『―――台風―――』



その日、花梨は朝からテレビに釘付けだった。

数十年に一度の超大型台風が直撃するから気を付けろ、と散々不安を煽っている。花梨の家は高台の住宅地にあり、近くには山も川も無くてこれまで被害と言えるような事は一度も無かった。だから、今まで台風を怖いと思った事は無かったのだが。

「何時もはお父さんとお母さんがいたもん。こんな日に一人で留守番だなんて、嫌だなぁ・・・・・・。」

運悪く、親戚の法事に出席する為、夫婦で出掛けてしまっているのだ。しかも、この天候のせいで飛行機も新幹線も止まってしまって、帰りたくても帰って来られない。家の周りの風で飛ばされそうな物は片付けて、戸締りも確認した。食料も買って来た。停電した時の為に、懐中電灯やラジオも準備してある。
そう、出来る事は一人で全てやったのだけど。

「○○市では、この強い風で体育館の屋根が飛ばされて――――――」
「××町では、豪雨で川が氾濫して――――――」
「△△村では、死者○人、行方不明者○○人――――――」
テレビからはアナウンサーの悲鳴にも似た実況中継が延々と流れている。そして、花梨の住む町には。
「夕方から雨風ともに更に酷くなります。一晩中続きますから、ご注意下さい。」
アナウンサーの脅しにも似たコメントに、泣きたくなる。今でさえ雨が凄いのに、これからもっと酷くなるのか。そして、風も出てくる・・・・・・・・・。

「一人は嫌だな・・・・・・、一人は。」耳を澄まして外の様子を探ると。「あれ?さっきよりも雨、酷くは無い、かな?」
この程度の雨なら外に出られる。今の内に・・・・・・。花梨は傘を掴むと、家から飛び出した――――――。



「花梨っ!?」
玄関を開けた頼忠は、花梨のずぶ濡れの姿を見て固まった。この台風の中、外に出るとは何て無謀な・・・・・・!
「お母さん達、出掛けていて誰もいないの。今夜は一人でいるのが嫌で来ちゃった。」
「ならば御連絡下されば、私が参りましたのに。」
「御免なさい・・・。風が強くて傘、壊れちゃった。」半泣き状態だ。「びしょ濡れなんだけど、入っても良い?」
「あっ!」我に返った頼忠は、慌てて花梨を部屋に上がらせた。「このままでは風邪を召されしまいます。先ずはシャワーを浴びて下さい。」
タオルを花梨に渡すと、バスルームに連れて行く。
「服が乾くまで、着替えは私ので申し訳ありませんがお召しになっていて下さい。」


頼忠はシャワーの音が聞こえ始めたので、お茶の準備を始めた。
「花梨はコーヒーよりもココアの方が宜しいか。」
花梨専用のカップにココアの粉を入れる。自分のカップにはコーヒーを注ぎ足す。そして、ミルクを沸かそうと小さな鍋に牛乳を注ぎ入れる。
だが、ガスコンロに火を点けようと伸ばした手が止まった。

『今夜は一人でいるのが嫌で・・・・・・。』

ふっ、と花梨の言葉を思い出した。
一人でいるのが嫌―――花梨はその言葉はそのままの意味で言ったのだろう。深い意味は入っていない。そうと解っていても『今夜泊まりたい』と言われると、落ち着かない。
心の準備が出来るまで待とうと密かに誓いを立てているのだが、そんな誓いを立てようが立てまいが関係無く、あまりに無防備で警戒心のカケラも無い少女に今まで手の出しようが無かった。人前で抱き寄せようものなら真っ赤になって逃げようとするが、二人きりの時は嬉しそうに自分から身体を摺り寄せてくる。それこそ、幼い娘が父親に甘えるように。

信頼されすぎているのも問題あり、だ。

服を着たままプールで泳いだ後のようにずぶ濡れの花梨。シャツが身体に張り付いていて、体型がはっきりと分かった。柔らかそうなふくらみや細い腰も。半泣き状態の潤んだ瞳で見つめられたあの時、抱き締めなかった自分に驚く。抱き締めてしまえば我を忘れてしまっただろうから、花梨の為には良かったのだが。
「長い夜になりそうだ。」
今頃になって反応している身体の熱を冷ます為に、冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干した。
ガスに火を点けようと再び手を伸ばした時。

突然、電気が消えた。
と、同時に。

「きゃっ!」
がたんっ!

花梨の悲鳴と大きな物音が聞こえ、頼忠は慌てて脱衣所に飛び込んだ。
「花梨!大丈夫ですか!?」

「きゃあ!」
花梨は叫び声をあげて、慌てて握っていたタオルで身体を覆うが。『あぁ、こんなに真っ暗なら見えないか。』縮こまった身体から、力を抜いた。
「驚かしちゃって御免なさい。いきなり電気が消えたから、びっくりしてカゴを蹴っ飛ばしちゃっただけ。どこも怪我なんてしていないから、大丈夫だよ。」
笑って言うのだが。
「・・・・・・・・・・・・。」
頼忠の頭の中で、警報装置が鳴る。
電気が消えてしまった脱衣所は真っ暗で花梨には何も見えないのだが。
『・・・・・・まだ何も身に着けておられない。』
そう、夜目にもはっきりと見る事の出来る頼忠の眼には、花梨の姿は刺激が強すぎる。
「申し訳ありません。」
無理矢理視線を反らせると、脱衣所から出ようとしたのだが。
「頼忠さん!」花梨は切羽詰った声で呼び止める。「シャツ、どこにあるのか見えないんです!取ってくれませんか?」
頼忠がシャツを手に取るが、躊躇う。『これ以上、眼にしてしまうと・・・・・・・・・。』
だが。

「くしゅんっ!」

折角シャワーで身体を温めたのに、電気が消えてしまったせいで服を着られずに冷えてしまったようだ。
躊躇いも忘れて慌てて頼忠が振り返ると、しゃがみ込んだ花梨は本能的にタオルと腕で肝心なところは隠していたが、華奢な肩や胸の谷間ははっきりと見えて――――――眩暈を覚えた。

「・・・・・・・・・・・・。」
シャツを広げると、それで花梨を包み込む。そして、そのまま抱き締めて眼を閉じた。湯上りの爽やかさの中に花梨の甘い匂いが混ざり込んでいて、一つの事以外、考えられない。
「えっ、えっ?頼忠さん?」
花梨が動揺しているのが伝わって来るが、どうしても離れられない。抱き締める腕に力が入る。
「花梨・・・・・・・・・。」少女は腕の中で微かに震えている。「花梨、寒いのですか?それとも、怯えているのですか・・・?」
「・・・・・・・・・・・・。」
確かに怖い。怯えている。だけれども、それは自分が服を着ていない無防備な姿である事と――――――頼忠の普段とは違った雰囲気に。
「私が、怖いですか・・・・・・・・・?」
切なくて苦しそうなその声音は、頼忠も怯えている事を教える。衝動を抑え切れなくなる事、花梨を傷付けるのではないかと言う恐れ。早鐘を打つ心臓の鼓動が伝わってくると、反対に花梨の方は落ち着き、恐怖感が和らいでいった。
『私、大切にされているな・・・・・・・・・。』
初めての経験に対する不安は無くならない。だけど。でも。
「大丈夫、頼忠さんだから。」
花梨はそう答えると、上を向いて頼忠の顎に口付けた。



結局、直撃した超大型台風は全く怖くは無かったが。
頼忠の与える嵐に呑まれて違う恐怖を味わう事となり・・・・・・眠りに落ちる直前、ここに来た事をちょっぴり後悔したのだった――――――。






今年(2004年)のこの台風の上陸回数と被害の大きさは、一体何なのでしょう?
強風で家が揺れている恐怖を味わいながら、こんな妄想をしている私って・・・(苦笑)。

2004/10/21 21:30:44 BY銀竜草

あまりにも被害が酷すぎて時期をずらそうと思ったら、次々と起こる自然災害に事件事故。UPする気になれなくて、ボツフォルダに放り込んだままほったらかしにしていた作品。
これ、書き上げてから一年以上経ってしまったんですね・・・・・・(しみじみ)。

2005/11/11 16:43:20 銀竜草

翌朝の話『―――台風一過―――』UP。

2005/11/16 BY銀竜草