王道楽土・3


 「―――なんだって?」

 その日―――近衛隊長不在時の代任権限を持つセレストの元に、仲裁不可能な
ところまで発展してしまった内輪揉めの事後処理の指示を仰ぎにやってきたのは、
枝分かれした組織の子葉の一つである小隊長の一人だった。

 なんでも、入隊してようやく2年目の、先輩風を吹かせたがる年頃の青年騎士の
何人かが、つい先頃非公式に顔見せをした「新入り」にちょっかいをかけるべく内輪
の立ちあいに興じているのだという。
 隊内の勝ちぬき戦程度なら、訓練の過程で目先を変えるために始終理由をつけ
ては開催されている。それ自体は別段珍しい事ではないし、血の気の多い若い騎
士達が自由時間にそうして荒っぽい親交を深めるのも禁止事項というわけではなかっ
た。
 それでも、小隊を任された中間の管理士官がわざわざ報告にやってくるということ
は、暗黙裏の了解事ではすなまい事態に展開してしまっているということで…

 朝一番で、聞かされたい話題ではなさそうだと瞬時に判断して自然と眉間がよっ
てしまう。それでも職位上見てみぬ振りをする訳にもいかず、まさに「出勤」する途中
だったセレストは、寮まで報告に来た小隊長と連れだって足早に連兵場を目指す事
となった。
 「…それで?今はどう言う状況なんだ?」
 「はぁ…仕掛けたのは三人で、始めは遊びの延長のような感覚で一対一の立ち合
  いを。ただ、その「新入り」が思いの外使えたものですから、連中がだんだん意地
  になりまして…」
 「その程度なら、小隊長の権限でどうとでもできるだろう」
 「それが……血の上った一人が乱入して、乱戦に…そこに、「新入り」が飛び道具
  …といいますか、ともかく模擬剣を捨てて自前の獲物を手にしたものですから、遠
  巻きにしていた連中も殺気立ちまして…」

 奥歯にものの挟まったような報告を続ける小隊長の言葉に、次第にいやな予感を
覚えて現場に向かう足が早くなる。
 鍛錬を目的とした連兵場において、使用する武具は刃を潰した模擬剣と決められ
ていた。無論有事に備えて真剣の携帯を忘れる騎士はいないが、暗黙の取り決めに
おいて、偶発時を覗きその鞘をはらう事は禁じられている。
 それは、この閉鎖された世界に浸透した玄人としての気構えの一つであり、どのよ
うな興奮状態であれ、騎士団に籍を置くものが自ら禁を破るとは考えにくかった。
 それができるのは……この世界の「水」に染まっていないものだけだ。

 「……獲物はなんだ?その「新入り」の名前は?」
 そして……壁にそって廊下を曲がろうとしていた近衛隊副隊長は、続けられたあま
りに予想のついた答えに、思わず感性に逆らって眼前の壁に衝突しそうになった。

 「はい、獲物は…その、なんといいますか、調牛用のものなどではない、ひどく実
  戦的な鞭状のもので…名前は、白……なんとか、とか言う…最近城内でみかけ
  るようになった、毛色の変わった、呼びにくい名前の青年です」
 「……っ」
 「副隊長?」
 「……いや、なんでもない。…白鳳、だな」
 「あ、はいそれです。その、白鳳です」

 刹那…唸り声にも似た嘆息が、セレストの喉から漏れた。
 この騎士団の水に染まっていない白鳳なら、確かになんでもありだろう。そもそもが、
名目上の籍の問題であれ、いわゆる自由業の彼にこんな閉鎖社会での生活は無理
がありすぎる。
 手立てを選ばない戦いを暗に続けてきたからこその一匹狼である彼が、突然集団
の中に籍を置いたところで周囲との摩擦が生じるのは自明の理だった。
 だが、それでも彼の暗躍にはあまりにもリスクが大きく、その為の隠れ蓑を与える
建前として、ルーキウス王家を支える何らかの機関に彼の名を残しておかなければな
らなかった。そうやって暗躍の足場を固めるその見返りとして、彼も何らかの利益を王
家に提供する。
 これは、そんな相互扶助を互いに納得して締結された裏取引であるはずだった。
 その白鳳が……自ら揉め事に関わって存在を表沙汰にするとは、正直考えにくい
ものがある。

 「…白鳳さん」
 「は?」
 「なんでもない。いくぞ」
 一人ごちるように喉をついた呼ばわりを聞きとがめられ、踏ん切りをつけるようにか
ぶりを振る。公の場で、「自分」をさらす事は、騎士にあるまじき不徳だった。
 白鳳の戦力をまがりなりにも知る人間の一人として、彼に対するよもやは懸念のう
ちには入らない。だが、らしからぬ行動に出た彼の、組織におけるこの先を考えると、
なんともいえず暗澹とした気持ちになる事も確かだった。
 せめてこれ以上騒ぎを広げるような事態になっていなければいいと…急く思いの片
隅で、何に対してか解からずにそう祈った。





 報告にかけつけた小隊長を伴ったセレストが練兵場にたどりついた時には……場
内は、既に副隊長の存在を誰も気にとめないほどの、興奮のるつぼと化していた。

 模擬戦などに用いられる、観戦を目的にしつらえられた立ち合い用の小さな舞台。
一同の視線を集めたその上では、現在四人の人影が既定外の乱戦状態にあった。
 一人は、小隊長のいっていた飛び道具で強か利き腕を痛めつけられたのだろう。
模擬刀を足元に取り落としたまま険しい表情でその腕を押さえている。
 もう二人は、既に模擬刀から真剣に獲物を持ち替えていた。それでも相手の懐に
入り込めないのか、向き合った態勢のまま膠着状態に陥っている。
 そして……最後の一人、「毛色の変わった新入り」だけが、見咎められる外傷の一
つも無く、獲物を片手に悠然と構えていた。それでいて、どこか冷めたその表情が周
囲の高揚と酷く対照的に、セレストの目に映る。

 とにかく止め立てなければと、一歩舞台に近づきかけて……つと、腕をつかむ存在
があった。
 何事だと目をむきかけて……振り向いた先にあった少年の姿に、急場も忘れて絶
句する。

 「……どうしてこのような場所にいらっしゃるんですか…」
 もはや声を荒げる気力もない、とばかりに脱力交じりに呟けば、陽光を集めたような
色合いをした頭髪の持ち主は、自身の護衛役にまあまあと笑いかけてくる。
 「僕も、この近くを歩いていて騒ぎに呼ばれたクチでな。…ほら、ちゃんと人もつけて
  いるから問題はないだろう?」
 言われて王子の背後に眼をやれば、入場しがてら彼が声をかけた最初の人間だっ
たのであろう若手の騎士二人が、幾分緊張した面持ちでこちらに頭を下げてくる。出
歩く際は必ず護衛をつけるべしという名分を一応は守っている主人を不承不承であれ
容認しない訳にもいかず、セレストは嘆息交じりに不問を通告した。

 だが。それよりも・…と、続く言葉がさらに重い響きを宿す。
 「いつ頃からいらっしゃっていたんですか」
 「ん?5分くらい前かな。ちょうど、この立ち合いが始まった頃だ」
 「…でしたら、何故一言騎士達をお叱り下さらなかったんです…っ」
 「それは、僕の役目じゃないだろう?誰かがお前を呼びにいくとは思っていたし」
 「でしたら、いきなりお達しもなしにお一人でいらした王子の野次馬にお供するのも
  騎士の勤めではありません。―――ああもう…どうなさるんです。ここまで彼の存
  在を悪目立ちさせてしまって…」

 言葉を重ねるごとに、青年の訴えは沈痛になっていく。だが、対する王子はのんび
りと眼前の立ち合いを見物するばかりだった。
 「…うまいものだなぁ。セレスト、あれなら近衛の指南役でも任せておけるんじゃな
  いか?」
 「ご冗談を。ああいうのを、騎士道における邪道というんですよ。理も何も、あったも
  のでは……。それに、相手は職業騎士です。それを相手取る事がどれほど無謀か、
  彼が知らないはずは…」
 「解っていて、敢えて受けたんだろうな。ある意味、あいつらしいやり口だろう?」
 「カナン様!」

 ささくれ立つセレストに反して、カナンの言葉は飄々としていてどこか、つかみ所が
ない。そんな一方通行の衝動は、不完全燃焼のまま自然と青年の中に溜まっていった。

 と、その時・・・・・・
 「昼行灯と世間から笑われようと、王家護衛の任につく近衛に、虚栄と片意地ばか
  りの肩書き持ちは必要ない。それを承知でしかけてきた彼らの、その上に立つお
  前の立場を考えたんだろう」
 こうして白日の元に晒してしまえば、面子がかかってくる分、影で好き勝手な流言に
することもできないだろうからな―――
 目線だけは立ち合いの様子をつぶさに観察したまま……続くカナンの語調が僅か変
わる。

 「なかなか…頭の切れる手立てだったな。影で立ち回る分には表沙汰にはならない
  だろうが、それじゃあどう相手取ってもけちがつく。白鳳の立場的に、勝っても負けて
  も、な」
 「カナン様・・・」
 「自分の力量を見せつけつつ、双方のプライドを守ろうというわけだ。こうしてあからさ
  まに立ち合えば、外から水を注されるのは必至だしな。さすがに、自分の置かれた
  立ち位置というのが、よくわかっている」
 ―――そういう方向に、あいつが気を回せるというのは正直意外だったがな

 と。楽しそうに練兵場の様子を眺めやっていた第二王子が、眼前の光景の変化に一
歩身じろいだ。
 「……ほら。出番じゃないのか?近衛副隊長殿」
 言われて視線を上げれば、練兵場の一角で繰り広げられている非公式な立ち合いは、
まさに終局と呼ぶに相応しい局面にさしかかりつつある。このまま続けさせれば、王子
の言葉通り隊内の人間関係に大なり小なりの禍根が残る事は想像に難くなかった。
 その身一つで裏世界を渡り歩き、実戦経験をつんできた白鳳は、ある意味ではこの
場内に集まる騎士達以上の戦闘能力を有している。常に状況が変化する実戦に身を
投じてきた彼の立ち回りには型というものが存在せず、その分だけ多角的な手法にも
長じていた。お仕着せの訓練の反復に明け暮れる職業騎士達とは置かれた環境が違
うから、型にはまらない彼の相手をするのはそれなりに骨が折れることだろう。

 それでも・・・・・・それがどれほど実戦で有益であるとはいえ、外部要員であれ組織を
構成する一員である以上、白鳳の存在は、この閉鎖社会では明らかに異端だった。
 そして、その馴染んだ内輪の空気を重んじる傾向にある、古い歴史を持った組織に
おいて、新風を巻き起こそうとする存在は往々にして敬遠される。
 構成員として、完全に水に馴染む心積もりがあるのであれば、そうして自身の矜持
を貫くための変革に走るのもいいだろう。ある程度の妥協は否めずとも、そこに真に己
を賭けるに足る意義を見出せなければ、人の集まりが動かす組織など時を待たずして
内部から崩壊してしまう。

 だが、組織に馴染むつもりも理想を求めるつもりもないのであれば、出る杭を露骨に
さらす事は無意味な軋轢を生み出すばかりだった。それを承知しているからこそ、白鳳
もおよそ平時の彼には似つかわしくない手立てで以って、外部の介入による「不可抗
力」を待っている。
 それこそが、暗躍を得手とする自らを公言して憚らない彼らしからぬ言動であるとも
言えたが…それが、その城下での身元を保証する立場にある自分達を彼なりに慮っ
ての事であると思えば、組織に飼われるままの無害な存在でいろとは言えなかった。

 人としての、賭け値のない誠意も確かにあったのだろう。だが、薄氷を踏むようなぎ
りぎりの境界を歩きつづける白鳳を、ほんの数歩分の譲歩であれ、望まぬ陽の光の元に
引きずり出したのは自分達だ。
 生きとし生ける存在である以上、誰しも命を育む穏やかな陽光を厭うはずもない。そ
れでも敢えて、安寧から目を背けるような生き方に彼が執着するその訳を…今となって
は、自分も主も、思い知らされてしまっていたから…
 承知で人一人の道行き歪めた以上、それを強いた自分達には彼の存在の「日常」を
補填する義務がある。こうして取り決めを違えることなく、国家に対して彼が従順である
からには、こちらも相応の庇護を保証しなければならなかった。

 それに―――一度は敵対した白鳳に対し、自身の軽率さに向けられた贖罪の念と、
純粋な人間的興味が同居する主と比して、自分が彼の存在に抱く情動は、今少し複
雑だった。その思いがなおの事、自ら望んだ彼との相関に自身を自縛する。
 体の関係を持ってまで…その存在を手放したくないと先に望んだのは、きっと自分の
ほうだった。それを享受して、彼はこのルーキウスをその範疇の一つに残したのだから……
 人の手に縋らなければその足で立てないような脆弱な存在であれば、一方的に庇
護する事も容易かったけれど…同じ目線で向き合える存在を、対等に扱いつつ、こうし
て時には擁護の腕の中に収めておくというのは相当の難題だった。そして、それができ
なければこの国における白鳳の範疇は広がらない。
 足場を阻まれるような事があれば…彼は、躊躇なくこの国を出ていくだろう。例えそ
れがどれほどの寂寥を強いるものであったとしても、それだけの裏事情を背負う彼が
二の足を踏む事は無いはずだった。

 だから―――互いの足場を阻むことなく、またそれを悟られぬように守るのは、彼の
存在を失いたくない自分自身のためでもある。

 「―――ほら、行ってこい。近衛隊長やアーヴィングが居合わせていなかっただけ、
  儲けものだろう?お前一人の、采配ですむ」

 含むものを感じさせる笑みと共に、カナンの手が煽るように隣に立ちつくしたままの
従者の背を叩く。あからさまに事態を面白がっている声音に思わず肩を落とすと、再び
悪戯気にその背を押された。
 そもそもが、この王子に口で勝てるなら、自分達主従の相関は今少し違うものになっ
ているはずで・……長年の経験でそれを身に染みて承知しているセレストは、それ以
上の言葉を返すことなく大きく嘆息した。それが了承の印である事を知る主が意図し
た笑みを浮かべる前を、軽く一礼して場内へと歩を進める。
 そして……

 「総員気を付け!!」
 次の刹那―――慣れた響きを感じさせる鋭い一喝が、練兵場の空気を震わせた。

 出し抜けの怒声の名残に緊張する場内は、さながらできの悪い静止画であるかのよ
うだった。
 騒ぎの尻馬にのって野次を飛ばしていた者。これ幸いと傍観を決めこんで、遠巻きに
騒ぎを楽しんでいた者。そして、立ち合いに興じていた当の本人達までも巻き込んで、
居合わせた者の全てが反射的に声のした方向を振り返る。
 瞬時に咳音すらも憚られる静寂を作り出したセレストは、衆目を歯牙にかける事すら
なく、自然と左右に引いた人垣の間を大股で歩み出ると場内を睥睨した。

 「―――いつまで遊んでいるつもりだ。とっとと通常業務体制にもどれ!」
 しんと静まり返った練兵場に、命令になれた青年の声が凛と響く。
 「栄誉ある王国騎士が、子供の喧嘩レベルでじゃれあうな。当事者は各班長あてに
  始末書を提出の事。それからこの午前の訓練ノルマは通常の倍だ。以上、厳守!」

 業務下においてはさほど珍しい訳でもない副隊長の冷然としたもの言いに、それでも
刹那場内に憮然とした響きのざわめきが起こった。
 始末書云々はどうあれ、王家に近しく仕える近衛の騎士として、彼らは日頃から有事
に備えた鍛錬を繰り返している。そうしてできあがった玄人のその体を以ってしても、騎
士団の上層部が必要と判断した独自のカリキュラムをこなすのは容易な事ではなかった。
 そのカリキュラムが、更に倍……
 唐突な上官命令に、場内の騎士達――殊に、野次馬よろしく事の次第を傍観してい
ただけの者達の間から不服そうなざわめきが盛れる。
 だが、生じて当然の反駁は、青年の続く一喝によって打ち消された。

 「気を付け!―――不平をこぼす前に、自らの未熟と不心得を恥と思え。「彼」は非公
  式の在籍者だが、本来魔道系の使い手だ。武の誉と市井で名高い、れっきとした玄
  人集団が、負けないまでも引き分けるとはなんと言う自堕落だ!各自、近衛の何たる
  かを肝に銘じて自らの不徳を猛省しろ!」

 刹那……水を打ったように静まり返った練兵場に、なんともいえない気詰まりな空気
が浸透した。
 白鳳に絡んだ数名の騎士の所業は、男社会の騎士団においてはそう珍しい類のもの
ではなかった。彼らは内輪の世界に馴染みすぎているだけに、外部からの「新入り」に
何らかの形で挨拶を通さなければ気がすまない傾向にある。
 そうやって衆目の前に引きずり出されての「力試し」は新卒の騎士にとっての通過儀
式であり、総じてそれを足がかりとして古参の者達との親睦を図る手立てともなる事から、
世界によっては集団心理による排斥行為とも取られかねないその目論みを、上層部も暗
に黙認していた。
 士官学校、あるいはそれに准ずる兵卒を育てる訓練校を出て入籍してきた、正規の新
卒者に対しても、そんな歓迎はついて回るのだ。謎がかりの、表向きの所属もはっきりし
ない扱いを受けている白鳳にいたっては、ちょっかいの手もそんな彼らの倍ではすまない
ものがあるだろう。
 だからこそ―――始めにはっきりと、不可侵の線引きを示しておかなければならない。

 セレストの言葉に直立した青年達は、目線だけで仲間同士何事かを言い交わすと、や
はりどこか不承不承といった態でそれでも上官命令に対する無言の諾意を伝えてくる。
 それが……この非公式な立ち合いの観戦をお開きにする、言葉以上に雄弁な合図と
なった。

 再び、日常の空気とざわめきを取り戻した場内を、王子を一旦若手の後輩に任せたセレ
ストは、更に大股に横切って舞台のすぐ近場まで歩み寄る。
 ばつの悪そうな様子で、それでも身についた習慣で直立不動になる騎士達と、平時と
変わらぬ様相のままこちらを見返す青年の姿に再び違和感を覚えながら、まず仕掛け人
である青年達の名を呼ばわった。

 「罰則はあとだ。まず医務室へ行ってこい。―――それから…」
 名前で呼んだら、また公私の弁えを失念してしまいそうで…目線の動きだけで、現在
非公式の巡検士役を担う青年を呼びつける。
 「……どういった事情があるにせよ、隊内の規律をいたずらに乱したからには両成敗だ。
  一応言い分は聞くが、今日一日は謹慎していろ。いつまでも食客気分でいられては困
  る。……ついてこい」

  ある意味居丈高に受けとめられかねないそんな扱いにも、白鳳は逆らうことなく舞台か
ら下りると諾意を示した。
 こうして……傍目には日常の一角に埋没されかねない騒動は、ひとまずの落着を見せた。



 王宮内部の人間が常時行きかう、騎士団の詰所と寮を繋ぐ廊下をたどる間……近衛の
副隊長と、彼が身元預かりの責を負う形となっている青年は、終時無言だった。それでも目
に新しいその取り合わせと、副隊長の強張ったような容色がもの珍しいのかすれ違う人物が
ちらちらと気遣わしげな視線を投げてくる。
 その全てを視野の外に押しやり、先導するセレストがようやく背後の青年を振り返ったの
は、任務の合間に騎士達が使う、休憩室だった。

 所帯の規模を表すかのようにそれなりの広さを誇る休憩室には、まだ任につき始めたば
かりの時間帯であるためか誰も居残っていない。それと知って誘った先導者は、部屋の扉
を閉めると静かに口を開いた。
 「……怪我は、ありませんでした?」

 あたりさわりのない問い掛けに、それまで沈黙を守っていた白鳳の背がピクリと反応する。
 「…ええ、私のほうは。すみません、結局騒ぎを起こ してしまって…」
 「いえ、そもそも絡んできたのはうちの連中ですし…彼らがなんといって貴方を挑発したの
  か、想像もつきますからね。…ただ、それでも示しというものがありますので、一応今日一
  日は、隊規に従っていただけますか?……すみません、男社会なだけに、下世話な連中
  が多くて」
 「閉鎖された、ある意味女人禁制の感が強い職場ですからね。そういうものでしょう」

 むしろ、こちらこそ大人気のない真似に出てしまって申し訳がありません―――続く白鳳の
謝罪には、言葉とは裏腹に少しも卑屈な響きがなかった。それだけでも、彼がくだんの一件に
対し、自ら恥じ入る部分を覚えていない事が解かる。
 そんな風に、どこかで我を譲らない姿が非常に彼らしくもあり…だからこそ、セレストにはあ
の練兵場で見せた彼のらしからぬ行為に後ろ髪を引かれる思いがした。

 「白鳳さん……こういう聞き方をしてはいけないのかもしれませんが……何か、あったんで
  すか?」
 「セレスト?」
 「貴方は、昨日まで巡検の任でルーキウスを離れていましたよね。昨夜報告に見えなかった
  事から考えるに、戻られたのは昨夜遅くか…それこそ、今朝方になってでしょう?…その貴
  方が、カナン様にも私にも顔を見せる前にあんな騒動に捲き込まれて…そして、連中の挑
  発に容易く乗ってしまったというのが……あまりにも、その、貴方らしくないような気がして……」

 確信めいた言葉でありながら、それでもどこか遠慮がちに語尾を濁す聞き手に、白磁の容
貌に僅か自嘲を思わせる笑みが上る。
 「セレスト…本当はね、挑発したのは、私のほうなんですよ」
 「白鳳さん?」
 「私に絡んでくる彼らが、あまりにもお気楽で、お幸せそうで……ああ、ここはそういう世界
  なんだと思ったら…無性に腹立たしくなって…」
 言っても栓ないことなのにね…そう結びながらも、続く謝罪はどこか心許ない響きを以って
室内の静寂に浸透した。

 「…すみません」
 そして……

 「私にはやはり……この国の保護は、荷が勝つかもしれません」

 そして……
 続けられた言葉には、いっそ不自然なほどに、自我というものが欠落しているように、セレス
トの耳には響いた。
 それ程に…それは、無機質で無気力な、声だった。


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