Vol.1 02/Jan/98

キリコがやってきた


 
 気ままなシングルライフを楽しんでいた私が、いきなり女子高生の保護者名代になったのは、去年の春のことである。高校進学を機に、姪のキリコが我が家に寄宿することになったのだ。

 幼い頃のキリコは、いくぶんボーッとした幼児だった。口からでまかせの私のホラ話に、腫れぼったい目を見開いて無邪気に聞き入り、「あっち向いてホイ!」では必ずひっかかった。
 そんな彼女を、私は何度ケムにまいてはオヤツを巻き上げ、ダシに使い、おだてて雑用をやらせ、からかって暇つぶしをしたことか。

 そのキリコも今や十五歳。いっぱしのコギャルもどきだ。
 うららかな日曜日、父親が運転する軽トラックに荷物を山のように積んで、彼女はバタバタとやってきた。
 「おじいちゃん、おばあちゃん、今日からお世話になりま〜す! ヨーコおばちゃんのこと、これからヨーコちゃんって呼ぶからね。ヨロピコ〜!」


今どきの女子高生



 こうしてキリコとの暮らしが始まった。

 「もちろん勉強もするよ。でもあたしね、いろんなことにチャレンジして、高校生活をうんと楽しむんだ」

 その言葉を裏付けるように、キリコの部屋にはビデオつきの大型テレビがドンと据えられ、全身がバッチリ映る鏡の傍らに、メイク用品がごちゃごちゃと並んだ。
 本棚を埋めつくす恋愛コミックスと、机の上の申しわけ程度の参考書が、彼女の興味のベクトルをみごとに物語っている。

 壁もたちまちソリマチのポスターが占拠した。高校のクラスメートが、電車の中吊り広告を失敬して、プレゼントしてくれたのだという。
 「うーん、親切なお友だちねって言いたいけど、無断で取るのはちょっとマズイ」
 「そうなんだけどさ、『キリちゃんソリマチ好きでしょ』って、嬉しそうにくれるんだもん。断れないよ」

 小さな悪さにいちいち目くじらをたてるほど、私だって模範的市民じゃない。それに、長所も短所も、キリコのことはわかっているつもりだ。だが女子高生がらみの最近の事件の深刻さを思うと、ちょとした心の緩みに、一抹の不安が頭をもたげてくるのはいなめない。

 「黙って持ってきちゃうのを、お店でやれば万引きよ。わかってると思うけど、あんたは絶対やっちゃダメ」
 「だいじょうぶ。そりゃ、おもしろがって万引きする子たちだっているよ。でも私はやらない」
 「信じるわ。とにかく、誘惑と落とし穴はいくらでも転がってるからね。万引き、カツアゲ、弱い者イジメ、無断外泊、タバコにクスリ、援助交際にパンツ売り、不本意な妊娠に、堕胎、性病…」
 「もう、わかった。ソリマチのポスターから、どうしてそこまで話が広がるのよぉ」
 「とにかく! やってはいけないことをやったら、生まれてきたことを後悔するくらい思い知らせるからね」
 「私はそんなバカなことはしませんっ」
 と、キリコは怒ったが、こんな注意を普通の高校生にしなくてはならないなんて、本当に嫌な時代になったものだ。

 それでも今どきの女子高生の生態は、身近で見ているとおもしろい。
 膨れ上がった手帳には、びっしりとプリクラのシール。何の用事があるのやら、暇さえあればプッシュボタンの上でめまぐるしく指をひらめかせ、友だちとポケベル・メッセージをやり取りしている。

 ルーズソックスの実物も、キリコのおかげで初めて身近で見た。ちょっとはかせてもらうと、ごわごわした感触と裏腹に、サラリと爽やかで履き心地満点だ。
 このブカブカソックスの上に、思い切り短くあげをした制服のスカートと、紺のプルオーバーを着て、キリコは毎朝学校へ出かけていく。ゾロリと長いスカートが、弾けた女子高生の自己主張だった私の高校時代に比べ、今のファッションのほうがはるかにキュートだと正直なところ思う。

 ところがこのプルオーバーが、1学期早々学校で問題になった。


ラルフのセーター



 
「キリコさんたちのグループは、新入生全体でも一番派手で目立つんです」
 保護者代理として、張り切って出かけた初めての三者面談。キリコの担任は厳しい表情で口火を切った。

 よい意味で目だっているわけはないことは、がさつな私にもよくわかる。中学卒業と同時に染めた茶髪。細くカットした眉。耳にはピアスの孔が左右で6個。仲良しグループも似た者同志とくれば、指摘されても仕方がないというものだ。

 「しっかり考えないとな」と、先生はキリコに向かってクギをさす。
 「そのセーターも、学校では禁止だぞ」

 「そのセーター」とは、胸にポロのマークのワンポイントが入った、ラルフローレンのプルオーバーのことだ。女子高生に人気が高く、紺、黒、白、キャメルといった色のそれを、彼女たちは学校を問わず、文字通り制服のように着こなしている。キリコの学校でも、制服のジャケットを来ている生徒のほうがむしろ少数派だ。

 そのセーターのどこが不適切なのか、私にはよくわからない。

 「色も形も地味だし、値段がバカ高いわけでもないのに、何が問題なんです?」
 喉まで出かかった素朴な疑問を飲み込んだのは、机の下でキリコがしきりに私の袖を引っ張ったからだ。

 先生は「セーター禁止」と書かれた刷り物を私に渡し、「とにかくそういうことだから、違反しないよう、家庭でもしっかり指導するように」と念を押した。

 帰りの電車のなかで、キリコに聞いてみた。

 「どうもよくわからないんだけど、セーターを着ること自体がいけないの? それともブランド品だから禁止なわけ?」
 「知らない。私は楽だから着てるんだ。制服の上着って、動きにくいんだもん」
 「でも禁止だってよ。あんた、セーターやめる?」
 「平気だよ。みんな着てるもん。先生だって、普段は何も言わないし」

 私はだんだん腹が立ってきた。

 「普段は何も言わないのに、先生はなぜ、今日に限ってセーターに固執するのよ。根拠も示さずに、何が『家庭でもしっかり指導しろ』だ! 問題だと思うなら、オープンに話し合えばいいじゃない。だいたいね、ピアスや、茶髪や、セーター一枚で、人間、不良になんかなるもんかっ」
 「しーーーっ! ヨーコちゃん、声が大きいよぉ。恥ずかしいよぉ」
 「あんたは確かに、ちょっと軽薄で、幼稚なお気楽娘だけど、それと非行とはちがうでしょっ」
 「わかったからさぁ、お願いだから静かにしてよぉ」
 「生徒も生徒だ。なぜノラリクラリとなし崩しを決め込む! みんなが着てるからなんて言い訳は、ダイッキライ! ラルフが着たいなら堂々と着ろ! 生徒会ではかって、無意味な校則は廃止にしちゃえ!」
 「やだよ、そんなのカッタルイもん」

 カッタルイ、カッタリィー・・・。何もかも虚しくさせる、ブラックホールのような言葉の響き。私は一瞬でノックアウトされ、そして力なく悟った。
 そう、キリコは明日も平然とラルフを来て登校するだろう。先生は何事もなかったように目をつぶり、次の保護者面談でまた、「セーターは禁止」の印刷物を配る。そして親はかしこまって頭をさげるのだ。
 オヤクソクがわかっていないのは、どうやら私ひとりだったらしい。

 なんだか、本当に、本当に、バカみたい・・・。
 私はケチョンとシートに沈み込み、キリコの隣でおとなしく、電車の揺れと脱力感に身を委ねているのだった。


End of Vol.1


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