Darwinism〜岸を離れる日6〜







 「…っなんの真似だ……っ」

 極端に動きを制限された体勢の下から発された抗議の叫びは、それを口にしたのが自分で
あるとはにわかに信じがたいほど、声量にも語勢にも欠けていた。




 それまで施されていた四肢への拘束で、「検体」である自分への牽制は充分であったはずだ。
現にこの人外は自分の体内からサンプルとして血液の採取に成功していたし、こうして意識を
取り戻した今となっても、この体勢から自分が反撃に転じられる余地はない。

 注射針一本を取っても資源の有効活用にこだわり、同様に行動の全てに合理性を追及してい
る感も見受けられるこの人外が、理由もなく不必要な枷を施すとは思えない。ならば、その行動
の意味するところは、ひどく明瞭だった。


 先刻まで交わされていた、下世話な問答に対する結論を、「ノーベル学者さん」は執拗に求め
ている。そして、遺伝子レベルまで真相を追究する「彼」の論説から鑑みれば、自分が口頭で
どう返してみたところで、「実績」の伴わない答えに「彼」が納得するはずもないことは、想像に
難くなかった。

 もし、自分が「彼」であったなら、と束の間思いめぐらせてみる。
 仮定するだに不愉快な想像ではあったが、自分が自分の得心のために施すであろう手立て
の方向性は、それ以外考えようがないほどに単純な一本道だった。

 自分が「彼」の立場であったなら……今この場に、うってつけの「検体」すら手中に収めている、
こんな御膳立てが整っているのなら……自分はきっと、万に一つでも、追及の手を緩めることは
ないだろう。
 眼前の「検体」から、遺伝子レベルでの情報を得ようと思うなら。それも、その「検体」が雄で
あったなら。

 あるいは血液以上に有益な遺伝子情報を得るためのサンプルが、「検体」の体内には潜んで
いる。それを取り出すことは、ある意味では採決以上にたやすく、しかも採取側に一切のリスク
がない。「備品の備蓄」などという、瑣末な懸念さえもだ。

 自分なら……自分が、「彼」なら……



 「……っやめろ!!」


 対象の先天的な「嗜好」すら読み取り可能であるかもしれない、遺伝子情報の安全で確実な
採取―――
 それは、吐き気を催すほどに、おぞましい仮説だった。




 こと、こういった方向への言動の下世話さについて、自分が他人を云々できるような素行に
ないことは、誰に言われるまでもなく白鳳自身が承知している。良くも悪くも、その道の遍歴に
は事欠かない自分が、たとえ行きずりの相手であれその手の「遊び」に眉を潜めるような、初
心な気性を騙るつもりもなかった。

 だが……その対象が、この人外であるとなれば、話は別だ。
 父の外見そのものを写し取ったかのような、この因縁の相手となれば、自分の覚悟も許容も
全てが変わってくる。



 「やめろ亡霊!これ以上は許さない!!」


 あらん限りの声でなされた制止の叫びに、束の間「ノーベル学者さん」が虚を突かれた表情
を見せる。だが、一呼吸の間ももたずして、それは、あからさまな侮蔑のそれへと色を変えた。


 「―――許さない?」
 「…っ」
 「検体の抱える「機微」など、私には露ほどの意味もなさない。この研究所の外界で謳われる
  ところの、ニンゲンの言う倫理とやらもな」

 そもそも、と、勿体をつけるかのように意図を思わせる間をとった「ノーベル学者さん」は、拘束
された白鳳と己の目線を合わせるためか、一歩の距離を引き下がった。


 「そもそも……ハンターという生業を自ら選んでいる時点で、お前はその倫理とやらに矛盾して
  いるのではないか?」
 「…っ」
 「モンスターハンターを名乗る以上、モンスターの捕獲、売買がお前の生活手段だろう。その為
  には必要に応じた調教を施すはずだ。売却の際には「欠陥品」として「返品」されぬよう、適
  宜メンテナンスも必要だろう。……日常的にお前が施している処置を、その身に受けるだけ
  の話だ。何を憤る必要がある」


 淡々と言葉をつなぐ「ノーベル学者さん」の語調に、含む響きは感じられない。その癖のある気
性を考えれば、揶揄の気配すら匂わせなかったその言葉は、「彼」にとって、皮肉でも当て擦り
でもないのだろう。「彼」は他意を挟まず、言葉面そのままに、白鳳の反応を疑問視しているのだ。

 その純然とした疑念の響きが……白鳳から、冷静さを失わせた。
 そして……


 「お前は……っ」

 人間と人外を同列に騙るつもりか―――そう喉元まで出かかった叫びは、確かに白鳳の腹の
底から湧きあがったものだった。


 激情に駆られて吐き出そうとした自らの底意の一端に……知覚した刹那、白鳳は愕然とした。


 「……っ」


 ―――違う。そうではない。

 ハンターを生業とする自らの業を、日頃から自分は肝に銘じているはずだった。一方的に捕獲し
調教される辛酸を味わわせている男の子モンスター達に、自らのエゴを自覚しているからこそ、
せめてもの敬意をもって接しなければならないと、事あるごとに自らに言い聞かせている。その
つもりだった。
 だが……


 在りし日の父を思わせる容貌と相向かい事で、自分でも気付かなかった自身の暗部を浮き彫
りにされた心地になり、たまらず白鳳は眼前の人外から視線を反らせた。


 これが……自分の心の奥底にある本音なのだろうか。
 

 否定できない。窮した自分自身の心が吐き出した思いを、建前に包み込んでもみ消してしまう
ことはできなかった。だが……

 後から後から沸き起こる自問の声に、それでも、白鳳は自由の利かない首を打ち振った。



 かたくなにその存在を否定し続けた、忌まわしいばかりの父の亡霊。だが、男の子モンスター
という一つの大きなくくりとしてとらえたとき、自身が使役する手飼い達の紛れもない同胞である
「彼」の言葉は、同時に手飼い達の問いかけとなって白鳳の心を揺さぶった。

 今は自身の内面などにかかずらわっている場合ではないと、冷静な部分の自分が警鐘を鳴ら
す。それでも、父の姿を借りた人外の言葉を、振り払うことができない。



 そうではないのだと―――まるで贖罪の言葉であるかのように、白鳳は胸の内でただ繰り返
した。




 すべては、人間側の理屈だ。どこまでも人間にとって都合のいい存在でいる事を強要される
のだから、使役されるモンスターの憤懣が募っていったとしても、それは致し方のないことだろ
う。

 そんな彼らを「人間向け」に育て上げていく、自分達調教者の打算の中に……彼らに向けら
れた愛情も確かに内在しているのだと、そう述懐したところで、それは空々しい詭弁としか受
け止められはしないだろうが……


 だが、それでも……
 望む形へと調教を施す過程において―――確かに、自分は彼らに執着し、その存在を愛お
しいと思っていた。

 ハンターという生業と、背負う宿業がある以上、例えば、あのきゃんきゃん党の二人のよう
に、人とモンスターの相関を根底から覆すような主張も活動も、自分には出来はしない。あく
までも人の側の視点から、現状を維持する形でモンスターとの接触を繰り返している時点で、
この身のエゴを糾弾されても否やは言えなかった。

 それでも、同じ境遇へと送り出すのなら、少しでも順応性の高いモンスターに育て上げてや
りたいと思う。同じ使役されるのならば、従順で愛想のいい手飼の方が、主人の寵も得やす
いだろう。
 あくまでも隷属の身である事が前提の話に、幸せを云々する事自体が欺瞞だ。それは自分
が身に染みて解ってはいたが……




 と、刹那―――


 「―――何を考えている?」
 「……っ!」


 感情を気取らせない呼びかけの声が、白鳳の意識を再び現実へと引き戻す。無防備に合わ
せてしまった視線の奥に、自分を拘束する人外の渇望するものをまざまざと感じ取り、接触する
簡易寝台の感触によるものばかりではなく、白鳳は自らの背筋が冷えて行くのを感じた。


 一歩歩み寄った「ノーベル学者さん」の指先が、予備動作なしにあらぬ方向へと伸ばされる。

 「…っ」


 喉奥から振り絞ったはずの制止の叫びは、しかし、それを発した白鳳の耳にさえ、意味をなす
言葉としては届かなかった。






                                          TO BE CONTINUED...




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