3.敵を知れば百戦危うからず(4)

 

「エージュ!!」

ばん、と勢いよく学生会室の扉を開けて飛び込んできたジストに驚くでもなく、エージュは笑顔でそれを迎え入れた。

「よお、ジスト。そんなに急いで僕の元に駆けつけてくれたのかい?」

「ふざけるな!お前がそんなんだから妙な誤解を招くんだ!」

エージュは顔を真っ赤にして怒鳴るジストに怯みもせず、それどころか「ジスは可愛いなぁ」とか思っていた。

「さっき…、同じクラスの蓮見に…」

「ハスミ?ああ、カズサの妹か…彼女がどうした?」

先をうながされて、ジストは言い辛そうにまごつきながら呟いた。

「お、俺とエージュがデキてるのかって訊かれた…」

瞬間、学生会室がざわめいた。学生会の誰もが突っ込みたくて訊けずにいた言葉を発した勇者が現れたのだ。

その言葉と、耳まで赤い顔を隠すように俯いて震えるジストを見て、珍しく、本当に珍しくエージュは声を上げて笑った。

「笑うな!!」

ジスとの叫びにエージュの机のマグカップが破裂してコーヒーが飛び散るが、今はそんなことを気に留めるほどの余裕がジストにはなかった。

「はぁーぁ。いや、すまんな、ジス。お前があんまり可愛いものだから。」

思わず、といった早さで繰り出されたジストの拳を難なく左手で受け止め、笑いの残る声でエージュは問う。

「それで?お前は何と言った?」

「エージュにはちゃんと恋人がいるって教えてやったよ!」

止められた拳になおもギリギリと力をこめる。細腕のくせに涼しい顔で受け止める従兄が小憎たらしかった。

「ほう。自己申告とはなかなか大胆だな。」

同じ立場の筈なのにまったく気にもとめず、それどころか面白がっているらしいエージュに、ジストは頭の中で何かが切れる音を聞いた。

 

「お前の恋人はメイだろうが!!」

 

バリン、と花瓶が砕け散った。怒りの割に被害がマグカップと花瓶で済んでいるのだから今回は随分と大人しい。

「そう怒るな、ジス。」

笑顔を湛えたエージュの綺麗な形をした指先がジストを呼ぶのに、習慣的につられて顔を寄せる。エージュの右手はそのままジストの顎を捕らえ、あまりにも自然も頬に口付けた。

学生会室ではもうさほど驚くべき行動ではなく、今となっては目くじらを立てるのはキスをされたジストのみとなっている。

「だから、こういうのを止めろって言ってんだ!」

頬を拭いながらバッと離れるジストにエージュは口を尖らせた。

「つれないな。俺は確かにメイを愛しているが、一番大切に思うのは他でもないお前だぞ?」

ジストが更に怒鳴ろうとしたとき、それよりも先に割って入った声があった。

「うわー、ここにもバカップルがいるよ…」

いつからそこにいたのか、喜一が戸口に寄り掛かって立っていた。

その後を元気よくサイリルが続き、最後に渋々と勇介が入ってくる。

「おじゃましまーす!」

「失礼します…」

彼らを見てジストの方は先日のように驚いてくれたが、エージュは相変らず風一つない水面のように涼しげな様子だった。

「お、おまえら、いつから…!」

ジストが言いたいのはほっぺにちゅーを見たか否かだ。それを正しく汲み取った喜一はにっこり笑ってのたまった。

「バカップルがいるよーって言ったんだよ?俺は。」

「エージュ――――――――!!!!」

ジストの叫び声に筆立てが弾け飛び、勇介とサイリルだけがびくりと肩を振るわせた。

 

魔力の篭もった拳でエージュに殴りかかるジストを眺めながら、喜一は隣のサイリルに話し掛けた。

「にしても、どっから持ってきた情報なのかと思ったら、お前直に聞いてきたのかよ…」

呆れたような喜一に、サイリルはさも当然だとばかりに頷いた。

「うん。勇くんの見たことの確認に。」

勇介はサイリルにだけは放課後に見たことも話していた。

サイリルが目ざとく隠し事を見つけ、詰め寄ったのだ。勇介に拒むだけの力は無かった。

「それが本当だとして目撃者の勇くんを恨まれたら堪んないじゃない。」

だからこっちからも喧嘩吹っかけてやろうと思って。そういったサイリルの目は本気だった。彼女はきっと勇介のためになら単身でドラゴンも捻るだろう。

 

それを聞いたエージュが、受け止めていたジストの拳をやんわりと下ろさせて勇介を向くと、ふと笑みを濃くした。

この笑みは、勇介が先日散々味わった類のものだ。圧力をひしひしと感じる。

「ふぅん…喋ったのか、希崎…」

「い、いや!これは不可抗力というか!!」

冷や汗を流す勇介をみて、サイリルがずいと進み出る。

「ちょっと!勇くんへの喧嘩ならあたしが買うわよ!」

対するエージュはサイリルが出てきたことに不満や苛立ちを見せることはなかった。

「僕は希崎と話がしたいんだが。」

「会長さんだってジストの代わりに勇くんたちに呪いかけたんでしょ?おあいこよ!そもそも、知られちゃ困るようなことをしてる方が悪いのよ!」

思わず、といった風にジストが反論しようとするが、エージュはそれを手で制した。

「君と希崎だって人に知られたくないことぐらいしているんじゃないか?」

勇介のことで憤慨するサイリルに、ここまで淡々と言葉を返すものは初めてだった。しかもテンションは低いというのに話の方向はあやしい。

「おあいにく様!私は勇くんとのことだったら何でも見せたいくらいよ!夜の営みさえ!!」

「サリー!何言っちゃってんの!?」

「見せられたら、このカッコ可愛い勇くんはあたしだけのものなのよって知らしめられるじゃない!」

握りこぶしで力説するサイリルにその場にいたものの殆どは引いた。そして固まった。

他の反応を見せたのは赤面する勇介と、言い合いをしていたエージュだけである。エージュはどこまでも無感動だった。

「ふむ。天晴れな心意気だな。次から希崎への話は君を通してからにしよう。」

「あら、お褒めに預かり光栄だわ。それに思ったより素直でなかなか良い人ね、会長さんって。」

ふふふふ、と彼女らがいい顔で笑いあう光景は実に薄ら寒かった。

 

「…それでお前ら何しに来た。」

「ああ、そうそう。ちょっと顔貸してほしいんだよ。」

にやりと笑みを浮かべる喜一に、何となく嫌な予感がしてジストはにべもなく断った。

「なんで俺たちがお前らの言うこと聞いてやらなきゃなんねーんだよ。」

「あらら、そんなこと言っちゃっていいなかなぁ?」

頭半個分ほどの身長差を埋めるため、喜一はジストのネクタイをつかんで引き寄せた。

そして、彼にだけ聞こえるように極小さな声で囁く。

 

「バラしちゃうぜ、お前らの血の秘密。」

 

飛び退いたジストの目はこれ以上ないくらいに見開かれ、声のない叫びで彼の周りの物という物が粉々に吹き飛んだ。

その様子で何かを察したらしいエージュが重い溜息をつく。

 

「すごい。勇くんに聞いたときはまさかと思ったけど、当たってたんだ…さすが勇くんね。」

「うわぁー…勘弁してくれ…」

楽しそうな喜一とサイリルに対して、勇介だけがどんよりと曇った空気を取り巻いていた。

「こんな反応見ちゃったらもう誤魔化しようないよなぁ。エージュ・ハーネット。」

すっかり悪役のような言葉をかけられたときにはエージュはもういつもの余裕を取り戻していた。

「どうやらお前達を軽く見ていたようだ。謝罪しよう。」

エージュがゆっくりと席から立つ。

「場所を変えるぞ。」

そういうとさっさと学生会室から去ってしまった。

 

 

F棟の屋上に来た彼らは、さっきまでとは比べ物にならないくらい剣呑な雰囲気で退治していた。

「一応答え合わせと行こうか?」

エージュの様子はピンチに陥っているとは思えないほどふてぶてしい。

逆に、追い詰めている方の勇介が冷や汗を流していた。

「き、気付いちゃったのは俺だったりするんだけどさ…」

 

 

最初におかしいと思ったのは実技試験。

彼らは二人揃って力を出しつくしていない。サイリルが「ジストが首を捻っていた」と言っていたことからそれが本意でないと知れる。

そして、その理由が彼らの魔力の変動。

これは大体一月のサイクルだったが、よくよく調べると一月よりは弱冠短かく28日ごとにピークがやって来る。

そして、1日のうちでは昼より夜のほうが格段に強い。

「これでもう8割くらい核心に近づくんだけどさ、あんた達の魔力は太陽の光から遠いほど強いんだ。だから、最も強いのは新月の日だ。」

二人の顔色をうかがうと、やはり反応を示したのはジストだけで、エージュの方は続きを待っているようだった。

「で…あ、あの日見ちゃったのはさ…」

あまり思い出したくない記憶だったが、勇介は放課後の一連を思い描く。

 

あのとき、廊下で勇介の背後から現れたエージュはいつもと様子が違った。

首の後ろがザワザワするような禍禍しい魔力と、彼の目。あのとき、彼の目は光っていなかったか。

目が、黄色っぽく光るのは高位魔族だけだ。

「あのとき、あんたはジストの血を吸ってたんじゃないか?」

あのとき、口元を拭った彼の手は赤く汚れていなかったか。

 

新月の夜と、血を吸った直後に活性化する魔族はヴァンパイアだ。

そして、ヴァンパイアに血を吸われた者は、そこから魔を注ぎ込まれて眷属になる筈だ。

その眷属の姿は、元は人であったとは思えない異形となるが、ジストは無事であるようにしか見えない。つまり、彼も普通ではないのだ。

「オレの育ての親は無駄に博識でさ、色々教えてくれたんだよ。魔族のこともかなり。だから分かったんだと思う。ヴァンパイア同士なら血を吸っても眷属にはならないから、ジストは平気なんだろ?」

ジストがギリ、と唇を噛締めているのが分かった。

できれば外れていて欲しかったのだが、どうやらこれが真実らしい。

 

「随分と突飛な考えをするものだ、と笑ってやりたいが…確かにその通りだ。」

「おぉ、さすがエージュ・ハーネット。悪びれないな、全く。これっぽっちも。」

「罪悪感を感じる理由が見つからん。で、どうする?触れ回った所で信じる者などありはしないと思うがな。」

確かに。ヴァンパイアなどとうの昔に滅び、いまや物語と映画の中のみに存在するばかりだ。実物が目の前にいると言うだけで夢物語である。

しかも相手は学校中から信頼厚い、帝都魔法学院の学生会会長にして王様エージュ・ハーネットだ。彼が黒と言えば黒だし、白と言えば白なのだ。

さらにこちらは悪名高き問題生徒。どちらが信用されるのか考えれば一瞬で答えが出そうな気がする。

「意味ないじゃん。なんだったんだこの10日間…」

げっそりと呟く勇介の肩を喜一が勢い良く叩く。

「案ずるな勇介。ジジイの名前を使えば勝機は我にあり、だ。」

「学院長先生まで巻き込む気か!?」

「何度あのクソジジイに利用されてる?たまにはこっちから使ってやろうや。と言うわけで、弱み握るのは成功だな!」

かなり乱暴な結論の出し方だが、喜一が本気になればやるだろう。

滅多に本気にならない男だが、やるとなれば手段は選ばない。

「結局のところ、何が望みなんだ?」

怪訝そうなエージュに喜一がにやりと笑う。

「まあ、これからこの情報をどう使うかはおいといて。要は俺はお前が吠え面かくのが見たいんだよ。」

そういって喜一が差し出したのは昔の漫画で見そうな白い封筒だった。しかも、意外と達筆で記されている。「果たし状」と。

「今夜の満月でようやくこのムカツク呪いから解き放たれるので喧嘩して下さいよ、ハーネットさんたちよぉ。」

「いい度胸だな。」

「拒否るつもりなら今度学生会室で派手に悪魔召喚とかしようと思うので、覚悟して下さい。」

校舎内には強力な結界がかかっているが、規格外の喜一にかかっては魔力さえ戻ればそのくらいやってのけるだろう。

基本的に周りで何が起ころうと我関せずな喜一だが、今回は魔力を封じられたのが相当気に食わなかったようだ。

そんな喜一を眺めて、エージュは軽く頷いた。

「ふん。まあ良かろう。」

「おい、エージュ!私闘は…」

「固いことばかり言うな。上手くやるさ。それに、もう少し痛い目に遭わせんと反省しそうにないしな。」

ジスト自身、売られた喧嘩は買う派だが、魔法を使っての私闘は厳罰なので反対だ。

しかし、僅かに口の端を上げるエージュはどう見てもやる気になっている。そうなるとジストに止めることはできなかった。

「痛い目に遭うのはどっちか思い知れ。」

「ほざくな、召喚士風情が。」

 

かくて、帝都魔法学院の二大有名コンビの決闘が決まった。

双方の実力から言ってどんな派手な喧嘩になるのか想像もつかない。

 

勝負は今夜。

満月が天空に上がったら、第2訓練場で。