ロシア遠征記
                                               トピックス  長谷川行光

期  日:平成19年12月14日(金)〜19日(水)

大会名:第17回糸東流空手道ロシア選手権大会

場  所:ロシアモスクワ・80年モスクワオリンピック村体育館

今回の遠征は糸東会の要請を受け、第17回糸東流空手道ロシア選手権大会視察、演武の為、岩田源三先生と共にモスクワ入りした。モスクワは17年前の記念すべき、第1回糸東流空手道ソ連選手権大会以来である為、楽しみでもあった。

17年前といえば、1990年、まだソ連時代。ペレストロイカ(再構築)を唱え、大統領制を導入したゴルバチョフ初代大統領が民主化を推し進めていた時代である。
当時、空港に着くと本当に国際空港?と思うほど薄暗い。そして銃を持ち、微動だにしない眼圧の強い警備員?がいて、無事に入国できるのか?と思うほど緊張した思いをした。
まだ経済も安定していなく、デパートのお土産売り場のガラスケースにはほとんど物が置いてない。物流も止まっていた。
またマクドナルド1号店が初めてオープンした時でもあった為、マック(マクド)の前には200人ほどの長者の列。
食事も配給制で、同じくわずかな食事をもらう為に、よく行列を見た。

17年前、1990年:第1回糸東流空手道ソ連選手権大会
前置きが長くなってしまったが、「モスクワ」という普通ではなかなか行く機会がない地を訪れた為、帰国後、さっそく17年前のアルバムに見入ってしまった。
その時代の流れが大変おもしろかった為、今回の遠征記は17年前の写真も掲載したいと思う。
ちなみに第1回糸東流空手道ソ連選手権大会では、当時、組手選手として日本代表で参加したのである。

当時の日本代表参加選手は長谷川伸一先生、我妻登先輩、樋川光司先輩、亀谷誠康君、監督コーチの坂梨孝美先生、柳唐邦雄先生、猪越孝治先生、そして佐藤哲雄先生である。
みんな若い。そしてスリ〜ム。
    
17年前:写真左下段から、長谷川行・長谷川伸・樋川・亀谷                17年前:−60s表彰式
左上段から、坂梨先生・柳唐先生・佐藤先生・猪越先生・我妻先輩

このときは伸一先生と共に-60Kg組手に出場し、伸一先生が優勝、私が準優勝。
団体組手も長身のロシア勢を相手に優勝した。
    
      17年前:団体組手決勝の長谷川行                   団体組手優勝の日本チーム 

出発トラブル&到着ラッキー
さて話を戻すと、12月14日(金) PM1時。アエロフロートロシア航空にて成田からモスクワのシェレメチェボ国際空港へ出発。
東京−モスクワまでおよそ10時間。通常10時間であれば映画を見て、一眠りして、読書して。私にとってそれほど苦痛ではない。が、最初のトラブル発生。
映画は真ん中の共用テレビで、ロシア語と英語、日本語は当然ない。まあ、英語でなんとなく観る。同じ映画の繰り返しだったので、読書でもしようとするも読書灯が点かない。座席シートは真ん中列の通路側だったのだが、この列はみんな故障。窓側両サイド列のみしか点灯しないのだ。何とか空き座席を見つけ、読書で時間をつぶす。トイレは2箇所も「故障中!」になり、常に混んでいた。普段メンテナンスチェックしてるのか?他は大丈夫なのか?気になったが、あまり考えても仕方ない。結局、読書に集中することにした。
 
現地時間12月14日PM5時。
セレメチェボ国際空港に到着。天井の丸い筒状模様が懐かしい。しかし空港内は前回より明るかった。
そして入国審査口へ。ちょっと緊張した。すると「VIP」のプレートを持った女性係員に導かれ、「そのままVIPルームで待機してください」との事。なんと「VIP」配慮されていた為である。
同じ外国人?が並ぶ入国審査通路の通路脇からノーチェックのままVIPルーム待機とは初体験であった為、驚くと共に感謝したい。
           プレジデントホテル

空港到着時、外気温は−5℃。これでもまだ暖かいほうで、1月、2月はさらに−10℃〜−20℃になるという。日本とは寒さのレベルが違う。
宿泊先であるプレジデントホテルにて佐藤哲雄先生の出迎えを受け、同ホテル内にある事務所にて夕食を頂いた。

12月15日(土)
モスクワの冬は夜が長い。朝9時過ぎにようやく空が明るくなり、夕方4時には暗くなる。
正午だと言うのに太陽の高さは45度ほど西に傾いている。
午前中はフリーだった為、市内散策することに。朝の冷え込みには帽子、手袋は必需品である。
ホテルから30分程歩くとクレムリンの赤の広場に到着。
世界遺産にも登録されている、色鮮やかな聖ワシリイ大聖堂前で撮った写真がこちら↓
   
      1990年:聖ワシリイ大聖堂前                        2007年:同じポーズしてる!

同じく赤の広場にあるレーニン廟。
「エンバーミング」という技術でレーニンの遺体が永久保存されているところであるが、17年前は、入り口に2人、寒さを微塵も感じさせない程、直立不動で警備にあたっていた(写真下左)が、現在では開放され、誰でも有料で中に入れる状態であった。警備も昔のような緊張感は感じられなかった。これも時代の流れか。(写真下右)
中に入ってみたかったが時間がなかった為、断念した。
   
1990年「レーニン廟」前で:樋川先輩、私、上妻先輩、伸一先生          2007年:一般開放されていた

形セミナー
赤の広場を急いでホテルに戻り、遅い昼食をとった後、16:00〜18:00 国際関係大学にて岩田源三先生のセミナー。
    
  分解組手に沿って指導する岩田先生と長谷川               佐藤先生も自らお手本を示して頂いた

ニーパイポと松村ローハイの形と分解で、セミナー参加者は各道場の指導者をメインに40名程。
参加者は分解の細かい意味を理解しようと、皆、真剣に何度も何度も反復練習する姿が印象的であった。
あっという間に時間が過ぎ、続いて審査会が行われた
    
  OOO先生、佐藤先生、長谷川、岩田先生                     セミナー受講者と

セミナーの後、審査会なども行われ、終了したのが夜10時過ぎ。
充実した1日であった。

12月16日(日) 第17回糸東流空手道ロシア選手権大会
各地区予選を勝ち抜いたおよそ150名での一般の大会である。

大会会場である、80年モスクワオリンピック村体育館ではコート3面で熱戦が繰り広げられていた。

形は外国人特有の上半身のスピードがあるが、下半身の重心が定まったならばもっと良くなると思った。
また、他流派の緩急や息吹を用いる選手もいた。おそらく選手はビデオ、DVDなどのおおまかな情報やヨーロッパ大会での経験を元に試行錯誤しているのではないかと感じた。と同時に糸東流の技法を如何に正しく伝えるか、我々指導者側の責任も感じた。特に海外では日本人選手の影響力は大きいと思う。

組手は遠い間合いからの素早い回し蹴りは軸足のスライド、プラス長い足で、下がればガードしても入ってしまう。日本人同士では味わうことのない技が多いため、下がらず間合いを殺し、自分の間合いで勝負することを心掛けたいものだ。
団体形も行われたが、もう少し団体としての練習量が欲しいと感じた。
     大会パンフレット

昼食後、16:00からオープニングセレモニーが始まり、地元の子供たちによる基本と平安の形演武。
つづいて長谷川による松村バッサイの形演武を行った。
演武中、初めて気付いたのだが今大会のマットはレスリングマットの上に通常よりも分厚い競技用マットが敷かれ、片足体重になると足元が沈み、バランス配分に気を使った。形選手はやりづらかったがこれは皆同じ条件。
     
      模範演武:長谷川の松村バッサイ                      長い手足から繰り出される多彩な技

組手選手にはクッションが効き、安全面でいい条件であったと思う。
試合進行も順調で18:00には会場を切り上げることが出来た。
この日、長谷川はダルガブルードスィ市に移動。
佐藤先生の計らいでこの地区で指導しているウラジミール氏の招待を受け、2日間滞在する事となった。

12月17日(月)〜18日(火) 
昼は各道場の指導者であるウラジミール氏、ベンヤミン氏、バッシャン氏と、夜はウラジミール氏の道場生と平安の形と分解組手中心の稽古を行った。

形の指導をしているとよく、「ここの分解はどうやるのですか?」という質問になる。非常に良いことだと感じた。
ただの順序だけではなく、分解を根幹にした考え方が浸透しているのだと思った。
これも、佐藤先生や岩田先生、諸先生方の教えが行き届いているのだと、まだまだ勉強させられる。
          合同練習

12月18日(火)
午前稽古の後、昼食をとり夕方の便で成田に向かい帰国。
17年ぶりにモスクワを訪れたが、真剣な眼差しでセミナーを受ける姿勢が印象的であった。
機会があればまた訪れたいと思う。

番外編・ロシア式サウナ
ロシアを堪能する一つとして、ロシア式サウナがあるが、初チャレンジした。

ロシア式サウナをバーニャといい、湿度が高いサウナという感じで、サウナ室と水を張ったプール、暖かいお風呂と飲み食いできるリビングがついている施設そのものを貸切であった。
まずガウンに着替え、リビングでいきなり「ビールでも飲もう」と言い出す。
「風呂上りのほうが気持ちいいのでは?」と思ったが「郷に入らば・・・・」ということで、ちょいと一杯飲んでからサウナ室の入ることに。シーフードをつまみにしばし腹ごしらえ。
    まずはシーフード食べながら乾杯

サウナ室内は日本と同じように木造で段状になっていたが、大きな炉がありそこに石を熱し、水の入ったバケツが置いてある。その水をおもむろに石にかけると、たちまち水蒸気が立ち込め、まさに蒸し風呂状態。そしてここからがロシア式の醍醐味。

まず、白樺や樫木の葉の束を敷き詰め、その上にうつ伏せで寝る。枕には薬草の入った袋を使うのだが、なにしろ、葉から漂ういい香が心地よい。
すると程よく脂肪のついた力士のような体系をしたおじさん?が登場。
強面で上半身裸、サウナ室にはもちろん2人きり。何が始まるのか?まさか押さえ込まれたりはしないだろうな?などと妙な緊張感。
すると白樺の葉の束をバケツの水につけ、それを寝ている私の背中めがけて「ビシッ」とたたきつける。
     サウナ室 白樺、樫木の葉が敷かれる

1発目、「ヒィ〜!」と、ちょいとビビッタ。が、何回も葉で叩かれてくると小刻みに感じられる、いた気持ちいい刺激に疲れがとれる。
また体から跳ね上がる水しぶきが瞬時に蒸気に変わり、木の香も楽しめ気持ちいいのだ。「萌〜〜!」といったところか。
    
    サウナの後、プールに飛び込む                        野外お風呂もうれしい

仕上げは、蜂蜜を腕、脚、背中と体全体に塗られ、そのあと塩もみマッサージしてくれるのだ。
でもこのおじさん、もう全身汗だく。一生懸命やってくれたので、最初のおっかない印象は全くなくなったのはいうまでもない。シャワーで体を洗い流すと、外プールに「ドボン!!」火照った体がいい感じで冷めていく。その後は五右衛門風呂のような暖かいお風呂に浸かり星空を見上げて。深呼吸。
この香と刺激で楽しむロシア式、温泉愛好家の私にとってやみつきになりそう。ロシアに寄ったら是非ともお勧めである。

まさかの・・・
帰国の搭乗手続きでそれはおこった。
帰りはどうしてもスーツケースがお土産でいっばいになる為、重量オーバーが気になる。しかも帰りの便は一人きりであった為、なにか不吉な予感はしていた。

エコノミーの長い列に並び、搭乗手続きをするがスーツケースの重量が28Kgで、8Kgのオーバー。超過料金が発生するということになった。
「やはりか。」では機内持ち込み手荷物にするということで、カウンター脇でスーツケースを開いて道着と、ウイスキー、ウォッカ2本を慌ててバックに移し変えた。
海外遠征ではしばしばこんなケースがあり、慣れてはいたが、テロ対策のための手荷物規制をすっかり忘れてしまった。皆の冷たい視線も気になり、ついつい慌てていたのだろう。このときは重量オーバーのことだけしか頭になかった為、そのミスにまだ気付いていなかった。
        マトリョーシカ人形

なんとか搭乗手続きを終え、重たい手荷物を持ち、免税店で土産を買う。
搭乗ゲートにたどり着き、「いよいよ帰るぞー」と思っていたら、ゲート入り口にて2回目の手荷物チェックをしているのではないか。
しかも、靴も、コートも脱ぎ、徹底したチェック体制である。ロシアでも当然、手荷物の液体物持込制限が導入されており、無常にも持ち込んだ酒類がここでことごとく没収されてしまった。最後に来てガッカリ!
そういえば4月の「ニュージーランド遠征記」の中で成田空港で同じように高級ウイスキーを没収されていた外国人を思い出した。http://www5f.biglobe.ne.jp/~hasegawakarate/topics/2007/07NZsemina.htm
係員の冷静な「酒類はスーツケースに入れなさい!」という言葉が心に刺さる。
それでも、「無事に日本に帰れるので良しとしよう!」と考え方を変えて帰路に発ったのであった。
久しぶりのモスクワ。いろんな意味で勉強になった。