fate
昔、突如として現われた魔王の出現により、世界は恐怖へと陥ったが、ある勇敢な人間の勇者達により魔王は倒され、世界に平和が戻った。
それから六百年後…。
闇のように佇む巨大な城、その城の王の間にある玉座もまた、闇で出来ているかのように黒い。
座っているのは、これもまた黒いゆったりとした服を身に纏い、漆黒のような黒い長髪が綺麗な闇の瞳をした男だった。
魔物の中の王だけが座れる玉座に深く沈み、その男はそっと手を動かした。
頭痛のする頭を抑える為だ。
「どうしても嫌なのか?クガイ。」
「ああ、嫌だね。」
玉座の下に立つクガイと呼ばれた男もまた、黒かった。
針金のような髪を一つに結わえ、動きやすそうな服、そして闇の瞳。
この広い空間にはこの二人以外誰もいない。
「今すぐにとは言っていないだろ。」
「それでもだな。俺は親父のような魔王になる気はねぇよ。」
そうきっぱりと告げると落胆している魔王に背を向け、クガイは扉に向かって歩き出した。
「…育て方、間違えたかなぁ…」
妙に弱々しい父親の呟きを聞きながら。
「クガイ様?荷物など出してどうしたのですか?」
自室に広げられた品物を、腕を組みながら眺めているクガイに声を掛けたのは、きれいな白髪に赤い目をした、クガイと似たような年齢の男だった。
男。とは言ったものの、細い体に背中まである長い髪、そして女のような綺麗な顔立ちからは一見として男には見えない。
「ハクロ、いつ人の部屋に入った。」
「扉を叩いても返事が無かったので…。」
「返事があるまで入ってくんな。」
「飲み物を持ってきました。」
「そこに置いとけ。」
ハクロが扉の前から部屋の中のテーブルへと移動する間も、クガイはずっと腕を組んだまま、目の前の荷物を睨んでいた。
「…まぁいいか。武器さえ持っていれば…。」
腕を解き、一番近くにあった大鎌を手に取ると、ハクロが持ってきた飲み物を一気に飲み干し、扉へと向かう。
「クガイ様、どちらへ?」
「外だよ。こんな城にいたってしょうがねぇし、親父の後は継がねぇ。わざわざ人間の勇者とやらにやられるフリなんかして何がおもしれぇんだか…。」
「しかし、何百年かに一度、人間の世界へ足を踏み込まなければ人間達が平和ボケしてしまうとか、誰か言ってましたけど。」
飲み物を置いてあったテーブルのすぐ側に立っているハクロは、軽く首を傾げた。
「そんな事、俺の知ったこっちゃねーよ。馬鹿らしい…。」
やれやれと言った風にクガイは手にある大鎌を肩に担いだ。
「外、と言っても城の外の意味ではないのでしょう?…人間界ですか?」
困ったような顔に咎めるような口調で問うハクロに、クガイは無表情で言った。
「だから?」
何か問題でもあるのか、とでも言いたそうに言うと、溜め息交じりの声が返って来た。
「家出ですか…。」
何処かあきらめも入っている声だ。意外と長い付き合いのおかげで、大体の思考が読めるようになっているらしい。ただし、読めようと読めまいと、クガイは関係の無い事だと思っているが。他人の考えなど頭の片隅にも入らないのだ。
元々、自分以外の誰かを信用しようとしない。
友達も何もいない。一人で毎日を過ごすのが当たり前だった。いつからか、自分の周りをハクロがうろつき始めた時も邪険にしてきたが、人に口答えしなければ、変な目で自分を見てこないので、今では体の良い従者、いや下僕として扱っている。
本人もそれを承知でここにいるのだから…
「わかんねぇやつだ…。」
「はい?何か言いましたか?」
ボソっと呟いた言葉に反応したハクロを一睨みした後、クガイは部屋を出て扉を閉めた。
魔界にある魔王の城は、全てが黒で統一されていた。
答えは簡単。人間が最も恐れる色だからである。もう一つ理由を付け足すならば、この城の主人が代々黒が似合う外見である事だろう。
唯一、城で働く者達が文句をつけるとすると、夏場での黒い衣装だ。
今は丁度夏から秋へと移り変わる季節。黒い服がそれ程気になら無い天気だ。
少し曇った空から降る優しい光に、涼強い風。城で働く者達はこの日のこの天気を楽しんでいた。が、黒いマントをなびかせ、石炭を割ったような黒光する大鎌を左肩にかけ、その長い柄に腕を絡ませ歩くクガイの姿を見たとたん、皆、怯えたように顔を伏せてクガイとすれ違う。
次期魔王だと言うのに、クガイの回りにはいつも悪い噂がくっ付いている。
父親と喧嘩した腹いせに、城の大黒柱を壊そうとして止められたとか、たった一つの果実を取るために大木を倒したとか、暇潰しに行った兵士達の訓練所で、三十人以上を動けなくさせたとか、さらには、たまたま目が合った男を“気に食わない”と言う理由でアヒルにし、焼いて食べようとしたとか…。
確かに人に喧嘩を吹っ掛けて来た男をアヒルに変えてたことはあったが、それを焼いて食べようなどとは、頼まれても嫌だと、クガイは思う。
身に覚えのあるような無いような噂話しの面白いところは、その一つも父の耳に入っていない事である。
もし、クガイの母親が生きていれば、城の者の行動も多少は変っていたのかも知れないが。
(育て方も何も、俺の躾に手どころか口さえ挟まなかった癖によく言うぜ)
どんよりとした天気でも、青空が見えるわけでもない中途半端な日差しの中、城を抜け城下町を歩きつつ、クガイは先程の父子の会話を思い出していた。
自分が生まれてすぐに母親は死んだ。
母親の代わりをしていた女性も幼い時に亡くなっている。それからは一人だった。父親は忙しくて一緒に居てあげられないからとお金をくれた。
成長するにつれて、大勢の人がクガイを異端者扱いをした。この事は、そうしようとして行動して来たのだから当然だ。
住み慣れた家を出て、初めて人間達が住む世界へこれから行くのだ。時空を渡って。
時空を渡る為には二つしか方法がなく、一つが魔法を使い好きな所へと移動できるのに対し、もう一つは人間が使う道具だ。これは場所が決まっていて、使うだび同じ場所へと移動出来る。
この魔法を使う為にクガイは町の外へと向かっているのだ。時空を渡る時に出来る歪みに他のものが巻き込まれないように、そう決まっている。
町を出てからも少し歩く。レンガで出来た街道がずっと遠くへと続いている。雲が少しずつ流れていき、太陽の光が降り注ぐ。風が強く吹き、緑の草や木々の葉を強く揺さぶる。
クガイの結わいた髪が横にたなびいた。ふと、クガイは歩みを止め、担いでいた大鎌を自分の体を使って立て掛けると、腰から一本の短剣を取り出した。
そして、おもむろに、風にたなびいている自分の黒い髪を掴むとざっくりと切り落とした。
「…あー、やっぱ楽だな、この方が…。」
短剣を仕舞い、切った長い髪をその場に捨てるとクガイは頭を掻いた。
首筋に風が当たり、とても気持ちが良い。スッキリした気分だ。
頭を左右に振り、頭に付いている切れた髪の毛を払っていると、後ろから聞きなれた声がした。
「ク、クガイ様!!その髪…。」
首だけ動かして後ろを見ると、案の定、ハクロが驚いた顔でこちらを見ていた。
…何故か、背中に荷物などを背負っている。
「何か用かよ?…まさか、ついて行くとか言うんじゃねーだろな…。」
「お役には立てると思います。」
風になびく白い髪を片手で押さえ、ハクロがニッコリと微笑んだ。
クガイは大鎌の柄を右手に持ち、体ごとハクロへと振りかえった。ハクロはまだ微笑んでいる。
クガイが無言でいると、ハクロは急に真面目な顔をして言った。
「クガイ様、良いんですか?その髪…、あんなにまで伸ばしていたのをこんなに短く…。」
「良いんだよ、これから邪魔になるだろうから切っただけだ。…何か文句あんのか?」
「…いえ、文句はありませんけど…。後でちゃんと切り揃えた方が良さそうですね、その髪型ですとボサボサですよ?私がキチンと切りますから。」
と、一段と強い風が吹き、クガイの切った髪が風に飛ばされ空に散って行った。
勿体無さそうにそれを見上げる赤い瞳を持った男に、
「行くぞハクロ。人間界に飛ぶ。」
唐突にクガイはそう告げると、二人の姿はあっと言う間にその場から消えた。
「はい、出来ましたよ。普通に短くしただけですけど、いいですよね?」
木洩れ日が複雑に入り込む森の中、風も日の光も穏やかな空間の中に二人はいた。
クガイがそれ程古くない切り株の上に座り、その後ろでハクロがクガイの髪を整えていたところだ。
「クガイ様?どうかしましたか?先程から何か考え事のようですけど。」
ハクロの声も聞こえないのか、それともただ無視をしているだけなのか、クガイは右手で自分の口を触った恰好のまま前方を見据えていた。
「クガイ様?」
「るっせぇな、少し黙ってろ。」
後ろから顔を覗き込もうとするハクロにぴしゃりと言い放つと、クガイはまた黙り込んでしまった。
「…はぁ。」
いつもの事だが、ハクロはクガイに聞こえないよう小さく溜め息をついた。
(少しぐらいまともな返事を返してくれても…。)
クガイがどう言う性格か知っている上で、いや、多分クガイがこう言う正確だからこそ、自分は彼と一緒にいようと決めたのだけれども…。 たまに虚しくなる。全く変らないクガイの性格を見ていると。
(いや、いつもの事だし、気にしない。クガイ様がどう思おうとも、私が決めた事なんだから。)
ハクロが心の中で決意を改めていると、クガイが立ち上がりハクロを見てきっぱりと言った。
「人間の勇者を殺す。」
きっかり五秒経った後、ハクロは一言だけ返した。
「は?」
言っている事の意味が理解できない、と言うか、理解したくなさそうな顔をするハクロに、クガイは無表情のまま、先程まで考えていたであろう内容を話した。
「強い奴が弱い奴に負けるわけねぇんだから、人間が負けるのは当たり前だろ?親父の所にたどり着く前に、その子供に殺される…。 おもしろそーじゃねぇか。」
何がですか? とはハクロには言えなかった。何やらクスクスと笑っているクガイを前にして。
面白いイタズラを考え付いた、小さな子供の様にクガイは笑っていた。
(クガイ様の行動は誰にも止められないし、人を殺すのは良くないけれど…。 クガイ様が笑っているから、いいか。)
「人間の勇者を探すぞ。」
下に置いてあった武器を手に取り、この森の近くを通る街道を目指してクガイは歩き出した。ハクロもそのすぐ後ろを歩いてついて行く。
子供の様に笑っていたから止める言葉も出なかった、人間の勇者に少しだけ謝りつつ。
深い森の中を通る、馬車が一台やっと通れるぐらいしかない、幅の狭い塗装もしていない道を、クガイとハクロは進んでいた。
二人が砂利道を歩く音と、遠くから聞こえる鳥の声しか森の中では響いていない。
ここ数日雨が降っていないのか、道は乾燥していた。
クガイの担いでいる大鎌が当たらない様に、ハクロは少し離れた後ろを歩いていた。ふと視線を下にすると、クガイの長い黒いマントの裾が砂埃で汚れている。思わず顔を顰める。自分はマントなどしていないから良いが。
(もう少し短くした方が良いかな?それともマントを売って、別のものを買ったほうが良いだろうか…?)
クガイに話しを聞こうと、ハクロがクガイの横に並ぶため少し早足になった時、ピタリとクガイが歩みを止めた。
一呼吸遅れてハクロも足を止める。森の中から誰か
が自分たちを見ている。気配からして盗賊だろうか?
いつの間にか鳥の鳴き声も消えている。二人が歩みを止めたので、森の中は静かになった。
…に、しても。
(気配の消し方が…。人間の盗賊だし、こんなものか。)
細い道の両側から、人の気配が漏れている。
武器を構えようかどうしようかとハクロが考えていると、ガサガサと言う音と共に、気配の持ち主達が二人の前に現われた。
十人程現われた男達は皆、一様に武器を構えクガイとハクロを取り囲んだ。ニヤニヤと薄汚い笑みを浮かべながら。
相変わらず無表情で立っているクガイと、少々困り気味のハクロに少しずつ近寄りつつ、男達の中で一番体格の良い、どこかがさつそうな男がお決まりなセリフを吐いた。
「金目の物を置いてきゃ命だけは助けてやるぜぇ。」
「どうしますか、クガ… うわっ!?」
ハクロがクガイに話しかけた途端、クガイはいきなりハクロに向かって大鎌を振るった。
すぐさま避けたから怪我は無いが、避けていなかったら首と胴が離れていた。確実に。
突然の事に盗賊も目を丸くし、動きを止めている。
少しバクバク言っている心臓を押さえて冷や汗をかいているハクロの耳元に、クガイが口を近づけ回りの人間に聞こえない様に囁いた。
「こいつ等に名前をばらすんじゃねぇ。」
「あ、あの…。他にも口を閉じさせる方法があったんじゃ… …ビックリした。」
「今のが一番手っ取り早い。」
口早にそう言うとクガイは肩から大鎌を離し、刃を地面へと向けほんの少しだけ右足を後ろへと動かした。いつでも動けるようにだ。
ハクロも腰に引っ掛けてあった、一つ一つが大きい金の輪になっているチェーンを取り外し、両端を持つと足に力を入れた。
二人のその行動を見て、盗賊達が武器を構え直す。しかし人数的にも、力的にも、こちらが有利と思っているのか、その顔には余裕がある。
そして、クガイとハクロは風の様に動いた。