1. 5年前のこと(5)

 

そこからの勇介の苦労は計り知れない。

頼まれてしまった以上、彼は本当に頑張った。必死に叩き起こし、授業に連れて行き、イマイチ成立しない会話に四苦八苦しながらも決して諦めはしなかった。

半年を経ての成果といえば、せいぜい名前で呼び合うようになったくらいのものだったが、喜一が個人として認識しているクラスメイトが勇介だけだという現状を鑑みれば遅々として進歩はしている。

 

季節は春から残暑の残る秋口となり、最初の昇格試験を間近にしていた。

自室のローテーブルに勉強道具を広げる勇介に対し、喜一は向かい側でクッションを枕に相変わらず惰眠を貪っている。

「いいよなぁ、出来る奴は…いや、出来てもやらなきゃ同じことか。」

ロクデナシの隣人を羨んでも不毛なだけだ。実技での加点が望めない勇介は筆記だけでもまともな点を取っておかなければならない。

入学から半年も経てばそれぞれの能力が生徒間でも見えてくる。友人からでさえなんで入学出来たのかと笑い話にされる程度には肩身が狭い勇介なのだ。

「とはいえ筆記の方もわけ分からん…スタート地点が周りと違い過ぎる。」

泣きそうになりながら連日教科書を広げて呻く勇介に対し、喜一はその間も死んだように眠っていた。

 

三日間に分けて行われた筆記試験は奇跡的にヤマが当たってかなりの欄をそれらしい解答で埋めることが出来、ひとまず勇介は肩を撫で下ろした。

ここまで上手く行ったところで筆記の成績は中くらいだろう。赤がないだけ御の字だ。

ちなみに試験中に喜一の様子をチラ見してみたが、何か書き込んでいることもあったが大半は突っ伏していたように思う。

駄目だなあれは…と、暫く喜一の昇級はなく、同級は続きそうな予感がした。

 

 

さて、問題は実技だ。

勇介は一切の魔術を使えない。この半年を振り返れば、座学を中心とした講義と属性検査までは良かったが、明かりを灯す初歩中の初歩の魔術さえ発動した試しがない。

同じクラスのレベルとしては、出来る子は安定した光を杖の先に灯し、出来ない子でも点滅するとかその程度。勇介の杖はうんともすんとも言わない。

実技試験の内容は、その授業でやったグロウ・アップ。

次に自由課題。これは自分の得意とする魔術があれば一つだけ加算するというものだ。

そして潜在能力検定。以上である。

 

試験当日、第一儀式場は若き魔法使いの卵たちが集まってワイワイ盛り上がっていた。

この時ばかりは普段机を並べている同級生以外にも、同じ下級クラスの新入生が全員揃っている。半年後には完全にランク別になってしまうので、同期が揃うのはこれが最初で最後の機会だ。要するに、勇介の駄目魔法使いっぷりを最も多くの前で晒す機会である。

げんなりと肩を落とす勇介の耳に、上位組の女子たちの会話が入ってきた。

「その鉢植え。自由課題用?」

「うん。精霊さんに発芽してもらうの?。サイリルちゃんは何やるの?」

「私は先生に衝撃波ぶち込んでみようかなって。」

「わー、過激?っ!」

キャッキャと可愛らしい声でなかなかハイレベルかつ激しいことを話しつつ、少女たちが目の前を通り過ぎてゆく。

「俺、場違い感すごい…」

「俺の方がすごくねー…?」

呆然と彼女たちを見送る勇介の足元から寝惚けた声が上がった。

引きずって連れてきた喜一である。

「どこが。喜一でも試験不安になったりするの?」

その割には筆記の対策も一切せずに眠りまくっていたが。

「いや、全然。」

「なんなんだよ、もう。」

「…ぐぅ」

「寝るなー!」

がくがく揺さぶってなんとか意識を保たせつつ必修課題の列に並び、蹴飛ばすようにして試験場に放り込んだ。夢現のくせに息をするように明かりを灯す喜一が憎たらしく見えてしまった。

「はい30秒経過。光の強さと安定感カンペキ。東雲くん、25点。」

「ふあぁ…おわり?」

「早くどいてー、次の人どうぞ!」

「は、はい!10426番、希崎勇介です!よろしくお願いします!」

「じゃあ光の強さはこれくらい。」

隣に立つ先生がお手本の光を灯す。これと同じ強さの光を30秒灯して25点満点だ。

スタートの合図と共に恐る恐る魔力を練り、杖に願うように集中する。

育ての親が餞別として残していった杖は、正直そんじょそこらの魔法使いからしたら垂涎ものなのだが、勇介には猫に小判、豚に真珠。それでも、これなら暴走は止めてくれるだろうと信じて魔法を紡ぐ。

『グロウ・アップ』

しん、と静まる試験場。

何の反応もない杖。

 

やばい、やばい、何でもいいからせめて光れ…!!

 

などと焦って強く握りしめたのがまずかったのだろうか。

間近に雷でも落ちたかのような光が世界を一瞬で白に塗り潰した。

 

 

 

第一義式場全体を混乱に陥れた、勇介初めての不祥事は近くにいた何人かを保健室送りにしたが、事無きを得たのだった。

 

ざわめきの止まない周囲を適当に先生たちが散らす。

魔術の暴走事故など、この年頃の子供たちには良くあることだ。

少々規模が大きいのは伸び代の証である、とこの学校は勇介に対して寛容だった。

「負傷者はなかったけど、希崎くんは減点。-10点。」

危うく失明の事故を減点で済ます程度には寛容である。

厳罰を覚悟していた勇介は一瞬面を食らった後悲鳴を上げた。

「うえええ?!マイナス?!」

初歩で赤点どころかマイナスなんて前代未聞だった。先生も呆れ顔である。

「ちゃんと制御覚えないと危険物でしかないでしょ!」

「なら何も発動しない方が良かった…っ」

「真面目にやりなさい。」

「ふぁい…」

すごすごと引き下がる勇介は、途中で丸くなって寝ている喜一の首根っこを掴んで次の試験に向かった。

 

 

自由課題の列は実に賑やかに盛り上がっていた。

皆自分の得意技を披露するので一発芸大会のようになっている。

とはいえ、ライトですらあの様の勇介に他に出来る魔術などあろうはずがない。

「あー、次キミかー。自由課題やる?」

「バク転じゃダメですかね。」

「体育教師ならおまけ点くれたかもね?でも先生化学担当なんだなー。加点なしね。」

「はは、俺詰んだ…」

手も足も出ずあっさり0点を付けられ、すごすごと引き下がろうとした勇介だが、まだ使命が残っていた。

「ぐう…」

この立ったまま寝ているダメ人間に実技試験を最後まで受けさせることだ。

背中を押して結界の中に立たせ、頬をつねってなんとか起こし、ようやく喜一は試験の存在に気付いた。

「…なんだっけこれ?」

「自由課題!」

「何すんの…?」

「おま、そこから?!」

首を傾げる喜一に勇介もいい加減さじを投げたくなってきた。

得意な魔術何やってもいいよ、と簡単に説明された喜一は、ここにきて顎に手を当てて思案し始めた。

何の準備もせずに試験の場に立っている喜一に順番待つ生徒たちの苛立ち最高潮である。

「えーと…悪魔呼ぶのでいい?」

「おーいいねー、でもやらせることは気を付けろよ。」

「んじゃ、呼ぶだけで。」

「は?」

悪魔召喚に目的無しはあり得ない。

要求があり、対価を差し出し、初めて契約の元従ってくれる相手である。

個人契約可能な低級悪魔でもそれは変わらない。無意味に呼び出すなど反感を買って仕置を受けるか暴走の起因でしかない。

新顔と契約を結ぶなら呼ぶだけも有りだが、契約内容は召喚士の生命線なのでこんな公衆の面前でやるなど心臓剥き出しにするようなものだ。

止めようとする教師を気にも止めず、少年はしゃがみ込んで自分の影に向かって呼んだ。

 

『誰かこっち来たい奴、早いもん勝ち一名。』

 

え、何それ呪文とか魔法陣とかは?

という疑問が勇介ですら浮かぶ。

授業で聞いた召喚術と何もかも違う。悪魔召喚は多大な魔力で複雑な魔法陣を編んで悪魔の海との境界線を通す上級魔法の一つのはずだ。

悪魔との相性次第で若い内から使える者もいるが、代償やら悪魔との騙し合いやら危険の多い魔術だと魔術分類学では説明していた。

 

それなのに、喜一が声をかけた途端、ぶわりと影から闇属性の魔力が噴き出した。

試験用に設置された結界がギシギシ軋んで弾け飛びそうになる圧力、その濃さ。

再び試験場は騒然となり、あちこちで悲鳴が上がる。

ヒトよりも圧倒的に強い存在が境界を食い破って侵食しようとしている。それも低級の一体二体なんてものじゃないのは魔法使いの卵たちですら分かる。本能的な恐怖。

喜一の影を挟んだ薄皮一枚の向こう側。悪魔の海に太く繋がり、蠢く無数の上級悪魔が手を伸ばしている。

とてもじゃないが、一個人の行う悪魔召喚の規模ではない。まるで過激派悪魔研究会が行う上級悪魔の召喚儀式だ。

慌てて試験官や手伝いの上級生たちが結界を強化しているが、もう間に合わない。

 

真っ暗な影の中からぬるりと伸び上がってバケモノは姿を現した。現れてしまった。

子供の小さな影から現れた悪魔は、視界を覆わんばかりの巨大な鮫(メガドロン)の姿をしていた。

狭い結界内で圧迫されて網にかかったようにも見えるが、ほんの少し力を込めただけで結界を泡にしてしまうのは目に見えている。

それ程、歴然とした力主を何の目的もなく、ただ試験だからと呼び出してしまうとは。

間違いなく不興を買う。すわ大惨事確定かと緊張が走る。

生徒たちはとっくに避難させられ、大人全員杖を取り出して臨戦態勢である。

「その、そちらさんはお前と契約してる奴か?」

恐る恐る状況を確認する結界担当教師に喜一はのんびり答えた。

「正式な契約はまだだから…知り合い?」

「知り合い?!」

悪魔が知り合いってなんだ。契約の縛りすらないのか、それって既に暴走状態じゃないか。

ざわざわと慌てる人々など目にも入らないのか、漆黒の鮫は喜一に顔を寄せて悪魔特有の嗄れた声で言う。

『知り合いとはつれないな…』

口の動きと音が全く合っていない不可思議な悪魔言語。

声音だけで人間の恐怖を掻き立て、正気を失わせる言霊に、並みの人間では呼吸もままならない。

試験官の中でも悪魔耐性の低い者は膝をつきそうになるプレッシャーだというのに、呼び出した喜一と、その側で逃げ遅れた勇介は何故かピンシャンしていた。

得体の知れないものが恐ろしくはあるが、心身に異常を来たすほどのものではない。然程悪意も感じられず、勇介は周りの反応に首を傾げていた。

そんな彼らを尻目に喜一はのんびりと悪魔を見上げて笑った。

「よ。フォルネウスが来たんか。」

『随分と人間共が集まっている場のようだったからな。我が甘言を乗せるには丁度良かろう。』

フォルネウスの名に一層空気が冷え込む。

ソロモン王の72柱の一人、29の軍団を指揮する地獄の大侯爵フォルネウス。

人の感情を操り、好悪を意のままにする大悪魔はあまりにも有名であるがゆえに、人間がお目にかかることなどあり得ない。

『お前が一言請うたのならば愚民共は皆お前の虜となろう。さあ、可愛い我儘を聞かせておくれ。』

「そういうのいらんし。面倒臭い。」

悪魔の誘惑をバッサリ切り捨てた喜一は本当に心底面倒臭そうな顔をしていた。それをフォルネウスは蕩けるような目で眺めると満足そうに頷く。

『それもそうだ。お前には我らが居れば良い。我々の寵愛だけ受けていれば良いのだ。』

「はいはい。」

飽和砂糖水をドロドロに煮詰めて真っ黒に焦げ付かせたような悪魔の固執を、お茶漬け並みにさらさら流す。

慣れ切った対応は確かに契約関係を超越した近過ぎる距離感だった。普通なら堕落廃人コースまっしぐらである。

しかし喜一は悪魔に堕落させられたわけでもないのに廃人まがいの惰眠生活をしているのだから実はさして変わらないのかもしれない。

少年はくるりと大人たちを振り返ってだるそうに問う。

「せんせー、テスト何すればいいんだよ。」

「何でもいいから早く帰ってもらいなさい!早く!序列30番の大侯爵なんているだけで魔障患者が増える!つかこれ以上結界がもたん!」

「へーい。悪いけどフォルネウス帰れって。」

『む…また近い内に話そう、喜一。』

名残惜しげに喜一に擦り寄ったフォルネウスは、チラと勇介に目を向けた。

視線がかち合った瞬間、悪寒が背筋を駆け抜ける。

『なるほど、あれか…』

「ああそうそう。キザキユウスケって言うんだよ。」

「は?」

訳知り顏で悪魔と喜一が頷き合う。

『そのうち連れて来い。皆あれに興味がある。』

「んー、まあ、気が向いたらな。」

バイバーイ、と実に軽い調子で見送るとフォルネウスは再び喜一の影の中に沈んでいった。

 

結局この日は喜一のうっかり大侯爵ご招待事件のお陰で残りの試験は翌日持ち越しとなった。明日は土曜日のため、関係者全員から非難轟々である。

当の本人はそれすら気にせず今日の用事が終わったと早退けを喜んで部屋に帰って行ったが。

 

翌日の案内を待って寮に戻ってきた勇介は、珍しく賑やかな気配がする自室に嫌な予感を抱きつつドアを開けば、予想外に起きていた喜一を取り巻くようにわらわらと悪魔が集っており卒倒しかけた。

狭い寮室を埋め尽くす上級悪魔を侍らせた喜一が勇介の帰宅に気付くと気軽に手招きなんてするものだから、捕食者に等しいバケモノたちに両手を引かれて輪の中心に据えられてしまう。

逃げ場がない。

向けられる好奇と値踏みするような視線に針の筵の思いだ。

何の用かと思えば、疲れた様子の喜一が苦笑して言う。

「フォルネウスだけずるいって収まんなくて集会になった。MP足りないから分けてくれ。」

「ヤダよ!さっさとMP尽きて解散しろ!」

これ以上集会が長引いてことが露見すれば新聞に載る大惨事にしかならない。

見出しはこうだ。《帝都魔法学院寮で72柱の悪魔が大会合!あわや人間界崩壊の危機!》

悪夢のような光景にビビっている場合ではないと、勇気を振り絞ってきっぱり断る勇介に悪魔たちのブーイングが飛ぶ。

こんな大御所御一行のご不興買ったら俺今日死んだかな、と意識も遠のく。

悪意に怯えて思わずルームメイトに縋れば、全く状況を理解していないようで不思議そうに首を傾げられた。

 

 

これ、お前が魔術士連合会に隔離されるよな事案なんだけどな?