「私の葬式には雨が降る」 大島恒次(2)
私の祖父は明治25年(1892年)壬辰年の生まれだった。だから、いつも口癖のように「私の葬式には雨が降る」と言っていた。昭和61年(1986年)11月11日祖父は子、孫曾孫等一族50人近くに見守られ他界した。
葬式は一日おいて13日、この日長崎県諫早市は朝から小雨がぱらついていた。日頃の祖父の言葉を知る私達は
「お祖父ちゃん、雨は降ったばってんこげん雨じゃ雨ちゃ言わんばい」
と生ける人を冷やかすように語り合っていた。でも皆心の片隅であんなに言っていたのだから、本当に降って欲しいと願う気持ちもあった。
午後三時、遺体は諫早市営火葬場に運ばれた。まだ祖父の言葉にこだわっている私達は、次男が
「火を付けたら雨が降るよ」と言った。
長男が点火した。その時である。まさに一天俄にかき曇り激しい雷雨となった。やれやれ降ったと思う私達は、このことを少しも訝しく思わなかった。長男が言った。
「お祖父ちゃん分かったばい。皆傘ば持っとらんけん止まらさんね」
あれ程激しかった雷雨がぴたりと止んだ。
祖父は元々造船技師で、海難審判庁の判事もした人である。迷信家とは言えない。生前不思議な話しをしては「君はこんな話しを信じるかい」とじっと私の目を覗き込んだ。宇宙の歴史は60億年とも100億年とも言う。文明の歴史は高々5000年。仮に宇宙の歴史を一年とすると、我々の文明の歴史は大晦日の20秒にも満たない。その間我々は何程のことを知ったと言うのだろう。もし不思議なことがあっても、それを全て迷信と言うのは人類の奢りではないだろうか。
かって藤沢秀行先生が、「もし囲碁の神様が居るとしたら、私は精々神様の100分の5しか分からない」と言った。それを聞いたあるプロ棋士が言った。「凄い秀行先生は5も分かっているのだ」と。