「私の碁は変わっただろう」      大島 恒次

 

 大島恒次と言っても、皆さんはご存じないだろう。私の母方の祖父である。私は彼に碁を教えて貰った。14才の時中国から引き上げたばかりのころ、長崎の祖父の元に一時預けられていたのだが、そのとき始めて碁を覚えた。最初は井目から習い始め、5年後は私が逆に5目置かせていた。

 祖父は70才を過ぎ全ての公職から離れ、また改めて囲碁の勉強を始めた。当時松山にいた私と20年近く葉書で碁を打ったのだが、彼はその後確実に3目は強くなった。晩年は私が長崎に訪ねて行く度に、「会うた時こそ笠をとれ」と言いながら夜を徹して碁を打った。

 あれは12年前祖父が93才のときだった。それが最期の碁になったのだが、打ち終えた後祖父が

 「私の碁は変わっただろう」と言う。

 祖父は高川格名誉本因坊の碁が好きで、大らかな碁だった。

 実は私は心の中で「相変わらず地に甘い碁だな」と思っていたのだが、それを見透かされたようで、はっとした。彼は常に最期まで自分の碁を向上しょうと思っていたのである。

 翌年祖父は94才肺炎で他界した。最期高熱で意識を失った祖父に医師は「これ以上の治療はかえって病人に苦痛を与えます。ご本人の為に」と言って点滴もせず、更に「亡くなった時間だけ記録して下さい」と言い残して去った。

 子供5人(7人居たのだが私の母を含め二人は既に亡くなった)孫17人曾孫は数えきれず、それぞれの夫婦を含め一族が見守る中時折口元をガーゼで湿して貰うだけの祖父は、それでも元々が頑健だったのだろう。48時間大鼾をかいたまま静かに息を引き取った。祖父は私に人の死の尊厳も教えてくれた。祖父についてはもう一回書かせて頂きたい。

 

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