小話3. いつかの少年(3)

 

「先生!この部屋のもの捨てますよ?!捨てるからな!」

着古したジャージに三角巾とマスクという完全装備で乗り込んできた栄介は玄関に近い部屋から順に片っ端から大掃除をするつもりらしかった。
協力する気
0な家主を引きずって要るもの要らないものの仕分けをさせようとするので、ハガネはその手からするりと逃げ出す。

「そこはネムに貸してる部屋だ。好きにしろ。」

腐ったリビングに本でかまくらを築いているもう一人のどうしようもない住人を指すと、そこから少女が這い出てきて栄介を睨む。

「だめ…えーちゃ、ダメ…捨てたらころす…」

「だったら自分で片付けんかい!人間の生活環境じゃねえよ!お前らはネズミか!」

「あーっ、えーちゃ、ばか!それライラ・ハーゲンの世界書よ。原本なんだから。」

「ブッフォ!嘘だろ?!そんな国立博物館レベルの本をゴミっ溜めに埋めてんじゃねえよ!」

「つかそれ俺の蔵書じゃねえか!最近色々勝手に位置変わってると思ったら…!」

二人の騒ぎが聞こえたのか、慌ててハガネが廊下を引き返してきた。

「博士、それトイレの備品棚に挟まってたものですよ。私保護したんだもの。」

「置いといたんだよ。」

写本ですら並みの人間にはお目にかかれない世界屈指の魔導書がなんという扱いか。
栄介とてそれほど細かい性格なわけではないが、この二人はひどすぎた。

「そうだ、世界中の魔術士のためにオークションに出そう。そうしよう。」

早速パソコンで一流魔法使い御用達の専門オークションにアクセスする栄介にゴミ屋敷のネズミ二匹が顔色を変えた。
とりあえず掲示板に書き込んでやろうかと動かすマウスを少年の細い手が掴みこむ。

「おいやめろ栄介、冗談でもそんなとこでそんなこと口走るんじゃない。こいつらハイエナみたいにうちに押し寄せるぞ鬱陶しい。」

「そもそも家も中身も博士の持ち物なんだからちゃんと整理してくれりゃいいんですよ。」

「俺はお前らが勝手に動かさない限りどこに何があるか覚えてるから困らない。」

「この超記憶が憎い…!」

「それともなにか?破門してほしいって?」

「俺が困るのでお掃除させて下さい…」

「分かればよし。本はなるべく捨てるんじゃないぞ。」

栄介の口から満足のいく言葉を引き出せたハガネは今度こそ踵を返して廊下の向こうに消えていった。

「くそ、あの外見詐欺ショタジジイめ……超尊敬してる!」

去っていくハガネの小さな背に文句でも言ってやろうかと思ったが、あのツンドラ偏屈天才魔法使いを情熱と根気と才覚で口説き落として押しかけ弟子を勝ち取った栄介は心にもない罵倒で彼を貶す気にはなれなかった。何だかんだで心酔しているのだ。

「せめてお前はやれよ、ネム。じゃないとお前の蔵書を燃やす。むしろ部屋の中身をまるごと燃やす。」

栄介の据わった目から本気を感じ取ったことと、彼に任せるとネムの私物が勝手に捨てられかねないので彼女もまた真摯に頷き返した。

「わかった、やる。私なりのやり方でいいなら頑張る。」

「まあ俺はこの家が人間の暮らせる場所になればいいよ。」

そしてネムにはまず自身の部屋の整理が命ぜられたのだ。

 

翌日。

「昨日よりひどくなってんじゃねえかー!」

よりレベルアップした汚部屋に栄介はキレた。
昨日の真剣な表情は一体何だったのか。
もう知らん。誰も当てにしない。とばかりに手近な木偶人形を引っ付かんでゴミ袋にぶちこむと、ネムが鋭く叫んだ。

「えーちゃん、そこ触っちゃ駄目。大事なサンプルよ?」

「なんで実験が激しくなってんだよ、片付けはどうした!」

「大丈夫、基礎研究は半年も前に済んでる。もうすぐ、来週には試運転できる試作機が出来るから待って。」

「はあ?!」

バッと目の前に突き出されたのはレポートの下書きのようだった。
タイトルは『人工精霊による柔軟性の高いロボット制御』。著者に帝佳ハガネとあり、思わずページを捲った。
人工精霊なる新技術の確立が恐ろしく乱雑に書かれており、その上からネムのものらしきメモ書きが大量に書き込まれていて一層読みづらい。しかしそれを栄介は食い入るように読んだ。

「二階のゴミ箱で拾ったの。帝佳博士は途中でやめてしまった研究みたいだけれど、私はこれを完成させて…この家を片付けるメイド人形を作る!」

たかだか家の大掃除に何故新技術の確立と応用に取り組む必要があるのか。
効率が悪いにも程がある。その労力で掃除に取り組めばあっという間にこの部屋くらい片付くだろう。
普通ならそう言って頭を叩くところである。

しかし、栄介もまた普通の人種とは違っていた。

「ナニコレすてき!」

何故か栄介まで食いついて二人で人工精霊の研究を始めたのだ。
まだ付き合う以前の二人が行った初めての共同作業である。

その若き魔術士二人の叡智の結晶がメアリーだった。

 

 

 

「まあ、そんなわけでそいつが完成する頃にはネムも栄介も起きて半畳寝て一畳みたいな状態だったが、努力の甲斐あって今でも稼働し続けてる。」

まさか写真でしか知らない両親の名残がこんな近くにずっとあったとは、勇介にとっては青天の霹靂である。

「なら、メアリーはオレのきょうだいみたいなもんじゃん。尚更捨てられないよ。」

今まで人形と思っていたメアリーを急に近しく感じて勇介は白い素体をじっと見つめた。
小さな頃に油性ペンで落書きをした右足が目に入って、悪いことしたなと思った。

「まあ、そうだな。気持ちは分からんでもない。」

「キレイになおしてあげてよ。」

堂々巡りに入りそうな会話を断ち切るべく、今度こそハガネは噛み砕いて説明してやることにした。
メアリーを動かしている脳のようなものが人工精霊という魔術機関であること。
人工精霊は術者の魔力を源に構成、稼働していること。

「そいつの人工精霊はネムが作ったものだ。あいつの注いだ魔力が尽きかけてる。今の状態は燃料切れによる寿命なんだよ。」

「また魔力補充すればいいんじゃないの?」

勇介はじっと自分の手を見つめて訊ねた。
魔力ならここにある。無駄に大量に。

「別の人間の魔力を注ぎ込むにはそれように構成をいじらないといけない。」

「博士ならできるんだろ?」

リメイクというのはきっとそのことだ。
しかしハガネの返事は芳しくないものだった。

「出来るが、それはもうお前の知るメアリーじゃない。これまでの行動記録も初期化されるし、行動原理も元を真似ることは出来るが別物だ。」

それはつまり、人間にたとえて言うと記憶がなくなり、意思も別人のように変わるということである。
そう伝えられ、勇介は今度こそ顔色をなくした。

「そんなのダメだ!修理じゃないよ!メアリーのままなおしてよ博士!」

「ネムがいない以上不可能だ。人工精霊ってのはそういうものだ。」

「そんな…」

傍らのメアリーを見上げると、首を傾げて勇介の頭を撫でた。
この行動原理が、勇介の知らない母親の名残で、物心ついたときから側にいた姉弟のもので、もうすぐ失ってしまうものらしい。

「リメイクしたところでお前はメアリーでなきゃ必要ないんだろう?」

”もう必要ない”というのはそういう意味だったらしい。
確かに、メアリーでないなら必要ない、かもしれない。
勇介はこれからもどんどん成長して何でも自分でできるようになるし、メアリーに似た別物が家を闊歩するのは寂しい。重ねてしまうのも新しい人形に可哀想だ。

「精々壊れるまで仲良くやれ。」

「…分かった。」

 

いつの間にかすっかり夕焼けに染まったサンルームは目に痛かった。

だから男の子でも涙が滲んでも仕方ないのだ。
隣に立つメアリーの硬い手をにぎると、温度なんてないはずなのに温かいような錯覚を受けた。
きっと、白い素体も夕日でオレンジ色に輝いているせいだ。

まるで人間の肌みたいだった。

 

 

 

 

勇介の作文はメアリーのことを書こうとしたらハガネにバレて止められた。
人工精霊は文字通り人工的に精霊を作り出すことを基礎としていて倫理的に問題が多く、公にして良いものではないのだという。
結局作文には母親のエピソードを交えてハガネと家政婦さんのことを書いたハートフルコメディに仕上げた。
クラスを沸かせたそれは優秀賞をもらって文集の先頭を飾った。

 

メアリーは一月後にことりと首を落としてそのまま動かなくなってしまった。

勇介はハガネに頼んでメアリーの素体を一緒に運び、焼いて灰にして庭の桜の木の根元に埋めた。
墓標代わりに桜の幹に文字を彫ることにした。
単にメアリーと入れたあとに、思い直して希崎と上に載せた。

希崎メアリーここに眠る。

最期までシュールな家族だった。

しかし離れがたくて、勇介は桜の周りの雑草を毟りながら文字を見つめる。
傍らには手伝うでもなくハガネが桜に背を預けて勇介のつむじを見下ろしていた。

そういえば、と浮かんだ疑問を勇介はなんとなしに口にした。

 

「博士とオレはなんで苗字が違うの?」

「俺の苗字は人にはやれないからだ。」

「子供にも分かるように説明してよ。」

「子供に話すようなことじゃねえよ。」

先日は少しは一人前扱いしてくれたと思ったのにすぐこれだ。
勇介が頬を膨らますのも無理はない。

「なあ勇介、お前は苗字が違う奴とは家族になれないか?」

ハガネには珍しく窺うように問われて慌てて首を振った。

「オレの家族は博士だけだ。」

両親のことは覚えていない。

メアリーも家族だったけれどもういない。

それに、彼らとハガネはやはり同じ家族という括りにするには違う気がした。
それがなんであるのかは、勇介の幼い語彙では上手く表現できなかったが。

「そっか。でもお前にはこれから先の人生で家族が増えることもあるだろうから、俺だけなんて言わなくていいんだ。」

「でも博士はオレの家族だよ?」

「そうだな…お前も俺の家族だよ。」

囁くようにそう零したハガネの顔が、常では想像もつかないくらいに柔らかで、勇介は思わずまじまじとハガネを見つめた。

 

ふと、自分とは比べ物にならないくらい長く生きてきたハガネは、その人生の中で家族が増えたり減ったりしたのだろうと、ごく当たり前のことに気付いた。

そして彼の中で、勇介は勿論メアリーのこともきちんと家族としてカウントしているのだろうと思った。

だからリメイクをするより寿命をまっとうさせることを選んだ。

今だってこうして一緒に別れを惜しんでくれているのだ。

不器用でも、人間なってなくても、勇介はこの親が好きだった。

この家の子で良かったと思う。

 

 

根元に精霊の眠る桜は、来春何色の花が咲くのだろうか。

それを今日と同じようにハガネと見上げ、メアリーとの思い出なんかを語り合ったりするだろうか。

 

 

 

両親の残したものをまた一つ消化して少年は成長していくことだろう。