・県歯と県技で連絡協議会が設置され、双方に関係する問題を協議するようになった。
 歯科技工試験委員に技工士が選任される
 ・歯科技工試験委員を技工士会から1名選任するように行政当局に申し入れ、加賀屋良雄氏が選任
  された。
 東海三県罫球大会の開催
 ・東海三県軟式野球大会が磐田城山球場で開催され、静岡県技が優勝した。チームの主力は西部支
  部であった。
 ・大塚支部長は、生活の安定、向上と親睦を大切に考え、会員指導にあたった。

◎昭和44年度〜昭和45年度  斉藤清二支部長 鈴木孝一県技会長
 日本歯科技工学会伊豆長岡で開催
 ・昭和44年10月、伊豆長岡観光会館に於いて第9回日本歯科技工学会が開催された。
 ・鈴木孝一会長を中心に歯科技工料金の改正が行われ、大巾なアップを得る。
 見学旅行
 ・西部支部では始めてのバス旅行を、松風見
  学をメーンに51名の参加のもとに行われ
  た。
 ・軟式野球部は、歯科医師会との親睦試合、
  県大会、岐阜市で開催された東海大会と大
  活躍の年であった。
 和田精密 浜松に進出
 ・和田精密が浜松に進出したことで、鈴木県技会長、斉藤支部長以下非常に苦慮して対策に努カし、
  誓約書をとりかわし、会員に安堵感を与えた。
 ・斉藤支部長が病気のため、県技及び支部会務処理に藤井要三さん、西尾洋一さん、伊藤計男が、初
  体験の役員として、鈴木会長、北原専務等のご指導を賜りながら会務に精勤した。
 ・昭和45年8月に磐田郡浅羽町に在住の仁科幸七氏がご逝去なされました。仁科さんは技工士協
  会発足からの会員で、組織の誕生に非常に協力された優れた会員でした。
 ・昭和45年11月には、入会間もない井原健氏が永眠されました。まだ30台の若さで、仕事に熱心
  な方と記憶しております。

◎昭和46年度  三浦義一支部長 吉川三山県技会長
 ・この年の任期は、日技任期に合わせるという理山で、暫定的に1年であった。
 ・西部支部役員は、浜松だけで固め、三浦支部長の提案で、家族的な団結で会務に勤め、精力的に
  活動した。
 ・東海四県野球大会が、三重県長島掃泉球場で開かれ、西部より5名が県チームに補強され活躍し
  た
が、賞状もない三伎でした。
 第10回目本歯科技工学会への参加
 ・昭和46年8月28日〜29日、北海道札幌市民会館に於いて、第10回日本歯科技工学術大会が開
  催されました。西部支部より鈴木孝一さん、横原勲さん、三浦義一さん、鈴木昌平さん、半場元さん、