キリコがやってきた
気ままなシングルライフを楽しんでいた私が、いきなり女子高生の保護者名代になったのは、去年の春のことである。高校進学を機に、姪のキリコが我が家に寄宿することになったのだ。
幼い頃のキリコは、いくぶんボーッとした幼児だった。口からでまかせの私のホラ話に、腫れぼったい目を見開いて無邪気に聞き入り、「あっち向いてホイ!」では必ずひっかかった。
そんな彼女を、私は何度ケムにまいてはオヤツを巻き上げ、ダシに使い、おだてて雑用をやらせ、からかって暇つぶしをしたことか。
そのキリコも今や十五歳。いっぱしのコギャルもどきだ。
うららかな日曜日、父親が運転する軽トラックに荷物を山のように積んで、彼女はバタバタとやってきた。
「おじいちゃん、おばあちゃん、今日からお世話になりま〜す! ヨーコおばちゃんのこと、これからヨーコちゃんって呼ぶからね。ヨロピコ〜!」
今どきの女子高生
こうしてキリコとの暮らしが始まった。
「もちろん勉強もするよ。でもあたしね、いろんなことにチャレンジして、高校生活をうんと楽しむんだ」
その言葉を裏付けるように、キリコの部屋にはビデオつきの大型テレビがドンと据えられ、全身がバッチリ映る鏡の傍らに、メイク用品がごちゃごちゃと並んだ。
本棚を埋めつくす恋愛コミックスと、机の上の申しわけ程度の参考書が、彼女の興味のベクトルをみごとに物語っている。
壁もたちまちソリマチのポスターが占拠した。高校のクラスメートが、電車の中吊り広告を失敬して、プレゼントしてくれたのだという。
「うーん、親切なお友だちねって言いたいけど、無断で取るのはちょっとマズイ」
「そうなんだけどさ、『キリちゃんソリマチ好きでしょ』って、嬉しそうにくれるんだもん。断れないよ」
小さな悪さにいちいち目くじらをたてるほど、私だって模範的市民じゃない。それに、長所も短所も、キリコのことはわかっているつもりだ。だが女子高生がらみの最近の事件の深刻さを思うと、ちょとした心の緩みに、一抹の不安が頭をもたげてくるのはいなめない。
「黙って持ってきちゃうのを、お店でやれば万引きよ。わかってると思うけど、あんたは絶対やっちゃダメ」
「だいじょうぶ。そりゃ、おもしろがって万引きする子たちだっているよ。でも私はやらない」
「信じるわ。とにかく、誘惑と落とし穴はいくらでも転がってるからね。万引き、カツアゲ、弱い者イジメ、無断外泊、タバコにクスリ、援助交際にパンツ売り、不本意な妊娠に、堕胎、性病…」
「もう、わかった。ソリマチのポスターから、どうしてそこまで話が広がるのよぉ」
「とにかく! やってはいけないことをやったら、生まれてきたことを後悔するくらい思い知らせるからね」
「私はそんなバカなことはしませんっ」
と、キリコは怒ったが、こんな注意を普通の高校生にしなくてはならないなんて、本当に嫌な時代になったものだ。
それでも今どきの女子高生の生態は、身近で見ているとおもしろい。
膨れ上がった手帳には、びっしりとプリクラのシール。何の用事があるのやら、暇さえあればプッシュボタンの上でめまぐるしく指をひらめかせ、友だちとポケベル・メッセージをやり取りしている。
ルーズソックスの実物も、キリコのおかげで初めて身近で見た。ちょっとはかせてもらうと、ごわごわした感触と裏腹に、サラリと爽やかで履き心地満点だ。
このブカブカソックスの上に、思い切り短くあげをした制服のスカートと、紺のプルオーバーを着て、キリコは毎朝学校へ出かけていく。ゾロリと長いスカートが、弾けた女子高生の自己主張だった私の高校時代に比べ、今のファッションのほうがはるかにキュートだと正直なところ思う。
ところがこのプルオーバーが、1学期早々学校で問題になった。
ラルフのセーター
「キリコさんたちのグループは、新入生全体でも一番派手で目立つんです」
保護者代理として、張り切って出かけた初めての三者面談。キリコの担任は厳しい表情で口火を切った。
よい意味で目だっているわけはないことは、がさつな私にもよくわかる。中学卒業と同時に染めた茶髪。細くカットした眉。耳にはピアスの孔が左右で6個。仲良しグループも似た者同志とくれば、指摘されても仕方がないというものだ。
「しっかり考えないとな」と、先生はキリコに向かってクギをさす。
「そのセーターも、学校では禁止だぞ」
「そのセーター」とは、胸にポロのマークのワンポイントが入った、ラルフローレンのプルオーバーのことだ。女子高生に人気が高く、紺、黒、白、キャメルといった色のそれを、彼女たちは学校を問わず、文字通り制服のように着こなしている。キリコの学校でも、制服のジャケットを来ている生徒のほうがむしろ少数派だ。
そのセーターのどこが不適切なのか、私にはよくわからない。
「色も形も地味だし、値段がバカ高いわけでもないのに、何が問題なんです?」
喉まで出かかった素朴な疑問を飲み込んだのは、机の下でキリコがしきりに私の袖を引っ張ったからだ。
先生は「セーター禁止」と書かれた刷り物を私に渡し、「とにかくそういうことだから、違反しないよう、家庭でもしっかり指導するように」と念を押した。
帰りの電車のなかで、キリコに聞いてみた。
「どうもよくわからないんだけど、セーターを着ること自体がいけないの? それともブランド品だから禁止なわけ?」
「知らない。私は楽だから着てるんだ。制服の上着って、動きにくいんだもん」
「でも禁止だってよ。あんた、セーターやめる?」
「平気だよ。みんな着てるもん。先生だって、普段は何も言わないし」
私はだんだん腹が立ってきた。
「普段は何も言わないのに、先生はなぜ、今日に限ってセーターに固執するのよ。根拠も示さずに、何が『家庭でもしっかり指導しろ』だ! 問題だと思うなら、オープンに話し合えばいいじゃない。だいたいね、ピアスや、茶髪や、セーター一枚で、人間、不良になんかなるもんかっ」
「しーーーっ! ヨーコちゃん、声が大きいよぉ。恥ずかしいよぉ」
「あんたは確かに、ちょっと軽薄で、幼稚なお気楽娘だけど、それと非行とはちがうでしょっ」
「わかったからさぁ、お願いだから静かにしてよぉ」
「生徒も生徒だ。なぜノラリクラリとなし崩しを決め込む! みんなが着てるからなんて言い訳は、ダイッキライ! ラルフが着たいなら堂々と着ろ! 生徒会ではかって、無意味な校則は廃止にしちゃえ!」
「やだよ、そんなのカッタルイもん」
カッタルイ、カッタリィー・・・。何もかも虚しくさせる、ブラックホールのような言葉の響き。私は一瞬でノックアウトされ、そして力なく悟った。
そう、キリコは明日も平然とラルフを来て登校するだろう。先生は何事もなかったように目をつぶり、次の保護者面談でまた、「セーターは禁止」の印刷物を配る。そして親はかしこまって頭をさげるのだ。
オヤクソクがわかっていないのは、どうやら私ひとりだったらしい。
なんだか、本当に、本当に、バカみたい・・・。
私はケチョンとシートに沈み込み、キリコの隣でおとなしく、電車の揺れと脱力感に身を委ねているのだった。
End of Vol.1
INDEX | Top | Next |