わが国における歯の記録は、縄文時代まで遡のぼると言われている。近代になって業者が結束した
のは、明治45年入歯細工職46名であると文献に記してある。大正期には、技工所の必要性が芽生え、
昭和の初期には、東京を始め各地で、技工技術面や、技工料金問題などの語し合いのため、歩グルー
ブの同行会ができています。そして昭和9年になると、東京で会員30余名の東京歯科技工協会が発足
しています。
 静岡県においては、昭和15年に浜松を中心に、鈴木孝一氏、安藤昇一氏、横原勲氏、一瀬謙吉氏、
石川喜平氏等の有志が、時代の要請に応じるための同業者の組織“西遠歯科技工士組合”が発足した
と聞いております。昭和18年に東京で開催された“日本歯科技工士連盟”の
大会に鈴木孝一氏等浜松の有志が参加をしておりますが、県内他地区でも組
織化が叫ばれ、昭和22年中部地区に、“静岡市歯科技工士クラプが誕生し、
昭和24年に“中部歯科技工士会'と改称されております。そして、昭和26年
には東部地区にも組織化の動きが起り、同年夏、静岡市内に於いて、東中西
の有志が集り、県内歯科技工士の統一した会の準備委員会が設置されました。
その当時の西部地区のメンバーは、鈴木孝一氏、横原勲氏、加藤延久氏、一
潰謙吉氏、安藤光芳氏、石田黄氏でありました。当時の会合は、すべて浜松
で行われ、西部主導で逗営され、昭和27年には、'静岡県歯科技工士協会"が発足しております。
 昭和18年、当時浜松市内には8軒の歯科技工所が開設されており、9人の方が就業されておりまし
た。
〇石田正一さん(板屋町)、〇根岸厳さん(板屋町)、〇石川喜平さん(相生町)、〇山口(近藤)国光
さん、〇山口茂さん(鍛冶町)、〇鈴木孝一さん(池町)、〇安藤昇一さん(常盤町)、〇大観堂技工部
(田町)、〇横原勲さん(尾張町)
以上の方々が、東京歯科技工士協会代表の寺元武士先生の影響力により、前述した“日本歯科技工
士違盟'に参加したことが、県内の組織化を加速したものと思います。
ただ残念なことは、昭和10年代当時の先輩は、石田茂氏をのぞき他界され、当時の状況を知るすべ
もなく、資料もほとんどありません。ただ鈴木孝一氏の御内室より頂戴しました古い資料の中に、昭
和27年作成の“技工料金"表がありました。おそらく、統一組織の大きな事業で、何よりも優先した
ものと思います。現在の会とは違い“親睦と交流"“生活の向上"を目的としたと聞いておりますが、
職業的には明るい展望を持ちながら、団結カの強い同行会であったと思われます。最後に、県内統一
組織発祥の地が浜松であったことに、大いに感謝すると同時に、それをなしとげた先輩諸氏に敬意を
表したいと思います。

  沿   革

【黎 明 期】