『―――ボツ後日談〜雨乞い〜―――』 |
「雨乞い?」 「はい。」 彰紋は申し訳無さそうに俯いた。 「そっか・・・・・・。それなら断る事は出来ないよね。」 観念した花梨は雲一つ無い空を見上げた。 花梨は龍神の神子として京に蔓延る怨霊の全てを祓い、同時に町を覆っていた絶望も消し去った。そのお礼を言いたいという帝の内裏への招待、それはただ神子を一目見たいという貴族達の口実だ。そんな貴族達の好奇心を満足させてやる義理など無い花梨はことごとく断っていたのだが。 「申し訳ありません。」 「雨が降らないのは彰紋くんのせいじゃないし、謝らなくて良いよ。」 だが、もう一ヶ月以上雨は降っていない。そして降る気配も無い。このまま雨が降らない日が続けば飢饉の恐れがあるし、流行り病も心配だ。さすがに放っておく事は出来ない。 「で、私は何をするの?」 「はい。内裏内に紫辰殿という建物がありまして、その前庭に祭壇、舞台を設けます。神子殿にはそこで龍神に祈りを捧げて頂きます。ただそれだけです。」 「八葉である我々がお側におりますから、何のご心配は要りません。」 不安げな表情の花梨に、幸鷹と泉水が優しく微笑みながら言った。 「貴族だけじゃなくて八葉は全員行くんだってさ。オレが側にいるんだから心強いだろう!」 イサトが元気良く言う。花梨が頼忠を見ると、頼忠も安心させるように頷いた。 「雨乞いの儀式だが、舞やら楽器の演奏やらもあるから、貴族の遊びを見物しに行くとでも思っていれば良いさ。」勝真はそう言ってから肩を竦めた。「退屈だがな。」 「神子としての役目だから頑張るね。」 神子がしっかりしないと、八葉であるみんなが恥ずかしい思いをする。うん、頑張ろう。花梨は握り拳を作って自分に気合を入れた。 「雨乞いだなんて、よくもまぁ断れない口実を思い付いたものだな。」 四条の屋敷を出た勝真が吐き捨てるように言った。雨が降らないのは困る。だが、梅雨の時期ではないし、まだそんな深刻な状況には陥っていない。 「そうですね。しかし、偽者だから招待を受けられないのだと言う者もいるのです。何時までも逃げ回っていられません。」 幸鷹が眼鏡のズレを直しながら言った。内裏の中ではそんな噂が流れている。地位も褒美も要求しない花梨を不審に思っているのだ。 「真の龍神の神子だからこそ、招待を受けたくは無かったのですが。」 泉水が顔を曇らせた。花梨の力は本物だ。だからこそ、誰もがその力を欲しがるだろう。醜い勢力争いに巻き込みたくない。 「なぁ。お前の兄貴は花梨を入内させたいとは考えていないんだろうな?」 イサトが心配そうに尋ねた。 「はい。一度もおっしゃった事はありません。」 彰紋は頷いたが、その表情は暗い。貴族達は帝のご機嫌を取ろうと汲汲としている。その影響で娘である妃達も周りの女房達も争い、揉め事ばかり起こす。帝の眼には明るく無邪気な花梨は新鮮に映るだろう。 「お、おい。」 「大丈夫かよ・・・・・・?」 彰紋の落ち着きの無い態度で、彼が何を考えているのかが手に取るように分かる。帝だけでは無い。見た目も考えも幼いが、芯はしっかりしている花梨はとても魅力的な女人だ。政略とは関係なく、男が心から愛する妻になれる女人。不安感は他の者達にも移り、快晴の空模様とは違って八葉の周りの空気がどんよりと曇っていく。 そんな中、翡翠だけはクスリと笑った。 「翡翠殿は心配では無いのですか?」 彰紋が驚いて訊いた。 「我らのお姫様が龍神の神子だよ。何の心配も要らないさ。」 「花梨を小馬鹿にしているのか!?」 イサトがかっとなって怒鳴ったが、翡翠は落ち着いていた 「その反対だよ。彼女は我々のようにちっぽけな考えには囚われていない人だからね。ご自分で何とかしてしまうのではないかと思ってね。」 「神子は確かにそういう方ですが・・・・・・・・・。」 泉水が瞬きをしながら呟いた。確かに花梨は京の人々とは考え方が違う。そしてそれ以上に感情に素直だ。それが魅力でもあり、不安の原因でもある。だが・・・・・・逃れる理由にもなるかもしれない お互いの顔を見つめる。そして不安の中に期待が混じり合い始めている事に気付いた。 「まぁ、しばらく成り行きを見守りましょうか。」 「そうだな。」 「はい。」 「そうですね。」 幸鷹の言葉にそれぞれ頷いた。 数日後、花梨は内裏へ入った。そして儀式が始まった。 舞台では雅やかな楽器の演奏や、可愛らしい姫君の舞が披露されている。だが、多くの者達は神子を観察していた。 『居心地が悪い・・・・・・。』 突き刺さるような視線が辛く、花梨は俯いた。 花梨は出番が来るまで控え室のような場所で休んでいられると思っていた。一緒に行く八葉と共に。それが、舞台の真正面、紫辰殿に設けられた特等席に座らせられているのだ。東宮彰紋の隣に。帝の隣に。そして他の八葉は遠く舞台の横に設けられた貴賓席に座っている。 『思ったよりも若いのね。』 『どう見ても鄙びた町娘だわ。気品というものが無いわよ。』 『本当にあの娘が龍神の神子なの?』 憧れの東宮が世話を焼いているのが悔しく、女房達は刺々しい言葉を吐いていた。それも花梨本人に聞こえるように。 『泉水殿や幸鷹殿も八葉なのでしょう?だったら代わりに役目を果たされたのではなくて?ほら、あの方々は真面目で優秀だから。』 『そうね。きっとそうよ。そうに決まっているわ。』 『そんな穢れた眼で花梨を見るな。』 八葉は後ろから聞こえてくる貴族達の話し声に眉を顰めていた。 『ほう、想像していたよりも若いのだな。』 『気品はあまり感じられないが、気取ってもいなくて愛らしい。』 『こういう華やかな場に出るのは慣れていないようですな。緊張して青冷めているのも初々しいではないか。』 『ふむ。素材は宜しい。磨けば光りそうだわ。』 概(おおむ)ね好意的なのだが、こんな内容では喜べない。 『後見人はいないとの話だったが。』 『しかし東宮様が八葉であるならばそう気にする必要は無いでしょう。』 『一度文を贈ってみようかな。』 「花梨さん。」 やっと花梨、神子の出番だ。彰紋は立ち上がると、花梨に手を差し出した。 「うん、分かった。」 頷き、その手を借りて立ち上がる。その途端、後ろで女達が騒ぎ出した。 『きゃあーーー!』 『あの娘、彰紋様の御手を握ったわ!』 「うっ。」 花梨は手を離そうとしたが、彰紋は強く握り締めた。 「僕は花梨さんをお助けする為にここにいるんです。お気になさる必要はありません。」 「そうだね。」 袿やらなにやらを何枚も重ね着して長袴を穿き、更に髢を付けているから、誰かの手、助けが無いと歩けない。素直に頷いた。 「段差があります。足元に気を付けて。」 「うん、ありがとう。」 舞台の中央に移動すると、八葉が舞台の後方、花梨の背後を取り囲むように立つ。そして勇気付けるように優しく頷くと跪いた。 だが、その様子を見ながら花梨は首を傾げていた。 『祈りを捧げるってどうやるの?』 儀式だから形、見た目が重要だ。舞や演奏は踊ったり楽器を弾いたりすればそうと分かるが、祈るというのは漠然としている。 『まさかここで一曲歌う訳にはいかないよね・・・?』 歌うにしても雨乞いの歌なんて知らない。全く関係ない歌を歌っても意味が無い。 「神子は何をしているんだ?」 「ほら御覧なさい。あの娘は何も出来ないじゃないの!」 「やはり偽者だったのか?」 何時までも突っ立っているだけの花梨に、見ている者達が不審に思い、騒ぎ出した。 『じゃあ、力の具現化の要領で龍神様に頼んでみようかな。』 「すぅ・・・・・・ふぅ・・・・・・・・・。」 花梨は眼を瞑って胸の前で手を組み、気を落ち着かせようとゆっくりと深呼吸。そして心の中で龍神に話し掛けた。 『龍神様、お願いします。私達の願いを叶えて下さい。雨を・・・降らせて!』 サァーーーーーー。 その瞬間、花梨が薄白い光に包まれた。 「おぉーーー。」 「綺麗だわ。」 「なんて清らかな光なのだろう!」 奇跡としか言いようの無い光景は、悪意ある者達の口を閉じさせた。代わりにため息が漏れる。 ゴロゴロゴロ・・・・・・。 「あ!」 「雲だ、曇ってきたぞ。」 上を見上げると、もこもことした厚い雲が湧き出て空を覆っていく。辺りが暗くなり始めた。 「雨が降るわ!」 「龍神様が雨を降らせてくれるぞ!」 驚きと喜びで紫辰殿の中も舞台の周りもざわつく。と、ポツリポツリと大粒の雨が降り出した。 「すごい、すごいわ!」 「本当に降ったぞ!」 「神子様の祈りが届いたわ!」 「神子のお陰だ!」 と、褒め称えながら舞台を見ると―――舞台の中央で神子は一人の男と抱き合っていた。 「え?」 「あん?」 「な、何だ?」 観客が舞台を見るほんの数分前。 『龍神様、お願いします。私達の願いを叶えて下さい。雨を・・・降らせて!』 シャ・・・ン。 シャラ・・・ンーーーーーー。 『―――神子。そなたの願い、叶えよう―――。』 花梨が祈ると頭の中で鈴の音が響き、低い声、龍神の声が聞こえた。 「龍神様、ありがとう御座います。」 花梨が眼を開けると、八葉が笑顔で花梨を見つめていた。上を見上げると、もこもことした厚い雲で空が覆われ、辺りが暗くなり始めていた。 「神子、おめでとう御座います。」 「花梨、凄いじゃないか。」 「さすが神子殿です。」 口々に褒め称えるが、泰継だけは眉を顰めた。 「雨が降る。さっさと建物内に戻れ。」 その言葉が言い終わらない内に、ポツリポツリと大粒の雨が降り始めた。 「うわっ!龍神様、早すぎだよ。」 首を竦めて一歩踏み出した。だが、穿いているのは長袴、布地に足を取られた。 ズルっ。 「きゃっ!」 「神子殿!」 さすが反射神経の良い頼忠、身体が動いた。さっと駆け寄り、腕を差し出して抱き止めた。 「誰だ、あの男は!」 「神子は何をしている?」 「何で抱き合っているの?」 本降りとなった雨音が周りの騒ぎをかき消し、花梨達の耳には届かない。 「ほら、早く避難しろ!」 勝真の言葉に、頼忠が瞬時に反応した。花梨は正装していて気軽に動けない―――頼忠が運んだ方が早い。 「失礼致します。」 言葉を発すると同時に手を花梨の背に、もう片方の手を膝の後ろに回してさっと抱き上げる。そして走った。 一番近い場所、先ほどまで八葉がいた貴賓席には陽射し避けの屋根がついている。そこに飛び込んだ。 「ふぅ。少し慌ててしまいましたね。」 額に流れる水気を払いながら幸鷹が言った。 「そういやぁ、雨乞いだから雨が降って当然なんだよな。」 イサトが鼻下を擦る。 「神子殿。大丈夫ですか?」 頼忠が腕から下ろしながら花梨の顔を覗き込んだ。 「頼忠さんこそ大丈夫ですか?私、こんなに着ているから重かったでしょう!」 心配そうに頼忠の腕を擦る。 「あぁ、大丈夫大丈夫。」勝真が口を挟んだ。「お前の一人や二人、何てこたぁ無い。」 「勝真さんには訊いてない。」 花梨のその素っ気無い口調に、頼忠は苦笑した。 「私の事なら勝真の言うとおり、ご心配要りません。お気遣い、ありがとう御座います。」 他の八葉はさり気なく周りを見回し、その場にいる貴族達が花梨達の会話に聞き耳を立てている事を確認した。 「君は相変わらず頼忠の腕の中に飛び込むのが好きだねぇ。」 うっすらと笑みを浮かべた翡翠が思わせぶりに言うと、貴族達の顔色が変わった。 「躓いたんです。人聞きの悪い言い方しないで下さいよ。」 ぷっと頬を膨らませた。 「はいはい。分かってる、分かってるって。」 「だからわざとじゃないんだってば!」 そのふざけた言い方に、花梨は怒ってイサトの腕をゆっくりした大げさな仕種で叩いた。 「だが、頼忠に抱き締めて貰うのは好きだろう?」 「うん。」 「って、即答かよ。」 「本人眼の前にして嘘はつけないもん。」勝真達を清まし顔で見回し、頼忠の腕に腕を絡ませた。そして頼忠を見上げる。「ね〜?」 「み、神子殿・・・・・・。」 貴族達の鋭い視線に戸惑い、困ったように見下ろした。だが、花梨がお茶目な可愛い笑みを浮かべると、つい釣られて笑みが浮かんでしまう。 「今夜、来られる?」 「はい。」 「じゃあ、今日は雨に濡れて冷えちゃっただろうからお酒は温めておくね。」 「ありがとう御座います。」 優しい心遣いに感激し、嬉しそうに微笑んだ。 『おい。』 『なぁ?』 『あぁ。』 貴族達がこそこそと目配せしながら頷いた。そして悔しそうに頼忠を睨むと、諦めのため息を吐きながら首を振った。 その様子を見た頼忠以外の八葉は、貴族達には気付かれないように心の中で満足の笑みを浮かべたのだった。 花梨を四条の屋敷に送り届けた八葉は、苦笑いを浮かべていた。 「あの二人はまだおせろという賭け事を続けていたのですね。」 花梨は、4連敗中なの、と悔しそうに言っていた。5連敗は避けたい、と。 「頼忠は今夜も屋敷の警護なんですね。」 警護だけ、だ。未だに頼忠は庭で夜を過ごす。 「あいつらは何時までままごとを続ける気だ?」 「さぁ?」 「頼忠は花梨さんが大人になるまで待つつもりなのでしょう。」 「それじゃあ頼忠、じいさんになっちまうぜ?」 「おいおい。」 イサトの冗談に、ガハハハ、とみんな大笑い。だが、中途半端に止まった。 「まさか・・・・・・・・・な。」 顔を見合わせる。しかしあの二人は不安が的中してしまいそうな雰囲気だ。 「まぁ・・・・・・神子殿がそれで幸せならばそれも良いでしょう。」 「周りが口出しするような話では無いしねぇ。」 「そうですね。」 頷く。 が。 「俺達は何時までこんな心配しなきゃいけないんだ?」 勝真が、みんなが抱いている疑問を呟いた。 「「「「「「「はぁ・・・・・・・・・。」」」」」」」 ため息は―――深くて長い―――。 |
注意・・・連作『おままごと』のボツ後日談。 梅雨前のある寒い日。 ちなみに、この作品に『ボツ』と付いているのは、他に『後日談』があるからです。こちらとあちらでは内容的に大きな矛盾が出てしまう為、両雄並び立たず、で。 2006/12/28 03:08:34 BY銀竜草 臨時拍手から再掲。 2007/10/25 0:39:13 BY銀竜草 |