0.16年前のこと

 

今日も空には暗雲が立ち込め、酷い嵐になっていた。

約50年に一度起こる大荒れを体感するのは彼にとっても初めてのことだったが、今回の異常さは明白だった。

もう大荒れが全世界で3日も続いているのだ。

ニュースでは絶えず異常気象の危険さを放映し、避難や自宅待機を叫んでいた。

 

そんな中、彼は迷いもなく魔物の巣窟となっている森に向かっている。

荒れに荒れる大気の中に強大な闇の魔力が渦巻いていることは一般人にすら明白で、魔物の森に行くなど死にに行くのと同義だった。
それも、通例ならばせいぜい数時間で収まる魔の嵐が3日も続き、世界中に蔓延しているのだ。魔物も活性化し、この上なく凶暴なものとなっている。

(まったく…今代の勇者は何やってやがる…)

この魔の嵐が魔王の誕生による影響だと言うことは知られていた。本来ならば向こう側で生まれた魔王はその直後に勇者によって殺されるはずであり、嵐も数時間でやむのだ。

真実味など神話ほどに無いが、歴史書によると、人魔大戦で魔族に勝利した人は魔王を向こう側に流し、勇者によって延々と殺されつづける宿命を与えたらしい。
そんな与太話を鵜呑みにするわけではないが、魔王が向こう側で生まれ、直ぐさま勇者が処分ということを約半世紀ごとに繰り返しているのは事実である。

だというのに今代はいったいどうしたというのか。彼が予測するよりも3年8ヶ月も早い魔の嵐が3日も続いている。

しかし、向こう側のことでは確かめようもない。それよりも彼は目先のことを始末しなければならなかった。
視線の先に広がる樹海の結界は今にも破裂せんばかりなのだ。

 

 

 

ギリギリで役目を保つ結界の中に足を踏み入れた瞬間、淀んだ気配に飲まれかけた。
もとより体力に自信がない。早急に目的を果たし、嵐が収まるまでゆっくり自宅で休みたい所だ。

彼がやるべきことは二つ。

一つは、魔の嵐の中心であるこの地の結界の強化。

そしてもう一つはこの地を守る防人一家の保護である。

正直、後者は既に亡い可能性が高い。大人しく避難すればよいものを、無茶が大好きな馬鹿弟子と、それに殉じようとする阿保嫁だった。

 

 

どこの誰とも知らぬ勇者と魔王を恨みながらザクザク森を進む。この天気の所為でまともにつかえる道はなく、視界もひたすら悪い。

それでもこの森の核を目指して歩くうちに、彼は異変に気付いた。

活性化している魔物の巣窟であるはずなのに、その気配が一切ない。しかも、核に向かうにつれ粘着質な血の臭いが濃くなっていく。

早く核のある遺跡まで行きたいのに、天候がそれを許してくれない。気ばかり急いて何度も転ぶうち、ようやく雨足が弱くなってきた。

嵐は明日には収まるだろう。しかし、流れる魔力が断たれる様子はない。
単に背中合わせの二つの世界の魔力量がこの3日でようやく平衡状態に保たれただけだろう。結局、勇者は現れなかったのだ。

 

ほんのわずかだが、幾分か歩きやすくなった道ならぬ道を行くにつれ、血の臭いの正体が明らかになった。

この森に巣食うおびただしい数の魔物の大半が吹き飛び、スプラッタにされているのだ。
そこいら中が魔物の血と肉片で埋まり、さしもの彼も嘔吐感がこみ上げる。

 

 

 

憔悴しきって辿り着いた遺跡の入り口で彼は耳を疑った。

人の子供の泣き声が響いている。

もつれる足で石の廊下を抜けて核の間に飛び込んだ。
背の高い円柱型の部屋の中央には、魔王生誕のおかげでいつも以上に美しく輝く巨大な水晶がゆったりと自転している。

その真下に子供はいた。

それはどう見ても人…しかもこの地の防人である彼の弟子が送りつけてくるメールの写真と全く同じものに見えた。

 

防人夫婦の子供だけが、何もかも死に絶えたこの森で泣いている。

正直、気味が悪い。

しかし、記憶力の良すぎる彼の脳味噌は弟子とのやり取りを正確に覚えていた。

 

 

『見て下さい博士!可愛いでしょう?』

『そこそこな…。あのなぁ、赤ん坊を世界一可愛いと思うのは勝手だが、それはその子供の親だけだということを理解しろ。押し付けるな。そんな用事なら今すぐこの家から出て行け。』

『まったく、博士は相変らず情が薄いと言うか何と言うか…』

『ほっとけ。』

『そんなんじゃ困りますよ。俺に何かあったら誰が妻子の面倒見るんですか。』

 

 

 

「…もしかして、俺がこいつの面倒見んのか…?」

たっぷり30分ほど悩んだ末、彼は仕方なくその子供を連れ帰った。

 

 

 

 第1話