「――――お兄さん、か……」
息詰るような静寂を、互いに押し黙りながら凌いでいた時間は、果たしてどの
くらいのものだったのだろうか。
追憶を呼ぶ沈黙から自分を取り戻したのは、白鳳のほうが先だった。
「弟に…スイにとって……私は、どういう存在になるんでしょうね」
「白鳳さん?」
「ねえセレスト。私達兄弟は…あなたの目から見て、どんな風に映っていますか?」
「それ」と思い至ったのは、本当にただの直感にすぎなかった。それでも、それ
をこそしてここ一番という急場を凌がせ、自らを王国騎士として存続させしめしてき
た勘が、二度はない問いであることを教えていた。
応えを違える訳にはいかないと、聞き役となったセレストの中で警鐘がなる。
自らと、その弟が被った五年前の一連の出来事を、白鳳はけして自ら語らない。
交々の経緯を経て、その内面まで一度は踏み込んだと自負する自分相手であって
も、それは変わることがなかった。
言葉を代えるなら、それほどにその双肩が担っているものは、余人が肩代わりで
きないほど重い負荷を彼に強いているということで……
「……どう、といわれても…」
試されているのだという緊張が、喉の渇きを自覚させる。これで応えを違えれば…
もう白鳳は、それ以上自らの内面を自分に向けて晒す事はしないだろう。
それは、そうあれと強く望んだ立場の人間として、投げ出す事の許されない選択
だった。相手と同じ痛みを背負う覚悟もなしに、その痛みを預けろとは求められない。
ここで、自分が間違う訳にはいかない。
だが、それでも…自分の中にある応えは、彼との間に新たな相関を築き始めたあ
の頃から、変わる事はなくて……
誤解を生じる事はできない。だがそれ以上に、安易な上辺だけの言葉でその場を
取り繕う嘘を告げる事はできなかった。
「俺の目には……俺の目に映っている貴方は、スイ君の理想のお兄さんですよ。
同じ長兄の立場の人間として、貴方の言動から学ぶべきところは沢山あると思っ
ています。その答は、以前から変わっていません」
だから…セレストは、思うままの言葉を以って、質疑に対する応えとした。
それが、白鳳にとっての正解であったのかどうかは、白鳳ではないセレストには判
じようもない。
それでも、緊張に渇えを覚えながらその出方を待っている彼の前で、白鳳はありが
とうと笑って見せた。
そして…
「―――五年前、私は東方の地方都市の僻地に存在する廃坑跡の坑道へと探索
の足を伸ばしました。トレジャーハントであるとかそういう事ではなく、クライアント
からの依頼を受けた、冒険者として…」
そして……出し抜けに、青年は昔語りを始めて見せた。
ちょうど、先ごろまでの貴方がたのようにね―――言って、出会いの当初でも思い返
したかのように、語り部の口許が僅か追憶にほころぶ。
「依頼の内容は、けして難しいものではありませんでした。その廃坑自体が、本来の
使用用途を失ってから久しいもので……人手が遠のいた場所には得てして夜盗や
モンスターの類が棲み付きやすくなるものですが、鉱山目当ての集落が自然と定
着した人里の方は、どれほど過疎が進もうと、そうそう廃村に追い込まれる事はあ
りません。…結果として、そういった集落に半端に面していた坑道跡は、地場産業
面からも、よろしくない思惑を持った輩の心理面からも、「役に立たない」場所として
放置されていました。元来猜疑心が強く、用心深い質である野生の人外が、むや
みやたらと人目に触れるような場所にでることもありません。―――依頼そのもの
が、探索 というよりも地質調査に近いものであった事も手伝って、私はその場所を
別段危険視しなかったのです。…だから……」
「白鳳さん……」
だから、私はあんな馬鹿な真似を……独白めいて続けられた言葉を追うように、ギッ
と何かが噛み締められたような音がする。それこそが白鳳の中に沈む、最も鮮烈な悔
悟の記憶だと否応なしに知らしめられた心地になり、セレストには何も言葉を返す事が
できなかった。
そんな聞き手の胸襟を知ってかしらずか、語り部が紡ぐ言葉に、追憶の色が深くなる。
「当時、私達兄弟は二親を亡くしてほどない時期で、精神面でも経済面でも、ひどく
不安定な状況だったんです。幸いにして、食べるものに困るほどの暮し向きではあ
りませんでしたから、当面は残された余財で充分に暮していけましたし…私もその
頃には幾許かの収入源を持ってはいました。それでも、家族の一人として出世返し
に「貢献」するのと、自ら世帯を預かるという事は、全く別のもので……」
言って、つと目線を遠くした白鳳の懐述を……本当の意味で共感できるのは、同じ立
ち位置を強いられた経緯を持つものだけだろうと、セレストは漠然とそう思った。
五年前の当時、既に成人を果たしていた白鳳の年頃であれば、早い者ならすで婚姻
し、自身の所帯を築いていてもおかしくはない。そういった意味では、齢十才にして実父
母と死に別れた彼の弟よりは、生活能力もあった彼に対して世間が寄せる同情は、多
くはなかっただろう。
同じ年頃で、既に家族を養っているものなどいくらでもいるからと。もう、一人立ちがで
きない年でもないのだから、と。そして恐らくはそれが、まるきりの天涯孤独と言うほど
縁薄くも見えない彼ら兄弟が、二人きりで寄り添うようにしながらこの五年を生きてきた
理由でもある。
だが…と、セレストは思う。
年齢云々の、理屈ではなかった。世帯主が世帯主たり得るのは、それを彼らに促す
自我が時間と共に構築されていくからだ。若くして妻を娶った青年は妻を妻と認識し自
身が夫であるのだという自覚を持ち、妻のその腹の中でいずれ息づき育っていくであろ
う我が子を、半年以上にも渡って向きあう事で我が子と認識し、父親の自覚を持つよう
になる。
人はその精神の状態にひどく左右される多感な生き物であるから……まずはそこに
心が伴わなければ、望むように生きる事など到底叶うものではなかった。
そして……世間一般に取り沙汰されてきたその理屈と、五年前の白鳳の場合とで
は、全くその論点が違う。
彼は、いずれ一つの所帯を構築すべく、将来を前提した愛情を交わしあってきた青年
でもなければ、半年以上先の未来に出会えるわが子を待ちながら、親の自覚を自身の
中に構築してきた父親候補でもなかった。
ある日いきなり、その両の肩にのしかかった世帯主としての重圧。自分一人ならば
どのようにでも生きられても、生活能力を持たない扶養家族を抱えていては、それもま
まならないだろう。
愛情の有無、程度の差は、この際免責事項にはなり得なかった。どれほど得難い
相手であれ、近しいからこそその存在が自身を縛る楔ともなる事は、守るべき「誰か」
を持つものならば誰でも身に染みて知っている。
自分と、自分の守るべき王子のように。―――白鳳と、スイのように。
そこに根在する愛情の問題ではなく…十も年の離れた弟との間に新たな相関を築
きなおす事に、どれだけの時間を、白鳳は費やしてきたのだろう。
そして……
「愚兄である事は、今に始まった事ではありませんけれど……あの当時、スイにとっ
て、私は到底誉められた兄ではありませんでした。兄弟として考えるには年が離れ
すぎ、親の目になるには自分が若すぎる……そんなあの子を、どう扱っていいもの
かわからなくて―――久しく授からなかった末に生まれた我が子を両親が溺愛して
いたのをいい事に、私は極力スイと二人だけの時間を持たないようにして、日々を
送っていました。…けして、あの子が可愛くなかったわけじゃない。素直で、話好き
で、根の明るい子で……だけど、どう接していいか解からなかったから…いずれ、お
互い大人になれば…酒でも飲み合うような年にでもなれば、きっと自分達も変わるだ
ろうと、そんな根拠もない未来の自分達に逃げて……」
そして…
語り部の口から語られた言葉が知らしめる、彼の中の「現実」は―――聞き手の予
想を上回って熾烈なものだった。
「……そんな矢先に、心の準備もないまま両親は逝ってしまいました。私は、二十歳
になってもやはり愚兄のままで…弟と二人残された、これからの生活をどうしようか
と、そんな事ばかり考えて……」
「ええ…」
「スイにしてみれば、さぞや心細い思いをしていたでしょう。ろくろく、二人きりで話をし
た事もないような不貞の兄と二人きりになって……その兄は、今度は家庭に関心を
向けるようになったけれども、それ以上に生きる事に夢中で……」
どう返していいものか解からず、ただ相槌で以って先を促すよりなかったセレストを前
に、うめくように言葉を切ると、白鳳は持ち上げた手でその白銀に彩られた頭髪をぐしゃ
りと掻き毟った。
「……あの子はね、セレスト……自分のことなど見てもいない兄に向かって、無理や
我侭を言えるほど、豪胆な性格はしていなかったんですよ。日常を送る上での、些
細な相談事さえ、あの子は私にした事はないんです。―――思春期に入ろうかと
言う過敏な年頃の男の子が…毎日の生活の中で、思い悩む事がなかったわけは
ないのに……」
「白鳳さん」
「そんなあの子がね…恐らくは生まれて初めて、私に我侭を言ったんです。当時、糧
を得るためと称してそれこそ連日の様に…時には夜を徹して家を空けさえしていた
私の、「仕事」についていきたいと」
その先の経緯は……詳しく言葉にして語られずとも、これまで相手から小出しに呈示
されてきた情報の断片をつなぎ合わせることで、おぼろげながらセレストにも推測できた。
探究心が過ぎた結果と、以前白鳳は言っていた。あの夜、立ち寄った酒場で自分に
そんな話を聞かせた彼は、 さり気ない風でありながらやはり、今思えばひどく苦しそう
で……それでも、世に二人きりの身内であればさもありなんと、そんな風にしか自分に
は思う事ができなかったのだが……
人身を形どってはいなくとも。交わす言葉を持たずとも。
そんな、もの言わぬ小さな獣の姿をした「身内」に向ける、彼の眼差しはひどく優しく
て……遠い未来に手に入れられるであろうその解呪を見返りに、世界さえも人身御供
に捧げようとした白鳳の生き様は、彼の小さな弟に対する執愛そのものであるように、
セレストの目には映っていた。
ああ、それほどに愛しい、睦まじい兄弟であったのかと……そんな風に、自分はどこ
かで彼の意固地さをいじましくさえ思って…
だが……
改めて聞かされた青年の述懐の言葉は、そんな気やすい憶測を一蹴するには充分す
ぎた。
ひたすらに愛しているからこその、これほどまでに自虐めいた生き様を送っているのだ
と思っていた。愛しているから、睦まじい相関を築き上げてきた、世に二人きりの兄弟で
あるからこそ、これほどに彼は自らを擲っているのだと。
だが……
こうして後ろ暗い過去世を懐述している今でも、白鳳は、あの小さな存在を確かに愛し
ている。スイの白鳳への懐き方を見ていれば、彼が兄の事をどう思っているかも手に取
るようにわかる。それは部外の身である自分でさえも、疑いようもなく得心できる事だ。
だが…否、だからこそ…
外観上の障壁はどうあれ、この目に、二人は…一人と一匹は、あまりにも理想的な
兄弟像を事ある毎に見せつけてきたから―――自分には、憶測の範囲であれ気づく事
ができなかったのだ。
これほどひたむきに、互いへと向けられている淀みない情動が……真に必要として
いた時に、互いをすりぬけて、見当違いなところで四散していたなどとは―――
「……危険だからと、いつもの様に留守居を頼むと説き伏せました。あの子は素直
ではあったけれど、私の前では、こちらの顔色を伺ってしまうが故に、ほとんど我を
通すということのない子でしたから…それで言い含められると思ったんです。案の
定、あの子は黙りこんで……でも…いくらもしないうちに、それでもいきたいのだと、
食い下がってきて…」
当時の記憶を掘り起こすかのように、訥々と言葉を重ねて行く語り部の双眸に、も
う聞き手の姿は映っていないのだろう。応えを期待するでもなく、ただ自らに語りかけ
る様に追想を続ける白鳳の姿を前に、セレストは止め立てるべきであるのか束の間
迷い…結局、明確な言葉を口にすることができなかった。
「……あの子が、そこまで我を通そうとしたのは、なにも未知の領域を探索するとい
う好奇心に駆られてだけのことではなかったんです。だけど、余裕のなかった私に
はそんなこともわかってやることができなくて…ああ珍しく聞き分けがないな、まあ
帰りに何か機嫌の取れるようなものでも買ってくればいいかと、そんなことしか思
えなくて……」
「白鳳さん…」
「あの子はただ、一人きりで置いていかれることが寂しくてたまらなかったんです…
…もう社会的に成人として認められる私だって、両親の死は堪えていたのに…ま
だ一人で糧を得ることもできなくて…限られた世界の中で、気を紛らわす術もろく
に知らなくて…ただ一人の頼みである私にまで、ろくろくかまわれることもなくて
……どれほど、心細い思いをしていたんでしょうね……ねえセレスト。あの子は
なんとか私についていきたくて……私を引きとめたくて、必死になって私の腕を
引きながら言ったんですよ………『そんなに危険なところなの?ついていっちゃ、
いけないくらい危ないの?そんなところに、どうしても、いかなくちゃいけないの?
ねえやめようよ。ご飯が食べられなくなるならそれでもいいから、いくのやめよう
よ。………それとも、僕と一緒にいたくないから、兄さんは出かけるの?兄さんは
…僕のこと、嫌いなの?』」
「白鳳さん!」
これ以上は、相手に語らせてはならないと何の確証もなくそう思った。
背負った傷を自ら癒すために、傷跡を抉られる痛みを覚悟で自身の過去世に向き
合わなければならないことも、人にはあった。誰しも一生涯を心地よいぬるま湯の中
に浸かるだけで生きていくことはできないから、大なり小なり、そういった通過儀式を
経て人は自らを世界に順応させていく。それは当事者にしか理解し得ない自身との
戦いであり、余人が感傷で口を差し挟むことはできなかった。
だが……これは違う。
白鳳の独白は、傷口を無為に掻きまわし押し広げるだけの、自傷行為だった。こ
のまま放って置けば、自ら流した血に浸りきった彼は、もう這い上がってくることが
できなくなる。
そんな風に自滅して行く白鳳の姿を……セレストは見たくなかった。
「白鳳さん!貴方は、スイ君を愛しているんでしょう?ただすこしだけ、貴方が不器
用であったというだけの話でしょう?貴方はスイ君に、そういってあげればそれで
よかったんだ。スイくんだって、お兄さんの本音の言葉を穿って捉えるような卑屈
な子ではないでしょう?だったら、貴方がそうやっていつ
までも負い目に感じてい
ることはない。それが新しい壁になったら…また、悪循環を繰り返すだけじゃない
ですか」
伸ばした手で、掴んだ相手の双肩を意図した力でニ、三度揺さぶる。その動きに
我に返ったのか、虚をつかれたかのように緋の双眸を軽く瞬かせると、白鳳は薄く
笑った。
それはけして、仕掛けた青年の意図した笑みではなかったけれど。
「……わかっていますよ。あの一件で、私も思い知らされましてね。機嫌取りの意
味ではなく、腹の底からあの子に詫びましたよ。後にも先にも、あれほど必死に
なって誤解だと訴えたことはなかった。取り繕いではない、本心からお前を愛して
いるのだと、なんとかあの子にわかって欲しくて。……ちょっと人には語って聞か
せられないような愁嘆場まで演じましたけれど―――言葉にも気持ちにも飢えて
いたあの子は、本当に喜んでくれました。……ああ、これで肩の荷が下りた、よう
やく本当の意味で、二人兄弟でこの先もやっていけそうだ……そう思って…私は
私で、きっと浮かれていたんでしょうね」
だから、本当に問題だったのは、その先だったんですよ―――言って、一度は僅
かなりとも笑みの色を覗かせた虹彩の緋が、すっと剣呑に眇められる。
「思惑の是非はどうあれ、正直なところ、私が始終家を空けていたのはあの子と
顔を合わせているのが苦痛だったことも影響していましたから…それが払拭さ
れた以上、なにも慌てて出かけようとすることはなかったんです。依頼はそれほ
ど期限が押しているわけでもなかったし、スイがごねて見せたのもむしろ、私を
引きとめたかったからなんですから。あの子の気持ちを思うなら、一日くらい、あ
の子と二人きりで過ごしてやるべきだったんです。……でも、私はそうはしなかっ
た。それが気晴らしになるならと、自分に言い訳して……あの日、私はあの子を
連れて坑道跡へと出かけたんです」
刹那―――セレストの耳朶に、追憶の中で聞いた眼前の青年の吐露が、鮮明に
よみがえった。
『少しばかり、探究心が過ぎましてね』
衒うことなく、気負うことなく……酒席の話の種にどうぞとでも言わんばかりのさら
りとした語調で、水を向けた自分に向かって彼が返した、応えの言葉。
語られた身上話は、彼らの過去世の断片を覗かせて…酒の席で交わすには重す
ぎるそんな追想を、それでも彼は冗談だと笑って戯れめいた言葉で締め括った。
それがこちらの反応を引き出す言葉遊びではなかったことなど、一度でも真剣に
相手の顔を見遣っていればすぐにわかった。それでも、場を取り繕うのはやめろと憤
れるほど、自分が相手にとって親しい間柄ではないと自らに言い訳している自分も
そこにはいたから……結局は、そんな彼に、何も返すことができなかったのだ。
知らなかったという驚嘆の思いの底から、苦い悔恨がじわじわとこみ上げてくる。
一筋縄ではいかない相手であることは、出会った時から肝に銘じていた。それで
も接触を繰り返し、一つの同じ賭けに互いの命運をも委ね、そして、体さえ繋いで執
着した存在など、自分には他になく……
だから……相手の奥深い部分まで、自分は理解できていたような錯覚に陥ってい
たのだ。
あのクーデター騒ぎの一件で、人知れず国を抜けようとしていた彼を引きとめた時
……お前は解かっていないと、何度も何度も彼を責めた。解かっていないのはお前の
ほうだと、持ちうる限りの言葉で、力で、彼が自らを覆い尽くしていた防護の壁を、繕
いきれない罅が入るまで叩き続けた。
その言葉に応える様に、彼は再びこの国に足を向け、今はこうして、半非公式なが
ら一つの組織に籍を同じくしている。
そんな風に自分に応えて見せた青年の姿に、自分はいつしか自惚れて…彼の人
の存在を、真に理解したように思いあがって……だが…
「………白鳳さん……」
―――解かっていなかった。
自分は何も、彼を解かろうとしていなかった。
言葉を重ねる毎に彼が自らの傷跡を抉りぬいていくことを承知しながらも、セレスト
には白鳳にやめろとは言えなかった。そんな自らへの不甲斐なさと相俟って、そんな
話を何故振ってしまったのかという憤りにも似た情動が、拳の形に握りこんだ掌にき
つく爪を立てる。
そして……
「―――そうやって……愚かにも弟の手を引いて、庇護者気取りでのこのこと坑道
に入った私達を……とある人外が、待ち構えていました」
自身の内面で不明瞭に形を変えていく情動と戦っていたセレストの耳朶を、語り部
の思いもかけなかった言葉が立て続けに打ち据える。
弾かれたように目線を上げ、その動きに伴って飛びこんできた視野のその先で……
―――白鳳が、初めて出会った当初によく浮かべていた、あのうそ寒い所得顔で、
うっそりとこちらを見遣っていた。
「わざわざ、今更利潤も見こめないような廃坑に、依頼料をはらってまで人をやった
クライアントの目的は………地質調査なんかじゃ、なかったんです」
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