退化する日常・3

 


 その日、勤務時間の交代を目前に控えた騎士団詰所に顔を出した白鳳の様子は、何もかもが
平時とは違っていた。


 まず、白鳳が詰所の門戸を叩いた時間。

 現在、王宮への出入りを許された立場にある白鳳は、その旗下に抱える騎士団に所属するセレ
ストの、大まかな勤務時間を把握していた。それは翠明の解呪という大命題を果たした彼が、そ
の先に立ちはだかった現実との折り合いをつけていくために、当面の間王家の後ろ盾を必要とした
からで……そのパイプ役となったセレストと連絡を密に取り合う内に、自然の成り行きからそういっ
た情報が下りてくるようになったのだ。

 王宮の警備、そこに暮らす要人の警護を任務とする彼らの勤務形態は、本来であれば団外秘
情報であるといえたが、白鳳兄弟の一件については、ルーキウス王家もあながち無関係とは言
い切れない立場にあったので、余人と比べればその敷居は幾分低い。
 とはいえ、ルーキウスがいかに安穏とした国柄であれ、本来部外者に過ぎない白鳳に無条件
で情報を与えるほど、王家ものんびりと構えていた訳ではなかった。

 白鳳兄弟は、翠明の解呪を機に、正式にルーキウス王国の市民権を獲得している。頼りとなる
身内もなく、長年旅から旅の根無し草のような生活を余儀なくされてきた彼らにとって、本来異国
に過ぎなかったルーキウスの国籍はこの上ない後ろ盾であり、彼らに身の置き所を与えた王家の
采配は、傍目には純然たる恩赦と映ったことだろう。

 だが、確かな身元を手に入れたという事は、手に入れた世界に対して同等の責任を背負わされ
るということだ。

 素性が知れれば、その素行も明るみになる。この先、良くも悪くもルーキウス王家との繋がりを
持った白鳳が、その特殊な状況下で知り得た情報を悪用すれば、王家は躊躇なく、彼らを公式の
場から排斥してのけるだろう。
 つまりは、この国に暮らす人間として、その将来を人質に取られたようなものだ。

 迂闊な真似をすれば、白鳳自身はもとより、ようやく人並みの生き様を手に入れた翠明の、この
先の長い人生を棒に振ることになる。ただ一人の肉親である弟の人生を狂わせたという贖罪の念
に長年苛まれてきた白鳳にとって、これ以上重く効果的な牽制はなかっただろう。

 新生活の保護と新たな身の置き所を提供すると申し出た王宮側の意図は、白鳳も過たず察して
いたようで、冗談とも本気ともつかない表情で、「これでもう、この国で悪さはできなくなりましたね」
などと嘯いて見せたものだった。

 とはいえ、人並みの生活を望むなら、それは万一の事態を想定した杞憂に過ぎない。半生をかけ
ての大命題を果たした今となっては、白鳳もそうそう危ない橋など渡りはしないだろう。法外な保険
料を支払う代わりに一生涯の保障を手に入れたのだと考えれば、それはあながち理不尽な交換条
件ではなかったのかもしれなかった。


 前置きが長くなったが、つまりはそういった経緯によって、白鳳は騎士団の内情にある程度通じて
いる。であるにもかかわらず、敢えて勤務時間中のセレストを訪ねた段階で、既に平時の彼らしくな
かった。

 セレスト自身、彼と深く付き合うようになって初めて気づいた事だが、白鳳には意外に義理堅い一
面がある。
 男の子モンスターハンターという特殊な職種に従事していることも手伝って、とかく自由人の印象
が強い白鳳だったが、その実、彼は公私の線引きには人並み以上に厳しい人物だった。

 白鳳が長年ハンターを生業として生きてきた世界が、一切の妥協を許されない過酷なものであっ
たことも要因の一つなのだろう。彼にとって、糧を得るという行為にはそれほどの重さがあるのだ。
 そして、彼は自身のみならず、周囲の人物に対しても同価値の認識で以って、公私の線引きをす
る。付き合いの深さ浅さで、お互いの境界線をなあなあにすることを由としない彼が、こちらの事情
も省みずに自身の都合優先で訪ねてくること自体、常の彼であればありえない事だった。


 ましてや、騎士団におけるセレストの地位は、幹部格に匹敵する。
 第二王子の警護に加え、後進の指導管理も任されているセレストは、訓練指南以外にも、常に山
積みの案件を抱えていた。所謂定時で業務から解放される事などないに等しいセレストの職場事情
を慮って、白鳳が詰所に顔を出すのはむしろ、本来の勤務終了時刻を大幅に経過した時分であるこ
とが殆どだった。
 平時でさえその状態なのだから、非番を翌日に控えた引継ぎ事などで、予定が押しているような日
の就業時間は押して知るべしだ。なのにその日に限って、白鳳はセレストの勤務形態を知りながら、
その抱える事情に注意を払わなかった。



 そして、次にセレストが違和感を覚えたのが、白鳳の語調だった。


 酒につきあって欲しいのだと、顔を合わせるなりそう誘いをかけられた。今夜は徹底的に飲みたい
気分なのだとも。
 かつての彼であればいざ知らず、今現在の白鳳からそんな風に持ちかけられることは、非常に珍
しいことだった。


 翠明が人身を取り戻してからというもの、それまでの空白の歳月を取り戻そうとするかのように、白
鳳の生活の全ては翠明を中心に回っていた。
 翠明が人外の姿をしていた頃は、その解呪を目的とする思いが根底にあるとはいえ、弟を従者に託
して昼となく夜となく、暗躍を繰り返してきた彼の放蕩振りが、今ではすっかりなりを潜めている。むし
ろ今では、誘いをかけたこちらが煙に巻かれる事の方が多いくらいだ。

 非番を利用してどこかに出かけないかと声をかければ、「ありがとうございます、でもスイが……」と
婉曲に断られ、久しぶりに夜っ引き酒を飲まないかと誘ってみれば、「それはいいですね、でもスイが
待っていますから程々で切り上げないと……」と早々に御輿を上げられてしまう。

 ただ一人の身内である弟を禁呪から解放するため、長い年月をかけて苦行にも似た旅暮らしを耐え
抜いた青年だ。その溺愛の程は当時から容易に推し量れるものではあったが……

 セレストにしても、ようやく対面の適った人身の翠明を疎ましく思っているわけではない。むしろその
素直さ聡明さはセレストの予想以上で、すれからしたところのない実直な人柄を好ましくも思っていた。
 それでも、仮にもそういった関係にあるからには、たまにはこちらを優先して欲しいと感じることもある。
あまりにも頻繁に、弟が弟がと連呼されるのも、セレストとしては正直なところ面白くはなかったのだ。

 その白鳳が、実に数ヶ月ぶりに翠明の世話焼きを離れ、自身の都合でのみ行動している。
 勿論、白鳳にも一人の時間は必要だ。たまにはしがらみから離れて、羽を伸ばしたくもなるだろうが
……これまでがこれまでだっただけに、セレストもまた望んでいた機会でありながら、湧き上がる違和
感を、どうにも拭うことができなかった。


 今となっては、「らしくない」と評されるのだろう言動に走るほどに、彼の中で、何らかの鬱積がたまっ
ているということなのだろうか。
 白鳳の誘いに、反ってある種の不安を掻き立てられたセレストは、出来うる限り手早く引き継ぎ業務を
済ませ、持ち越せる仕事は潔く非番空けに回すことにした。


 その後に、馴染みの酒場に連れ立って出向き……そこで、杯を傾けながら、珍しく白鳳が弱音を吐
いた。
 新生活が始まって数ヶ月……張り詰めていた緊張も綻びを見せる頃だ。愚痴の一つや二つ、こぼし
たくもなるのが人情というものだろう。
 久々の機会であるだけにいささか残念な気がしなくもなかったが、今夜はどうやら、楽しい酒という
わけにはいかないかもしれない。これは、白鳳のガス抜きの方が先のようだ。
 そう考えて、ひたすら聞き役に徹してやろうと腹を決めたセレストの前で……いつになく気弱な語調
で、白鳳が独り言のようにぽつりとこぼしたのだ。


 ―――「寂しい」、と。



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