『―――誘拐―――』






ある日の夜。
四条の屋敷、神子が住む室はひっそりと静まり返っていた。普段ならば警護の者がいるのだが、この日は姿が見えない。
様子を窺っていた一人の男がこっそりと忍び込む。
室の中では、文机に向かって一人の女が巻物を読んでいた。人の気配を感じて振り返ろうとしたが、その直前、男は持っていた袿を頭からすっぽりと覆い被せる。そして、暴れるのも物ともせずに、そのまま抱き上げると外へと連れ出した――――――。



屋敷に連れ込むと、自分の室に降ろす。そして、袿を取り去ると。
「美しい・・・・・・。」
男はうっとりと見惚れた。
長い黒髪、白い肌、ほっそりとした身体、愁いを帯びた瞳・・・・・・。素晴らしい美人だ。
怖がっても動揺もしていないのは不思議だが、そんな事よりも、今京で一番噂の『龍神の神子』を手に入れられた喜びに身体は震える。
『龍神の神子』は帝にも院にも信頼され大切に扱われている。意見は尊重され、言葉一つが多大なる影響を及ぼす。この神子を手に入れる事は、『京』を手に入れるのと同じ事。財も地位も思いのまま――――――。
異世界の人間だから容姿には期待していなかった。鄙びた子供でも教養も何も無くても我慢するつもりだった。有力な一族の姫では無いが、東宮や藤原一族でも一番の優秀な者や院の皇子、地方の海賊の頭までもが従っているのだから、ある程度の事は文句を言うまいと思ってもいた。だが、滅多にお目にかかれないような美人、大喜びだ。

「神子。」腕を伸ばして掻き抱く。「ずっと以前から貴女に恋焦がれていました。文を出せども出せども返事は下さらない。龍神に愛された清らかな貴女には私など相応しくは無いと・・・・・・諦めようと努力はしてみたものの、苦しさは増すばかり。想いが募って貴女を連れ出してしまったこの私の心を、どうか受け止めて下さいっ!」
男は必死に想いを伝えようとする。
だが。
『なぜ反応しないのだろう?』
知らない男に連れ去られた事への恐怖で震えるなり、情熱の恋に動揺するなり、抵抗する気配を見せるのが普通だろう。だが、美しい顔にはどんな感情も表れず無表情のまま。気味悪いほどに。
何を考えているのか解らないが、時間は無い。
神子に仕えている八葉と呼ばれる男達が探しに来るだろう。その前に、完全に手に入れなければならない。取り上げられる事の無いように。
取り敢えず考えるのは後。今はやるべき事はやってしまおう。頬に手を添えると顔を近付けた――――――。



「夜桜、キレイだったね♪」花梨は手折って来た桜の花一枝を、眺めながらスキップして歩く。「やっぱり日本人は桜。お花見しないと春が来たって実感が湧かないのよ!」
そんな楽しそうにはしゃぐ花梨は可愛いらしいが、まだまだ子供だ。付き添っている八人の男達は苦笑いを浮かべる。
「お花をゆっくり見たのは久し振り。こっちに来てからだと初めてかなぁ?うん、やっぱりキレいな花を見られるのは嬉しいし楽しいよね?」
「墨染の桜も美しいですよ。花びらが白いのです。」
花梨が桜の花に特別な思い入れがあると知り、彰紋が教える。
「白い桜?へぇ・・・珍しい。見たいなぁ。」
「墨染の桜は時期が遅いんだ。これから咲くから見られるぜ。」
イサトが言葉を足す。
「そうなんだ。行かれるかな?」首を傾げて考える。「行けるといいな。ううん、絶対に行こう。」
「見頃になったら教えるから、そうしたらまたみんなでお花見するか?」
本当は二人きりで見に行きたいが、みんなの前で誘うのは無理だ。抜け駆けは他の七人がどう反応するか怖い。
「そうだね、またみんなで見に行こう!今度は紫姫や千歳も誘おうよ!」
花梨のそう返事をする態度で、まだ誰にも特別な感情を抱いていないのが解り、ほっと胸を撫で下ろすが。
『『『『『『『『何時になったら、私(俺・僕)の気持ちに気付くのだろう?』』』』』』』』


きちんと花梨の室にまで送り届けて、別れの挨拶をしようとしたのだが。
「あれ?いない・・・・・・。」
ぽつりと呟いた花梨に、八葉は反応した。
「誰がいないんだ?」
戸惑いを隠せない少女を一斉に見つめる。
「うん・・・文車妖妃・・・・・・。」
「怨霊の文車妖妃ですか?」
「そう・・・・・・・・・。」
「具現化してどうなさるおつもりだったのです?」
「うん・・・、文車妖妃に教えて貰っていたの。」
「文車妖妃に何を教わっているんだよ?」
「えっとぉ・・・・・・。」花梨は恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いてしまう。
「「「「「「「・・・・・・?」」」」」」」
七人は首を傾げるが。
「文車妖妃に教わる事なんて一つだろう?」翡翠は目を細める。「誰に恋文を出そうと思ったのかな、姫君?」
「「「「「「「恋文!?」」」」」」」
七人は顔色を変える。恋文を贈りたい相手は誰だ!?お前の想い人は一体誰なんだっ!?
「えっとぉ・・・そうじゃなくて・・・・・・。」わたわたと手を振り回す。「そんな事より!」話を反らす。「何処行っちゃったんだろう?部屋の中に居てとお願いしたのに。」

その時、泰継がやっと反応した。
「穢れを帯びた気がある。誰かが侵入した。」目を瞑って気配を探る。「文車妖妃を連れ去った。」
「「「「「「「「えっ?連れ去った?」」」」」」」」
「何で文車妖妃を連れ去るの?」花梨は首を捻って考えるが、見当もつかない。
「「「「「「「「・・・・・・・・・・・・。」」」」」」」」
その花梨の疑問に答える者は居ない。怨霊を欲しがる人間などいる筈が無い。神子の室から連れ去ったのだから、本当の標的は花梨だったのだろう。だが、花梨の容姿を知らない男は、その場に居た文車妖妃を花梨と間違えて連れ去ってしまった。室の中を荒らした様子は無いから、強盗目的ではない。脅迫状も無いから朝廷に仇なす者の、謀反を起こそうとする輩でもないだろう。とすると、犯人は一方的に懸想した公達の一人。大切な大切な愛しい少女を、どこの誰とも解らない利用する事だけを目的とした男に奪われるところだった。
『『『『『『『『危なかったっ!』』』』』』』』
恐怖で青冷める。

「怨霊は何で大人しく連れ去られたんだ?怒るとおっかないけど怒らなくても強いのに。」
火の属性には弱いイサトが身震いしながら疑問を口に出す。
「そうですね。普通の人間が敵う筈も無いのですが。」
同じく、火の属性の怨霊に苦労した幸鷹も同調する。
「あっと、それはですね。」花梨が説明をする。「具現化した最初の時にお願いしたんです。人間を攻撃しちゃダメだって。文車妖妃は強いから、大怪我しちゃうもん。」
「あぁ、それでか。」みんな納得する。大怪我どころか、生きてはいられまい。
「それよりも、どうしよう?どこに行っちゃたのか解らないよ?放って置く事も出来ないし・・・・・・。」
花梨はおろおろとしてしまう。
それに対して八葉達は。
「「「「「「「「俺達に任せておけ。連れ戻してやるから!」」」」」」」」力強く笑みを浮かべながら言う。「「「「「「「「再発防止策も考えてやる。」」」」」」」」
「えっ、本当?大丈夫?」
期待を込めてみんなを見回すと。
「「「「「「「「あぁ!二度とこんな事は起こらない。安心しろ。」」」」」」」」
「・・・・・・・・・・・・。」剣呑たる雰囲気の笑みに、花梨は口出す事は控えた。『何か怖い気がするけど・・・大丈夫、だよ、ね・・・・・・?』






長くなりすぎた・・・・・・。