Vol.24 8/Feb./04
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漂泊の人(2)
知っておかなきゃ、その日のために
「彼らのことをろくに知りもしないで、『自分もホームレスになるかも』なんて騒ぐのは不謹慎だ」
友人のなかには、そう注意してくれる人もいた。そうだなぁと、自分でも思う。
そもそもホームレスになることの、いったい何を私はこんなに怖れているのだろう?
落ち着いて考えてみると、物理的に住むところがないということ以上に、その向うにある貧しさ、寄る辺のなさ、絶望感や敗北感、誰にも相手にされない孤独といったものが私は怖い。
寒い日に帰ってゆける暖かい部屋があること。レンジの上でコトコト煮える料理の世話をすること。仕事をしているときの充実感や達成感。家族や友だち。彼らと自分をつなぐ、電話やパソコン。好きなときに、好きな場所へ出かけていける自由。いい匂いのするお風呂。清潔なシーツにくるまって眠るベッド・・・。
そうしたいま手元にあるささやかな幸せを失うことが、私は怖い。
何を幸せと感じるかは人それぞれだが、実際にホームレスという括りで呼ばれている人たちも、同じではないのだろうか。
あの日、私が寒さで震え上がっていたとき、「団地のあの人」も震えていた。彼も私も、寒さや空腹や寂しさを同じように感じる、弱くちっぽけな生身の人間であることに変りはない。
だからとても他人事とは思えない。
気がつけば戸板ひとつ隔てて下は地獄。塀の上での危うい綱渡り。右へ落ちるか、左へ落ちるか、明日のことはわからない。
同情なんて次元を跳び越えて、明日はわが身という切迫した気持ちになる。
彼らは何を考え、どういう暮らしをしているのだろう。人生をやり直したいと願ったとき、彼らの助けになるどんな制度が、この国や街にはあるのだろうか? 力を貸してくれる人は、身近にいるのだろうか?
万一に備えて、今のうちに何がどうなっているのか調べておこう。そう思いたち、市役所に電話をかけてみた。
しかしどうも要領を得ない。この街の野宿者は、固まらずにバラバラで暮らしていることもあって、まだ深刻な問題として注目されるには至っていないらしい。彼らの生活を支援する施策も、これといってないようだ。
市の社会福祉協議会にも問い合わせた。
社会福祉協議会−−通称「社協」は、全国レベル、都道府県単位、そして市区町村単位に設置されていて、福祉の向上、人材の育成、ボランティア活動の推進、情報提供と、福祉に関していろいろ手広くやっている(ことになっている)。
市の社協には、地域の情報が集まっているはずだ。
「ホームレスに関わる民間団体ですか? さぁ・・・」
社協の人は盛んに首をひねりながらファイルを繰っていたが、やがて地元の教会がやっている小さな支援グループをひとつ見つけ出し、連絡先を教えてくれた。
オニギリの向うに見えるもの
そのグループでは、路上で暮らす人たちに食事の配給支援をしていた。
毎日4人が交代でシフトに入り、ひとり10個ずつのオニギリをつくって、駅と公園で、毎晩配っているそうだ。お米はフードバンクから無料で提供してもらい、資金は募金や寄付でまかなっているという。
そんなこと、ちっとも知らなかった。私は驚き、自分の無知を少し恥ずかしく思った。
「週に何度かは、ゆで卵やバナナを付けたり、カップ・ラーメンやお弁当を配ることもあるんですよ。この季節、熱いラーメンは身体が温まって助かると、とても喜ばれます」
「使い捨てカイロを渡すこともありますが、資金繰りが楽ではなくて・・・」という言葉から察するに、運営資金もボランティアの人手も限られていて、なかなか思うようには活動できないらしい。
根掘り葉掘りの私の質問を迷惑がるでもなく、電話に出た代表の女性は親切に説明してくれる。
「オニギリづくりは、どこかに集まってやるんですか?」
「いえ、それぞれのご家庭でつくってもらっています」
「つくった人が、それを配るのですか?」
「オニギリをつくるのはたいてい主婦なので、夜はそうそう家をあけられません。ですから配るのは主に男性陣です」
「あのぅ、じゃあたとえば、オニギリづくりだけでも手伝うことって、できます?」
「ええ、もちろん」
「毎日でなくても、いいのですか?」
「週に1回だけでも助かります」
「私、やります! オニギリ、つくります!」
気がついたときには、もうそう叫んでいた。
こうしていつもどおり軽薄きわまりなく、ほとんど飛びつくようにして、週1回のオニギリづくりが始まった。
不規則な仕事をしている私には、毎晩決まった時間にどこかへ出かけて行くことは無理だが、週に1回、オニギリをつくるくらいなら続けられると思ったのだ。
お米は前もって1ヶ月分を届けてもらっておく。約束した日に自宅でオニギリをつくり、所定の時間までに用意しておけば、メンバーの人が車でピックアップに来てくれるという段取りだ。
本当は、よく洗った手にたっぷり塩をつけ、熱々のご飯を素手で握るのが一番おいしい。でも人に食べてもらうものだし、受け取った人が長時間持ち歩く可能性もあるので、衛生を考えて、直接手で触れないようにラップを使って握る。
6合のお米でオニギリ10個だから、ひとつひとつが手に余るほどの特大サイズだ。
今日の具はシャケ。ご飯の塩加減はどうかしら? みんなの口にあうだろうか? 暖かいうちに相手に届くといいな。
もうじき高菜の漬物がたくさん漬かりあがるから、来週は高菜とゴマとシラス干しを混ぜ込んだご飯にしよう。ビタミンとカルシウムがたっぷりとれるもの−−−。
そんなことを思いながら、炊き立てのご飯で、大きな大きなオニギリを握る。
「食べ物をあてがうくらいでは、問題は解決しない」
「そうやって慈善家きどりで甘やかす人がいるから、彼らは付け上がる。社会のお荷物になっても平気でいられるんだ」
そういう批判があるのは、わかっている。
こんなことくらいで一件落着だなんて、私だって思わない。でも、できることからやっていくしかないではないか。お腹を空かせ、寒さで震えている人が、現にそこにいるのだ。
私が彼らの立場にあったら、私はオニギリが欲しい。何とか今日の飢えをしのいで、明日につなげたい。
それにたとえオニギリひとつでも、世の中にまだ自分を見捨すてないでくれる人がいるのだと思えて、どんなに心強く感じることだろう。
だから大きな大きなオニギリを握る。
握っているうちに、さまざまなことが頭をよぎる。
冷たい風のなかで出会った人の、丸まった薄い背中。
その彼の向うに続く、何十人もの人たち。
「先進国のホームレスはまだ幸せだ。まがりなりにも食べられるし、着る物だってちゃんとある」と言っていた、インドの友のいつかの言葉。
世界のどこかには、飢えのために泣き声をあげることもできない無数の赤ん坊と、涙も枯れ果てた無数の母親。
弾丸が飛び交うなかで、今夜も眠れぬ夜を過ごす子どもたち。二度と帰ってこない恋人や、父親たち。
そしてこの国にも、物質的にはこれ以上ないほど満たされながら、殺伐とした心をもてあますたくさんの人がいる。
「ボランティアをするなんて偉いわねぇ」なんて、言ってもらいたくない。
自己満足だとか、偽善だとか、思いたい人も勝手に思えばいい。
私には慈善を施すような余裕などない。
ただ将来の自分と、顔も知らないけれど確かに自分とつながっている誰かのために、大きな大きなオニギリを握るのだ。
End of Vol.24
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