退化する日常・2



 人知を超えた絶対的な存在、プランナーとの闇取引の代償である、『男の子モンスターのコンプリート』
という大命題。その気の遠くなるような目的をようやく果たした白鳳の元に、一身に被った神の呪いから
解放された翠明が無事人身となって戻ってきたのは、いまからおよそ三ヶ月ほど前の事だった。


 良くも悪くも、神と呼ばれる存在のたれたもうた言葉には、絶対の効力と『保証』が内在しているという
ことなのか。長い年月を人ならぬ異形の姿で生きることを余儀なくされながら、それでもいざ人型を取り
戻した時、翠明の五体には、それまで強いられてきた不自然で不自由な生活によって生じるはずの諸々
の弊害が、全く見受けられなかった。

 育ち盛りの少年期特有の、瑞々しいまでの活力と胆力。数年間にもわたり四足歩行を余儀なくされて
きた小動物の姿から人型へと変じた途端、なんら物理的影響を受けることなく、すんなりと二足歩行の
生活に馴染んでしまったこと一つをとっても、然るべき学会にでも届け出ていればたちまち紛糾の元と
なったことだろう。

 翠明を取り巻く者達を驚愕させたのは、何も外見上の、そういった目に見える変化ばかりではない。

 まず、周囲が気にかけたのは、呪術の影響下にあった翠明が、その年頃の子供であれば当然接種
等で予防しなければならない、様々な法定伝染病に関する対策を、一切受けることが出来なかったと
いうことだった。殊に男児である翠明にとっては、ここで放置したがために、万が一成長後に罹患してし
まえば、その生殖能力を損なう危険の伴う病もある。

 再会の感動も覚めやらぬ間に、そういった事態を恐れた白鳳が、まず弟のために手配したことは、医
師による徹底的な検診と、可能な限り日程を詰めて予定を組んだ、諸々の接種の予約だった。

 そして、そこで彼らは、再び驚愕することになる。
 どういった采配によるものか―――接種時の検査の結果、翠明の体内には、既にそういった病原体に
対する抗体が出来上がっていた事が判明したのだ。

 それこそ精密検査と呼んでもいいほど、本格的な施設で徹底的に行われた検診にいたっては、所見
を認められずの一言が、診断票を埋め尽くすのみだったという。

 これには周囲の者達も、安堵よりも先に動揺を露にした。現在、翠明にとってただ一人の血縁者であ
る白鳳にいたっては、その診断結果に本当に見落としはないのかと施設側に執拗に言い募った挙句、
どうやら本当にあてになる見立てらしいと得心した途端、気が抜けたのか一両日寝込んでしまうという
おまけがついた。


 本当の意味での、五体満足で戻ってきた翠明との感動の再会劇はそれからのことで―――以来三ヶ
月。白鳳兄弟は、人外の従者達を交えながらの兄弟水入らずの生活を堪能している。


 ………否。その筈だった。



 翠明の解呪直後は、何かと人手も伝手も必要だろうと、セレストも白鳳の元へ足繁く通っては、割合
大っぴらに彼ら兄弟の新生活の世話を焼いた。
 何しろ翠明の一件については、ルーキウス王家にも多少なりとも責任の所在が問われるところであり、
その要因の一端ともなった第二王子にいたっては、公言こそしないまでも、ほぼ全面的な支援を彼らに
確約している。となれば、その警護の任に当たる国の要職についたセレストが、公然とその職権を乱用
することも容易かった。

 そんな風にして、彼ら兄弟と、これまでとはまた一風異なる関わりを持つこととなったセレストだったが、
流石に一月も経つ頃には、彼らの新生活も軌道に乗ってきた様子がありありと見て取れた。
 ひとまず身体的な問題は見受けられないとなれば、王家の口利き無しには利用できない施設や設備
への特例措置も必要なくなるし、そうなれば部外の人間の過干渉は煩わしいだけだろう。後は身内同士
の問題と線引きし、必要があればいつでも手を貸すので声をかけて欲しいと言い置いて、ひとまずセレス
トは彼ら兄弟の一件からその手を引いた。

 勿論、線引きをしたからといって、完全に彼等との関係が疎遠になった訳ではない。今回の事で間接的
に王家の保護を受けた白鳳は、その返礼と事後報告も兼ねて時折王宮に出向いてきたし、そんな時は
余程の火急時でもない限り、騎士団の詰め所に顔を出した彼を捕まえては様々な話をした。更に互いの
予定が合えば、城下町にある酒場に繰り出して杯を傾けあう事もあった。

 日々は須らく穏やかに過ぎ、翠明の呪いという重石を白鳳が常に抱えていた渦中の時期に比べれば、
自分達の関係は、余程好ましく望ましく思えたものだった。

 いつでも力になると申し出たセレストの言葉には誠意ある謝意を述べたものの、それ以来、白鳳がセレ
ストに何らかの助力を求めてくることはなかった。その事をどこか寂しいと思わなくもなかったが、どうやら
本当に軌道に乗ったらしい彼らの生活ぶりに、それ以上に安堵したのも事実で。

 出会いの瞬間から波乱尽くしだった自分達の相関が、ようやく世間並みの落ち着きを得たようで、それ
がセレストには素直に嬉しかった。



 このまま、大過なく長閑な暮らしに、彼らが馴染んでいってくれればいい。これまで私心を擲って、唯一
つの願いのためだけに邁進し続けてきた人だから、いっそ胸焼けを起こす位に、波乱というものとは無縁
の生活を満喫して欲しかった。


 セレストの祈りにも似た思いに答えるかのように、彼らを取り巻く日々は――日常を送る上での些細な軋
轢はあるにせよ――至極和やかに過ぎ……彼らの新生活の支援者の一人でもあるカナンに至っては、
これで肩の荷が下りたなどと、冗談めかした語調でもっともらしく語って見せたものだった。


 全てが、理想的な方向へと向かっている。
 彼の人が辛酸を味わい尽くしたであろう、あの泥沼のような日々の片鱗を見知ってきたセレストは、そう
心底信じていたかったし、その安寧を我が事のように強く願ってもいた。



 騎士団勤務の非番を前にしたセレストの元へ、白鳳が連絡を寄越してきたのは、ちょうどそんな折だった。





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