があるのも知っている僕は、幸せなことにこの先どこで誰に会うのかを想像する必要もなかった。この道を走る僕はいつも走っていさえすればよかったのだ。
 僕は中途半端な夕方に香港はセントラルの海辺に立っていたのであった。あいにくジョン・ローンでも財閥の二世でも政庁の高級官僚でもない僕は「Island Eastern Corridor」と一言呼んでも傍の車の後部ドアがさっと開いたりはしない。かといって、タクシーに乗っても目的地が無い。東區走廊をドライブする僕は、その先どのビルの駐車場に車を入れ誰に会うのかを知らなかったんだ! どうしよう。
 東區走廊を走るバスを見つければいいではないか。バスなら行き先を知っててくれる! 780番のバスは中環始発だった。僕は「展望席」で一人いい気分。
 銅鑼湾を過ぎると、東區走廊に乗る。すぐに左に大旋回しぐんぐん高度を上げていく。小さな船が左下に見える。北角の白くて細長い棒のようなビルの林立が正面に見え、それを右に巻き込んで旋回。もう僕はほとんど海の上を走っている。風を切る音が聞こえてくるようだ。左に青い海、右に白いビル群、前が真直ぐな道、スピード。香港らしからぬ単純化した美しい光景。夕方の陽はバランスのとれた色彩をきわどく保ってくれている。この光景も間もなく橙と藍に染まっていくのだろう。右旋回に入ると視界はほとんど海、そして対岸の九龍のビル。 こうして海の上を飛ばしていると、右手陸側のビルの向こう側に延々と続く不規則な生活の匂いの充満した建物を忘れていく。高いところからだと都会は眺めるものに変わっていく。
 780番は太古城の近くで東區走廊を降りた。ここでバスは突然性格を変え、住宅団地内をこまめに停り始めた。ところでこのバスの行き先だ。柴湾(小西湾)ということになっている。当然、僕はそこがどんなところかは知らない。知らないけど困りもしない。行き先が無いのは困るけれど、知らないだけなら着けば分かるし少なくとも同じバスで帰っても来られる。
 いくつかの大団地を過ぎると急に建物の希薄な山道の切通しに入る。その抜けた先が柴湾だった。目の前にムチャクチャ背の高い住宅ビルが現われ、山から急降下して街に入ると柴灣の中心部だった。雑多な建物、多くの人、車やバス、映画館、スーパー、市場、屋台群、蒸し暑さ。東南アジアに舞い戻った。バスは街区を抜け、小西湾という柴湾の外縁部の一地区にある終点に着く。
 さて、ここに来る用など何も無かった。無かったけれどバスがせっかく連れてきてくれたんだから見物でもしながら少し歩こう。もうあたりはだいぶ暗くなっている。相も変わらずの白くて細長いノッポ住宅ビルがずらりと並ぶ。ふと見上げると、バスの立体駐車場があるではないか。二階バスが入る、四階建てのコンクリの建造物ってなかなか大迫力。地下鉄も柴湾が終点。近所にやはり車庫がある。団地群もこのあたりが終点。開発の終点がみな一緒になっている。そのうち終点たちは先へ進むこともあるんだろう。


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