退化する日常・4



 白鳳という人物について考察しようとした時、彼と浅い付き合いしか持たない人間は、彼の事を、得
体の知れない人物だと評するだろう。また、彼を良く知る人間は、彼の事をとらえどころのない人物だ
と語るだろう。


 良くも悪くも、白鳳という人間には不可解な部分が多い。付き合いの深さ浅さだけでは測れない彼の
為人は、往々にして彼と彼を取り巻く周囲の人間との間に、不要な軋轢を生み出した。

 それなりの長付き合いであり、仮にも情を交わした相手が世間から倦厭されがちであるという事実は、
セレストにとっても心痛の種の一つだった。出来ることなら、白鳳には、わざわざ周囲から色眼鏡で見ら
れるような環境に身を置いてほしくないものだとも思う。
 例えば、その言動一つをとっても、周囲の評価は天と地ほども変わるのだ。なにもすべてにおいて周
囲に阿ろというわけではないが、被らずにすむ火の粉なら、出来る限り払ってほしい。

 元来の生まれ育ちはけして悪くなく、本人がその気になりさえすれば、これ以上ないほどに人好きの
する立ち居振る舞いを労せず披露することもできるのに、好き好んで問題行動を取りたがるその気性は、
「身内」の贔屓目で言いつくろってみても、短所としか呼びようのないものだった。

 かといって、既に成人も果たした「いい大人」であり、自分の扶養者でもない白鳳に向かって、その性
格と直せと説教できる道理など、セレストにはありはしない。どれほど周囲とのいらぬ軋轢を呼ぶもので
あっても、当の白鳳自身が承知の上で貫いている為人である以上、それは好意という名を装った押し付
けだった。自身の言動に関する責任能力のある人間に対して、正当化される行為ではない。

 もちろん、その行動によって彼自身を自滅へと追いやってしまうような、そんな自虐の堂々巡りに彼が
陥ってしまうようなことがあれば、体を張ってでも自分はそれを止めるだろう。実際に、それが原因で、彼
とのっぴきならない我の張り合いを繰り広げたこともある。
 だが、白鳳は良くも悪くも、過干渉を望まない質の人間だ。お互い別々の人生と社会を背負って生きて
いる以上、セレストもそれでいいと思っている。
 こんな関係になってからも、最後の最後ではお互いの境界に踏み込ませない彼の頑なさを、時折残念
に思うことはあったけれど。


 ともあれ、セレストの知る白鳳という人物は、そういう為人をしていた。厄介な相手に惚れこんでしまった
と、そう思う事も正直ないではなかったが、ある種の弱みを握られてしまったかのような、そんな自身を苦
笑交じりに自覚するのは悪い気分ではなかった。


 相関の根底にあるものがそんな状態であったから、なにかと問題行動の多い年上の青年との付き合い
は、駆け引きめいたやり取りに終始する事も少なくない。その白鳳が、あの苛烈な旅暮らしのさなかでさ
え簡単には漏らす事のなかった弱音をこぼしてみせたということが、セレストに少なからぬ衝撃を与えてい
た。



 まだ酔いが回るほどの酒量ではなかったし、そもそも酒に対する耐性がつきすぎた白鳳は、泥酔すると
いうことがない。酒に逃げることで自身の醜態を晒すことのない彼の、けして低くはない自尊心を刺激しな
いように話の水を向けることは、口下手とまではいかなくても口達者とは呼べないセレストにとって、至難
の業だった。

 結局、気の利いた言葉も思いつけず、何かあったのかと一声かけた後は、せめて相手が口火を切りやす
いようにと、ただ黙って杯を傾けることしかできなかった。


 相応の関係を築き上げた者達が共有するにはいささか興に欠ける沈黙を、二人して過ごしたのはどれほ
どの時間であったのか。
 ようやっと重い口を開いた時、白鳳は酷く物憂げだった。



 「弟がね……坊ちゃんのご好意で、著名な生物学者の先生のお世話になっているでしょう?」
 「ああ、はい」


 今からおよそ三ヶ月ほど前……白鳳の弟翠明がようやく人身を取り戻した時、問題となったのは、何も彼
の身体機能や疾病の懸念だけではなかった。

 ルーキウス国においては、十五歳以下の子女を扶養する保護者に対し、彼らを適正な教育機関で就学
させる旨が義務付けられている。
 白鳳兄弟の場合、既に両親が他界しているため、白鳳が弟に対する就学義務を負うことになるのだが…
…ここで、一つの問題が生じた。


 世間にとっては空白の数年間を異形の姿で過ごさざるを得なかった翠明の実年齢は、現在十六に達し
ており、国の定める義務教育期間を終了している彼が、ルーキウスの法制度の下正規の教育機関に就学
することはできなかった。
 更なる高等教育を目的とする機関は当然存在したが、その門戸をくぐるためには、義務教育を修了した
という公的な証明が要る。学力のみを目的とするなら非公式の教育機関である私塾に通うこともできるし、
音に聞こえた著名な知識人を頼ることもできたが、それでは世間一般に通用する「資格」とはなりえない。

 鷹揚な国柄で知られるルーキウスにおいて、「学歴」というものは、実のところそれほど重要視されてい
ない。勿論あるに越したことはないが、実際に社会に貢献できるだけの労働力があり相応のスキルがあれ
ば、この国で深刻な就職難に悩まされることはまずありえなかった。
 だが、それは典型的な農業国であるルーキウスで、国柄にそった人生を選択した場合の話だ。


 翠明が幼い頃から抱いてきた将来の夢は、亡き父の後を継いで、いっぱしの生物学者になることだった。
きわめて専門的な教育を必要とする彼の希望進路のためには、段階を踏んだ履修が必要不可欠であり、
その為には、公的な記録に残る教育機関への就学は、避けては通れない道であると言えた。

 翠明の解呪後、様々な事後処理が落ち着くのを待って、白鳳が真っ先に起こした行動が、国の第二王子
にして自分たち兄弟の身元保証人でもあるカナン・ルーキウスへの、セレストを仲介人とした非公式の謁見
の申し入れだった。

 継承権を持たず、実際の国政には直接関与していない第二王子への謁見は、すぐに希望を聞き入れられ
た。そして、対面したカナンの前で、彼は弟の置かれている現状を述べ、何とか然るべき機関への口利きを
賜れないかと言葉を重ねて願い出たのである。


 一介の民間人に対する便宜の域を出ないとはいえ、カナン一人の裁量で決済するには、それは些か荷の
重い案件であったようだったが……それでも、カナンはその一件を、兄王子や文部系大臣の耳を通すことな
く、白鳳の意に沿うような形に彼の一存で処遇した。

 出会った当初からけして仲睦まじい相関であったとは言えず、いまでも私的な場に移れば、多分に他意を
含んだ当てこすりの応酬が始まるような二人であったが――なにしろ、なんのかのと言いながらも白鳳との
一線を越えてしまったセレストは、カナンにとっては生まれた時から側で護り仕えてくれた身内なのだ。そこ
に性的な思慕や執着はなくても、ある日いきなり現れた慮外者に、自分の身内を掻っ攫われてしまったかの
ようなこの現状を、彼が面白く思えるはずもないのである。また、白鳳の方も公私の線引きはきっちりつける
ものの、自分に対して含むところを隠そうともしない少年に対し、私的な立場でわざわざ媚を売ったりすること
もなかった。両者の相関は、推して知るべしであった。――カナンの意外にも思える二つ返事の裏には、常で
あれば王家との繋がりなどみだりに利用したりしない白鳳への、ある種の驚嘆があったのだろう。そして、そ
れがゆえに陳情する彼の切迫が、否が応でも汲み取れてしまったという、情状酌量の意味合いが強かった
のかもしれない。

 ともあれ、こうして翠明はルーキウス王家の口利きを得た。そして、かつてカナンが師事したこともある王家
お抱え学者の伝手を辿り、その弟子の長たる人物に教えを請うる事となったのである。いずれ学問を修め、
国家に認められた知識人である彼の太鼓判を得ることができれば、それが公的記録に残る履修以上の効力
を発揮することは、疑いようもなかった。


 以来、早三ヶ月弱。時折定期的な報告に現れる白鳳の口からは、学習経過はきわめて順調だと聞いてい
る。それがここに来て、なにごとかの問題に直面したとでも言うのだろうか……

 セレストの懸念を知ってか知らずか、白鳳は傾けた杯を空にすると、どこか自嘲気味に嘆息した。

 「こんな話をすると、とんだ兄馬鹿だと笑われるでしょうが……あの子はあれで、学者の卵としては随分と見
  所があるようでしてね。始めはこれまでの勉強の遅れを取り戻せればという気持ちであの子を通わせてい
  たんですが、そんな段階は二月もした頃には通り越していたそうで。今では、基礎学力は申し分がないそう
  です」

 紡がれた言葉の内容に反して、そこに語り手の誇らしさが窺える響きはない。ただ一人の弟が予想以上に
優秀であったというなら、それは諸手を挙げて歓迎すべき事態ではないのか。身内であるからこその面映さと
呼ぶには、白鳳の語調は些か憂慮の色が濃すぎるようにセレストには思えた。

 だが、その答えは続く語り手自身の言葉によって、知らしめされることとなった。
 酒場の店員に追加の杯を頼むでもなく……空になった杯の底に視線を落としたまま、白鳳はこう続けたのだ。


 「スイが父の後を継ぐ生物学者を目指していることは、先生も始めからご存知でしたから、授業の内容も自然
  と専門的な講義の割合が増えてきたようです。そうした授業形態になってからというもの、スイの学力が飛
  躍的に伸びてきたと、先日先生からお話がありました。先生は自分のことのように喜んで下さって……そし
  て、仰るんですよ。
  『弟さんは、生まれながらの探求者ですよ』『このまま自分の許でのみ学問を続けることは、弟さんの資質に
  とって、大いなる損失ではないでしょうか』…と」



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