小話3. いつかの少年(2)
二人で暮らすには広すぎる屋敷は大きさに見合った庭を持っている。
まともに手入れをしないので自然味に溢れすぎたそこは、昔から勇介が友達と駆けずり回る遊び場になっていた。
かくれんぼで良く使う植え込みの中に潜り込んでメアリーを同じように引きずり込み、並んで膝を抱る。
ぼうぼうに伸びきったツツジは葉っぱに隠れてしまい、花も疎らだった。
その一つを千切って根元を吸えば、甘い花の蜜の味がした。
そういえば、それを教えてくれたのも博士だった、と思いあたり一層悔しさに歯噛みしたくなる。「メアリーはいつからこの家で働いてんの?」
頭のないマネキンに問いかけると、たおやかな白い木製の指で土の上に棒を12本書いた。12年前ということだろう。
勇介がこの家にくる六年も前から働いていたことになる。
六年間勇介の面倒を主に見てきたのは、ベビーシッターと家政婦と、実質このメアリーである。
昔からいるので疑問に思ったことがなかったが、そもそもメアリーは一体何なのだろうか。「メアリーは人形?」
『○』
「博士の世話するために作られたのかな…」
『○』
「ならなんでいらないなんて言うんだろう。自分で作ったくせにひどいな。」
『×』
「え?」
どこが違っていたのだろうか。
メアリーに感情や情緒なんてものはないから「博士ひどいな」の部分でないことは決まりだ。「いらない訳じゃない?」
『×』
「博士が作ったんじゃない?!」
『○』
これは意外だった。
こんな人形他では見たことがないし、家に来る客人はたまに遭遇すると全員驚いて悲鳴をあげた後、さすが帝佳博士と絶賛していたので、てっきり博士作なのだと思っていた。
生活支援ロボなんてあの人がいかにも好みそうな分野なのに。思わずまじまじとメアリーを見つめる。
確かに、博士が作ったにしてはディティールが適当すぎる気もした。
ものづくりに関してならば、ベビーシッターならぬいぐるみベースに作るくらいの気はきかせる人だ。しかしそれ以上に博士が作ったわけでもないものが長年この家をうろついて、家の面倒を見ていたことに驚いた。メアリーの作り主のことをよほど信頼しているのだ。
「誰が作ったんだろ…メアリーの生みの親は誰?」
『=』
「なんだこれ。」
メアリーの意図が分からず地面の記号から顔を上げると、土で汚れた指先が勇介を指していた。
「オレと関係がある?」
『○』
再びメアリーが土の上に書いた丸と、同じくらい目を丸めてそこを見つめていると、突然黒いサンダルが記号を踏み潰した。
「そいつはお前の母親がうちに置いてったもんだ。」
あまりにもあっさり見つかってしまったことにも、降ってくる声にも、その内容にも驚いて声も出ない。
勇介を見下ろすハガネはばつの悪そうに眉間に皺を寄せる。「ガキみたいにふてくされるんじゃない。ちゃんと相手してやるから家に戻れ。」
勇介が叩いたハガネの頬はまだ赤い。
怒られると思っていたのに、彼は逆に各段の譲歩を見せて手を差し出した。「オレ、まぎれもなくガキだよ…」
戸惑いながらそれを掴み、二人は手を繋いだまま家に戻った。
傾き掛けた西日が差し込むサンルームに向かい合って座る。
何から聞けばよいだろうかとそわそわしている勇介に対し、ハガネは欠伸なんてしている。
本当にちゃんと相手をしてくれる気があるのだろうか。「博士っ!」
「寝起きで喉乾いた。勇介、水。」
顎で台所を指されて、勇介はカッとなりながらも立ち上がる。
「なんだよもうー!」
文句を言いながら水ではなくしっかり緑茶を淹れてやった。
味覚障害のあるハガネに茶をいれるのは一見無駄のように感じるが、匂いは分かるのだから悪くはないはずだ。
それに今年買ったばかりの湯沸かしポットのおかげで勇介も楽々お湯が使えるようになったのだから活用したかった。
自分にはオレンジジュースをコップに注いで、それらを盆に乗せて慎重に運ぶ。「ソチャですが。」
テレビで覚えた言い回しを使って湯のみを差し出せば、彼は満足そうに頷いた。
「客の応対ぐらい出来そうだな。」
「子供になにやらせるんだよ。」
「役に立てて嬉しいだろ?」
「…うん。」
だからこそ家政婦さんやメアリーを見て茶の入れ方なんて覚えたのだ。
認められて嬉しくないはずがない。しかし当然のように言われるのは癪だ。自分の席に座ってむくれながらオレンジジュースをストローでぶくぶく泡立てていると、ふいにハガネが話し出した。
「お前がメアリーとか呼んでる人形…人工精霊式自動人形っていうんだが、お前の母親が俺のとこで研究してた残骸だ。」
「子供にも分かるように言ってよ。」
「お前が早く成長しろよ。」
理不尽極まりない。
「オレのハハオヤってどんな人?」
この話を掘り下げれば宿題の足しになるかもしれない。そんな打算もあって聞いてみた。
「名前はネム。身寄りがなくて俺の知人のとこに預けられてた娘だ。人として難ありだが魔術士としては優秀。ネムの保護者に頼まれたもんだからうちにも出入りを許していた。」
名前は前に聞いたことがあったが、人となりや背景は初めて聞くことだった。
「あいつも俺と似たり寄ったりの本の虫で、趣味の読書と気まぐれの研究以外のことはろくすっぽやらないような奴でな。」
「博士そっくりじゃん。」
「会話が通じない分俺よりひどい。」
「ええええ…」
先程からハハオヤの夢を壊された感満載である。
この話は実は聞かない方が良かったのか?とすら思えてくる。「まあ、そんなんだったから家の荒れようと来たらひどかった。単純に散らかす人間が二倍になったわけだからな。俺でも弱冠このままじゃまずいか、と思う程度には人間の暮らす環境じゃなかった。」
それはもう完全に家じゃなくて倉庫かゴミ屋敷状態だったのだろう。
今だって使わない部屋はひどい有様で、廊下も所々獣道だというのに。
いつか成長して力が付いたら片付けてやろうと勇介は企んでいる。「そこにブチ切れたのがお前の父親だ。」
「父親まで関わってんの?!」
もともとハガネは父親との口約束で自分を引き取った、と勇介は知っている。
だからハガネと父親が懇意にしていたのだろうことは分かっていても、実際に話を聞くのはやはり初めてだった。「栄介は押しかけ弟子だったんだが、家の惨状を見てこのままじゃ自分の部屋まで侵略されるといって勝手に掃除を始めた。そういえば住み込みなんて許可した覚えもないのにあいつも勝手な奴だった…」
育ての親だけではなくて実の両親もかなり変わった人物のようで、勇介は少々凹んだ。