王道楽土・6


 「……ホーディックの、廃坑跡の調査、ですか?」
 その依頼を、当時自分が属していたとあるギルドに持ちこんできたのは、
一見風変わりな風貌をした壮年の男だった。

 中肉中背といった体格に、整えれば相応の容貌を見せるのであろう、や
や面長の輪郭をした容色。纏う衣類は大概が一張羅と思しき暗色系の長
衣で、この日ギルドを 訪れた彼の出で立ちも同様だった。
 とはいえ、衣類も満足に整えられないほど彼が稼ぎに乏しいのかと言え
ば、そういうことではないらしい。らしいというのは、外観も含めてその男は
非常に謎めいた存在であり、私生活の一切を余人にのぞかせることがない
偏屈者であったからだ。
 それでも、彼はその界隈で知らぬものとていない、ある種の有名人だった。

 街の奥地に、人出を避ける様な威圧感と共に聳え建つ、硬質な雰囲気を
醸す巨大な暗灰色の研究所。そこが男の住まいであり、必要最低限の外出
をのぞき、彼はその建物に日がな一日こもっては、常人には何やら理解の
及ばない研究を懇々と続けていた。
 元来、マッドと呼ばれるであろう彼のような質の人間に好んで深く関わろ
うと言うものはそうはいない。身寄りがないという環境も手伝って、男の存
在はますます街の空気から浮き立ったものとなっていた。
 だが…それでいながら、時折所用で市街を訪れる男の姿を、人は遠巻
きにはしてもけして邪険に扱うことはない。その陰には研究職にある男の
立場が深く影響しておリ、非常に有能であるが故の彼の発明は、街はお
ろか国土の文化発展におおいに貢献しているという実績に裏づけられ、高
い評価を受けていた。

 国を代表するような著名人の存在は、ひいてはその地元民の街に対する
誇りを強く刺激する。そういった事情もあり、むしろ地域住民からも一目置か
れた存在である男は、日々を奔放に生きていた。
 文化功労者である男には、表裏二つの顔が内在する。
 貢献度の高い研究者の顔を表とするなら、今一つの顔は尚の事、馴染み
のない常人には理解しがたいものがあったかもしれない。それでも、当人の
存在を差し置いて先走った彼の表の顔の名声が、内在するその裏稼業を暗
黙裏に世間に認めさせていた。

 男の持つもう一つの顔。それは、人外を対象にした違法すれすれの研究
を生業とする、ある種の「生物学者」とでも呼び習わせるものかもしれない。
 人外―――いわゆるモンスターと呼ばれる生き物の中でも、彼が対象に
選ぶのは人型をかたどった高等生物…一くくりにして「男の子モンスター」と
いう名で分類されている者達であり、その配合、遺伝子情報などの操作を
行った「亜種」の研究が、彼の専らの裏稼業であった。
 人外である存在を対象に、国が定めた法律は基本的に明文化されていな
い。人が他家に飼われている愛玩動物を殺めても器物の破損扱いになるの
と同じく、その生態系を大幅に歪めでもしない限りは、亜種の研究が咎とな
ることはなかった。

 それでも、男が対象とした人外がことごとく人型をかたどっているという外
観上の抵抗もあり、ある意味、その命を弄ぶような行為にも取られかねない
男の研究を、市井の人々は控えめに畏怖してもいた。
 だが、国に認められた研究者としての肩書きと牽制はそれらの声や視線
に何ら影響を受けることもなく……
 男は悠然と裏稼業を続け、街の人々は彼に対する敬意と畏怖がない交ぜ
になった思いをこめて、いつからかその名を冠する敬称をつけて彼を呼ぶよう
になった。

 マスター・ゼノバ―――――ゼノバ・モスという名を持つ男の、以来十数年
に渡り呼び習わされてきた通称である。


 その日、「御用聞き」にギルドの戸を潜った白鳳の眼前で先客のゼノバが
ギルド所定の依頼書をしたためていたのは、全くの偶然だった。とはいえ、比
較的以来頻度の高いゼノバと、当時連日の様にギルドに顔をのぞかせていた
白鳳が鉢合わせすることもそう珍しいことではなかったから、単純に確率の問
題であったとも言えたが。
 顔見知りの依頼者に気さくに挨拶の言葉をかけた白鳳に向かい、たった今
依頼書の呈示を受けたばかりの受けつけの青年が、この依頼はどうだと書面
を回してくる。
 ギルド本来の主旨を考えれば問題定義の一つも起こりそうな運営状況が伺
えるやりとりであったが、元来小さい街中での「企業」と「顧客」との相関には、
こういった馴れ合いが多い。仕事さえ間違いなくこなしてくれればそれ以上は
不問とする依頼者側と、ギルドとの地域ぐるみの付き合いは昨日今日に始まっ
たことではなく、生まれも育ちもこの町である白鳳にもその気質は受け継がれ
ていたから、何ら抵抗を感じることもなかった。

 それでも、性急すぎやしませんかと苦笑交じりに受け取った書類の字面を目
で読み進むうちに、その容貌に幾分訝しげな色が浮かぶ。
 「…ですがマスター、あのあたりの鉱山跡一帯は、もう十年近く前に閉鎖され
  ていますが」
 基本的に、余程胡散臭い内容の依頼でもない限りは、ギルド側がその目的
の有無を依頼者に云々することはない。その鉄則は当然白鳳も知っていたが、
それにしても地質学者でもないゼノバが何を好き好んであの廃坑地帯を、と、
深く考えた訳でもない疑念が思わず口に出てしまう。
 そんな昔馴染みの青年のよすがに、依頼主である男はいつもの様に、底意
の読めない笑みを浮かべながら口を開いた。

 「依頼内容については、不干渉が決まりじゃなかったかな?」
 「いえ、別に深い意味で聞いたわけではありません。ただ、マスターにしては
  変わった依頼だと思っただけです」

 昔馴染みであるが故に、こちらも臆するでもなく切り返してくる白鳳に、男の
顔に浮かぶ笑みが幾分意地の悪いものとなる。
 「いつもいつも、モンスターの捕獲だなんだと、血生臭い依頼ばかり受けて
  いるからか?そういえば、お前さんは昔から、あの「男の子モンスター」とい
  うのが苦手だな。こんな小さなギルドじゃ、ほとんどハンターと兼業状態だろ
  うに、まだ直ってなかったんかい」
 「…苦手なんですよ、実際。人とほとんど変わらない姿をして、それでいて全
  く人権が認められていないわけでしょう?……なんだか、ハンティングをして
  いても、人の亡霊を相手にしているみたいで」
 「そうかそうか。それなら、早く慣れる為にもこの先モンスターがらみの依頼は
  全部お前さんに回してもらうとしよう。苦手意識を持ったままっていうのは、い
  ただけないからな」
 「マスター」

 揶揄されているのだと承知の上で、呼びかける片頬がぴくりと引きつる。その
よすが眺め、男は莞爾とばかりに冗談だと笑った。
 偏屈で通っているゼノバがそんな顔を見せることは、このギルドの中にいても
珍しい。それだけこの男が、自分相手に明け透けに気を許している印なのだと
嫌が応にも伝わってきてしまうから、僅かばかりの悪意の込められたその親愛
の情を、白鳳は不承不承にでも受け入れない訳にはいかなかった。

 そもそもが、こうしてギルドの在籍者とその依頼者になる以前からの、十数年
来のつきあいだ。
 子供の気軽さも手伝って、興味本意に近づいたあの研究所で―――物怖じを
しない闖入者を気に入ったのか、ゼノバは仕事の合間を縫ってはほんの少年だっ
た白鳳の話し相手になってくれた。
 それが断片的にであれ、男の有するひどく専門学的な知識の講義に代わるま
でに、然程時間がかかることもなく。
 こちらも、恐らくは興味本意であったのだろう。それでもゼノバの気紛れに施す
科学的、生物学的な独自の理論は、水を吸い込むように自然と白鳳に馴染んだ。

 何に対してでも貪欲になれというのが、男の口癖だった。知識欲でもなんでも、
人よりも貪欲になれて、初めて返ってくるものがあるのだという。
 そうした日々の積み重ねが、きっと彼をマッドとまで呼ばれた研究者に仕立て
上げたのだろう。それは成功例と呼ぶには偏りの激しい、極端な一例ではあった
けれど、白鳳はそんな彼の有り様を、誰しもが準えられるものではない事を理解
できるからこそ、好ましく感じていた。
 そしていつしか―――ゼノバの言葉は、白鳳にとっても自身の半生に銘打たれ
た、一つの指針となった。

 以来数年……ギルドに籍を置いたことで、今度は「企業」と「顧客」としての間接
的な利害関係を構築するようになり、白鳳は、ますますこの男に頭が上がらない。
 いささか憮然となった面持ちの元教え子を前に、男は再び声を上げて笑うと伸ば
した両の手で、その双肩をバンバンと叩いた。
 「まあ冗談はさておきだ。ギルドに頼むのは私の手が離せないからであって、別
  段あの坑道を危険視したためじゃない。……ただ、恐らくは、国の為になる仕事
  だよ。今は詳しくは言えないがね」

 依頼人である相手に自信ありげにそう言いきられれば、受注側の白鳳に否を述
べる権限はない。それ以前に、ギルドが承認した時点で、これは正規の契約だ。
回された仕事を、依頼者の前で反古にする事はプロとして許されなかった。
 そもそもが、あのマスターの依頼なのだ。純然たる地質調査に留まらず、何や
かやと付加作業を押し付けられる事は目に見えていたが……彼がそう言う以上は、
確かに国にとって有益な何かを見越してのことなのであろうから。
 ……それに、ホーディックまで足を伸ばすとなれば、往路だけでも半日行程だ。当
然泊まり作業となるだろうから、いつもの様に近所の家で翠明…スイを預かってもらう
ことになる。誰もいない家に一人で置いておくよりは、むしろそのほうが憂いもないこと
だし……

 かくして利害は一致を見、白鳳はどこか釈然としないものを覚えながらも、その日の
うちにホーディック坑道跡に向かい出立した。
 ―――途中、手違いが生じて弟という同行者が増えることになったけれど。

 そして、それからおよそ半日が過ぎようという頃……
 ……事件は、起こった。



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