Darwinism〜岸を離れる日・10






 他に聞く者を遮るものもない、機能のみを重視したような構造をした秘密研究所の外壁に、
白鳳の短い宣誓がわずかに反響する。

 白鳳の応えを受けた、後続の者達の行動は素早かった。
 一帯を支配する静寂に、すぐに飲み込まれてしまったその声が、込められた決意の余韻
を未だ残すその間に、白鳳を拘束するベルトを断ち切るために、セレストが腰に帯びた剣の
鞘に手をかける。
 だが、刃物を己の武器とする、今一人の同行者が、その行動の機先を制した。


  「……オラッ!」
  「…っ」

 短い気合の声と共に、振り下ろされた斧の刃先が、白鳳の両腕を拘束していたベ ルトを
叩き切る。前触れもなく張りつけられていた外壁から解放され、突然取り戻した上肢の自由
を受け止め損ねた白鳳の体が、ベルトを断ち切られた勢いのまま、足元の床へと崩れ落ち
た。


  「ナタブームさん……?」

 相手の体の状態を考慮していないかのような力任せの振る舞いに、先を越された形となっ
たセレストが、幾分及び腰な、しかしわずかに非難めいた響きのこもった声で呼びかける。
だが、アックスは背後を振り返ることもなく、わずかに顔をしか めるようにして立ち上がる白
鳳を、無言のまま睥睨していた。

  「……親分さん」

 互いの身長差から、どうしても相手を見上げる形となる白鳳の双眸に、もの言いたげな色
が宿る。それでもそれ以上を言葉にして問いかけることもできず、それなりの時間を不自然
な体勢で拘束されていたことで痺れでも残るのか、己の手首を無 言でさすっている白鳳に、
アックスもまた、言葉をかけなかった。

 残る同行者二人も、何とはなしにそれに倣う形となり、辺りに再び、束の間の静寂が訪れ
る。
 その場に会した者達が、わずかばかりの居心地の悪さを覚え始めた頃―――アックスは、
白鳳を見下ろしたまま、ようやくその口を開いた。


  「……なんの呪いだかしらねぇが、さっさと行きやがれ!」
  「親分さん……」
  「さっきも言ったがな、てめぇ一人の問題なら、ここでてめぇがどうなろうが、知ったこっちゃ
  ねぇ。だがな、今回はうちの子分の命もかかってるんだ。またてめぇがドジ踏んで子分の
  身に何かあったら……その時は、てめぇをぶっ殺してやるからな!」

  言い放つなり、手の中で器用に持ち替えた斧の柄で、白鳳の肩口をやや乱暴に小突く。
不意を突かれ、背後の壁に背中をぶつける羽目になった白鳳は、やり過ごせ なかった衝動
に一瞬しかめた容貌に、ややして、微苦笑の色を滲ませた。

  「……怖いな。肝に銘じておきますよ」
  「……ふん!せいぜい抜かしてろ!」

 心身ともに疲弊し、到底余力が残されているようにも見えない様子で、それでも 平時のよ
うに人を食った物言いをしてみせる白鳳の姿に、不機嫌そうに背中を向けながら、アックスが
面白くもなさそうに鼻を鳴らす。それが、長い中断を強いられることとなった、扉の向こうに待
ち受ける人外との再戦の契機となった。なるはず だった。
 だが……

  「……っ!」
  「ナタブームさん!?」
  「ナタブーム!」


 鼻息荒く獲物を抱えなおし、今にも眼前の扉の向こうへ押し入ろうとしていたアッ クスは、
しかし、荒々しく一歩を踏み出したとたん、苦鳴と共にその場に片膝をつ いた。
 立ち位置の関係から、うずくまったアックスの一番身近にいた白鳳が反射的に手を伸ばし
かけ……そして、彼は、己の目にしたものに思わず息を呑んだ。

 手にした獲物を取り落とし、その場にうずくまったアックスは、庇うように、持ち上げた手を
己の肩に当てている。改めて見やれば、治療を施された肩口からは、厚く巻きつけられた包
帯の色を変えるほどに、血が滲んでいた。

  「……親分さん…っ」
 「ノーベル学者さん」の放つ武器の威力は、そのレーザーを掠めただけの自分でも、身に染
みていた。その容貌に父の面影を重ね、とっさに邪魔に入ってしまった自分 が原因でレーザー
の直撃を受けたアックスの負った衝撃は、どれほどのものだったのだろうか。
 今更の詫び言などなんの役に立つはずもなく、かといって、彼の負った怪我の原 因となった
自分が、彼を案じる言葉をかけることもできず……その傍らに膝をつき、形ばかり付き添う体勢
となった白鳳の手が、中途半端に伸ばされる。
 だが、思い切りの悪いその差し出し手を、アックスは、にべもなく振り払った。

  「触るんじゃねぇ!それより、とっとと先進むぞクソ野郎!子分に何かあったらてめぇもただじゃ
  おかねぇって言っただろうが!」
  「…っ」
  「いいか!俺はうちの子分のために行くんだからな!あのすかした野郎がてめぇに何しかけ
  ようが、あいつの隙突けるんならてめぇなんぞいつでも見捨ててやる!そのつもりで、気合
  い固めやがれ!」

 白鳳を振り向くこともなく荒々しく言い捨てる怒声には、しかし、隠しようもな い苦痛の色が
滲んでいる。己の脾力を頼りとする斧使いである青年に、その肩の傷 が致命的な弱点となる
ことは、明らかだった。

  「親分さんっ」
  「待たないか、怪我人その一」


 己が彼を諌められる立場にないことを承知しながらも、明らかに自身の許容範囲を超える無
茶を通そうとしているアックスの姿に、白鳳は、思わず呼びかける声を 荒げた。
 ……と、時を同じくして、苛立ちを隠せない白鳳の呼ばわりに、平時よりも幾分 響きの硬い、
少年の声が重なった。

 白鳳と……そして、今度は背後を振り仰いだアックスの視線の先で、それまで沈 黙を守っ
ていた、魔術使いの少年が、手にした杖を振り上げる。
 刹那、魔術の発動を示す波動が光となって、周囲の空気に溶け込んだ。
 ヒーリングの波動を具現化した、やわらかな白光―――それは、始まった時と同 じく突然に、
粒子となって四散する。同時に、アックスの咽奥から安堵を思わせる 短い嘆息が漏れ、つら
れる様に視線を戻した白鳳は、彼の肩口を濡らす鮮血が僅かに乾き始めているのを見て取った。


  「……ボンボン」
  「とりあえずの、応急処置だ。ヒーリングの魔法は傷口は塞げても、負ったダメージまでは消
  せない。しかも、お前のその傷はだいぶ深いからな。出血が止まったからといって無理をす
  れば、すぐに傷が開いて元のもくあみだぞ」
  「ふん!うすっ皮一枚の蓋でも、血が止まりゃあ、斧が滑ることもねぇ。とりあえず動けるよう
  になりゃ十分だ」

 ボンボンの割に、気の効いた技持ってるじゃねぇか―――居丈高に嘯いて見せ たのは、平
時は何かと衝突することの多いカナンに対する、アックスなりの返礼のつもりだったのだろう。
だが、反して、カナンはその硬い表情を和らげなかった。

  「まて。だから、あくまでも応急処置だと言っているだろう。地上に戻ったら、ちゃんとした手当
  てをしてやるから無理をするな。お前はここで、余計な邪魔が入らないように睨みを利かせて
  いてくれ」
  「んだと!?この萎れ野郎に後を任せて、留守番してろってのか?冗談じゃねぇ!うちの子分
  の身がかかってるっつったろうが!」
  「また傷が開いて動けなくなったら、あの「ノーベル学者さん」相手に戦うどころじゃなくなるぞ。
  子分の身柄を案じる気持ちはわかるが、それで人質が「三人」に増えたら、もう取り返しがつ
  かないだろう」

 肩口の傷の深刻さを揶揄され、気色ばむアックスに対して、カナンは気圧される風もなく、言
葉を重ねて後方支援を要請する。子分を助けたいのだろうと、繰 り返し釘を刺されれば、冷静
に現状を把握し、不安要素を払拭しようとするカナ ンの真摯さが伝わってくるだけに、アックスも、
声を張り上げて我を押し通す事 は出来なかった。

 押し黙ったアックスに軽く頷くと、少年は、今度は白鳳へと向き直る。


  「……それから。怪我人そのニ」
  「……私の事ですか?」
  「そうだ。お前ももう、「三人目」になどなっている余裕はないぞ。スイと子分を取り戻すために
  は、これが最後の正念場だ」

 言って、再びかざされた杖の先から、癒しの波動が発光となって白鳳へと注がれる。波動の
名残が空に四散したときには、比較的軽傷ではあるものの満身創痍であった白鳳の傷は、軒並
み癒されていた。

  「……よし。お前の方は、まあ何とか大丈夫そうだな。中に飛び込んだら、すぐ戦闘だ。アック
  スの言葉じゃないが、覚悟を固めておけ」
  「坊っちゃん……」
  「お前は、あの「ノーベル学者さん」を捕獲できれば、それでいいんだろう?人質を救出し、捕
  獲を果たす。それ以外に、余計なものまで望んでいないな?」

 だとしたら、僕にはこれ以上何もできないぞ―――言葉面だけをとらえれば、 相手を突き放し
ているかのような、しかし、どこか気遣う響きを滲ませた、問いかけの声。
 カナンの真摯な眼差しと共に投げかけられた言葉に、束の間白鳳は動揺した。
  せめてもの意地であるかのようにまっすぐ少年を見つめ返し、傍らに膝をついたままのアック
スを顧み、少年の魔術に癒された、己の傷跡を見やる。
 そして、最後に―――白鳳は、発言を控えたまま少年の背後に立つ、セレスト を仰ぎ見た。

 視線を交わし合った時間は、瞬き程のものだっただろう。だが、そのわずかな合間に、白鳳は、
セレストが目顔で自分に頷いたことが分かった。
 そして……


  「―――お手伝いします」
  「……っ」
  「そうですよね?カナン様」


 平時のものよりも幾分硬質さを帯びた、青年の騎士然とした声音が……次の刹那、まるで宣
誓であるかのように、辺りの空気を打ち据えた。




                                         TO BE CONTINUED...


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