01



夜。
花梨は眠れないまま、立てた膝に顎を乗せて格子の隙間から外を見ていた。月明かりを浴びて佇む一人の男の背中を。
「はぁ・・・・・・・・・。」
ため息が唇から零れ落ちると、それは湯気のように白く室の中に立ち昇り、そしてすぐに消えた。
「・・・・・・・・・・・・。」
ぎゅっと一本の小さな刀を抱き締める。


『―――え?お守りになるの?刀が?』
刀は武器であって防具ではない。驚いて訊き返した。
『はい。刀は手入れを怠れば生命に関わります故、特に大切に扱います。ですから、生命を守った刀は魔除けの力を持つと考えられているのでしょう。武士として優れた者が所有した物は特にその価値が高いとされ、代々一門に受け継がれるのです。』
『へぇ。じゃあ、欲しがる人もいるんでしょうね。』
呪詛や呪いが信じられている世界。怨霊があちらこちらで悪さをしている世界。何かに縋りつきたくなるのだろう。身分が高くなればなるほど、他力本願で。
『そうですね。我が一族の先人の刀も、過去には帝や院に献上した事がありますから。』
『ふ〜〜〜・・・・・・ん。』
こんなのにもって言ったら失礼だけど、鰯の頭も信心、何でも良いって事かな。私には護り刀は必要無いけど・・・でも・・・・・・・・・。
『神子殿?』
『私も欲しいなぁ。』
『護り刀を、ですか?』
『頼忠さんが子供の時に使っていた物とか紐や紙を切っているのとか、そういう物で良いんだけど。今は使っていない物、ありませんか?』
にじり寄って強請る。お守りの効果よりも、口下手な頼忠との今後の話題の種になる事を期待してだが。
『神子殿でしたら、頼忠のよりも名を挙げた者の刀の方が―――。』
『そんな知らない人のよりも、今の私を守ってくれている頼忠さんの方が信じられます。』
『いや、しかし―――。』
『頼忠さんのを貸して下さい。大きい刀じゃなく、持ち運べるような小さな物を。』
『・・・・・・・・・。分かりました。頼忠の物で宜しければ、お持ち致します。』
強い口調で頼むと、子供の我が儘を困ったように、でも信頼されて嬉しいというように微かに微笑んで承諾してくれた。
『ありがとう御座います。』
持って来てくれた時、扱い方を教えて貰おう。使わなくても手入れは必要かな?必要ならば頼忠さんに頼もう。うん、これをきっかけにして仲良くなれたら良いな。頼忠さんの事、色々と知りたいから。

そして持って来てくれた刀は装飾らしい飾りは一切ついておらず、人柄そのままの無骨なものだった。長年使い込んでいた物らしく、手で持つ部分とかには細かい傷が一杯ある。
『これって簡単に鞘から抜けますか?』
刃の部分はさすがに手入れが行き届いていて光っている。触れるか触れないか程度でも、ばっさり切れてしまいそうだ。
『そうですね。鞘を持って逆さまにすれば。』
そりゃそうだ。危ないな。
『私がこれを使う事にはなりませんよね?』
『はい。この頼忠がお傍でお守り致しております故、ご安心下さい。』
『じゃあ、怪我しないように布で包んでおこう。』
『・・・・・・・・・。』
刃物を持たせてしまって不安だったのだろう、花梨がそれを振り回すつもりが無い事が分かってやっと眉間の皺が消えた。

その後、花梨の期待通り、その護り刀は大活躍してくれた。
『刀を貰っちゃいましたけど、頼忠さんは困りませんか?』
二人きりの時には、これが会話のきっかけになる。
『小刀なら代わりは幾らでもあります故、ご心配要りません。』
『これ、何に使っていたんですか?』
『怪我を治療する時に衣を切ったり、包帯にする為の布を切ったり致します。その他にも手で折るには太すぎる枝や水菓子、果物を切ったりも致します。』
『じゃあこれ、結構使っていたんですね。』
『はい。そしてそれは、太刀が折れたりした時に太刀の代わりに生命を守る大切な物でもあります。』
『うわっ!』驚いて頼忠さんを見る。『そ、そんな大切な物を私に渡しちゃって良いんですか?』
『神子殿ですから、それをお持ち致したのです。』真っ直ぐに私の眼を見る。『長年、頼忠の生命を守っていた物ですから、他のよりは魔除けの効果もあるだろうと思いまして。』
『ありがとう御座います・・・・・・。』
『・・・・・・・・・。』
『・・・・・・・・・。』

何時でもどこまでも誠実な男(ひと)。何があっても守り抜いてくれると信じられる男(ひと)。だからこそ無骨な小刀を見ているだけで、触っているだけで、頼忠さんを思い出し、安心出来た。

『頼忠さんの好きな食べ物は何ですか?』
『いえ・・・特に好き嫌いは御座いませんので・・・・・・。』
『じゃあ、あの小刀使って何を食べましたか?』
その質問は何だ?でも、会話になる。
『・・・・・・。』ふっと苦笑い。『そうですね。柿の皮を剥いて食べました。』
『もしかして、器用だったりします?』
『器用とは言えませんが、己の指を切った事はまだ一度もありません。』
『それは器用と言えますよ。触り始めた頃は、私は怪我ばかりしていましたもん。』
『な!』
ぎょっとしたように花梨を見る。
『ですから、それは子供の時の話です。今は大丈夫です。』
『そ、そうですか・・・。』信じたのか信じていないのか。『しかし、何か御座いましたら何でもお申し付け下さい。頼忠が代わりに致しますので。』
『・・・・・・・・・。』
がっくり。信じていないな。そんなに不器用だと思われているのか。

頼忠の新たな一面を知り、楽しい思い出が一つずつ増えるきっかけとなった護り刀。だけど、それと同時に恋心を芽生えさせてしまった護り刀。

『この頼忠の生命を賭して、貴女をお守り致します。』
『貴女が私の主です。』
『私は貴女の従者です。お気遣いなどなさらずに、ただご命令下さい。』

今では泣きたい気持ちを抑えるお守りとなってしまった。


「・・・・・・・・・。」
ゆっくりと時間が過ぎていく。そして建物の側に立つ男の姿も見えなくなる夜が明ける直前の闇の中、やっと眠りに落ちる。
「頼忠さん・・・・・・・・・。」
現実には見る事の無い優しい微笑みに逢える、夢の中へ。



そんな眠れない日々を過ごしていたある日。

「そんな疲れた顔をしていたら、いざという時に動けないだろう。休め。」
勝真の一言で問答無用に休みとなった。
「でも・・・屋敷に籠もっていてもつまらない・・・・・・。」
「じゃあ、船岡山にでも行くか?結界を壊したら冬が来る。竜胆を見られるのも今のうちだ。」
そしてその場にいた頼忠と三人で来たその場所は、一面青紫色の絨毯。竜胆の花は真っ直ぐに立ち、青い空を見上げている。
「綺麗・・・・・・。」
相変わらずこの花は一人の男を連想させる。絨毯の真ん中に立つと、その男(ひと)に抱き締められているような幸福感に包まれた。
「お前は竜胆の花が好きだったよな。ここで少しのんびりしよう。」
「そうですね。私も少し離れて控えております。」
勝真は木に寄り掛かると、眼を閉じてしまう。頼忠も一歩離れた。そのお蔭で花梨は邪魔される事無く一人の世界に入る。
「ここからだと、京全体が見渡せる・・・。」
大きな石に座って見下ろすと、町を一望出来る。花梨が守りたいと願う町を。花梨が守ると誓った男(ひと)が生きる町を。
『ここにずっと居たいな。ここから、あの男(ひと)をずっと見ていられたら・・・・・・。』
役目が終わった後もずっとここに・・・・・・・・・。
願いを叶える方法は無いのか、花梨は考えながらずっと町を眺めていた。



そして最後の日。

白龍の元から現実世界に戻って来た花梨を、頼忠が両腕で受け止めた。
「神子殿!」心配そうに顔を覗き込む。「大丈夫ですか?ご気分はいかがですか?」
「大丈夫です。」頼忠に支えて貰いながら神泉苑の地に降り立つ。「それより、頼忠さんに一つお願いがあるんですけど。」
ずっとずっと悩んで考え抜いて出した、一つの口実。
「お願い、ですか?」
滅多に言う事の無い神子が頼み事を?驚き、言葉を繰り返す。
「そう、お願いです。我が儘なのは承知しているんですけど。迷惑なのも分かっているんですけど。でも。」
「・・・・・・・・・。」真っ直ぐに見つめ返す。八葉の他の者で無く、頼忠に頼み―――喜びで眼が輝いた。「神子殿のお望みのままに致します。」
「頼忠さんの・・・・・・。」一瞬躊躇った後、はっきり言った。「一年間を私に下さい。」







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