1. 5年前のこと(6)

 

勇介による失明フラッシュ事件、喜一による悪魔大侯爵ご招待事件、同じく喜一による上級悪魔懇親会という二次会を無事に乗り切った翌日。今日は実技試験二日目である。

勇介たちは潜在能力検定だけが残っている。ただの検査なので試験対策をしなくて良い分楽といえば楽だ。大変なのは喜一を引っ張っていく作業くらいのものである。

 

試験会場である第三体育館に向かい、最後尾に並ぶ。今日の検査で分かるのは属性、魔法系、現在の魔力とMPとのことだ。別段昇級には影響しないが、進路の参考にはなる。

結果をもらった生徒たちが見せ合って将来像を夢見てお喋りに花を咲かせているのは実に和やかな光景だった。

「はい次の人どうぞ?。」

「ほら行け喜一!」

「うーん…」

勇介が背中を押してやって白衣の女性教諭の前に座らせる。

常に半分寝ているような喜一だが、昨夜の集会でMPが足りないのか今日はやけにぐらんぐらん揺れて千鳥足だった。採血のある魔法系検査を受けさせて大丈夫なのだろうか。

「あらー東雲くん大丈夫?」

「ダメっすムリっすかえる。」

「帰っちゃダメよ?ただでさえ貴方のせいで一日押してるんだからね?腕出して。」

テキパキと注射器の準備をする先生に、勇介はぐんにゃり座り込んだままの喜一の左袖を捲りながら問う。

「あの、こいつ昨日のでMP足りなくて調子悪いみたいなんですけど、採血やって大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫、ちょっとだから死にはしないわよぉ。」

コロコロ笑う彼女は朗らかに問答無用だった。さっさと二の腕にゴム管を巻きつけ、血管を探ってぶすっと一発。

「気分悪くなったら言ってね?」

「気分悪いっす。」

「大丈夫大丈夫、東雲くん若いんだから!採血終わってこれ飲んだら元気元気!」

「えええ…なんだよそれ…」

有無を言わさず注射器一本分の血液を吸い取り、翼を授かれそうなエナジードリンク(一応、彼女が調合した魔法薬である)を喜一の手に押し込む。終始隙のない笑顔だ。

6本並んだ試験管に少しずつ血液を落として中のカラフルな液体との反応を見る。紫色の液体が入った試験管が一気に真っ黒に染まってすごい勢いで泡を吹き始めた。メントスコーラのようだ。

「あらー、こんな顕著に出るの初めて見たわ?。録画しておけば良かった。」

「これ珍しいの?」

「古代特殊ね〜。」

「そんなん習った中にありましたっけ?」

勇介が試験のために必死こいて一夜漬けした『身体構成による魔法系統の分類』には古代特殊なんてなかった気がするのだが、あれで網羅されていたわけではないのだろうか。

「普通人間にはまず出ない魔法系だからわざわざ教科書に載せたりしないわよぉ。東雲くんの構成式はほぼ悪魔ってことね。」

「どええ?!」

「東雲くんの血液が体内に入ると魔障起こすかもしれないわねぇ。今度精密検査しましょ。」

「うええ?!」

色々おかしいと思っていたルームメイトが限りなく人外だと判明した瞬間だった。周囲もドン引きである。

当人は気にも止めずに「あっそー。」などと注射器に残った血液を試験管に足しては振って泡を増やして遊んでいたが。

魔障を起こす危険のある黒い泡が広がった机はそのまま何処かへ運ばれていき、新しく設備が整ったところで勇介の番である。

喜一は隣のパイプ椅子から立ち上がる様子もなくこのまま勇介の結果を見ていくつもりらしい。単に自力で移動するのが面倒なだけだと勇介はもう分かっている。

ちくりと注射針が腕に刺さり、じわじわ赤が溜まっていく。

試薬の入った試験管に順番に血液を注ぐ。

1本目、2本目、3本目…6本の試験管はどれも何の反応も示さない。

「あらーこれも珍しいわねぇ。無反応!」

「つ、つまり俺ってば生まれながらに才能ゼロってこと…?!」

涙目になる勇介に彼女は元気出して!と肩を叩いてどろどろの緑色の文字がパッケージのエナジードリンクを手に押し込んだ。

曰く、勇介の魔力器官が未発達なので何の反応もないらしい。要するに、これまでまともに魔力を作ったり練ったり術を構成したことがない赤子状態のままということだ。

「だ、大丈夫よぉ、12歳になって何も開花してないってのはかなりアレだけど、まだまだ無限の可能性があるってことよ。」

慰めの言葉もなんとなく上滑りしている。口さがない連中の嘲笑すら聞こえてくる始末である。

そんな中、手近な試験管を振りながら喜一はのんびりと零した。

「ふーん、いいなぁお前。」

「どこがだよ!」

「世の中不公平だなー。」

「嫌味かチクショウ!」

どうせ天才様とは違いますよ、と愚痴りながらも気を取り直して喜一を引っつかんで次へ向かった。

 

恙無く属性検査を終え、最後は魔力量チェックである。

どう見ても肺活量計なMP計では最大MPが、どう見ても握力計な魔力計では瞬間最大魔力が測れるらしい。

喜一はまず魔力計を手に取った。持ち方はなんでもいいそうで、両手でそれを握り、魔力を流し込む。

前に並んでいた生徒たちはくるくる針が回っていたものだが、喜一の針は一周も回らなかった。結果は18。同年代の平均より一回りは下回っている。

「え、低っ!壊れてんじゃないの?」

「うーん、まあ召喚士に必要なのは魔力よりMPだけども、低いなー。」

「うっせ。」

勇介と担当教諭に揃って低い低いと突かれながらMP計に息を吹き込む。こちらは殆ど針が動かない。

出した値は驚異の10。凡才どころか魔法使い適性なしの一般人レベルだ。

さすがに機器の故障を疑われて別の計測器でもチャレンジしたが結果は変わらなかった。

「だから俺の方が場違い感すごいって言ったじゃん。」

「これのこと?!こういう意味だったの?!」

つまり東雲喜一とは、上級悪魔をなんの目的もなく、儀式なしで呼びつける才覚を持ち、種族は限りなく悪魔に近いが一般人程度の魔力しかなく、一応少ない魔力の扱いには長けている。そんな物体らしい。規格外も良いとこだ。

「お前存在がバグってない?」

「おお。バグだからここにいんだろ。」

そういえば、彼はもともと向こう側の人間なのだった。魔法文明が発達しなかった向こう側の人間ならば、魔力量など低くて当然だろう。

「魔力低過ぎてあいつらと正式契約出来ないんだよな?。まあ、出来るようになったところで一気に全員とか無理だから争奪戦だけど…」

「あ、愛されてるな…」

「まあね。」

昨日から思っていたが、喜一と悪魔たちの関係はまともな召喚士の契約ではなくただの親愛のようだ。だから喜一の魔力が少なかろうがなんだろうが向こうから勝手に来たがるので一声かけるだけで良いのだろう。普通、悪魔とは人間を見下して餌か玩具ぐらいにしか思っていないものなのだが…

「だべってないで次の子早くー。」

「あ、はい!生徒番号10426、希崎です!」

急かされて慌てて魔力計を握る。

しかし針が全く動かない。

「握力で握るんじゃなくて魔力流さなきゃ。杖持つのと同じだよ。」

そう教えられるが、そもそも勇介は魔力を練るの流すのからよく分かっていないのが本当のところだった。

それでも集中して魔力計に魔力を流し込めば、針はなんとかくるくる回って32。なんとか平均のちょい上あたりを出せた。

「よ、良かった…!」

これで魔法系共々無反応なんて言われたら喜一と違って特技すらない分、今すぐ退学した方がいいとか言われかねない。

安堵に肩を落とす勇介の様子を隣で喜一が目を丸めて見つめていた。

次のMP計に手を伸ばし、息を吹き込んだのと、喜一が勇介に声をかけようとしたのはどちらが先だったろうか。

 

喜一は勇介のことが気になっていたのだ。昨日から。

正確には昨日の必修課題で勇介がグロウ・アップという名のフラッシュを起こした時から。

 

これまでわずかに勇介を取り巻いていた自分と近しい匂いがふと濃度を上げた。

喜一を起こしたり運んだりする際の接触でやっと分かる程度の魔の色が、呼び出されたばかりのフォルネウスさえ気付くくらいに濃くなっていたのだ。ひび割れから細く細く、糸のように溢れていた。

フラッシュを暴発させた名残りかと思いきや、部屋に帰ってからも変わらず色濃い魔力が漂っていたので、集会のためのMPとして借りるついでに少し発散させておこうと思えば激しく拒否された。

今日になっても改善はされておらず、やはり親しんだ匂いが広がっていた。先程の魔法系や属性検査ではなんの反応も示さなかった。

つまり勇介の体に組み込まれていない借り物の魔力なのだな、と他人事に思い、どうせ普通の人間には分からない程度のものだからどうでも良いかと放置していたのだが。

魔力計測をしてから更に酷くなった。

 

そして見た。

勇介の左手首に巻かれたミサンガがジリジリ千切れていく様を。

 

勇介がMP計に息を吹き込むと同時に、それはシャボン玉のように儚く、しかし威力だけは破裂どころか爆発だった。

 

悲鳴をあげる暇さえない、勇介から湧き出した圧倒的な魔力に無防備に並んでいた生徒まで薙ぎ倒されて3メートルは吹っ飛ぶ。

そんな中、勇介の変化を察していた喜一だけは暴風のような魔力に晒されながらもなんとか立っていた。

喜一の前にボロボロの布を頭から被った黒い影が庇い立つお陰で、その悪魔の背後だけは辛うじて安全地帯を保っている。

「ダンタリアン!」

『これは…さすがに重い。』

少年は自分を守る背に咄嗟にしがみついて圧に耐える。勇介の中に内包された異形を感じてはいたが、これは格が違いすぎる。ほんの少し封印が綻びただけで世界のエネルギーバランスまで崩さんばかりだ。

勇介は何が起こったのか瞬時に理解できず、ただ目の前でMP計が爆発したのかと思った。しかし、爆心地はMP計でなく勇介自身である。

やっと気付いた勇介は呆然と周囲を見渡す。

「え、あ、俺…?!」

「早く収めろ馬鹿野郎!」

「わわわわ分かんないよぉ!!!」

喜一の叱咤にもおろおろと涙目になるだけで、この暴力的な魔力は勇介の意思とは関係なく噴き出し続けている。ただの人間ならばものの数秒で一生分の魔力を使い果たす暴走だというのに、勇介はぴんぴんしているのがいっそ恐ろしい。

「どうしよう!博士もういない、助けて…!」

「助けて欲しいのはこっちだ…」

悪魔の海に似た灼けるような負の魔力は、人間には毒でしかない。喜一は魔障こそ起こさないものの、勇介の混乱も相まって荒れ狂う魔力に空間を引っ掻き回しされて訳のわからない幻覚まで引き起こしていた。酒に悪酔いするように視界と三半規管がぐるぐる廻る。

『喜一、耐えてくれ。お前の意識が途絶えると門が閉じる。』

「もうだめはきそう…」

口元を抑えて青い顔をする喜一の頭をふわりと撫でる枯れ枝のような腕。

久しい育ての親の手かと目線をあげれば、期待とは違った白髭の老魔法使いがいた。

 

「なんだジジイか…」

「魔力干渉遮ってやったというに可愛くないのぅ。」

この事態を嗅ぎ付け、現れたのは桜田学院長だった。

伽羅色の羽織をはためかせ、ゆっくりと勇介に近付く。一歩進むごとに足元から光りの筋が円を描き、蔦のような美しい魔法陣が編まれていけば、桜田の背後から一気に負の魔力が凪いでいった。

桜田は勇介に触れるまであと三歩、というところで足を止め、そっと語りかけた。

「落ち着きなさい、勇介。」

「あ…学院長せんせい…」

暴走状態の自分に平然と近寄ってきた賢者の姿はいつか見た養父にも重なり、勇介に安心感を与えてくれた。

「封印具が一つ壊れただけだ。代わりを持たされておるだろう?」

「へ、部屋に…いっぱい…俺にしか開けられない、博士の箱…」

まだ混乱から抜けきらないのだろう、茫然自失の勇介から明瞭な答えは得られない。

しかし『博士の箱』と言えただけで十分だと、桜田は喜一を振り返って命じた。

「お前寮戻って箱ごと持って来い。」

「えええーなんで俺が…」

「わしの代わりに結界張れるのか?」

喜一にはまだ結界を張れるほどの魔力はなく、周辺の者は軒並み倒れていて使い物にならない。桜田が勇介を抑えて、喜一が封印具を取りに行くしかないのは明白だった。

「チッ…行こうぜ、ダンタリアン。どの箱か教えて。」

いかにも面倒臭そうにダラダラ去っていった喜一を不安げに見送る勇介に、桜田はほっほ、と鷹揚に笑った。

「そう気に病むな少年。これをお前さんが抱え込んでいることで二つの世界は救われている。お前さんは我々の救世主だ。敵ではない。」

「せんせい…」

桜田の言葉に勇介の陰森の瞳が滲んでぽろぽろ涙が溢れた。

背負ってしまった莫大な力を誰よりも恐れているのは勇介自身で、この力は周知されれば忌避されるものだと知っていた。

 

話は聞いていると言っていた通り、桜田は勇介を知っていたのだろう。

勇介の中に無尽蔵の魔力が収まっていること。

それが隣接世界の魔王の一端であること。

人の身に余る魔力は、幾重にも封印を重ねて何とか常態を保っているが、少しでも綻びれば今回のように暴走する。

これまで勇介は自分の内なる力を意識せずに生きてきたが、この学校に入ってから魔術を学び、訓練したことで勇介の体が魔力の扱いを覚え始めた。閉じていた魔力器官が活動を始め、魔王の力もまた活性化されることになってしまったのだ。

それは予測できたことだったが、だからといって勇介に何もさせないまま放置しておけるものでもなかった。人の身に余る魔性は勇介という器そのものを強化していかなければ、遠からず内から喰われて魔に堕ちる。

だから帝佳博士は勇介を桜田の元に預け、魔法使いになれと示したのだ。勇介が魔法使いとして育つ分だけ魔王の一端は活性化し、暴走の危険が増す諸刃の剣だとしても、勇介自身がそれに耐えるように器を鍛えて力の制御を覚えなければならない。

出来なければ勇介の命諸共、世界は再び混沌に放り込まれるだけの話だ。

勇介の命が無事に紡がれることは世界の存続にも等しい。