退化する日常・1

 「―――白鳳さんが?」


 その朝、騎士団勤務の非番を利用して、もはや長付き合いと呼べるだろう知己の元を訪れたセレストを
出迎えたのは、目的の人物ではなく、寡黙で知られる大柄な体躯の人外だった。

 モンスターハンターである白鳳の元で長年随身を務め、その信頼も厚いオーディンは、白鳳陣営におけ
る双璧とも呼ぶべき今一体の人外、神風と共に、今では主人である白鳳の身の回りの一切を取り仕切っ
ている。
 だから、「彼」が取次ぎに出ること自体に、なんら不思議はないのだが……

 元来の無表情に輪をかけた硬質な面持ちで、「彼」は、セレストの来訪を主に取り次ぐことに難色を示し
た。


 セレストと白鳳が、所謂そういう間柄であることが彼ら随身達の知るところとなった当初、主である白鳳
に絶対の服従を誓いつつも、それ以上に主への強い執着を持っていた手飼い達は、突然主人の隣に現
れた存在であるセレストの事を、歓迎はしていなかった。
 白鳳の行き届いた躾によって、彼らがセレストに対してあからさまな敵愾心をぶつけてくることはなかっ
たが、それでも相手から好かれているかどうか位は、顔を合わせていれば嫌でも解る。

 良くも悪くも、人間以上に純粋な性根を持つ人外にとって、彼らの唯一無二の居場所に土足で上がりこ
むような真似をした自分の存在が、面白くないのは当然のことだろう。
 そう自らを納得させ、以来、ふとした折に触れては視線と共に投げかけられる、彼らから発された無言
の抗議を、敢えて黙殺することでセレストは彼らとの微妙な距離を保ち続けてきた。


 とはいえ、元来情深い気質を持った彼らは、一度心を開いた存在には、一転して惜しみない信頼を寄
せる。白鳳の取り成しと、セレスト自身の粘り強い歩み寄りによって、ようやく彼らから容認されつつある
立場にある現在、こんな風に非歓迎的な態度に出られることは稀有な事態であると言えた。


 いぶかしむセレストの様子を見て、オーディンも幾分態度を軟化させる気持ちになったらしい。「彼」は言
葉少なに、白鳳が臥せっている旨を通告した。



 ここで、話は冒頭へとさかのぼる。
 平時から、けして明朗とは呼べない声音を沈痛にますます重くして、オーディンは端的に事の経緯を説
明するべく、その口火を切った。

 「今朝方俄にご不快を訴えられて、お部屋にこもってしまわれましたので……」
 「白鳳さんの容態は?」
 「心配はいらないから一人にして欲しいと頑なにおっしゃるので、委細まではわかりません。昨夜はお帰
  りが遅かったので、そのお疲れもあるかと、今は無理にお部屋の中まで押し入ることはせず様子を見て
  いるところですが……」


 それは知っている。昨夜白鳳と酒を飲んで、彼の午前様の理由を作ったのは他ならぬ自分だ。
 その折の彼の様子が気にかかったからこそ、昨日の今日だというのに非番にかこつけて、適当な理由を
言い訳にこうして頃合を見計らって出向いてきたのだ。

 やはり、白鳳の身に何事かが起こっているのだろうか……


 「白鳳さんを、見舞っても構わないかな」

 及び腰に申し出ると、一瞬オーディンはなんとも言えない顔をしてセレストを見た。それは、昨夜の主の不
摂生の要因である自分に対する物言いのつもりであったのかもしれないし、自分を邸内に通すことで事態
の何が変わるのかという、言外の揶揄であったのかもしれなかった。


 「……私には判断できかねます。お体の具合だけではなく、我が君はここ数日、大層お悩みのご様子でし
  たので……」

 来客への応対に出た家人の応えとしては、いささか長すぎる沈黙の後、歯切れの悪い語調で言外に否
やがなされる。言葉面こそ慇懃だが、つまりは主人を休ませるため早々に引き取れと告げられて、セレスト
はいささか鼻白んだ。



 白鳳がこのところ何事か屈託していると、オーディンは言っていた。
 それも知っている。なにしろ、その経緯を当の白鳳本人から聞いたのが、つい昨夜の話だ。


 長年主人の随身を勤めてきたこの人外が、強硬手段に訴えてでも主の側近くに控えていないのならば、
それは「彼」がそうするだけの事態ではないのだと、判断したということだ。自分などよりよほど長付き合
いである彼らがそう判断したのなら、白鳳の容態は差し迫ったものではないのだろう。
 そして、「彼」の告げる白鳳の屈託の原因を、自分はけして取り除いてやることは出来ない。

 ならば、オーディンが言外に示唆するとおり、今は彼らに任せて暇を告げるべきなのかもしれなかったが……




 「……責任は私が取るから。白鳳さんに無理もさせない。様子だけ見たらすぐに帰るから、取り次いで
  もらえないか」

 昨夜、杯を傾けながら白鳳と交わした言葉の端々が、脳裏をよぎる。明日も早いからと、自ら酒の席を切り
上げていった彼が別れ際に見せた、含むものを感じさせた愛想顔を思い出す。
 このまま後ろ髪を引かれながら辞去することは、やはりできないと思った。



 互いの身長差から、どうしてもこちらから見上げる形となる人外の鉄面皮を、半ば挑むように凝視する。そ
のまま十秒が過ぎ、二十秒が過ぎ……

 かち合った視線を先に逸らしたのは、言外に退去を迫っていたオーディンの方だった。



 「……我が君のご意向を、伺ってまいります」

 感情の起伏を感じさせない声音で言い置くと、軽く一礼したオーディンはセレストの返事を待たずに邸内へ
と踵を返した。

 主の私室へと向かう廊下を曲がり、その大柄な体躯が完全に見えなくなってしまうまで後ろ姿を見送って
……我知らず、それまで居住まいを正していた双肩から力が抜ける
 引き合わされた当初を思えば、大分関係は修復されてきているとはいえ……やはり、彼らにとっての自分
は、未だに含む所の多い闖入者であるようだ。本当の意味で彼らと打ち解けるには、まだまだ長期戦の覚
悟が必要かもしれない。


 ともあれ、今は白鳳のことだ。彼の不調が、その抱える鬱屈から引き起こされたものなのかどうかは解ら
ないが、とにかく直接見舞って、本人と相対してみなければ始まらない。


 白鳳の私室に取次ぎに向かったオーディンの帰りを待ちながら、手持ち無沙汰の時間を紛らわすかのよう
に、セレストの意識は自然、昨夜の出来事の追想へと傾いていった。



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