王道楽土・1


 出し抜けに辺りを吹く抜けていった突風に、夜陰が揺らいだ。
 宵闇時の、草原地帯。夜行性のモンスターの多くが、最もその活動を密にする時間帯。
 その一角で、つと足草を蹴立てて飛び出す黒い塊があった。次いで、もう一つ。

 程なくして、絶え間なく下草を踏みしだくような喧騒に、辺りの静寂が破られる。
 数度もみあうような気配を残し、月光の薄明かりの元その影が一つになった。
 …否。片方が、もう片方を組み伏せたというべきか。

 淡い光源に照らし出された征服者の容色は、白磁のように一切の混じり気を感じさせ
ない。光源の加減によって僅か青ざめても見えるその容貌を、彼はうっすらと笑みの形に
歪めながら組みしいた獲物へと息がかかるほどに近づけた。

 「…さあ、君の負けだよ。大人しくいうことを聞きなさい」
 「……っ」

 組み敷くことで総身の自由を奪っているほかは、青年は腕の下の獲物に無体を強いて
はいない。それでも声もないほどの衝動に身を強張らせている人型のモンスター に、青年
――白鳳は、ようやくその違和感に気づいた。

 「……ああ。もしかして、君はもうマスター持ちかい?」

 刹那、はじかれたように何度も頷く人外のよすがに、白鳳は興をそがれたかのように両の
手の拘束を解いた。

 一度主を持った人外には滅多にないことだが、稀に そういった状態で単身出歩く「はぐれ」
と呼ばれる存在に遭遇することがある。そういった場合、ハンターの世界の不文律で占有権
が発生するから、あとから遭遇したハンターの手出しは禁止事項とされていた。禁を犯せば、
三ヶ月はハンティング行為を禁じられる。

 数日かけてようやく遭遇をはたした獲物が「御手つき」だった落胆を僅か滲ませたまま、怯
える亜種に向かいしかたがないと苦笑する。

 「……お行き。これからは、あまり一人でうろつかない方がいい。…ああ、マスターの名前
  は?」

 それは、他愛のない好奇心だった。待ち望んだ玩具を横取りされた、子供の埒もない癇癪
のようなもので。そもそもこの遭遇事態が、公用に出向いた偶然の産物であったから、言葉ほ
どに尾をひくものでもない。

 だが…否。だからというべきだろうか。
 好奇心から水を向けてしまったことを―――白鳳は、次の瞬間後悔する事となった。

 「……マスター……マスター・ゼノバ…」

 刹那―――世界は、音もなくその色を失った。








  巡検士―――という役職が、主だった君主国家には存在する。

 大概の場合においては歴史の表舞台に姿を現すことはなく、主筋の耳目となって自国や隣国
を取り巻く世情をつぶさに観察してその結果を情報としてもたらす、いわば隠密とも呼べる存在の
一つだ。
 巡検士の委ねられた職務の範疇にここまでといった改まった線引きはなく、彼らはその自由意
志に一任される独自の権限を与えられることが常であった。変動の激しい世界を相手取るのに御
仕着せの細則など役には立たないし、またそうやって上層部の指示に免罪符がわりにしがみつい
ているようでは、最終的に自分自身を最後の砦として活動せざるを得ない彼らの任はこなせない。

 表向きは気軽な観測者のようでありながらその実、いざ有事に遭遇すれば自身の采配で時後
処理にあたらねばならない彼らの任は常に孤独と自意識との戦いであり、 そういった意味で、心
底組織に馴染める気質の人間にはむしろ不適格であるとも言える職域だった。

 そして―――
 白鳳が、交々の柵を経てこの巡検士という役職を担うようになった影には、彼が現在忠意を捧げ
たことになっているルーキウス国の第二王子が大きく関与していた。

 事の起こりは、この平穏な農業国を人知れず根底から揺るがした、一つのクーデター騒動。
 後に世界そのものの転覆を図る人外がそこここに潜伏していることを知らしめたその一件におい
て、白鳳は暗躍の片棒担ぎとして王家にその身柄を拘束された。
 国そのものを相手取った暗躍なら、それは国家に対する反逆の大罪だ。そして、政治犯、思想
犯に対する国の警戒と求刑が、単純な刑事犯に対するそれよりも重きを置いていることは、往々
にしてどの国家でも変わることはない。

 極刑に処されても控訴しようのなかった白鳳に対し、 その免罪と引き換えの形で王子が持ちか
けたのが、先述の巡検士という職籍だった。
 それからおよそ、二月―――
 いわば自由業に近い感覚で行程をこなせる巡検士としての隠密行動は、それまでも自助努力の
旅を続けてきた白鳳の水に意外と合っていた。なによりも、ルーキウス王家の権限を背負って動け
ることで行動の範疇もいや増すことが、得難い魅力となる。
 だから―――間違えても組織の歯車に徹することのできる質ではない白鳳がそうして特殊な立ち
位置に留まることを、世界は躊躇いがちに受け入れつつあるのだった。


 そして、時間にしておよそ二月―――
 さながら予定調和に組み込まれでもしていたかのように…世界に、一つの楔が打ち込まれた……


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