小話3. いつかの少年

 

希崎勇介には両親がいない。

 

まだおしめもとれないような赤ん坊の頃に二人とも事故で亡くなったと聞いている。
正直なところ、幼すぎるどころか物心つく前のことなのでまるでピンと来ない。

だから少年は今困っていた。
人生たったの七年でも悩みは次々生まれるものだ。

「じゃあ作文は宿題です。月曜日に提出してね〜。」

黒板を指し示す優しい担任のゆかり先生。
白いチョークで書かれたテーマは『母の日』!縁遠いにも程があった。
勿論勇介少年は授業の後廊下で先生を捕まえて尋ねた。

「先生、オレんちはハハオヤがいません。」

「勇介くんのお家はお義父さんと二人だもんね。ならおとうさんのこと書いてくれるかな?」

父の日の作文でまた父親について書かなければならないので、少しばかり不利だが仕方ないだろうと思いつつ、彼女は笑顔で勇介に答えた。

「博士はチチオヤじゃないです。」

「まあ、そんなこと言ったらおとうさん悲しむわよ?」

「博士に違うって言われたんだよ?」

「あ、そうなんだ…」

勇介は特に問題のない実に快活な少年だった。母親不在の影や違和感などほとんど感じたことがなくて、気を付けているつもりでもつい失念してしまうほどに。
しかし養父に父親であることを否定されているとは…家庭訪問のときは少し注意して見ようと彼女は頭の中でメモを書き留める。

「じゃあ博士さんのことなら書けそう?」

「でも母の日の作文なんだよね?」

「希崎くんのお家はお母さんもお父さんも博士さんなんだからいいのよ。」

そうじゃなくて、博士はお母さんっぽいことなんてしてくれないから書くことがないのだ、とは言い難かった。
そんなことを言えばきっと深刻に受け取られて博士の迷惑になるだろう。

まあ宿題なんて適当に片付けばいいか。と、勇介は深く悩むのをやめて我が家に帰った。

 

 

 

「たっだいまー!」

玄関から勢い良くランドセルを放り投げると、靴箱の前に緑色のプラ製の箱があった。週に2回届く食材の宅配サービスだ。
火は危ないのでまだ使うことが出来ないから実際にこれを調理するのは家政婦さんである。その人は今日はシヨウがあるので早く帰ってしまったんだった、と勇介は思い出した。
夕飯は作り置きしてくれているけど、これはしまわないと傷んでしまうだろう。

「冷蔵庫に入れるぐらいしろよなー!」

奥に向かって叫ぶが返事はない。
迎えに出てくることもないんだからこんなもんだろう。

代わりに来たのはゆらゆらとひどく揺れながら歩く真っ白のマネキンだった。
髪も顔の凹凸もなくつるりとしていて、一応胸部が出っ張っているので女型と分かる程度だ。ちょっとしたホラーであるが、勇介には慣れた光景だった。
普段は人の目に付くところまで出てきたりしないのだが、勇介の声を聞きつけて手伝いに来てくれたようだ。

「手伝ってくれるのはメアリーだけだよ〜」

かくん、とマネキンの首が頷くように下がる。

そのままポロッと頭が落ちた。

「メアリィイイイー!だめだ、博士なおしてくれてないのかよ…!」

落ちたマネキンの生首を抱えて勇介は走った。
そこかしこに書物が積まれた廊下を縫うようにして少年が駆ける。その後ろを頭のないマネキンがよろよろと追う。
不気味なことこの上ない。

「博士!!」

たどり着いた一階最奥の書斎のドアを勢い良く開くと同時に、さらに強い勢いで勇介の体が背後に引っ張られる。
幼い子供の柔らかい体を抱える硬く白い腕に驚く暇もなく、開いたドアの先から本がドサドサと雪崩落ちてきた。
メアリーが引き寄せてくれなければ雪崩の餌食になっていたところだ。

「あ、ありがとう…」

頷く首のないマネキンはぎこちなく勇介の頭を撫でることで返事をした。

こんなに優しいメアリーをこんなボロボロのままにしておいて良いはずがない。
勇介は決意も新たに再度ゴミっ溜めの書斎に向けて博士を呼ぼうと息を吸い込むが、それが吐き出されることはなかった。

「おい勇介…何やってんだ…?」

堆く積まれた本のおかげで姿は全く見えないが、ドスを効かせた少年の声が奥から響いてくる。少年期と青年期の狭間の声質は、決して威圧的な重低音という訳ではないのに迫力があった。
ついで窓を背にした山の一角に細い手が生えた。埋もれているが、あの辺りには立派な執務机があるはずだ。

ガッと本に手を着いて、這いだしてきた少年こそが、勇介の育ての親である帝佳ハガネという人物だった。

世界的な魔法使い。三大賢者にも数えられる魔術の権威、なのだが見た目は精々中学生である。
故意に不老をやってるわけではないらしく、実際はそろそろ孫がいるべき年齢だ、ということくらいしか勇介は知らない。

外見はともあれ、中身に見合った迫力で、今彼は怒っている。
おかしい、怒っていたのはこっちのはずなのに。
何年経っても変わらない細身の少年が本の山の上で仁王立ちしてこちらを見下ろしてくる。

「誰がここへ入っていいと言ったんだ?」

「は、博士に用があって…」

ボサボサの猫っ毛の隙間から、やはり猫のように鋭い視線が睨みつける。

「ノックしたか?」

「してません…」

「ここは危険物があるから入ってくんなと何度言えば分かるんだ?」

「だって博士呼んでも気づかないじゃん!どうせ寝てたんだろ!涎あとついてんぞ!」

勇介が無闇に言い付けを破るわけもなく、実際ここに踏み入るのはいくら呼んでも反応がない時だけだ。
しかしハガネは指摘を受けても一切悪びれた様子もなく、白衣の袖で乱暴に口元をこすりながら言い放つ。

「なら大人しくいつまでも待ってろ。」

心底面倒くさそうに不安定な本の山を足蹴にしながら部屋を出てきた。
この部屋が危険なのは彼がまともに整理整頓しないせいではないのか。
勇介の目の前までやってきたハガネは、まだ自分の肩ぐらいの背しかない少年を見下ろした。この差もあっという間に追い越してしまうだろう。

「何か用か?」

「メアリーの修理!」

「ああ、人形ね…」

「また首落ちたし、歩きも変だし。ちゃんと直してよ!」

メアリーの頭をずいっと差し出すと、ハガネはそれを受け取ってそのままメアリーの首に乗せた。

「博士!」

「勇介、前も言ったがこいつはもう活動限界だ。六年なら持った方だって。」

「直すのも出来るって言ってたじゃん!」

「リメイクは出来ると言ったんだ。お前には難しいか…。いいかよく聞け。俺はこいつを作り直すつもりはない。」

きっぱりと拒否されて勇介は動揺した。

「な、なんで?」

信じられない、と目玉が零れ落ちそうなくらい見開いてハガネを見つめる勇介に、彼は肩をすくめて答えた。

 

「そんなことしたって、もう必要ないだろ?」

 

パン!と乾いた音が廊下に響く。

勇介は初めて養父に本気で手をあげた。
平手を打った手がじんじん痛むが、張られた方のハガネはもっと痛むのだろう。しかしそれでも勇介の胸の痛みには適うまい。

「博士のばーか!」

メアリーの手を引いて一目散に逃げる。
勢いづけたせいで、またメアリーの首がごろんと廊下に転がってしまったことにも気付けずに勇介は走り去っていった。

残されたハガネがメアリーの首を拾ってそれと顔を見合わせるように首を傾げる。

「子供を飼うってのは面倒だなぁ、栄介…」

深々とついた溜め息が空気に溶けていく。