1. 5年前のこと(4)

 

入学式のあとはそのまま学校生活の注意事項とオリエンテーションになった。

一通り今後の指針を聞いた後、クラスに分かれて教室に向かう。

入学時点である程度実力分けしたクラスが編成されており、勇介は一番下のY−13クラスだった。まあ、当然すぎてショックも受けない。

しかし驚いたのは喜一が同じクラスだったことだ。てっきりエリート組かと思っていたらまさかの最下位出発である。

有名人だけにクラス中がちらちらと彼を気にしているが、当人はそんなことは一切気づかずに席についてもまだまだ眠っている。

ここまで引きずってきてやった勇介はすでに疲労感で一杯だった。

 

担任がやってきて挨拶をし、喜一に目を留めた時は肝が冷えた。

必死に後ろから声をかけて突つくが、こんなことは何の効果もないのはわかっていた。

案の定先生は笑顔で青筋を浮かべており、手にしていた出席簿で喜一の名を叫んで叩く。それでも無反応だった。

「おい、起きろよ!どんだけ寝不足なんだよお前ー!」

椅子の底を蹴飛ばして突き上げても、もぞりとわずかに身動きするにとどまった。

「あー…キミ、後ろの席の…」

「希崎勇介です…寮で同室で、なんとかここまで連れて来たんですけど…これ以上は力不足で…」

「そうか。それは大変だったな…
 正直、東雲は来られないもんだと思っていたからここまでよくやってくれたよ。ありがとう、希崎。」

「来られないって、病気か何かですか?」

言われてみればただの寝汚いを超えている。

体調不良のところ余計なことをしてしまっただろうかと顔を曇らせる勇介に、先生は苦笑して答えた。

「少し訳ありの生徒でね。入学試験も最初の一教科の半分も書き切れずに途中で寝ていたよ。」

もっとも、字が寝ていたけど書いた分は全部合っていたというのだから驚きだ。一応、優秀であることには間違いないらしい。

しかし彼はこの後の自己紹介のターンが回ってきても夢の国から帰ってこない。

やれやれと肩をすくめた先生が、腕まくりをして教鞭を取り出した。

いや、よく見たら杖だった。魔法制御の必需品である。

「それじゃー先生、新入生諸君に最初の魔法見せちゃおうかなー!」

振り上げた杖の先に緑色の光が集まるのを見て生徒たちが歓声をあげる。

このクラスの半分くらいはまだ魔法をきっちりと形に出来ない魔法使いのたまごたちなのだ。

先生が短い呪文を唱えながら杖を振ると、先端から緑の光が尾を引いた。

皆が目をキラキラさせてそれを目で追っているのを確認して、彼は喜一に向けて光を振り下ろす。

「起きろー!『ウェイクアップ!』」

大きな光と音、それにほとんど威力のない衝撃を起こす簡単な眠気覚ましだ。

コツン、と喜一の頭に杖が当たった瞬間、そこで弾けるはずの魔法はしかし華麗にUターンを決めて先生に襲いかかった。

「え、」

先生の目前で、パーンッ!!と破裂音と緑の閃光が弾けて彼の体がぐらりと傾いだ。

「せ、せんせええええ!!!」

「先生大丈夫ー?!」

床に倒れた先生の周りを生徒が慌てて取り囲んで喚き出す。

その際一人が喜一にぶつかって奴もまた椅子から転げて床に落ちたが、短く唸ったにとどまった。

「どうなってるんだこいつ…!」

勇介以下数名が戦慄をもって見下ろすのも仕方ない。

 

結局担任は驚いただけで無事だった。

初日から威厳ガタ落ち…と肩を落とす様が哀れでならない。

「しっかし起きないな。」

「あ、先生。俺がやってみます。」

そうして勇介が手にしていたのは近くの給湯室にあったカップだ。

先生が倒れたどさくさに紛れて失敬してきたそれには半分ほど水が入っている。

「希崎くんそれでどうしようと?」

「こういう奴はもうなさけむようっす。」

喜一の傍に座り込み、仰向けに転がして気道の確保。

そしてカップを顔に近づけて傾ける。

そのまま鼻の中に向けて水を注いだ。

「希崎容赦ないな!」

数秒後、鼻の痛みに悲鳴をあげてようやく喜一が目を覚ました。

 

 

「じゃあ自己紹介再会しよっか。」

「自己紹介…」

涙目で鼻水をすすりながら立っている喜一が展開についていけずに首を傾げると、寝癖がピョンと跳ねた。

「名前と、趣味とか特技とか好きなものとか…なんでもいいぞ。」

「東雲喜一。特技は悪魔召喚と呪詛返し。」

愛想の欠片もなく棒読みで告げられた内容に先生がなるほどね、と乾いた笑いをこぼす。

さっきまさに反射されて見事に被弾した担任教諭が喜一に罰掃除を命じて本日は放課となった。

 

まあ、案の定掃除もせずにまたダウンしていたので勇介が迎えに来て呆れ果てるという場面があったのだが。

「もーお前なんなのいい加減にしろよー…」

「ふが…」

「ちったぁ自分で歩けよ!」

肩を貸すというよりほぼ引きずって夕暮れ時の廊下を進み、寮を目指す。一体なんの修行なのか。

もう捨てて行こうかな、と悪い考えがちらっと過ったとき、勇介は本日何度目かの度肝を抜かれた。

 

足が廊下の床を踏みしめようとした瞬間、がくんと膝が抜けた。

正確には床がなかったのだ。

「ヒッ?!」

驚きの声すらあげられずに変な息が出ただけだった。

あとは白い穴の中に落ちるのみ。

階段を踏み外したわけではない。歩いていたのは廊下で、穴が空いているはずもなく、そんなものを見てもいない。

しかし引きずっていた喜一ごと勇介は落下していた。

「ひぎゃああああ!!」

無意識に手元の物体こと喜一にしがみついて目をつむり衝撃に身構えるが、数秒の落下を体感した割にやわらかい布の上に転んだだけだった。

べしょりと二人揃ってうつ伏せに倒れこむ。

訳も分からずそろそろと目を開ければ、何処かで見たようなお布団。

廊下で穴に落ちてお布団。混乱を極める。

上半身を起こして見渡せば、まだ見慣れぬ寮の部屋だった。それも喜一のロフトベッドの上だ。

 

ハッと勇介の中で幼い記憶が蘇る。

これに類似した体験が確かに彼の中にあり、この瞬間ばちっとそれがハマった。

 

あれはいつ、どこだっただろうか。肌寒い季節の屋外だった。

勇介はまだ小学校にも上がらない幼児で、電池切れまで遊び倒して電車を待っているうちに眠ってしまったのだ。

『おい勇介!こんなとこで寝てんじゃねえ!風邪ひくだろ!おーい!』

遠い意識で博士怒られているのは分かっていてもむにゃむにゃと言語になっていない返事をするのが限界で。

しばらく揺さぶられていたが、諦めたようなため息が聞こえた。

『起こしても同じことの繰り返しになるだけか…
 ったく、俺にお前運ぶような体力ねえんだぞ。』

その後長ったらしい謎の呪文を子守唄に深い眠りに落ちた勇介は、いきなり穴に放り込まれた無重力感にびっくりして目を覚まして泣いた。おまけに若干漏らした。

あのときも気がついたら家だった。

 

「うわ、嫌なこと思い出した…」

「大変そうだったから手伝ったんだが、いらん世話だったかな?」

突然すぐ傍から聞こえた声に驚いて目を向けると、見事な真っ白の髪と髭をたくわえた老人と目が合った。

そして勇介はこの顔に見覚えがあった。本日の午前中に。

「が、学院長先生!?」

勇介たちがロフトの上にいるので完全に目線が同じである。その近さが気まずい。

「やあ、こんにちは。不肖の孫が世話をかけているね。」

 

 

 

90度のお湯を注いでじっくり蒸らした緑茶を適当なマグカップに注いでそっと差し出す。

「粗茶ですが…」

「いやいや、気を遣ってもらって悪いの。」

「いやぁ……」

なんと言えばいいのかわからない。

勇介は今、新しい自分の砦たる寮室にいるが、気分は完璧にアウェーだった。学校の最高責任者と二人きり、気を遣うなという方が無理な話だ。

恐らく客人の目的であろうルームメイトに目を向ければ、布団に落とされた時に一度目を開けたものの、「なんだ、じじいか。」と確認した後再び寝ている。

喜一の寝息をBGMにこの状況をどうすれば良いのか勇介にはさっぱりわからない。

 

「お前さんには積もる話もあるのだがね。」

「え、俺にですか?!」

「それは追い追い話すとして、差し当たり喜一のことをな。」

「はあ…」

孫もアレだが、祖父もまた捉えどころがない。なんというか、勝手だ。

こちらの困惑なんて見れば分かるだろうに華麗にスルーされている。

「今日はご苦労だったね。まさかあやつが入学式におるとは驚いたよ。」

「東雲…くんは、その、病気か何かですか?ものっそい寝てるんですけど。」

「いや、至って健康体だよ。ただ少々特殊な事情があってな。わしのところで保護した子供で、血は繋がっておらんのよ。」

「あー…それはそれは、俺もお揃いです。」

勇介は巨大魔力流入事件で両親を失い、父親の師匠に育てられた。

そして勇介、喜一とも養い親が三賢者に数えられる大魔法使いだ。親近感を抱いてしまう。

「喜一は【向こう側】から流れてきた人間なのだ。」

「は?」

早くも勇介の頭では処理能力を超えた話になっていた。

 

 

東雲喜一は向こう側で生まれた人間だった。

向こう側から無機物が流れてくることはあっても、有機物、それも人間など前代未聞の事態である。

おまけに向こう側とこちら側の間にある悪魔の海なる世界に長く漂流していたため、歪んだ魔力にあてられた結果、すっかり変質した状態で保護されたという。

今の彼は人のような姿をしているが構造的には悪魔に近い、人間モドキの悪魔モドキらしい。

そこで専門家である魔法界の重鎮に預けられることになったそうだ。

桜田のところへ来た当時はまったく意思疎通も不可能な状態だったというのだから、これでも会話ができるだけ改善されているのだ。

やたらと眠りまくっているのも、悪魔の海に対応していた体をこちら側の環境で生きられるように魔術をかけて体内魔力を作り直している影響だという。

 

「じゃあ無理矢理起こして悪いことしたな…」

「その工程はほとんど終わっとるからここまで眠る必要はないんで安心せい。生活サイクルが狂っとるだけだ。要するに今はただの怠けもんだ。」

「あ、そうすか…」

「でなけりゃ学校になど放り込まんわ。」

「仰る通りで。」

「いい加減まともな人間の暮らしをさせんと社会復帰できなくなるからな。同室であるお前さんには多少、かなり迷惑をかけると思うが適当に面倒みてやってくれ。」

「はあ。」

「なぁに。あの帝佳の世話してこられたんだ。大して変わらんよ。」

「そういえば博士と知り合いなんでしたっけ。」

「あれもどーしょうもない奴じゃったなぁ。」

「はい、まったくで。」

「まあ、お前さんのことは聞いておるから心配せずに存分に勉学に励みなさい。」

どうやら裏口入学の引き換えにとんでもない貧乏くじを引かされたらしい。

しかし養父がいない今、桜田のこの言葉は勇介にとっては心からありがたかった。

過度なぐうたらという困ったちゃんではあるが無害な喜一と違い、勇介は自分でも何を起こすか分からない爆弾のようなものなのだ。

それと知りつつ、鷹揚に構えてくれる器の大きさに勇介は安堵を得た。

深々と頭を下げて礼を言うと、気負うな少年、と気さくに笑って彼は去って行った。