「私は筋悪でね」   安永 一

 

 人呼んで「大安永」。凡そ碁を打つ人で、安永一の名前を知らない人はまず居ないのではなかろうか。いまから丁度60年前、呉清源と木谷実が、星を中心とした新しい布石を打ち始めたとき、彼はこれを「新布石法」と名付けて世に紹介した。この名著は文字通り洛陽の紙価を高からしめたと聞く。中国との関わりも深く、1963年訪中の時彼が紹介した流行布石、「中国流」の名付け親もでもある。

 

 1993年夏、その彼が松山に湯治に来られた。この好機を逃すべからずと、私達碁好きが一席構えたのは言うまでもない。このとき、先生は既に九十才を少し過ぎておられた。ゆっくりだがしかし実にしっかりした若々しい足取りで、自ら拍手しながら私達の前に現れた。早速誰彼無く指導碁が始まる。私も「先」で指導頂いた。本当は二子も三子も置かなくてはいけない手合い違いだが、先生はそんなことに全然こだわらない。中盤白の先生が、冴えた妙手を放たれたときである。

 

 「私は筋悪でね、こういう筋の悪い手は一目で見える」と、周囲を見渡し自慢の一手の上に指を置いたまま小鼻をひくひくと動かされた。このまるで悪戯小僧のような無邪気な仕草に、周りの観衆も私も思わず吹き出してしまった。とにかく超早碁である。先生妙手の芸だけ披露されて、勝負は私に譲って下さった。

 

 その後も半日、相手変われど主変わらず。先生10局は打っただろう。「先」から「井目」まで、誰とでもどんな手合いでも実に楽しそうに打たれる。それでも、若い人が気合いの悪い手を打ったとき等は、厳しい指導があった。勝負や手合いにはまったく屈託がない。時には自分が黒石を引き寄せて、相手がかえって恐れ入っていた。

 

 何故彼が「大安永」と言われるか。プロも一目置く碁に対する見識もさることながら、この飾らない人柄が全ての人を引きつけているのだろう。

 我が囲碁人生最大の自慢は、「大安永と碁を打ったことがある」そのことである。先生は翌年2月92才、肺炎で永眠された。もうこの世では永久に打って貰えない。

 

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